その6
国会会館の一室では、3人の代議士がひそひそと噂話に花を咲かせていた。
「岩倉先生、災難だよなあ」
「東京事務所が全焼じゃ、大変だな」
「でも本人も怪我がなかったし、死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだよ」
「引っ越ししたばかりなんだろ」
「確か翌日とか」
「ダンボールもまだほとんど開いてないまま燃えたらしいな」
「竹田先生が持病の悪化で辞任されたばかりだろ。西園寺内閣、災難続きだなあ」
「だが、災難続きでニュースに映るのは、本人よりも総理」
「岩倉先生、二重にお気の毒だ」
「仕方ないさ。総理はあの人気だし、片や実直さには定評があるが地味だからな」
「それも気の毒と言えば気の毒だが、明け方に火の気のない場所ということになると、放火かもしれないぞ」
「でも、恨みを買いそうなタイプじゃないだろ」
「だよなあ。おまえの事務所ならまだわかるがな」
3人は一斉に笑うが、傍を誰かが通る気配に気づき、再び声を潜める。
「そういや、あそこのビル、火事は三度目なんだってな。オカルト好きの間では、けっこう有名な場所みたいだぞ」
「ああ、おまえのカミさん、そういうの好きだったよなあ」
「でも、あそこ、前に入った別の党の人間、選挙に落ちたっていうしな」
「前の火事の時は、不審な男がマンションの道路挟んだ向こう側にたたずんでいてさ、ピストルを撃つような仕草をしたら、いきなり燃え上がったらしいぞ。オカルトサイトでの噂だ」
「宮部みゆきの小説みたいだな。超能力者」
「おいおい、やめてくれよ。時限発火装置でも使ったんだろう。まあ、犯人には変わりないけどなあ」
「そうだ。それより実際問題として、見舞いどうする」
「回覧まわってくるだろ。俺たちクラスがあまりしゃしゃりでるのもな」
議員たちは、そろって会議室のほうへ向かっていった。
“これは調べたほうがいいのかも…”
3人の横を通り過ぎ、廊下の角で話を聞いていた女性は、スマホを取り出した。
* * *
川本園長休職の通達も兼ね、園長代理が挨拶をする青蘭幼稚部の会合と、小学部教頭の新任挨拶とが重なり、幼稚部と小学部とで合同での集まりとなった。
そしてその帰り、翼と同じクラスにいる竹田環境大臣の孫娘、美智香が、翼や奏子、真里菜や大地らと一緒に、恭介の家に遊びに来ていた。
「おじいちゃん! 見て見て! みちかちゃんが、おもしろい本のなまえ、かいてくれたよ!」
ちょうど家にいた有川も、子どもたちの集まりに顔を出した。
「皆、よく来てくれたねえ。…どれどれ…ああ、これはいいご本ばかりだねえ。よかったじゃないか、恭介」
有川が言うと、皆、ことごとく挨拶をする。そして竹田大臣の孫娘、美智香は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「はじめまして。竹田美智香です。いつも祖父がおせわになっています」
顔は祖父の竹田にそっくりで、そういう意味では少々気の毒な部分もあるが、彼の不遜な振る舞いからは想像のつかない、極めて礼儀正しい穏やかな少女だった。
「はじめまして、美智香ちゃん。来てくれてうれしいよ。おじいさまには、こちらこそ、いつもお世話になってます」
「ありがとうございます。これからも祖父のことを、よろしくおねがいします」
「はい。わかりました。恭介に本のことを教えてくれて、ありがとうね。この子は本が大好きなんだよ。恭介、よかったなあ。やさしいお姉さんができて」
「うん!」
「ねえ、まりりんたちといるときと、たいどがちがうね」真里菜が苦々しげに奏子にささやく。
「かなこたちには、いじわるばかり言うのにね」
「さゆちゃんに、ほうこくだね」
真里菜が言うと、奏子がしっかり頷いた。
「あの、先生に聞いてもいいでしょうか?」美智香がそーっと尋ねる。
「何ですか?」にこにこ顔の有川。
「あの、外務大臣の先生に聞いたほうがいいのかと思ったので…。みんなが幸せになるためには、外国の人とも仲よくしなくてはいけないと聞きました。
私はそんなに外国の人とお話することがないので、よくわかりません。どうしたら、いいでしょうか」
「ああ…いい質問だねえ、美智香ちゃん。皆も聞いてくれるかな」有川は一同を見渡した。「外国人の人がすぐ傍にいなくても、仲良くすることは出来るんだよ」
有川の言葉に、皆、興味深そうに顔を向ける。
「遠くにいても、仲良くしたいと思う気持ちがあれば、仲良しになれる。
例えば…おじさんと恭介は、日本とドイツで、とっても遠いところにいたけれども、電話をしたり、写真や手紙を送ったり、仲良くするために、いろんなことをしてきたんだ。
それはね、つまり、遠くにいる相手のことを考えて、ずっと仲良しでいたいなと思う気持ちが大事なんだ。
確かに、会ったこともない人と、ずっと仲良しなんて思うのは難しいかもしれない。
でも、考えてみてくれないかなあ。皆の好きなプリキュアや戦隊、仮面ライダーやアイドルもそうだ。本当に会ってなくても、大好きになれるだろう?」
「はい」
「まずは、相手のことを少しでも知ることだよ。関心を持つことが大切だ。
さらに言えば、遠くにいても、今はインターネットやいろんなことで、情報を手に入れることができる。美智香ちゃんのように、いろんな人に方法を聞くことも大事なんだよ」
「ありがとうございました、先生。いろいろ、調べてみたいと思います。わからないことは、いろんな人に聞いてみます」美智香がうれしそうに笑った。
「がいむだいじんて、やっぱりすごいんですね」奏子もうれしそうに笑う。「おじいちゃまも、そうだったのかなあ」
「奏子ちゃんのおじいちゃまのように、立派な外務大臣になれるように、私も頑張るよ。おじいちゃまの分まで一生懸命頑張るからね」
「僕もおじいちゃまの跡を継げるように頑張ります」翼がうなづく。
「翼くんは政治家になるの?」美智香が尋ねた。
「あ…えーと…」“命”になるという意味で言った翼は、返答に窮した。
「おにいちゃまは、おじいちゃまみたいに、やさしくて、つよい人になるんです」
奏子はそう言うと、さっきよりも、さらにうれしそうに笑った。
* * *
朝香は、覚えのないアドレスから届いたメールを何度も読み返した。
「あなたの知りたいことを教えて差し上げます。その代わり、これから私たちに従ってください」
メールが届いてから、もう二日になるが、何の連絡も来ていなかった。
そして、今の自分の知りたいことは、ただひとつしかない。それを知っている人間…。
彼ならば直接接触してくるはずだ。しかし彼とも連絡が取れなくなってしまい、自分にとっての手がかりは、今は途絶えた状態だ。それを提供してくれるという人間がいるならば、正直それに乗りたい。
だが、安全とは限らない。そもそも、メール発信者の目的は何なんだろう…。
朝香が考え込んでいたとき、メール着信音が鳴った。
* * *
「おじいちゃん! これ、あのね、あのね、これ、もらった!」
部屋の縁側から庭を眺めていた有川のところへ、恭介が走ってきた。
「ん? 鉢植えかい?」
「翔太くんがね、おくってくれたの。充くんにも、ないしょなんだって。でしの充くんより、さきにもらったよ。すごい? ねえ、すごい?」
「恭介、そんなにうれしいか?」
「うん!…だって、ちょっと、とくべつみたいだもん…」少し恥ずかしそうにうつむく恭介。
「“特別”はうれしいよなあ。うん、おじいちゃんもわかるよ。恭介は、おじいちゃんの“特別”だぞ。大事な大事な、特別だ」
「あ…ありがとう」
照れながら、自分の頭をくしゃくしゃとかき回す恭介。
「クレマチスか…」
「カードもあるよ。ほら」
「どれどれ。“「旅人のよろこび」という花言葉のお花です。また、おじいちゃんたちといっしょに清流へあそびにきてください。このお花はこれしかあらへんので、充にはナイショやで!” なるほどな。大事に育てるんだぞ」
「うん!」
「花言葉付きとは、シャレた贈り物だなあ。さすがは翔太くんだ」
「さゆちゃんはね、このまえ、“しらん”ていうお花もらったって言ってた」
「“シラン”…ああ、紫の蘭、“紫蘭”だな」
「“おたがい、わすれないように”っていう花ことばなんだって。さゆちゃん、じまんしてた」
「ほお…使えるな、それは」まじめな顔で頷く有川。
「…だれにつかうの?」
「も、もちろん、おばあちゃんだよ」
「ふーん」
恭介が疑わしそうな顔をする。自分の祖父がいろんな女の子に、可愛いねと声をかけるのをわかっているので、どこの女の子にあげるのだろうと思ったのだ。
「おい。おじいちゃんを疑うのか?」
「だって、おじいちゃん、みちかちゃんにも、かわいいねって言ってたから、ちょっとうそつきかもしれない」ジッと建造を見上げる恭介。
「あのな、女の子の可愛さというのは、紗由ちゃんみたいに完璧に綺麗な子のことだけを指すわけじゃないんだ。おじいちゃんは、美智香ちゃんを本当に可愛いと思ったからそう言っただけだ」
「でも、まりりんや奏子ちゃんみたいに、すごくかわいい子がよこにいたんだよ。ぼくなら、かわいいねとは言わないなあ。やさしいねとか、あたまがいいねって言う」
「まあ…一理あるかな…」
「翼くん言ってたよ。あたまがよくて、がっきゅういいんもしてるんだって」
「しっかりしているし、話し方も感じがいい。頭がいいなら、学級委員はぴったりだな」
「ぼくは、みちかちゃんみたいな子のほうが、気があいそうだなあ。さゆちゃんや、かなこちゃんや、まりりんは、すごくかわいいけど、あんまり気はあわない。だって、こわいんだもん」
「おまえ…まさか紗由ちゃんたち本人たちに、そんなふうに言ってるのかい?」建造はおそるおそる訪ねた。
「うん」
「おいおい…」建造のまばたきの回数が増える。
「3人はね、しょうじきなのがいいねって、ほめてくれたよ」笑う恭介。
「あのな、正直なのも大切だが、本当のことだけ言えばいいってもんでもないんだ。なるべく仲良くするんだぞ。それに、世間は3人のように物分りのいい子たちばかりじゃないからな」
「う…ん、わかった。じゃあ、これ、おばあちゃんにもみせてくるね」
恭介が部屋を出て行った後、建造はしばし空を見上げた。
“まったく恭介と来たら、よく紗由ちゃんたちは相手をしていてくれるもんだ…。
それと翔太くんだ。花言葉というのは、ひとつとは限らないんだよなあ…”
建造は書斎に行き、ノートパソコンを開けた。
* * *
お琴教室のレッスンが終わった奏子が、響子と一緒に教室から出てくると、廊下でスーツ姿の男性から声を掛けられた
「お嬢さん、お上手ですねえ。うちの娘も近々教室に入れていただく予定なので、一緒になりましたら、よろしくお願いいたします」
「まあ、そうでいらっしゃいますか。ご一緒の折には、こちらこそよろしくお願いいたします」奏子と手をつないでいた響子が丁寧に頭を下げた。
男性も丁寧に頭を下げ、教室へと入っていった。
だが、奏子は立ち止まって振り返り、入り口のあたりをじっと見つめている。
「どうしたの、奏子?」
「あの人、へん」
「変?」
「石が、びびびって、してる」
「奏子…ママにも、ちょっと触らせてね」
響子はしゃがみ込むと、奏子の胸元のパイライトのペンダントを握りしめた。
“本当だわ。でも、華織おばさまにいただいた、この<火の石>が反応するというのは、通常の“命”関係者ではない。それに、この反応の仕方、共鳴と不共鳴を波のように繰り返している…”
「奏子、行きましょう。おうちに帰る前に、華織おばさまのところへうかがいましょうね」
響子は立ち上がり、奏子の手を少し強めに握ると、早足に車へと向かった。
* * *
保と有川は、総理大臣室でランチを共にしていた。有川が、一週間後に迫ったエコリンピック関連で、保の元に最終報告に訪れていたのだ。
「恭介くんに?」
「ああ。外交筋から要請が来た。例のエコリンピック、国内外の子どもがテレビ電話でエコ関連の話をするコーナーがある。国内で出演を予定していた子が盲腸になっちゃったらしいんだよ」
「それはお気の毒にな」
「それで、五車堂新大臣の提案で恭介に白羽の矢が立ったんだ」
「適任じゃないか。環境教育のしっかりしているドイツから戻ったというのもポイントが高い」
「ああ。せっかくの機会だし、恭介にも経験させてやりたいのは山々なんだが…」
「安全面か? 最近、竹田さん、岩倉くん、朝香さんと不穏なこと続きだ。不安はあるだろうが、義兄のほうからも人手を出してもらって、出来る限りのことをするよ」
「うん、まあ…どちらかと言うと、心配なのは恭介のメンタル面だよ。あまり人前に出るのが好きじゃないからなあ」
「じゃあ、断るのか」
「そこで相談なんだよ。紗由ちゃんも一緒に出てもらえないかい」
「紗由を?」
「ああ。できれば奏子ちゃんにも」
「おいおい。何考えてるんだ」
「二人が一緒なら、恭介も緊張せずにすむと思うんだ。それに、エコに関する意識は、やはり純粋な日本育ちの子どもと、恭介のような帰国子女とではだいぶ違う。恭介を日本代表みたいな形で出すのは、ちょっとどうかとも思うんだよ」
「まあ、言われてみればそうだが」
「それに、ここのところ、内閣内で不吉なニュースが多いからな。明るい話題でニュースに乗りたいところだ。現総理の孫、元外務大臣で総理候補だった四辻の孫、そして恭介。話題づくりには十分だと思うが」
「だが…奏子ちゃんを入れれば、また四辻の事故の陰謀説が面白おかしく取り上げられるかもしれないぞ」
「疾人くんたちには申し訳ないが、ここ最近のアクシデントへの不吉だという評価を、陰謀説に相乗りさせて、同情にシフトすることも可能だ」
有川の言葉に、保はしばし考え込んだ。
「わかった。紗由のほうは、本人が了承したらOKだ。奏子ちゃんは…おまえが直接疾人くんに了承を取れ」
「美少女は複数のほうが国民も喜ぶと思うぞ」
「それは、おまえの趣味だろう?」
「民意を体現しているだけだ」自信満々に言う有川。
「テレビ電話だから、東京でいいんだよな」
「ああ」
有川はにっこり笑うと、弁当の鮭の西京漬を頬張った。
* * *
その日、夜の会合の後、遅くに帰宅した保に、周子が書類を渡した。
「お義父さ…先生、こちらが先ほど有川先生からファックスで届いた詳細です」
「ありがとう。待っていてくれたのかい。遅くまで悪いね」
「いえ。紗由が関係することですし…」
保は受け取った書類に目を通し始めた。何箇所か、マーカーでラインが引かれている。
「“外務大臣、青蘭学園幼稚部園児、会場公園内パレード”…?」
保が下の行にある出場者の欄を見ると、そこには、恭介、紗由、奏子、真里菜、充の名前があった。
「どういうことだい、これは? 東京からテレビ中継で参加と聞いてるが?」
「それが…文科副大臣のほうから、昼過ぎ、青蘭に依頼があったんだそうです。元々は有川先生お一人で歩く予定だったようですが」
「新学期まもない時期に、子どもたちを休ませるのか?」
「ですから、学園のほうに直談判で、そこから親に交渉ということなのではないかと。とりあえず、紗由はやる気まんまんです。久英社がメインスポンサーですので、どうやら、久英ショップの洋服を着て参加するらしいですわ」
「なるほど。久我くんは、相変わらず抜け目が無いね」苦笑する保。
「確かにテレビ電話よりも、子どもたちが一緒にパレードしたり、エコ体験するほうが、国民受けはいいでしょうね。有川先生や五車堂先生へのご支持も上がりそうです。…お断りなさいます?」
「いや、いい。進めてくれ。周子さんが同行するのかい?」
「いいえ。涼一さんが」
「涼一が?」
「はい。シンポジウムのパネラーが盲腸で入院されたとかで、代理参加が決まったところだったんです」
「また盲腸か」
「え?」
「いや、何でもない。じゃあ、この件はよろしく頼むよ」
「はい、承知いたしました。あ、それから、テレビ電話ですが、総理大臣室につないで、総理と外相の会談とのことでした」
周子が部屋を出ると、保は深くため息をついた。
“有川のやつ…全部計算済みか。しかも、それを私が感じ取れるようになっているというのは…”
* * *
「よく承知したわねえ、保ちゃん。あなた、紗由がマスコミに顔出しするの、嫌がっていたじゃないの」まじまじと保の顔を覗き込む華織。
「…有川が動いたからだよ。5人組は有川を守るために懸命だ。あいつを追って家出でもされたら困る。
私が止めようが何しようが、誰かさんが加担したら、5人を動かすことなんて簡単だろうしね」
「まあ、誰かしら、誰かさんて?」華織が意味ありげに微笑む。
「姉さん、私を馬鹿にしているのかい?」
「私が可愛い弟を馬鹿にしたことなんて、今まであって?」
「ああ…そうだな。面白がっているだけだ」
「私はね、あなたの言葉で、あなたの考えを聞きたいだけ」じっと保を見つめる華織。
「有川だけじゃない。周囲に動きが出てきた。岩倉くん、小宮山先生、どうやら竹田先生の秘書もだ。進くんも、エコリンピックに合わせるかのように休暇だそうじゃないか。清流もその時期、休みらしい。何かが起きるということだ」
「それは…事象を組み合わせた結果の推理なの?」
「皆まで言わせないでくれよ、姉さん。姉さんが私の封印を解いたんだろう? この数日、石を触ると反応が違っている」
「ねえ。もしかして、毎日石に触れて確認していたの?」
「…悪いかい?」不機嫌そうな保。
「いいえ。それでこそ、私の保ちゃんだわ」華織は楽しそうに笑い出した。「ああ、でも、笑っていられる事態ではなくなってきたの。だから、あなたにも応援要請を出したっていうわけ」
「だが、私は今の時点では、何が起こるか、詳細までは受け取れていない」
「皆が動いている時はね…ほら、台風の時は外を歩くのが大変でしょう? たどり着くまで、しばらく時間がかかるのよ。リハビリ期間ていうところかしら」
「次の禁忌日までにはフル回転ということかい?」
「ふふ。保ちゃんは頭がいいから助かるわ。そういうことよ」
「私の力を解放してまで対応しなければいけない事態って、何なんだい?」
保の問いに、華織は唇をかみ、しばし沈黙した。
「…やっと…やっと、ここまで来たの。3年近く待ったのよ。必ず、第一歩を踏み出して見せるわ」
「3年…それはまさか…」華織を凝視する保。
「そうよ。そういうこと。だから、協力してちょうだい」
「姉さん…」
「でもこれはお願いじゃないわ。命令よ」
華織はきっぱりと言い放つと、保に石をひとつ渡した。
* * *
母親・雅との久しぶりの電話に、充はご機嫌だった。しかも今日は、自分の晴れ舞台予告もできたのだ。
「まあ、そうなの? 沖縄でテレビに出るの? すごいじゃない」
「すももぐみのみんなといっしょ。テレビ見てね」
彼女が忙しいのをわかっているのか、見に来てとまでは言わない充だ。
「何言ってるのよ。ちゃんと沖縄まで見に行くわよ。えーと、パパと一緒に行くの?」
「ううん。パパはこっちでちゅうけい。おみせも、テレビに出るから」
「あら、そうなの。大忙しねえ。じゃあ、おじいちゃんと一緒なのね」
「うん」
「楽しみにしてるからね。お店が終わる頃に、おじいちゃんに電話して、詳しいことを相談するわ。もう遅いから、おやすみなさい。ちゃんと歯磨きするのよ。おなか冷やさないようにね」
「うん。おやすみ!」
愛息子との会話を終えた雅は、うれしそうにホテルの窓辺に佇み、神戸の夜景を眺めた。
そして、しばらくすると、机の上に置かれた2つの鉢植え、紫蘭とカリフォルニア・ポピーの鉢を険しい顔で見つめ、ふたたび充に電話をかけた。
* * *
華織に渡された石を手に取り、保は執務室でその感触を確認していた。
“昨日より強いな…。紗由も、じいじはもっと仲間になるのかと聞いてきたし…”
「先生、楡沢さんから電話です」
出先の楡沢からの電話を、周子が取り次いだ。
「ああ、楡沢くんか。え…誘拐? 竹田先生のお孫さんが?」
驚く保。周子もその様子を気にしている。それに気づいたのか、保がオンフックにして周子にも音声を聞かせる。
「はい。今、病院にお見舞いにうかがったら、そのような話でして…。
昨日、お孫さんの美智香ちゃんが、書道教室から行方不明になってしまい、夜7時ごろに不審者から電話があったんだそうです。彼女と一緒にいると。
もう彼女は無事に戻ってきているんですが…」
「警察には?」
「それが…その最初の電話の直後に、美智香ちゃん本人から電話があって、警察には電話しないでほしい、すぐに帰るからと連絡があり、15分後、その通りに戻って来たので、警察には連絡してなかったようです」
「美智香ちゃんは、犯人に脅されていて、そんな電話を家にしたんじゃないのかい?」
「私も最初はそう思いましたが、奥様のお話ですと、犯人たちを怯えているという感じではなかったようなんです」
「で、結局警察には届けてないんだな」
「はい。ただ、知らない人に公園へ連れていかれて、二人で話をしていたのは事実のようですので、2、3日学校を休ませるとのことでした。不審者との話の内容は一切話さないらしいです」
「そうか…。竹田先生はどうしてるんだい? その後の様子は」
「それが…私が今日病院に伺ったときには、転院なさる間際で、奥様が主治医の先生にご挨拶にいらっしゃっていたところでした。先生は先に病院を出られたようで」
「そうか。ご家族もご心配だろう。竹田先生がご希望なら、こちらから警備の手配をすると伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
保は電話を切ると、深くため息をついた。
「先生…真里菜ちゃんが言っていた、小学部に嫌な匂いがするというのは、このことだったんでしょうか…?」周子が心配そうに言う。
「かもしれないな。本人の話を聞いてみないと何ともいえない部分もあるが、龍や紗由の周囲も気をつけたほうがいいな」
「はい。すぐに手配を」
「ああ…周子さん、それから、エコリンピックなんだが、私も紗由たちの参加に合わせて沖縄入りしようと思う。君も同行だ。日程を調整してくれ。だが、あくまでサプライズだよ」
「秘密裏にということですね。家のヘリをお使いになりますか?」
「そうしようか。たぶん…沖縄はオールスターズイベントになる。姉さんが、私の力も必要とするくらいのね」
「お義父さま…」
「だが、子どもたちが鍵になる。未来を担う彼らが、その鍵なんだ」
保は微笑むと、再び石の感触に身をゆだねた。
* * *
朝香は、男に指定された公園のベンチに到着すると、注意深く周囲を見渡した。
そのベンチに座ると、先日火事のあった岩倉の事務所ビルが見える。
“なぜ、こんなところに…?”
「お待たせしました、朝香先生。わざわざすみませんね」
スーツ姿の男が現れ、隣のベンチの端に座った。
「回りくどい挨拶はけっこうだ。私は約束どおりにした。そちらも約束どおり、私の知りたいことを教えてくれ」
「何でもご質問になってください」
「聞きたいことはいくつかあるが、まずは最大のポイントだ。
小宮山先生は四辻先生の死に関わっていたのか?」
「私たちは小心者とは手を組みません。要所要所で使わせてもらうことはありますが」
「だが、君たちは四辻先生の死と関わりがあるんだね」
「四辻先生に関する情報を欲しがる相手に提供しました。小宮山、竹田の両氏には、そのために簡単な手伝いをしてもらいました。二人とも、四辻先生がお嫌いでしたからね」
「川本園長は?」
「竹田が勝手に巻き込んだだけです。情報は、川本園長の手から相手方に渡りましたが、その意味を彼女は知らなかったはずです」
「小宮山先生たちは、四辻先生を…殺すつもりだったのか」
「そんな大それたことが出来る奴らではありませんよ。あれは事故です。
相手も脅しをかけるつもりではいたでしょうが、死なれて陰謀説が流れたら、世論が硬化し、自分たちが交渉の場に立つときに不利になることぐらいわかっている。事実そうなりました」
「相手というのはA国ということなんだね」
「ご想像にお任せします」
「で、君たちの目的は何なんだい?」
「自分たちの存在を、彼らに知らしめ、認めさせることです。3年前は失敗に終わりましたが」
「3年前というのは、四辻先生の事故のことだね」
「はい。私たちの力だと証明しづらい形での事故となってしまったもので…」
「知らしめようとした、彼らというのは?」
「先生は、世の中には不思議な力を持つ者たちがいるというのを御存知ですか?」
「不思議な力?」
「ええ。そうですね、わかりやすい言葉で言ったら“超能力者”でしょうか。
国の未来を受け取り、大難を中難に、中難を小難に、小難を無難へと変えるべく、天と交流し交渉する者たちです。
古代はそういう者たちが政をしましたが、今は違います。政教分離というやつです。そのかわり、機密費と呼ばれる経費の中には、彼らへの報酬も含まれています」
「…その人たちの能力が高ければ、政治も安定するというわけかい?」
「はい。彼らは通称“命”と呼ばれています。全国各地にいて、その修行場としての“宿”と、“機関”と呼ばれる事務方組織があります」
「そして君たちは、その彼らに自分たちの存在を知らしめたいというんだね。対抗勢力というわけかい?」
「新勢力です」
「君たちには、彼らに対抗する、どんな力があるんだい?」
「…あれです」
男は、公園の向こうにある岩倉の焼けた事務所をまっすぐ指差した。
「岩倉先生の事務所がどうかしたのか」
「そして、例えば、そこ」
男は、朝香の足元から1メートルくらいの場所を指差した。
「そこ?」
朝香が不思議そうに見つめると、その地点の芝生がメラメラと燃え始めた。
「え?」一瞬、何が起こったのかわからず、見つめ続ける朝香。
「直接見える場所でなら、火を操れるんです」男は立ち上がり、火を踏み消した。
「ほお…」動揺を抑えようとするが、声が上ずる朝香。
「質のいいライターといったところです」
「質のいいライターはマンションに放火したりはしないと思うがね」上ずった声のまま、反論する朝香。
「…おや。朝香先生のことも、間接的にお助けしたつもりですよ。
岩倉さんは竹田から、小宮山、竹田両氏の加担の証拠を預かっていました。それを灰にしたんです。残っていたら、元秘書だったあなたに責任を負わせることぐらい、小宮山だったら平気でしますよ」
「そうだな。小宮山先生はそういう方だ。初めて意見が合ったのは認めるが、岩倉先生には何の罪もないだろう。ひどいじゃないか」
「はい。その点は認めます。お詫びに今日、仲間が新事務所のほうに個人献金をお送りしておきました」
「お金の問題じゃないよ。それと、加担の証拠というのは何なんだ」不機嫌そうに言う朝香。
「例の人形ですよ。小宮山の息子があなたに届け、あなたが川本園長に見せに行った人形。情報伝達の道具になったものです。今、お持ちですよね?」
男の言葉に、反射的に胸ポケットを押さえる朝香。
「それを返していただきます。お嫌でしたら、灰にするだけですが」
「その前に教えてくれ。この人形は何なんだ。これと、岩倉先生の事務所で燃えた人形の他にもあるのか」
「今残っているものとしては、もう一体あります。有川先生がお持ちです」
「皆、歩くんが送ったものなのかい?」
「私の仲間が彼に渡したんです。そこから拡散しました。それから、人形は何かという質問への答えですが、“宿”に伝わる守り主、邪悪な念を払いのける人形です」
「そんな人形が、なぜ君たちの思い通りに、道具として使われたりするんだい?」
「本物ではないからです」
「え…?」
「先生は、静岡の清流旅館を御存知でしょうか?」
「ああ…。前に2度ほど」
「行かれたことがあるのなら、この人形も見覚えが有りませんか? 世間の不思議伝説ブームに乗った感もありますが、あそこの宿には何体かの人形が庭の灯篭に置かれています」
「あ…」
何かを思い出したかのように、視線を胸ポケットに移す朝香。
「そう。あそこにあった人形なんです。…と言っても、本物ではありません。本物は羽童と呼ばれるのですが、あそこの庭に飾ってあるのはフェイクです。
不思議伝説ブームで盗まれることが多いので、どうやらそれを前提に偽物を何体も飾っているようです。
仲間は、その偽物を作っていた工房から、3体ほど拝借しました」
「君の日本語は間違っているよ。返す気がないのは拝借とは言わない」
「失礼しました」丁寧に頭を下げる男。
「有川先生の人形はどうなったんだ」
「まず、竹田の元に届きました」
「待ってくれ。竹田先生の元に届いた人形は、岩倉先生が預かって、君が燃やしたはずだ」
「有川先生に渡ったのは二体。そののうちの一体は竹田の元に行きました。一体はまだ有川先生がお持ちです」
「なぜ有川先生は、竹田先生に届けたんだ?」
「親友の死の真相を知りたいからでしょうねえ」
「誰が竹田先生との関連を教えた」
「仲間が小宮山の息子に教え、彼が有川先生に」
「君の言う仲間というのは、私の知っている人間か?」
「そうですねえ…お会いになったことはあるかもしれません。あ、そうそう、その家族には確実に会ったことがありますよ」
「家族?」
「ええ。有能な人材です。いずれ正式な仲間にしたいと思っています」
「今は違うのか。“命”側の人間ということか?」
「鋭いですねえ」笑う男。
「感心しないね。家族を巻き込んで利用するとか。そんな手を使わなくても、君たちの力は相手に知らせることぐらいできるだろう?」
朝香の指摘に、男はしばし沈黙した。
「…利用したのは、四辻先生のほうですよ」
「どういうことだ」
「我々は皆、四辻先生の弟子でした。彼は“命”の掟を超え、政治家になった人間。私たちは彼の元で学んだ人間なんです」
「先生はなぜ、そんなことを…? 掟を超えるということは、その組織内では反発だってあるのでは?」
「先生は“命”の中でも力の強い方でしたから、政治家になった後も、機関から引退を認めてもらえなかったんです。
息子さんには力がありませんでしたし、次の世代になるまでと、例外的に政への参加を認められました。そんな中、先生は“命”や機関の新しい形を模索していたんです。
まあ…我々もその実験材料のひとつだということに、後で気づきました。ええ、かなり腹が立ちましたよ。悲しかったし、自分たちの努力は何だったのかと。
我々は一般家庭の人間で、“命”の血筋ではなかった。それでも、先生の指導でいろんな能力が開花され、この力を手に入れるに至ったんです。それを…」
「師匠に裏切られた復讐で、現システムに自分たちの力を見せつけようというわけか」
「実もふたもないおっしゃりようですねえ」男が苦笑する。
「四辻先生は、政治の世界においても、まっとうに正面から突き進む方だった。君の言い方を聞いていると、何か姑息なことをして君たちを傷つけたように聞こえるが、理解が出来ないんだよ」
「まあ…こればかりは当事者じゃないとわかりません。四辻塾が解散したのは9年以上前になります。我々は、その時点で不要になりました。だから、いきなり解散されたんです。当時のメンバーは皆、同じ思いだったはずです。だから、復活させたんです」
「9年前に何があったんだい?」
「後継者ができて、我々は要らない存在になったんです」声が少し震える男。
「…いろいろと、君たちなりの苦労があったようだね。…で、それを全部私に話す目的は何だい? 私はここで燃やされるのかな?」
「とんでもありません、先生。先生には仲間に加わっていただきます」
「は? 何を言ってるんだい。私はもう帰らせてもらう」
「先生の可愛い方、かなり我々の能力を備えているんですよ。その辺のところは、場所を変えてゆっくりお話しましょう」
男は不遜な笑みを浮かべると、タバコを取り出し、自分の指先で火をつけた。
* * *




