その7
翌日、保のところへは、朝香文部科学大臣からの手紙が届いた。
それによれば、急用でしばらく留守にするので、副大臣にその間、任務代行をさせてほしい、申し訳ないとのことだった。
眉間にしわを寄せる保に、秘書の楡沢が説明する。
「大臣の所在が不明になったのは夕べです。
お母さんが部屋にいったところ、机の上にその手紙があって、大臣の姿が消えていたそうです。その後、携帯にも連絡が取れず、知人にも連絡をしましたが、大臣の行方はわからなかったとのことです」
「この時期に行方をくらますなんて、おかしいな。特に今日の委員会では、彼が推進していた未就学児童教育費無料化法案の採決が行われる予定だ」
「はい。事故や事件に巻き込まれていないといいのですが…」
「官房長官たちと対策協議をしたい。済まないが手配を頼む」
楡沢が執務室を出ると、傍にいた周子が、おそるおそる保に話しかける。
「あの…先生…」
「何だい?」
「実は紗由が…」
「どうした?」
「今朝、法案採決見通しというニュースをやっていて、朝香先生の映像が映ったときに、紗由が“負けるなあ!”って言っていたんです。意味を聞いても答えなくて。
先生には、紗由は前に幼稚園で会っています。見覚えのある顔だから応援していたのかなとも思ったんですけど…」
「うーん…ちょっと引っかかるな」
「もう一度、確認してみます」
「ああ。頼むよ。…まあ、口は割らないだろうがな」
「申し訳ありません」
「君が謝ることじゃない。すまないね、気を遣わせてしまって」
「いえ、そんな…私自身、母親として気になる部分もあります。何かわかりましたら、すぐにご報告を」
周子が頭を下げ部屋を出ると、保は微笑みながら、机の電話の受話器を取り上げた。
「私だ。済まないが、ちょっと調べてほしいことがある。ああ、急ぎで頼む」
* * *
パジャマ姿の紗由が、寝る前に鶴の折り紙を保のところに持ってきた。
今日、幼稚園で、誰かのために5つの鶴を折りましょうという課題の時につくったもので、渡すのを忘れていたというのだ。
「ありがとう、紗由。うれしいなあ。宝物にするからな」
「うふふ」うれしそうに笑う紗由。
「ところで、他の鶴は誰のために折ったんだい?」
「ありかわのおじさまと、あさかせんせいと、おにんぎょうのせんせいと、えんちょうせんせい」
「…それは…どうして、そういう人たちを選んだんだい?」
自分も含め、どうしたそのような人選がされたのかが理解できなかった保は、戸惑いながら尋ねた。
「こまっているひとの、おてつだいをするのが、たんていじむしょのしょちょうのやくめですから」自信満々な様子で答える紗由。
「有川と朝香先生と岩倉先生と園長先生は、何に困っているんだい?」
「さあ…おとなには、いろいろあるから。さゆは、こどもだからわかりません。ありかわのおじさまと、おにんぎょうのせんせいに、つるさん、わたしておいてね」保の目を見ずに紗由が言う。
「朝香先生と園長先生のぶんは、いいのかい?」
「あさかせんせいは、いないでしょう? えんちょうせんせいも、いないし」
「なあ、紗由。朝香先生のこと、紗由はなにか、わかってるんだろう? じいじに教えてくれないかい?」
「おしえたら、どうするの?」
「え?」
「じいじたちは、いつも、そう。おしえてって、いうけど、おしえたら、どうなるのか、ぜんぜん、おしえてくれない」不機嫌そうな顔で紗由が言う。
「いや、それは…」
「しってる人のこと、かってにつかったら、だめだもん」
「勝手に使っているわけじゃない。困ったことがあった時に、協力してもらいたいと思ってるんだよ。それは、紗由のような力のある人たちじゃないとできないことだから」
「おばあさまにきいたらいいのに。おばあさまが、いちばん力があるんだもの。ぜんぶ、おばあさまにきいたらいいのに」
「おばあさまが教えてくれないのは、紗由だってわかってるだろう?」
「さゆなら、おしえるっておもってるの?」
軽く見られていると感じたのか、紗由はさらに不機嫌そうな顔になる。
「なあ、紗由。朝香先生は、お友達なんだ。無事でいるのか、心配なんだよ。紗由だって、まりりんや奏子ちゃんたちがいなくなったら、どうしてるのか知りたいだろう?」
「しりたい…」
「じいじも同じなんだよ」
「だいじょうぶだよ。がんばってるんだから」
「朝香先生が頑張っているという意味かい?」
「みんな、がんばってるんだよ!」
紗由は眉間にしわを寄せると、部屋を走って出て行った。
“皆、頑張っている…。朝香くんは今どこにいるんだ。何をしようとしてるんだ? 皆というのは、誰のことを言ってるんだろう…?”
保はしばし考えていたとき、周子から電話が入った。
* * *
「すみません、総理。こんな遅くに急にお時間をいただきまして」
「いや、いいんだよ。君のほうこそ、事務所の火事の件は本当に大変だったね。大丈夫なのかい?」
「あ、はい。とりあえず、臨時事務所の目処もつきました。党からお見舞をいただいて、本当に助かっております」
「そうか、それはよかった。事務所の人たちもお疲れで大変だろうけどね。…で、話というのは何だい?」
「はい…竹田のおじの件です」岩倉は気まずそうに目を伏せた。
「竹田さん、その後、具合はどうなんだい?」
「多少は落ち着いていたんですが、最近またちょっと…」
「精神的なものというのは、不安定な状態が多いからね。君も奥様も心配が耐えないね。奥様にも体に気をつけるように伝えておいておくれ」
「はい。ありがとうございます。…それで、おうかがいした理由なんですが…」
言いよどむ岩倉。だが保はせかすでもなく、じっと岩倉を待っている。
岩倉は、保を見つめては目を伏せるのを何度か繰り返し、ようやく重い口を開いた。
「実は、火事になる前、竹田のおじから、あの人形を預かっていたんです」
「病院で見せてもらった木像のことかい?」
「はい。でも、火事で焼失しました。正確に言うなら、焼失したと思ったので、おじにそう報告しました。おじはホッとしているようでした。でも…」
「でも?」
「手紙が届いたんです。写真が2枚入っていました。これです。これを見て、また具合が悪くなりました」
差し出された封筒を保は手に取り、中身を確認した。
「あの人形だね。…この日付、昨日じゃないか」
「はい、そうです。そしてもう一枚の写真にも人形が。そちらの日付は3年前です」
「3年前?」保が険しい表情になる。
「四辻元外務大臣のじけ…事故の日です」
言われた保が、慌てて確認をする。
「…20××年9月21日。確かにそうだ」
「これは、どういう意味なのでしょうか」
「うーん…私に聞かれてもなあ…」
「紗由ちゃんが言ってましたよね。最初は茶色だけど、悪いことをすると黒くなるって。持っていると危ないって。3年前の日付の写真、人形の色が茶色です。総理は何かご存知なんじゃないですか?」
「私が? いや、手紙など出していないよ。そもそも君とは週に2回は閣議で顔をあわせるんだ。必要があれば、その時に渡せばいいじゃないか」
「あ…す、すみません。私も…どう考えたらいいのか、わからなくて…すみません」何度も頭を下げる岩倉。
「いや、怒っているわけじゃないよ」穏やかに微笑む保。「いつも冷静な君がそれだけ動揺するんだ。この写真に何か心当たりがあるということなのかい?」
保の問いに再び言いよどむ岩倉。額にじっとりと汗がにじんでいる。
「岩倉くん。黙っていてはわからないよ」今度は保も待ってはいない。
「あれは…あれは事故なんかじゃなかったんだ…」岩倉の顔は青ざめている。
「四辻の件かい?」
「入閣した時、おじが酔って僕に言ったんです。
“あの人に協力して正解だった。党内の勢力地図もあの後だいぶ変わったし、大臣にもなれた。外務だったら、なおよかったんだけどな”って」
「四辻が事故にあうよう画策した人間に、竹田先生は協力をしたと言いたいのかい?」
「その時は、もし四辻先生がご存命だったら、おじは入閣はできてなかったという意味だと思ってたんです。
元々、四辻先生とは主義主張が真っ向から対立していましたし、自分より年下なのに人気実力共に認められていた四辻先生が疎ましかったんだと思います」
「まあ…生きていたら、今の私の椅子もあいつのものだったはずだ。それは誰もが認めるところだろう。あいつは子供の頃から、味方も多いが敵も多かった」今度は保が目を伏せる。
「私は、おじの言う“あの人”というのは、小宮山先生なのかと思いました。ちょうど通りかかった朝香先生も、“小宮山先生さまさま、ですか?”と皮肉っぽくおっしゃってましたし。…まあ、おじは言葉を濁していましたけれど」
「ほお…」
「でも、この写真が届いて、もしかしたらって思ったんです。おじは四辻先生失脚のために誰かに加担したのではないかと」
「その誰かというのが小宮山先生だと?」
「おじと利害が一致する人間。そしておじが“あいつ”ではなく“あの人”と呼ぶ目上の人間。…小宮山先生か梨本先生しか思い浮かびません」
「なるほど」
「“あの人”というのが、お二人のうちどちらかなのか、それとも別の人間なのかはわかりません。…でも、ひとつ確実に言えることがあります。青蘭の川本園長は何らかの関わりを持っています」
「なぜだい?」突然出てきた名前に驚く保。
「写真が届く前日、見舞いに行ったときに孫の美智香ちゃんがいたんです。彼女が学校の…青蘭の話をしてました」
「美智香ちゃんは、うちの龍と同じ学年だったな。確か、四辻のところの翼くんと同じクラスだったはずだ」
「はい。その美智香ちゃんが、幼稚部の川本園長が休職しているという話をしました」
「ああ。何でもノイローゼだという噂だそうだね」
「“私のせいで彼は死んだんだ。私は人殺しなんだ”とうわごとのように呟いているところを、美智香ちゃんと、もうひとりの女の子が目撃してたんだそうです。
しかも川本園長は美智香ちゃんの姿に気づくと、“あなたのおうちにも、いるのよね”と言ったんだそうです。
二人は口止めされ、家にも連絡があったたようですが、園長は様子がおかしいままで、数日後入院という形になりました」
「つまり…川本先生によれば、自分と、美智香ちゃんの家の人間が人殺しだと」
「そうです。美智香ちゃんは器量は何ですが…あ、すみません、えーと、今は関係ないですね。でも、お世辞抜きで非常にやさしい子なんです。
自分がある意味怖い思いをしたのに、園長のことをお世話になった先生だからと心配してました。だから、その話も、竹田のおじに言いつけるということではなくて、病気が早く治るように、この病院に入れてあげられないかと聞いていたんです」
「実にやさしいお嬢さんだ」
「病室でその話を聞いたのは火事の前日ですから…金曜日ですね、その後、日曜日にこれらの写真が届きました。おじは、それこそノイローゼです」
「美智香ちゃんに言った言葉が気になるのは確かだが、川本園長の具合が悪くなったのは、四辻の件とは別とは考えられないのかい?
自分が人殺しだと言う前に、何かが起きていて、それが原因だというような。四辻の件は3年前だ。自分が彼の事故に関係したかどうか、今まで知らなかったことになる」
「知らなかったのかもしれません」
「え?」
「思い出したんです。四辻先生の事故が起きる直前、おじは頻繁に青蘭に通っていました。
あそこは、幼稚部から小学部に上がるときに、かなり丁寧な三者面談をしますよね。美智香ちゃんが、幼稚部で引っ込み思案だったのを気にしていたのかもしれませんが、面談日以外にも、特別な配慮をしてほしいと頻繁に川本園長にお願いに行っていたんです」
「小学部の校長や担任予定の教師じゃなくて、川本園長にかい?」
「はい。だから当時、ちょっと妙に思ったんです。補正予算の検討で、けっこう多忙な中での訪問でしたから、何か別の用事があったのだろうかと思いました」
「その“別の用事”というのが、四辻の事故と関係があると思うわけだね?」
「はい。私も卒業生ですから、川本園長のお人柄はよく存じています。とても意図的に誰かを陥れたりする人ではありません。知らないうちに加担させられていて、その事実を知って錯乱したと考えるほうが自然です」
「おじさんの人物評については、かなり厳しいようだね」
「正直、あまり好きではありません。政治家への道筋を付けてくれた人なので、恩人だとは思っていますが」ぶっきらぼうな口調の岩倉。
「君をスカウトした、その先見の明は素晴らしいよ。それに、君の想像が当たっているなら、少なくとも彼は君には泥を飲ませなかったということだ」
「総理…」
「だが、君の想像通りだとして、園長は誰によって、その事実を知ったんだろうな。加担者側は、彼女の人柄を考えたなら…彼女なら暗躍していた人間のことを公にしてしまう可能性だってある。そんな危険なことはしないはずだ」
「敵方ではないでしょうか。つまり四辻先生の味方」
「だから、私だと思ったのかい?」
「すみません…。すぐ浮かんだのが、総理と有川先生と…」岩倉は口ごもった。
「うん。まあ、私たち3人は刎頚の友というやつだ。有川は途中で静岡に越したが、大学は東京だったしな。
だが私だったら、主犯を追い詰めるまでは、共犯者にやたら手を出したりしないな。下手をすれば手がかりが消されてしまう」
「そう…ですよね。おじはあの状態じゃあ、何を聞かれても絶対に口を割らないでしょう。すみません。先生のことまで疑うようなことをして。でも何か、いても立ってもいられなくて…」
「かまわんよ。私も君の立場だったら、とても冷静ではいられないだろう。
ところで、私と有川以外に、竹田先生の敵方だと考えている人間がいるのかい? 我々二人に追加しようとした人間がいたようだが」
「あ…はい。実は、朝香先生なんです」
「朝香先生か…。もしかして、例の…竹田先生の娘さんの一件が関係しているのかい?」
「あのこと…ご存知なんですか?」絶句する岩倉。
「身体検査はさせてもらっている。私としても任命責任があるからね。四辻も当時、先を見据えて準備していた。彼の頭の中では私を官房に据えたかったんだろう。その辺の情報は全部引き継いでいる」
「そうだったんですか…」うつむく岩倉。
「完璧にきれいな人間しか任命できないとなると、副大臣と政務官まで人数が足りなくなるよ。困ったものだ」保がくすりと笑う。
「ですが、あの件はマスコミにでも知られたら大変なスキャンダルです。ご存知なのに、よく…」
「そうだね。だが、表向きは何の証拠も残ってはいない。鑑定でもするなら別だがね」
「あの…四辻先生はどうやって、それをお調べになったんですか? 大伯父は四方八方に手も金も尽くして証拠を消したはずです。私もかなり奔走しました」
「ご両親の借金の肩代わりに、そんなことまでさせられて、君も辛かっただろうね」
「総理…」
「いや。今の問題はそれじゃあない。すると君は、朝香先生、竹田先生とお嬢さん、四辻は、何かによってつながっていると考えているのかい?」
「わかりません。でも、何かが引っかかるんです。私の事務所の火事も含めて。何かがひとつにつながりそうな気がするんです」
「わかった。この話は、誰か他の人にはしたかい?」
「いえ」
「では、今後とも他言無用だ。私のほうでも、もう少し調べてみよう」
「ありがとうございます」
「できれば、これからも気づいたことがあったら、教えてくれ。それから、紗由のことだが、まああれは幼稚園児の、それこそ面白おかしい噂話だろう。気にしないでくれ。何から何まで疑いたくなる気持ちはわかるが」
「はい。すみませんでした」
少し落ち着きを取り戻した岩倉は、保からいくつか受けた指示を手帳にメモした。
その時、官房長官からの電話が入ったので、保はそのまま書斎に残り、周子が出てきて岩倉を玄関まで見送ることになった。
「本当にすみませんでした、こんな夜分に突然」
「義父は昔から、大切な人のために使う時間は惜しみません」微笑む周子。「お気をつけて、お帰りくださいませ」
「あ。おにんぎょうのせんせいだ。こんばんは!」
パジャマ姿の紗由が、柱の後ろから、ちょこんと前に出てきた。
「紗由ちゃん…こんばんは」
「紗由、目が覚めちゃったの?」
「エサ、まきにきたの」
「ああ、鳥さんの餌、忘れちゃったのね」
周子はエントランスホールに掛かっているとりかごを遠目に眺めながら言った。
「まだ残ってるから、明日でも大丈夫よ。それにダメでしょう? お客様の前にパジャマで出たりしたら。…すみません、しつけが行き届きませんで」恐縮しながら、頭を下げる周子。
「いいえ、そんな。紗由ちゃんが寝ているような時間におじゃました私のほうこそ、失礼しました。…鳥さんは、えーと、あのカゴですね」
岩倉は、金色の華美な鳥かごを眺めながら言った。中には、茶色っぽい鳥が一羽佇んでいる。
「インコとか文鳥ではないんですね。珍しい種類の鳥なんですか?」
「いえ」周子が笑い出す。「ただのスズメです。羽を少し怪我していたのを、紗由が庭で見つけたんですの」
「そうなんですか」少々気まずそうに笑う岩倉。「デラックスなカゴに入っていたので、すっかり高価な鳥だと…」
「きれいなおようふくだと、えらいひとだとおもっちゃうのと、おんなじ」
「こら、紗由」
「いえ、紗由ちゃんの言う通りです。先入観というやつですね。気をつけませんと」
「さゆ、さいきん、ないかくのひとに、いっぱいあうなあ」
「え?」紗由の言葉に驚く岩倉。「誰かに会ったのかい?」
「ようちえんにね、あさかせんせいが、きたの。えんちょうせんせいに、あいにきて…つぎの日から、えんちょうせんせい、ごびょうきだから、もうこなかったけど」
「朝香先生が青蘭に行ったのかい?」
事実を確認しようとした岩倉が、紗由のほうに手を伸ばそうとすると、紗由は「おやすみなさーい」と大きく手を振って、すたすたと廊下の奥へと消えた。
* * *
「にいさま」紗由が龍の部屋の扉をそーっと開いた。
「紗由。エサ、まいてきた?」不遜な笑みを浮かべる龍。
「うーん。よくわかんないけど、言われたとおりに、おしえてきたよ」
「そう。ありがとう。…これで岩倉先生は、朝香先生のことを探ろうとするよね。で、今、いないわけだから、先生のことを知っていそうな人のところへ行く」
「だれのとこ、いくの?」
「朝香先生はね、小宮山先生の秘書をしてたんだ」
「じいじと、かあさまみたいだったの? おにんぎょうのせんせいは、こみやませんせいのところ、いくの?」
「たぶんね」
「でも、こみやませんせいのところに、おにんぎょうのはなししに行ったら、きっとこわくてびょうきになっちゃうよ。よわむしだもん」
「あはは。もし、本当に悪いことしてたのなら、そうだね」
「アメジストちゃんや、にいさまをつかって、そうりだいじんになろうとしたよ。わるいことでしょう?」
「いろんなものを利用して、総理大臣になろうとする人間は、たくさんいる。僕が言う悪いことっていうのは、もっともっと悪いことだよ」
「じいじは、そうりだいじんだけど、そんなことしないもん」ぷーっと膨れる紗由。
「じいじはしないさ。そんなことしなくても、総理になれる人から」
「こみやませんせいのところにいったら、そしたらどうなるの?」
「岩倉先生が、朝香先生のことを小宮山先生に聞いたら、小宮山先生は何としてでも朝香先生を探し出すだろうね。自分が悪くても悪くなくても、気にはなるはずだ」
「でも、みつからないと、おもうなあ」自信ありげに言う紗由。
「どうして?」
「だって、かあさまは、じいじの行くとこ、いっぱい知ってるけど、じいじは、かあさまの行くとこ、あんまり知らないよ」
「…なるほどね」くすりと笑う龍。「秘書は上司を把握するのが仕事だけど、逆はそうでもないんだなあ」
「おともだちの行くとこも、ぜんぶはわかんないよ。まりりんとかなこちゃん、このまえ、さゆにひみつで、おでかけしてたもん…」紗由が寂しそうにうつむく。
「紗由、大丈夫だよ」龍が紗由の頭を撫でる。「友達にも秘密はあるかもしれないけど、友達のためにならない秘密じゃないよ。まりりんや奏子ちゃんが、紗由のためにならないことを、したことがあった?」
「ない」
「うん。そうだろう? 紗由のピアノ発表会のお祝いを相談してたのかもしれないよ。ほら、そんな顔しないで、もう寝よう」
龍は紗由を促しながら、部屋を出て、紗由の部屋まで送っていった。
“まりりんと奏子ちゃんが秘密のお出かけか…何かあるな”
龍は、布団に入って目を閉じた妹の顔を眺めながら、そっとドアを閉めた。
* * *
「翼…翼!」
放課後の掃除が終わり、下駄箱で靴を履き替えていた翼は、龍の声で、翼はハッとして彼を見た。
「あ、ごめん」
「どうしたんだよ、ボーっとして」
「うん…ちょっとね…」軽く口をすぼめる翼。
「僕じゃあ言えない?」
「いや、話そうと思ってたから」
「わかった。じゃあ、今日はうちの車で帰ろう。話は中で聞くよ」
二人は少し周囲を気にしながら裏門へと向かい、車に乗った。
「最近、妙な気配を感じるんだ」
「どういうこと?」
「うーん…まずは僕自身のことなんだけど、何かね、時々付けられている…それとも違うな、ああ、うまく表現できないけど、物理的に誰かがいるわけじゃないんだけど、いるような気がするんだ。誰か、僕を見張っている相手が」
「その相手は、翼に何かしてきた?」
「ううん。何も。ただ見てるだけ」
「そうか…じゃあ、僕も気をつけておくよ。おばあさまにも言っておく」
「でも、気になることは、まだあるんだ」
「何?」
「美智香ちゃんのことだよ」
「美智香ちゃんて、竹田先生のお孫さんの? 翼と同じクラスだよね」
「うん。彼女、風邪引いてたらしくて、二日ぶりに学校に来たんだけど、ちょっと様子が変なんだ。理科の実験のとき、フラスコやアルコールランプに触れるのを嫌がるんだ。
いつもは率先して準備するのに。それで、どうしたのかなと思って声かけたとき、彼女の肩に触れたら、ばーってヴィジョンが出てきた」
「どんな?」
「おじさんたち二人と公園で話をしてた。いつも温和な彼女が、途中ですごく怒り出して、そうしたら、3人の前の芝生がいきなり燃えたんだよ」
「いきなり燃えた?」
「うん。前に誠さんが火が燃えるビジョンを見たって言ってたろう? だから気になって…」
「関係有るのかもしれないね。実験の時、様子が変だったのは、アルコールランプの火を避けているのかもしれない」
「それに…この前、一緒に有川先生の家行った時なんだけど、奏子が言ってたんだ。美智香ちゃんがいると、火の石がきらきらになるって」
「火の石って、おばあさまがあげたパイライトのペンダント?」
「うん、そう」
「この前も変なやつに反応してたんだよね。そいつも火と関係があるのかな。それに竹田先生の家は昔、“命”をクビになってる。美智香ちゃんにも、何か力があるのかもしれない」
「でも、火に関係する力なんて、聞いたことないよ。石の一門、癒の一門、古の一門、感の一門、写の一門、封の一門…それ以外にいるの?」
「しばらくは誰にも言わないでもらえる?」龍が難しい顔になる。
「あ…うん。何かあるんだね」
「実はね、僕、いろんな人の頭の中をのぞいてみたんだ」
「いろんな人って?」
「“命”の関係者全員」
「じゃあ、ぼ、僕も?」
「うん。ごめんね。でも、僕が思っていたことが、何か違ってるような気がしてたんだよ。それを確認したかった」
翼をじっと見つめる龍。
「龍くんは何を思ってたの? どの部分が違うと思ったの? “命”さまには確認したの?」矢継ぎ早に聞く翼。
「ひとつずつ答えるよ」くすりと笑う龍。
「ご、ごめん…」
「あのね、まず前提としてなんだけど、ここしばらく、おばあさまや紗由と意思疎通がうまくはかれてないんだよ。全然はかれないというわけじゃない。たぶん、おばあさまが、自分と僕、紗由と僕の間を少し遮ってるんだと思う」
「何でそんなことするの? 有川先生を守るんでしょう? 皆でつながるほうが大事じゃないの?」
「普通に考えれば、そうなんだ。でも、おばあさまは無駄なことはしないし、思いつきでめちゃくちゃなこともしない。ちゃんと理由があるはずなんだ。
で、ここからは僕の推理。おそらく…つながっているところを探ろうとする誰かが現れたんだと思う。まあ、すもも組風に言えば“悪者”だね」
「大隅さんや赤組の子たちじゃなくて?」
「彼らじゃない。猛くんたちのパターンはもうわかってる。あれじゃないよ」
「誰なのか、心当たりがあるの?」
「猛くんたちのパターンを再確認して、そこにブロックをかけたときに思ったんだよ。他にもパターンがあるんじゃないかって。僕たちの知っている一門以外のパターンがね。
だって考えてみたら、いろんな一門同士で結婚してて、生まれた子どもは両方の資質を継いでいるかもしれないんだし、限定できるものでもないと思うんだよね。
で、とりあえず、関係者全部の頭をのぞいてみたら、皆の力は、石、癒、古、感、写、封とは別の分け方もできることに気づいたんだ」
「別って、どんな?」
「これだよ」龍はかばんの中から、ボールを取り出した。
「これって、僕が手伝った奏子の宿題…」
龍が差し出したのは、透明のボールの中に、青、赤、黄、白、黒のビー玉がピラミッド状に配置されているものだ。
「そう。翼が作ったものだよ。この5色は中国の伝統思想で言うところの五行ってやつだよ。青は木、赤は火、黄色は土、白は金、黒は水に対応している。
ちなみに対応する動物というのもあって、青は青龍、赤は朱雀、白は白虎、黒は玄武、“命”が周る宿に対応している」
「黄色は?」
「黄色は黄龍。黄色の龍で、4つの中心とされている。まあ、“命”を中心に四神と呼ばれる動物が配置されてるってことだね」
「黄色が真ん中か…紗由ちゃんが真ん中の、すもも組と同じだね」翼が笑う。
「そうかも」龍も笑った。
「で、さっきの、青は木、赤は火、黄色は土、白は金、黒は水というほうなんだけど、石、癒、古、感、写、封の6つと対応させられないかなって思ったんだよ。
例えば、石は金と、癒は水と、古は土と、感は火と、封は木と、っていう具合にね」
「ふうん。なるほどね。何となく対応している気がする。でも、写が余る…あ、そうか。写は真ん中なんだ。西園寺が、“命”さまが真ん中!」
「そうなるかな。それで、すもも組の結界とのつながりなんだけど、例えば、まりりんは感の力で、石のルビーは赤、火の属性。
奏子ちゃんは石の力で、クリスタルは白、金の属性になる」
「まりりんの火は、華やかで積極的ってことかな。ぴったりだけど、奏子の金の属性っていうのは?」
「堅固で確実ってところかな。こうと決めたら譲らないし、全部やり通す」
「そのやり方で言うと、紗由ちゃんは古の力で、タイタンルチルが黄色、土の属性になるね。写の一門なのに?」
「紗由のやつ、澪ちゃんの真似っこをしたって、おばあさまに自慢してたみたいだ」
「あ」
「ん?」
「僕も…された。この前、龍くんの家でミーティングしたとき」
「うーん。わが妹ながら抜け目がないな。さすがだ」笑い出す龍。
「ごめん、それってまずかった?」
「ううん。そんなことないよ。つまり、翼や澪ちゃんが持っている過去探索の力、“古”の力をコピーしたんだ。
えーと、それで紗由の属性、土はね、芽が出てくる様子を表してるんだ。いろんなものを育てるってこと。真似っこは、そういうことなんだよ。
で、残るのは二人。充くんは癒の力で、チベットメノウが黒、水の属性。彼の場合、危険を察知する力があるようだから、“弐の命”的なんだよね。
でも彼のおじいさんは“壱”だし、ここは正直わからない」
「火のまりりんをなだめる役だからじゃない? 奏子と恭介くんの間を取り持ったり」
「なるほどね。ケガを治すばかりが癒しじゃないよね。
ちなみに水っていうのは、命の泉を表していて、霊的なものも指すらしい。チベットメノウは魔よけ石だし」
「素質ありの人材ってことだね。最後の恭介くんは、封の力で、ブルートパーズが青、木の属性か」
「木は、発育、成長を表すんだよ。発展途上ってことだろうね」
「封の力は、“命”さま以外で確実なところだと、風馬さんと…石を使えば誠さんもだよね」
「そうだね。瑞樹おじさんは不安定だから」
「風馬さんは癒の力もあるし、充くんと恭介くんを特訓してもらえば?」
「そうだね。それぞれの足りないところを強化したほうがいいね」龍はにっこりと笑った。
「それで…最初の話に戻るんだけど、火の属性を持った一門がいてもおかしくはなさそうだし、そいつらが悪者側だとしてもおかしくはない」
「まりりんは悪者なんかじゃないよ!」
「違う、違う。火の属性を持ってることイコール悪者じゃあない。逆に、火のことがよくわかれば、そいつらを制することができる。あとは水で消すか、土をかぶせるか、金属を熱してマグマ化させて攻撃するか…」
「奏子をマグマにしたら、味方もダメージ大きいよ」
「だよねえ」苦笑する龍。
「木の恭介くんを近づけると燃えちゃうだろうし」
「やっぱり、恭介くんに封の特訓してもらったほうがいいね。誠さんのところに手品の練習ということで行ってもらおうか」
「奏子もまりりんも怒りそうだなあ。何で一人で行くのかって」少し嫌な顔になる翼。
「それは翼が石の力で封じてよ」
「ええーっ。ずるいよ、龍くん」
二人は楽しげに笑った。
「ねえ、龍くん。この、別の分け方の考え方、今まで誰かに話した?」
「ううん」
「“命”さまやグランパさんや、翔太くんにも?」
「うん。話してないよ。翼が初めて」
「そうか…じゃあ、さっき言ってた“思っていたことが、何か違ってるような気がしてた”っていうのは、四辻と関係があるんだね? 龍くんは今、友達としてじゃなくて、四辻の跡継ぎとしての僕に話をしている。違う?」
「…違わないよ」龍は少しだけ下を向いた。「そう。四辻と関係のある話。僕たちが生まれる前の話みたいだから、ピンとは来ないと思うけど、奏人おじさまのやってきたことについてだよ」
「おじいちゃまの?」
「おばあさまが紗由たちとやってるお茶会みたいに、おじさまは気功塾っていうのをやっていたんだって」
龍は華織から聞いたことをそのまま翼に話した。
「その人たちは、おじいちゃまに習ったことを、今何に使ってるんだろう」
「そう。そこなんだよ、気になるのは。おばあさまの配下に今一人いるらしいんだけどね、仲間たちがどうしてるのかは、よく知らないみたい」
「“命”さまみたいに、いいことに使ってくれてるんならいいけど…」
「何か気になることあるの?」
「おじいちゃま、味方も多かったけど敵も多かったって。急な解散ていうのも、もしかしたら、生徒とケンカしたのかなあって…」
「それで…今、おばあさまの元にいる元生徒に接触してもらって、その辺も含めて、たどってみてくれないかなあ。もしかしたら、知りたくないことも知っちゃうかもしれないけど」唇をかむ龍。
「大丈夫だよ。それに、もし悪い奴らがおじいちゃまを恨んで…あんなことになったんだったら、そこにつながるヒントになるかもしれない」
「ありがとう」
「ううん。僕もできることは、ちゃんとやらないと。パパと一緒にママや奏子を守るって、おじいちゃまと約束したから」
翼は微笑むと、車の窓から外を眺めた。
* * *
「おじいちゃん、これ、さゆちゃんからだよ」恭介が有川に封筒を差し出した。
「ん? 何かな?」
封筒を開け、中身をのぞく有川。そこには「にちようび、うちでデートしましょう」と書かれていた。
「おや、デートのお誘いか…。恭介、おばあちゃまたちにはナイショだぞ、いいな」
「ぼくね、ほしいご本があるんだ」にっこり笑う恭介。
「わかった。本の名前を書いておけ」
「うん!」恭介はスキップしながら、有川の書斎を出て行った。
“まったく、あいつも抜け目がなくなってきたな…”
そうやって、少しずつ大人のやり方を覚えていくんだろうなと複雑な思いで微笑みながら、さらに複雑な思いで、紗由からのラブレターを見つめた。
* * *
「おじさま、よびだしたりして、ごめんなさい。おこってます?」
西園寺邸の中庭で、首を傾けながら自分を見上げる紗由を見て、有川は40年以上前の華織の姿を思い浮かべた。
「紗由ちゃんにデートに誘われるなんて、こんな光栄なことはないなあ」
「きょう、およびしたのは、これからのだいじなことの、そうだんです」
「大事なこと? ああ、沖縄には一緒にいくことになったねえ。ありがとう。よろしく頼むよ、紗由ちゃん」
有川がにこにこしながら言うと、紗由は少し不機嫌そうな顔になる。
「おじさまは、なかまというのが、どういうことか、わかっていません。だから、さゆがおしえないといけないとおもいました」
「ほお…? それはありがたいねえ」
「“たぶらかす”のおじさんに、あいましたか?」
「“たぶらかす”のおじさん?」
「こみやませんせいの、こどもです」
「ああ…会ったよ。向こうが訪ねてきたんだ」
「だから、ねらわれてるって言ったのに…」口を尖らせる紗由。
「彼は悪者ではないよ。悪者を暴こうとしているだけだからね」
「けっかにせきにんがもてないなら、するべきではないのよ、たとえ、せいぎであってもね」
「華織さん…」
そっくりな口調に、思わず華織の名前を呼ぶ有川。
「いまのは、おばあさまからの、でんごんです。それから、わらわちゃんをもったままで、なにかするなら、さゆたちのいうことを、ちゃんときいてください。あぶないですから」
「人形を持っていると、狙われるのかい? 何か特別な力があるとか?」
「まだ、力はありません。ちゃんとした、わらわちゃんになってませんから。
でも、わるものには、それでいいんです。あいてがこわがれば、それでいいんです」
「相手というのは誰だい? どうして怖がるのかな?」
「おばあさまが言ってました。こーしょーするときは、あいてのよわみを、じわじわとにぎるんだって。いちどににぎるより、そのほうが、こわいって。きっと…おばけやしきみたいなものですね。なんども出てくるとこわいです」
「悪者は、そんなふうに相手と交渉するつもりなんだね。人形がその材料ということか…」
「おじさまだけでは、むりです。さゆだけでも、むりだし、にいさまだけでもダメ。みーんなで、がんばらないと」
「それで、おじさんは何をすればいいのかな?」
「まずは、かたぐるまですね…」紗由は腕組みをして有川を見上げた。
「え?」
わけがわからず確認しようとした有川だったが、紗由はうれしそうに、向こうから歩いてきた保のもとへと駆けていってしまった。
* * *
奏人の作っていた気功塾に関するサーチが終わったので報告したいと、翼から連絡が入ったので、龍は急いで四辻家を訪れた。
「いらっしゃい」翼が玄関で出迎え、龍を裏庭へと案内した。
「部屋じゃないの?」
「うん。…ここはね、おじいちゃまと奏子と3人で、花を育てていた場所なんだ。そっちの切り株の中は宝石箱になってて、奏子はおじいちゃまが死んでからも、よくここでおじいちゃまと話をしてた」
淡々とした翼の言葉だったが、龍は胸が締め付けられるような気がして、軽く咳き込んだ。
「龍くん。いろんなことがわかったよ。おじいちゃまのパソコン…書斎にあったのは、いろいろと他の人にいじられたんだろうけど、そのパソコンに買い換えるからって、僕にくれたパソコンがあるんだ。
5歳じゃあ、よくわからないから、そのままおもちゃ箱に入れておいたんだけど…もしかしたらと思って出してみたんだ。パパに回線つないでもらった。
一緒に見てみたらね、いろんな通信ログが残ってた。生徒たちと掲示板を開いてたみたいで、そのやりとりも全部見てみたよ。
集中しなくても、読んでいるだけで、いろんな顔が浮かんできて…探査させてもらった、あの人だけじゃなくて、知っている顔が何人かいたよ」
「知ってる顔?」
「うん。ハンドルネームとなら一致させられる。似顔絵も描いてみたよ。翔太くんみたいに上手には描けなかったけど、これ、ぴかぴかを見てもらってよ」
「うん、わかった」
渡された画用紙を見て、龍は思わず声を出した。
「上手に描けてるじゃん。翔太に勝るとも劣らないよ。幼稚園の頃から同じクラスだったことがなかったから、気づかなかったなあ。へえ…翼、こんなに絵が上手なんだあ」
「ありがとう」少し照れたように笑う翼。
「あ…! この人、賢ちゃんの会社の人だ。確か、中山弾さん。玲香ちゃんと一緒に入社した人だよ。
それに、この女の人、もしかして充くんのお母さん? 始業式のときに来てたよね」
「うん、そう。お仕事で今離れて暮らしてるんだよね。充くん、うれしそうだったから、印象に残ってる。
僕は賢ちゃんの会社の人は知らないんだけど、こっちの人、この人はね、美智香ちゃんのお母さんだよ。授業参観に来てた」
「すごくそっくりなんだね。おじいさんとお母さんと彼女」笑うべき場面ではないなと思いながらも、少々唇の端がゆがむ龍。
「こっちの男の人たちは知らないんだけど、何か引っかかるところがあって、会ったことあるのかなって…」
「翼が思い出せないってことは、すごく小さい頃のことなのかなあ」
「うーん。あるいは変装してたとかかも。手とか声とか、変装してない部分が、記憶のどこかにあるのかなあ…。
あ、あとね、この女の人は、何でだろう、描いている時に小宮山先生の顔が浮かんだんだ」
「ああ…この人、彼の娘の実歌さんだよ、きっと」
「森本の妹の?」
「うん、そう。…奏人おじさまのところに、知ってる顔がかなり集まっていたってことか…」
「疾人おじさまは何か言ってた?」
「パパには内緒だったみたいだよ。そんな塾があること知らなかったって。でも、澪ちゃんなら、そのメンバーを知ってるかもって言ってた」
「澪ちゃんが?」
「澪ちゃんが、おじいちゃまに気功を習っていた時期と重なるみたいなんだ。パパのところへカウンセリングに来て、その後、別の場所で気功やってたみたい。その塾と一緒かどうかはわからないってことだけど」
「ふうん。そうか…」
「ところでさ、龍くん。僕、考えたんだけど、狙われてるのって、有川先生じゃないんじゃないのかな」
「どういうこと?」
「有川先生が消えている写真は、有川先生が消えるってことを言いたいんじゃなくて、その後ろに映っているものを見せたかったんじゃないかなって思うんだよ。黒い羽童を持っている竹田先生のことを見せたかった」
「どうしてそう思うの?」
「消し方が雑だって、前にビデオを検証したとき、澪ちゃんが言ってた。有川先生を消すことをアピールしたいなら、もうちょっとその辺、ちゃんとやると思うし、竹田先生に人形を持たせる必要はないよ」
「その論理で行くと、今度消えるのは、写真で朝香先生が消されたことで、姿を見せた岩倉先生になるね」
「でも、実際に消されちゃったのは朝香先生のほうなんだよね…」翼自身も自分のアイデアに手詰まりな様子だ。
「一枚目は黒童を持つ竹田先生をアピールしたくて、二枚目は消える朝香先生をアピールしたかった」
「え?」
「似たようなものがあると、同じような意味を持つと考えがちだよね。でも、違ってたとしたら」
「そうか…。じゃあ、有川先生は狙われてるわけじゃないんだ」安堵の笑みを浮かべる翼。
「それとこれとは別の話だよ。まあ…“狙われてる”のと“狙わせてる”のは別の話だしね」
「え?」
「翼のわかったことも、皆に教えてあげて。僕の考えも、そのとき教える」
龍は目の前の切り株を撫でると、静かに目を閉じ、華織に呼びかけた。
* * *
竹田の入院先の病院では、孫の美智香が母親の美和子と一緒に見舞いに来ていた。
「おじいちゃまは、美智香のこと、好き?」
「もちろんだよ。当たり前だろう」
「あのね、今日はおじいちゃまのために、折り紙たくさん作ってきたの」
「おお、そうか、そうか。ありがとうなあ。美智香は本当に優しい子だ」様々な種類の折り紙を眺めながら、相好を崩す竹田。
「美智香が悪い子だったら、嫌いになる?」
「悪い子なわけがないだろう。こんなにいい子じゃないか」
「この前ね、すもも組の恭介くんのおうちに皆で遊びに行ったの。おじいさまの有川先生もいたから、外国の人と仲良くなれるには、どうしたらいいか聞いたの」
「ほお。有川くんは何て言ったんだい?」
「仲良くしたいという気持ちを持って、相手のことを知って、努力することが大事だって言ってた。美智香も、そういうふうにできるかなあ…」
「できるさ。美智香ならできるよ」
「でもね、美智香、この前のおじさんたち嫌い…」
「それはそうさ。お前を怖い目に合わせたんだ」
そう言いながら、なぜか自分のことを悪い人間だと言われているような気がした竹田は、いつになく遠慮がちな様子で言葉を続けた。
「嫌いで当然だ」
「怖い目にはあってないの。お話しただけだから」
「お話だけって、無理やり連れて行かれたら、怖い目と同じだ」
「無理やりじゃないの」
「だが、嫌いなんだろう? そのおじさんたちが嫌だったんだろう?」
「…おじさん達と話していると、自分が悪い子のような気がしてきたから」
「いや、たとえ何か事情があって悪い子になってしまっても、おじいちゃんは最後まで美智香の味方だ。いつまでも大好きだよ」
「…よかった」
美智香はベッドに突っ伏しながら、安堵の表情を浮かべた。
* * *
疾人の保坂に対するカウンセリングは、すでに4回目になっていた。とは言え、前回は保坂が、ひたすら雑談に終始していたため、疾人は少しやり方を変えてみることにした。
「今日は連想ゲームをしましょうか」
「連想ゲーム?」
「ええ。私の言う言葉を聞いて、思い浮かぶものを言ってください」
「変わった趣向ですね」保坂が笑う。
「思い浮かぶ言葉がいくつかあれば、順番に教えてください」
そう言うと疾人は、目の前に画用紙を広げた。
単語を言うと、疾人は画用紙の真ん中にその言葉を書き、○で囲む。
そして、その○から線を伸ばし、さらに○を描き、保坂が答えた言葉を○の中に書き入れていく。
「今度は、この単語から連想するものを続けてください」
その作業を繰り返していくうちに、同じ答えが出てくると、疾人は、そこを□で囲みなおし、最初に出てきたほうの答えから連想する、別の言葉を要求する。
「面白いですねえ」
最初は面白がって答えていた保坂だったが、“薬”という単語に対して“兄”と答えると、黙り込んでしまった。
「ここまでにしましょうか。ところで、保坂さんにはお兄さんがいらっしゃるんですか?」
疾人の問いに、やはり黙ったままの保坂。自分の答えた“兄”という答えを見つめている。
その後、疾人が何度か声をかけたが、保坂は沈黙したままで、その日のセッションはそれで終わってしまい、次回の予約もせずに部屋を出て行った。
* * *
疾人は、保坂の連想マップを自宅書斎に持ち帰り、じっと眺めていた。
“ うーん。“火”“炎”“燃焼”“ライター”“火事”…火に関する言葉が多いなあ。あと多いのは、病気関連の単語だ。スピリチュアル系の用語も。だが何より気になるのは、うちの親父を連想させる単語が随所にあること、澪ちゃんの時と酷似しているということだ…”
「パパ」
翼がドアをノックした。
「どうぞ」
「あのね、今度のエコリンピック、僕も行くことになったよ。奏子たちとは別行動になると思うけど」
「もしかして、華織おばさまの指示か?」
「うーん。ていうか、龍くんと紗由ちゃんかなあ」
「それはまた、執行部がずいぶんと若返ったなあ」笑う疾人。
「うん。“命”さまの動きをあまり表に出したくないんだと思う。それだけ事態は深刻なんじゃないかな」
「そうか…笑ってる場合じゃなかったな。大変なのに、済まない」
「あ、ううん。いいんだよ、パパ。確かに、ちょっと行き詰ってて大変なんだけど」
「どういうことだい?」
「今、龍くんたちが警戒していることって、四辻の家とも関係が深そうなんだけど、“火”の気配を感じるという以外、なかなか相手を詳しく追跡できないんだ」
「“火”の気配?」
「うん。相手は火を操る力があるらしい。おじいちゃまが知ってた人かもしれない」
「例の気功塾のメンバーか?」
「うん、たぶん。何かね、近くをうろうろしてる気がするんだよ」
翼の言葉に、疾人は何かを確信したように、手元の画用紙を見つめた。
「どうしたの、パパ?」
「あ…。なあ、翼。パパはカウンセラーだから、クライアントのことは話せない」
「うん。知ってるよ」不思議そうに疾人を見つめる翼。
「だがな、残業のつもりで持ち帰った資料を、留守中に見られてしまうことが、まったくないとまでは言えない」
「何言ってるの、パパ?」
「パパは奏子と沖縄の打ち合わせをしてくる。おまえは、まあ、その辺でゆっくりしてろ」
疾人はそう言うと、部屋を出て行った。
「パパ…?」
翼は怪訝に思いながらも、机の上にあった画用紙を手に取った。
“これ…!”
画用紙に書かれた単語からは、男の顔と、男の過去が走馬灯のように甦ってくる。
“パパのクライアントなんだ…”
翼は、画用紙の内容を丸ごと頭に入れると、龍のところへ電話をかけた。
* * *




