6-4 よっちゃばれ広場
大和の家に行った翌日は、午前中に英語と数学の夏期講習を受けた。
午後の共通試験対策の文系科目についてはお金を出してくれた両親には申し訳ないけど、休みにさせてもらった。その代わり甲府駅北口のよっちゃばれ広場で雨宮に出てきてもらうことにした。
昨夜LINEで連絡すると、「いいよ、入賞のお祝い渡したかったし」という返事が返ってきた。
雨宮の家はは中央市ではなく、それよりもっと北側の甲府駅に近い方なので、自転車で甲府駅まで出てこれる。
よっちゃばれ広場には、南口の有名な武田信玄公の像とは違って、ひっそりとその父である武田信虎公の像がある。坊主頭の武田信虎公のその数奇な人生は理系の僕にはあまり馴染みはない。だけど、六年生のときに地元の人物を知ろうという授業で一度調べたことがある。苛烈な政治や行動をしたため、息子である武田信玄に追い出されたらしいというところぐらいは知っている。
だけど、この凛々しく前を見据える僧形の老人は本当にそんなに苛烈だったのだろうか。クーデターに成功した人たちや、後世の人たちが、そういうふうに殊更に言い立てたのではないだろうか。そんな思いを胸に浮かべながら、夏の日に照らされた立像の老人の顔を見つめていた。
「お待たせ!」
後ろから声をかけられて、胸が小さく跳ねた。
振り返ると、白いオーバーサイズのTシャツにデニムのショートパンツ、シンプルだけどどこか洒落たスニーカーといった姿の雨宮がそこに立っていた。肩に少しかかるショートヘアーが夏の風を受けてふわりと揺れた。
制服やジャージ姿、トレーニングウェアの彼女にしか会ったことがなかったからだろうか。
日焼けした健康的な肌、透き通るような丸い瞳がいつもより眩しかった。
僕はその姿をなぜか直視することができなかった。
「おう。悪いな。こんなとこに呼び出しちゃって」
「ううん。いいよ。夏休み、受験勉強でちょっと嫌になってたことだし」
雨宮は少し茶色がかった髪を耳元でかき上げて微笑んだ。
「えっと…。四位入賞おめでとう!」
突然、雨宮は肩にかけたトートバッグから、紙袋を取り出した。
「え?ありがとう…。表彰台乗れなかったけどね」
「いや、全国で四位って、すごいよ。もっと誇っていいと思うよ」
「見ていい?」
「うん、たいしたものじゃないけど。いいよ。へへ」
紙袋の中には、タオルがはいっていた。タオルの端には、Ryo Mikasa インターハイ100m、4位!と刺繍がしてあった。
「え?これ、自分で刺繍したの?」
「いや、お店でやってもらったの。自分でミシンとかでできれば女子力高めなんだけどね。残念ながら」
雨宮が照れ笑いをしながら言った。
「そっか。いや、ありがとう。大事にするよ」
「うん。まあ、タオルなんて汗拭きだし。ボロボロにしちゃってください」
「ははは、そうだね。まだ暑いから、これからガンガン使わせてもらいます」
信虎公の前にいる二人は、なぜかタオルを手にしてしばらく笑い合っていた。僕は物陰からその様子を見ているであろう大和のことを思い出した。
「で、話なんだけどさ…」
雨宮の笑顔が少しだけ揺れた。
「田中くんのこと…だよね…」
「うん…」
雨宮は少し何かを気にするように、後ろを振り返ってから眉をひそめた。
「そうだよね。三笠くん、田中くんと仲良いもんね」
「ああ、あいつ、あんなことになっちゃって、学校辞めて引っ越すらしいんだ」
「え、そうなの?」
「うん。俺は、あいつがそんなことするとは思えないんだ…」
雨宮は少しうつむきながら聞いていた顔をあげた。
「そう…。三笠くんもそう思うでしょ。私もそう思っているの」
もう一度、何かを気にするように振り返って雨宮は顔を近づけた。声をひそめて言った。
「ちょっと、ここじゃ話せないので、どこかお店いかない?」
「え?ああ、そこにカフェがあるよ」
僕が指さすと、
「うん、そうしよう」
雨宮はうなずいた。
建物の影に隠れている大和と目があった。僕は小さく目配せをすると、雨宮と一緒にカフェの方へと歩いて行った。
よっちゃばれ広場の入り口、駅の昇降口の近くに小さなカフェがある。中央市にも工場がある全国的なお菓子メーカーが運営しているカフェだ。一階で注文を済ませて商品を受け取ると、広場が見渡せる二階の窓際の席に僕らは向かい合って腰を下ろした。大きな窓には白樺のようなイラストが縦に描かれている。下からは窓際に誰がいるのかはわからないが、こちらからは広場全体を見ることができる。僕が窓を背にして座ると、自然に雨宮は広場が見える側になった。
何かの視線を気にしているような雨宮のことを気にしてのことだ。ここなら観光客も多いし地元のやつに会うこともないだろう。ましてや二階に座っている二人をじろじろ見てくるやつがいるのなら——
それはだいぶ怪しい。
「あのね。わたし、最近やけに誰かの視線を感じるの…」
席につくや否や、雨宮が口を開いた。
「それを紗奈に言ったら、それは田中くんだって言うんだけど、やっぱり…」
僕はその言葉を聞いて改めてほっと胸を撫で下ろした。
「うん、俺も大和ではないと信じているんだ。なんでかっていう理由はわからないけど、とにかく大和ではないと思う。確かにあの日、俺らは雨宮の泥だらけの体操服を見つけたけど、大和がそこに隠したのをわざわざ見つけたなんていうことは絶対にないんだ。俺はあのときに一緒に探してたから。それと…」
雨宮が短い髪をかき上げてアイスコーヒーを飲んだ。
「それと…?」
「ああ、大和は、あの巾着袋を見つけた前日、電車からあの場所で何かをしている怪しい人を見たんだって」
僕はアイスティーにミルクとガムシロップを入れてストローでかき混ぜる。雨宮は眉を上げて驚いたように僕の顔をじっと見た。
「あいつのことだからそんなこと言ってもどうせ信じてもらえないと思って、俺を誘って一緒に探そうって。それで線路脇の側溝で雨宮の体操服を見つけたんだ」
はじめは匂いで探したということは雨宮には告げることができなかった。さすがにそれを言うと変に思われると思ったからだ。
「え…?怪しい人?どんな…?」
「ああ、それについては…」
僕は、顔を上げて雨宮の後ろにいる大和に視線を向けた。
雨宮は振り返って、大和の顔を見る。一瞬驚いた表情は浮かんだが、さきほどと同じ顔になって僕と大和の顔を交互に見返した。
「え…。」
「ごめん。ちょっと嫌かもしれないけど、大和にも来てもらったんだ…」
「ううん、大丈夫。むしろ…」
「むしろ?」
雨宮は硬い表情のまま、大和の顔をみた。
「その、怪しい人っていうのを知りたいし。わたし田中くんにも知ってもらいたかったの」
その言葉を聞いた大和は安心した顔をして、両手に持ったトレイをテーブルに置き僕の隣に座った。トレイには雨宮と同じアイスコーヒーとアップルパイが乗っている。
「なんで、この暑い日にアップルパイなんだよ」
隣に座った大和に小声で突っ込む。
「え?だってここのアップルパイ、美味しいんだよ。ソフトクリームが良かった?」
いつものきょとん顔で大和が答えた。
「いや、そうじゃなくてさ。ったく、お前ってやつは」
そう言い合っていると、雨宮は口に手を当てて少し笑った。碧陽祭の夕暮れで見上げた笑顔と同じだった。アップルパイのシナモンの香りが鼻腔をくすぐった。




