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その5


 父・奏人に昔世話になったのだというクライアントを目の前に、疾人は、いつものように穏やかな笑顔で応えた。

「どうぞ。おかけください」

「はい。初めまして。保坂就です」

「初めまして。四辻疾人です。今から45分間は、あなたのお時間です。最初に形式的なことになりますが…」

「先生。それは結構です」

「え?」

「他のカウンセラーにも同じ事を聞いていますから。流れはわかっています」

「そうですか…」


 いろんな医者を渡り歩いている患者も中にはいて、珍しい申し出でもなかったので、疾人は注意事項が書かれた書類を差し出した。

「では念のため、これに目を通してください。それで説明に変えさせていただきます。形式的ですみませんが、後々、保坂さんに不都合が生じても困りますので」

「はい」

 保坂が書類に目を通すと、疾人はいくつか確認をし、それに対して保坂は大きく頷いて疾人を見つめた。


「では、保坂さんが抱えていらっしゃること、問題と思われていることを、お聞かせいただけますか?」

「…十年間、裏切られたという思いが消えないんです」

「裏切られたという思い」

「はい。父のように慕っていた人から見捨てられたんです」

「見捨てられた…?」

「いきなり接触を絶たれました。彼は僕らの前から消えたんです」

「いきなり消えてしまったんですね」

「そうです。いきなりです。自分を信用しない人間は必要ないと言い捨てられ、それっきりです」


「保坂さんは、その方を信用していなかったんですか?」

「とんでもない!」握りこぶしを振るわせる保坂。「僕はその人を心の底から尊敬していましたし、会えば会うほど、話せば話すほど、生涯の師だという気持ちが強まりました」

「なのに、その方は、保坂さんが自分を信用していないと…」

「そうです」

「何もそんな心当たりがないのに…。そんなことがあった以前に、何も思い当たる節がないのに…」

「ひとつだけなら…ないこともないですが…」言いよどむ保坂。

「ひとつだけ、あったんですね」

「でも、僕は先生を信用しなかったわけじゃありません。他のことも知ってみたかった。仲間のトップに立つために、いろんな方法にトライしてみたかった。それだけです」保坂は唇を噛むと黙り込んだ。


「ところで保坂さん。その先生に習っていらっしゃったのは、どんなことなんですか?」

「…気功のようなものです」

「気功ですか。身体に良さそうですね」微笑む疾人。

「いえ、そういう目的のものではなくて…」一瞬口ごもる保坂。「能力開発系のものです…」

「能力開発系の気功なんですね」

「ええ、まあ」

「その先生が、いきなり、保坂さんを必要ないと」

「そうです!」

 必要ないという言葉に反応したのか、保坂は立ち上がりかけ、拳を握り締めた。

「こういう世界では、いろんなセミナーを受けたり、いろんなやりかたを勉強するというのは、よくあることなんです。

 もちろん、僕の中では先生が一番ですし、他の人間のところに行こうとなんてしていなかった。なのに…いや、確かではありませんけども、きっとそれが原因で…」


「不本意ながら、少しばかり思い当たる節も…」

「だからと言って、その内容も確認せず、いきなりクビなんて、あんまりです。それに大体、そんなのはきっと言い訳なんです。先生は、僕たちがいなくても済むようになったから、それで邪魔になったんです」

「いなくても済むように…ですか?」

「そうです。生徒なんて要らなくなったんです。跡取りができて、それでお払い箱ですよ」

「事情はどうあれ、いきなりお払い箱では納得がいきませんよね」

「そうです! 先生についていこうと思っていたのに、仲間の誰より練習したのに、力のない奴らが残って、それで首になるなんて…」保坂は声につまり、うつむいたまま、しばらく動かなかった。


 疾人は途中何度か声を掛けたが、保坂は沈黙を守ったままだった。

 だが、心の底から信頼していた相手が突然目の前から消えてしまった喪失感は、自分にも経験があり、カウンセラーとクライアントという立場を超えて、同感できる部分があると疾人が言うと、保坂はその話を聞きたがり、普段は取らないやり方ではあったが、疾人は自分と父親との関係を話し出した。


  *  *  *


「あなた、大丈夫? 今日はかなりお疲れのようね」

 響子がハーブティーを持って、疾人の書斎を訪れた。

「ああ、響子。うん…さすがにね、今日は疲れたなあ。鏡を見ているようなクライアントだったんだよ。ちょっと、仕事的には逸脱してしまった。反省だなあ」

「まあ。その方、ファザコンだったりして」からかうように笑う響子。

「大当たり」疾人も笑う。

「あ…ごめんなさい」

「いや、いいんだよ。ちょっと複雑な気分ではあったけどね。普段は、目の前のクライアントの話に集中するわけだけど、今日は、クライアントが話している対象、その相手の話を聞いてみたいという気分になった。何でだろうなあ。…いや、技術不足か、僕の」


「私には、精神医学とかカウンセリングの詳しいことはわからないけど、でも、聞いてみたい気分というのは、何か大切な気がするわ。

 翼も奏子も、時々そんなニュアンスのことを言うの。理屈ではわからないけど、気に掛かることってあるのよ」

「そうか…じゃあ、今度、二人にご教授願うか。あの子達の力がカウンセリングに使えるものなら、もっと救われるクライアントが増えるのかもしれないなあ…」

「不幸になるクライアントも増えると思うわ。その力を盲信して周囲が見えなくなったり…実家の宿で迎えていた弐の位の人たちの中にもいたもの。

 焦って、他の力…気功的なものなんかに頼って、力を伸ばそうとした挙句に、“命”にそれを知られて、家自体がお役ごめんになっていたり」

「響子…」

「なあに?」

「今日のクライアント、もしかして…」

 疾人は左手をぎゅっと握り締め、右手で響子の手を握った。


  *  *  *


 製作部で10時過ぎまで一人残業していた進は、首をぐるりと回すと、深くため息をつき、しばし窓の外を眺めた。25階からの夜景は壮観で、遠くにはレインボーブリッジが見える。


「お疲れさまです」入ってきた哲也が缶ビールを差し出す。

「あーら。勤務中にこんなもの飲ませてよろしいんですの、専務?」勤務中の、心が乙女キャラで尋ねる進。

「華織さまからのご依頼が増えているんじゃないですか。僕にできることは限られてますけど、他の者にも協力を要請しますから、遠慮せずにおっしゃってください」

「…ああ。ありがとう。ちょっと調べ物に手間取ってただけだよ。もう終わろうと思ってた」


「じゃあ、いいですよね」哲也は自分の缶ビールを開け、ぐいっと飲む。

「おまえこそ、こんなところにいる場合じゃないだろう。帰れる時は早く帰って、ちゃんと梨緒菜さんとの時間、いや、久我家との時間を作らないと」進も缶ビールを開けた。

「それが…久我家から、エコリンピックにご招待いただいているんです。ですから、その前に、向こうで僕がすべきことがあればと思いまして、ご指示を伺いに来ました」

「そうか。スポンサーだもんな」進が笑う。「実は、こっちも行こうと思ってるんだよ、沖縄。GWはイマジカのイベントがあるから、その前に休みをもらうという形でね」

「わかりました。じゃあ、イベント出勤者には、そのまえに代替休暇を取ってもいいということで社内的に通達します。進さんや未那さん…あと何名かいますよね、休む人間。不自然に見えないように手配しておきます」

「ありがとう。助かるよ」


「それから…どうも、不審な男が最近、四辻家の周囲をうろついているようです」

「例の“火”の関係者か」

「おそらく」

「翼くんと奏子ちゃんは気づいているのか?」

「いえ。彼らに気づかれるほどの距離には近づいていないようです。むしろ、気づかない人、疾人さんのほうにです。クライアントになっているようでして」

「澪さまと同じパターンか…」

「でも、梨緒が以前言ってました。“疾人にいは、同じ過ちは二度犯さない人”だと。その判断に賭けたいと思います」

「そうだな…ここは保さまにならって、様子を見ようか」

 進は腕組みすると、再び窓の外に目をやった。


  *  *  *


 月曜の夕方、イマジカには一人の女性が賢児を尋ねてきていた。

 通常、アポイントメントのない客に社長の賢児が会うことはないが、朝食時に紗由が「今日のお客様は大事だって、まーくんとまこちゃんが言ってたよ」と言っていたのを思い出し、例外的に面会に応じることにしたのだ。


「私のこと、覚えていらっしゃいませんか?」

「どちらかでお会いしましたでしょうか?」必死に記憶を探る賢児。

「伊勢で。私のラブレター、お読みいただきましたよね?」

「あの時の…着ているものや髪型でだいぶ印象が変わりますね、女性は」

 今の姿自体に、どこかで会ったような気がした賢児だが、とりあえず相手の目的を探るのに集中することにした。

「今日は、2通目をお届けにあがりました。どうぞ」


 差し出された封筒を急いで開ける賢児。

「これは…」

 中に入っていたのは、やはり西園寺内閣の集合写真だった。

「ここにいらしたのは、朝香大臣ですね?」

 前回の写真にさらに加工が加えられたその写真で、今度消えていたのは、後ろから2列目の左端にいたはずの朝香文部科学大臣だった。

「さあ。私はお届けにあがっただけですから、中身については承知しておりません」

「このラブレターは他に誰が受け取る予定なんですか?」

「…誰も」


「今後、誰が何をするつもりなんですか?」

「さあ。バッター表は私の手元にはありませんし」

「質問には答えてくれないんですね」

「生憎と、私はコンメンタールではございません」

「なるほど。ですが、僕がこのまま素直にあなたを帰すとお思いですか?」

「はい。…あなたの可愛い姪御さん、私の親しい者と一緒におりますので」

「ほお。それは興味深いですね」女性をじっと見つめる賢児。

「ですから、私はこれで失礼いたします」


「待ってください。もうひとつだけ」

「何でしょう?」

「あなたは、敵ですか、味方ですか?」

「ただのメッセンジャーです」

 女性は丁寧に頭を下げると、社長室を後にした。


  *  *  *


 画用紙と模型を抱え、急に訪れた紗由に、華織と躍太郎は少し構えた様子で面会に臨んだ。

「紗由。結界に関しての言い分はわかったわ。石の手配は検討しましょう。

 でも、こういうお願いをしに来たこと、龍は知っているのかしら? 今回は彼が仕切ることになってるのよ」

「にいさまには、かえったら言います。でも、さゆは、まりりんや、かなこちゃんや、みつるくんや、きょうすけくんのキャプテンだから、せきにんがありますから、みんなをだいひょうして、おねがいにきました。

 それに、にいさまと、ちゃんとおはなしができるように、おばあさまとグランパに、しりたいことをおしえてもらいます」


「何も教えることなどないと言ったら、このまま龍のところへ戻るのね」

「それはだめです。にいさまは、いま、ふつうのにいさまじゃありません。さゆのこと、かってにみようとするし、ほかの子たちのことも、そうです。

 どうしてなのかと、さゆが、どうしたらいいのかを、おばあさまとグランパには、さゆにおしえるせきにんがあります」

「責任?」

「せきにんがとれないなら、にいさまを、ふつうのにいさまにしてください」

 紗由が強いまなざしで華織を見上げる。

「ふつうのにいさまがだめなら、おしえてください。さゆは、にいさまのおてつだいをしなくてはいけないですから。このままでは、いっしょに、おしごとができません」

「紗由…」見つめ返す華織。


「華織。質問には全部答えてあげようじゃないか。紗由の言っていることは正しいよ」

 躍太郎は紗由を抱き上げると、鼻の頭をちょんとつついた。だが、華織は黙ったままだ。

「で、紗由は何が聞きたいんだい?」

「にいさまは、さゆたちを、どうしたいの? どうして、さゆのあたまのなか、みようとするの? それに、恭介くんがきて、かわったの。にいさまも、みんなも」

「変わった…。何が?」

「5にんでいると、まえとなにかちがうの。それで翔太くんにきいたら、みんなのぴかぴかが、ときどき、わっかになるんだって。“ねっとわーく”っていうのができたのかなあって、翔太くんは言ってた」

「ネットワーク…」華織が興味深そうに紗由を見つめる。

「それで、にいさまは、そのわっかに、はいってきて、さぐったり、なにかしてるんだとおもう。恭介くんも、いままでできなかったこと、できるようになったの。かなこちゃんも、いっぱい、じょうずになってる」


「だが、これまでの話からすると、恭介くんは自分だけ何もできないと思っているんじゃなかったのかい?」

「恭介くんは、しらないだけ。じぶんができること、わかってなくて、やってみないだけ。このまえ、ちょっと、できてたみたいだけどね」

「どうして恭介くんは、自分ができるということを知らないんだい?」

「ありかわのおじさまが、おしえてあげないからじゃないかなあ。さゆは、おしえるかかりじゃないから、できないし…。ねえ、どうして、おじさまは、恭介くんにも、じいじにも、うそっこかめんなの? おばあさまのなかまなんでしょう?」

「建造さんとは、昔から仲良しよ。保ちゃんの親友だから、家にもよく来ていたわ」


「なかよしと、なかまは、ちがうよ」怒ったように見つめる紗由。

「…仲間だとしたら、どうするの?」

「だれがなかまなのか、ぜんぶおしえて。にいさまは、しってるんでしょう? さゆにも、おしえて。さゆは、おばあさまのなかまでしょう?」

「嫌だと言ったら?」

「じゃあ、おばあさまはもう、なかまでも、なかよしでもない」

 くるりと踵を返し、ドアへ向かった紗由の前で、ドアが開いた。


「華織さま。小さい子に意地悪してはいけないと、悠斗の前でおっしゃったではありませんか」

「進ちゃん…」

「しんこおねえさん!」紗由がうれしそうに抱きつく。

「こんにちは、紗由さま」

 進が紗由の頭を優しくなでると、紗由は不思議そうに尋ねた。

「あれ…きょうは、おねえさんじゃないんですか?」

「…ああ…ええ、そうです。今日はお兄さんなんです」にっこり微笑む進。

「紗由、違うわ。今日はね、おじさんなの」さらに微笑む華織。

「華織さま。紗由さまが知りたいのは、そういうことではございません」

「さゆは、おにいさんで、いいとおもうよ。かっこいいし」

「恐縮です、紗由さま」ちらりと華織を見る進。


「おばあさま。にいさまには、ひみつにしておいてあげるから、おしえて」

「龍に頭の中を探られたら、すぐにばれちゃうでしょう?」

「だいじょうぶ。あたまのドアをしめるやりかた、おぼえたから」紗由が自慢げに言う。

「あら。いつ覚えたの、そんなこと」

「ありかわのおじさまの、まねっこをしたの」

「ほお…」躍太郎が紗由を見つめる。

「にいさまは、つばさくんや、だいちくんや、しょうたくんや、かなこちゃんの、まねっこしろっていうから、したんだけど、さゆはじぶんでも、したいようにしてみたの」

「すごいですね、紗由さま。きちんと御自分のお考えをお持ちになるというのは、大人の女性にとって大切なことです」

 進が言うと、紗由はうれしそうに笑った。

「ありがとう」


「それで、どんなふうになさったんですか?」

「まよったときは、かたっぱしから、ためしてみれば、ええねん!」

「翔ちゃんが、そう言ったわけですね」くすりと笑う進。

「うん。どのケーキたべようか、まよってたら、しょうたくんが、そういったの。まねっこもおなじでしょう? だからね、さゆ、いろいろやってみたの。さいしょは、おばあさま、グランパ、おうまさん、みおちゃん、まことおにいさん。…できたのは、みおちゃんだけだった」

「そうですか、澪さまを…」

「みおちゃん、いしとおはなしするのが、かなこちゃんよりじょうずだし、むかしのことわかるのが、つばさくんよりじょうずだから、ちょっとよかった」しっかりうなづく紗由。


「次は、どなたを真似っこされたんですか?」

「やよいちゃん。やよいちゃんはねえ、すんごくいいよぉ」

「うれしそうですね、紗由さま。弥生ちゃんは、どんなふうにいいんでしょう?」

「だいちくんみたいだった。きもちがね、ぽかぽかになるの」

 紗由の笑顔に思わず進も微笑む。

「そうですか。よかったですねえ」

「うん。あとはねえ…じいじと、ありかわのおじさまも、してみた」

「いかがでしたか?」

「じいじは、だめだった」ぷーっとほっぺたを膨らませる紗由。「でも、おじさまのまねっこは、おもしろかったから、いいや」

「頭のドアを閉めるやり方も覚えられましたしね」

「うん。おじさまは、“なかま”なんだなあって、わかったし」


「紗由さまは、他の仲間が誰なのかも知りたいんですね?」

「はい。しんこお…にいさんが、そうなのは、わかりました」くるりと華織のほうを向きなおす紗由。「ほかには、だれがいるの、おばあさま?」

「…紗由は作戦全部を、すもも組のメンバーに教えているのかしら?」

「おしえてないこともある」

「そうよね。まりりんや恭介くんに全部教えちゃったら、怖い人がそばに来たとき、すぐに泣いちゃうものね。おばあさまも同じよ。教えないこともあるわ」

「さゆは、恭介くんやまりりんみたいに、すぐにないたりしないよ。にいさまのまねっこで、そういうのやめられるから」

「龍の真似っこが出来たの?」驚く華織。

「にいさまは、さゆに、いろんな人のまねっこをさせて、それがどうなったか見ようとするの。そのときは、さゆもにいさまのほうに“はいれる”から」

「なるほどね…」躍太郎が天井を見上げる。


「あ、そうか!」紗由が大声で叫んだ。「にいさまは、しってるから、“はいった”ときに、にいさまのあたまを、のぞけばいいんだ」

「いい作戦だねえ」躍太郎が笑う。

「龍も頭のドアを閉める方法を知ってるんじゃなくて?」

「しってても、つかえないよ。しめたら、さゆのあたまのなか、見られないもの」


「華織さま。そろそろ降参なさったらいかがですか?」

 進の言葉に、華織は不機嫌そうな顔をしながら、箱の中の石を取り出した。

「…“仲間”に反応する石よ。龍も持っているわ。これでいいでしょう?」

 紗由は差し出された石を手に取り、手の中で転がしたり、頭にかざしたりと戯れていたが、しばらくすると華織の手に石を戻し、きっぱりと言い放った。

「だめです」

「なぜ?」

「さゆは…この子は、あんまりじょうずにつかえないとおもう。なんだか、おばあさまににてて、きまぐれそうだもの。それに、わるものに、もってるのがばれたら、とられちゃうかもしれないよ。そうしたら、なかまが、ばれちゃう」


「ほお、紗由。そこまで考えられたのか」半ば驚きながら、紗由の頭をなでる躍太郎。

「…そうね。私に似て気まぐれというのは余計だけど、そこまで思いが及ぶのは偉くてよ」

「はい!」にこにこ顔で元気に返事をする紗由。

「進ちゃん。紗由の質問に答えてあげてちょうだい」

「かしこまりました」

「お兄さんに何でも聞いていいぞ」

 笑顔の躍太郎は、小さくため息をつく華織の肩を抱き、部屋を出て行った。


  *  *  *


「ほら。そんな不機嫌な顔しないで。可愛い顔が台無しだ」

 躍太郎が言えば、いつもは機嫌が直る華織だが、今回はちょっと様子が違う。彼の出す紅茶にも手をつけようとしない。

「龍は、紗由がこうすること、わかってるはずよね。でも止めなかった。というより、私や紗由を試しているようだわ」

「試してみたい年頃なんだろう。お前だって、さっき紗由に別の石を渡して試したじゃないか」紅茶をすする躍太郎。

「私には皆を守る責任があるわ。常に相手を試すのもその大事な手段。でも、龍が私を試してどうするわけ?」

「龍が試しているのは龍自身だよ。龍は龍なりに、皆のリーダーになる方法を探っているんだろう。紗由のやり方も知りたいのさ」


「今までだって、龍には立派にリーダーの資質があるわ」

「華織。龍はやっぱり、おまえのアキレス腱だな。突発的に客観性を失う」躍太郎が苦笑する。

「そんなことありません」ムッとする華織。

「あるよ。子供たちと接していて、おまえだってわかっているだろう。龍と男の子たち。そして紗由とすもも組の子たち。うまく調整してグループを統率しているのは紗由のほうだ。

 男の子たちは龍の力を認めているのは事実だろう。

 だが、それよりも、自分の妹や弟分たちのことを考えて…紗由に指令するのは龍だからな、龍に気を遣っている。

 おそらく、翔太くんが上手に補佐しているんだろう」

「それでいいじゃないの。周囲が気を遣って、結果としてまとまっているというパターンだって、ありだわ」


「保くんが、そんなパターンで人をまとめたことがあるかい? 本人への信頼がすべての基本でなくては、人は本当の意味ではまとまらない。だいたい、紗由が反乱したら、たちまち空中分解だ」

「それは…」

「龍だって気づいているんだよ、自分の問題点を。一対一で相手を取り込むのは得意だが、集団に身をおくのはさほど得意ではないからね。

 だから紗由のやり方を、いろんな角度から検証しているんだ。餌をまけば、紗由は必ず反応する。違和感を覚えながらも、仲間のことを思って、ちゃんと対応してくる。龍は、そのパターンを確実に学習したいんだよ」


「私はともかく、紗由を試すようなことを何度もしたら、紗由に嫌われないかしら…。涼ちゃんや周子さんにも」華織の声がか細くなる。

「心配するな」躍太郎が声を上げて笑う。「紗由の言葉をちゃんと聴いていなかったのかい? 龍とちゃんと話ができるように、知りたいことを私たちに教わりにきたと、彼女は言ったんだぞ」

「そうね…そうだったわ」

「紗由は、手のかかる姉を見捨てずに来た保くんの孫で、弟が好きで好きで仕方がない涼一の娘だぞ」

「そうよね」

「ああ。あとは、翔太くんの師匠である進が程よくレクチャーすれば、紗由もご機嫌で帰るさ」

 躍太郎の言葉に、華織はようやく笑顔を見せた。


  *  *  *


 帰宅した紗由は、龍に自分の“結界構想”を説明した。

「ほんとうはね、恭介くんがかたぐるましてもらって、4にんでおじさまをかこんであるくのが、いちばんいいんだけどね。さいきょーの、けっかいっていうやつ」

 紗由の言葉に、その様子を想像して、思わず笑う龍。

「それじゃあ、組体操の行進だよ。敵にばればれだ」

「うん。だから、とうきょうから“びよよ~んさくせん”にしたらいいとおもうの」

「遠隔で送るってことだね。でも、おじさまに石をひとつ持ってもらう必要はあるな…。できれば会場にもひとつ石を置きたい」


「さゆが行きましょうか?」

 目をきらきらさせながら聞く紗由。どうやら沖縄に行ってみたいようだ。

「いや、まりりんが行くんだろう?」

「そうだけどぉ…」つまらなそうに言う紗由。「さゆも、行きたいなあ。みんなで行けるといいのになあ…」

「それもありかもなあ…」

 

「おばあさまにおねがいして!」

「わかったよ。それはともかく、石はフェイクの分も含めて、どれが最適かをおばあさまに相談しよう」

「はーい。おねがいしまーす」

「紗由も一緒におねがいしに行くんだよ」

「さゆも?」驚く紗由。

「結界は、すもも組の担当だろう? 沖縄にも皆で行きたいんだろう?」

「うん!」紗由がうれしそうに笑う。


「じゃあ、そっちはそういうことでいいとして…あとは、竹田先生の人形か…」

「そっちは、にいさまにまかせる。さゆはこんどのおやすみ、せいりゅうにいくから、いそがしいの」

「確か、有川先生と恭介くんも行くんだよね」

「恭介くんたちはあそびにいくけど、さゆは、おしごとにいくんだよ」

「紗由は働き者だね」

「りょかんの“わかおかみ”は、いそがしいの」じっくりとうなづく紗由。「おきゃくさまが、ニコニコになるように、がんばらないとね」

「にいさまも紗由を見習って頑張るよ」

 龍がやさしく微笑むと、紗由は顔をくしゃくしゃにして笑った。


  *  *  *


「ね? あなたにぴったりのお仕事でしょう? 昔取った杵柄っていうやつよ」

「華織さま…」進は頭を抱えた。「確かに、あの時は申し訳なかったと思っております。今日も出すぎた真似をいたしました。申し訳ありません。ですが、これはちょっと…」

「置いてくるのも、取り替えてくるのも、大して変わらないでしょう?」

「変わります!」

「…じゃあ、自分でやるから、いいです」ぷいと横を向く華織。

「華織さま…」

「だって、消えちゃったら元も子もないじゃないの」

「それはそうですが…」

「じゃあ、とにかく、これを置いてきて。それだけでいいわ。気が向いたら、本物のほうを持ってくるの」譲っているようでいて、あくまで譲らない華織。

「わかりました」

 進は渋々と箱を受け取ると、部屋を出て行った。


  *  *  *


「どこかで会ってる。それは間違いないんだ」賢児は玲香に難しい顔で昼間の出来事を報告した。「でも、思い出せないんだよ」

「うーん。どこなんでしょうねえ」玲香も難しい顔になる。「まーくん、まこちゃん、パパに教えてあげてくださいな」

 玲香が二人に話しかけると、二人とも手足を大きく動かして暴れだし、タオルケットがはずれてしまった。

「あらあら、二人とも」

 玲香がタオルケットを直そうとしたとき、聖人の足のアメジストに指が触れた。

“ふうじたの”

「え?」


「どうした?」賢児が玲香を覗き込む。

「今、まーくんが“封じた”って言いました…」

「俺の記憶が封じられたから、思い出せないってことか?」

「あー」聖人が大きな声を出す。

「そのようですね」

「それができるってことは、彼女も“命”ってことだろうか」

 賢児が言うと、玲香は再び聖人の足のアメジストに触れた。

“せんせいのでし”

「“先生の弟子”だそうです…」

「何だ、それ。…聖人、それじゃあ、パパわかんないよ」賢児が聖人の頬に触れる。


「じゃあ、まこちゃんに聞いてみましょう。まこちゃん、パパの知りたいこと、教えてちょうだい」今度は真琴のアメジストに触れる玲香。

“ほむら”

「“ほむら”…だそうです」

「焔って、前に澪さんの…あれのことかな?」

 “焔”というのは以前、澪が解離性同一障害に陥った時の別人格の名前だった。ある意味、前機関ののっとりを図る勢力の代名詞と言ってもいいかもしれない。

 澪の背後にいた人間の詳細はわからぬまま、機関は刷新され、その後は表立って大きな問題も起きずに、ここまで来ていた。


 玲香がまたアメジストに触れるが、真琴は何も伝えてこない。ただ、眉間にしわを寄せながら、顔をぎゅーっとしかめて頭を横に振ろうとする。

「違うようです。でも何かこう、嫌なものなんです、きっと。まこちゃん、怒ってますもの」

「誰かの名前かなあ。心当たりあるか?」

「いえ…知り合いにもいないと思います」

「単純に受け止めるなら、彼女が穂村さんとかいう人物で、誰か先生と称される人間の弟子で、俺の記憶を封じたってことになるんだろうけど…うーん、何かすっきりしないなあ」

 賢児は大きく息を吸い込み、天井を見上げた。


  *  *  *


 シャッターが降りた岩倉の事務所の向かい側のファミレスで、男はつぶやいた。

「まさか同じところにまた来るとはね」

「まあ、そういうこともあるさ」

「でも、残しておかなくていいの? せっかく彼の口封じの材料になっているのに」

「いや、すぐに新しい材料を用意するから」

「安心させておいて、ダメ押しか。ダメージ大きそうだな」

「仕方ないさ。欲しいものを手に入れるためだし」

 会話にしばし間が開く。

「どうしたの。この前から変だよ」

「そんなことはない」

「なら、いいけど。じゃあ、そろそろ戻ろうか」

 男は、事務所のシャッターに向かってピストルを撃つような格好をすると、伝票を手に取り席を立った。


  *  *  *


 週末、清流を訪れていた有川夫妻と恭介は、飛呂之と翔太が丹念に手入れしている庭を散策し、楽しんでいた。

「すごいですねえ、ご亭主。これまでもそうでしたが、今年は特に、入園料を聴取しないと」笑う有川。

「有川先生に、そんなふうにおっしゃっていただけるとは恐縮でございます」頭を下げる飛呂之。

「うん。うちのおにわより、きれいだもん。すごいねえ」恭介が興奮して走り回る。

「翔太が頑張って手入れをしてくれてますので」

「あ。この花きれい。ひまわりとバラがはんぶんずつみたいだ!」

「それは、“プリンセス紗由”言うんやで」うれしそうに笑う翔太。

「紗由ちゃんの名前が付いてるんだ。それはすごいね、翔太くん」

「ありがとうございます」顔をくしゃくしゃにして笑う翔太。


「去年掛け合わせたものが、うまく咲いてくれまして」

「さゆちゃんの、おはななんだ…。すごいね、たいせつなひとのおはななんだね。おじいちゃん。ぼくも、こういうの、つくりたい!」恭介が有川を見上げると、有川は恭介の頭をなでながら言った。

「うーん、そうだなあ。じゃあ、ご亭主にお庭を案内していただいて、お花や木のことを教わっておいで。…ご亭主、すみませんが、少しばかりお願いしてよろしいでしょうか。私は翔太くんに、いろいろ教えてもらいます」

「はい。では、恭介くん、こちらへ。もう少し向こうにはツツジや、早めの藤が咲いています」

「はい! ありがとうございます。おじいちゃん、行ってきます!」

 恭介はうきうきした様子で手を振ると、飛呂之に手をとられ、庭を向こうへと歩いていった。


「やっぱり清流に来てよかったよ。恭介も喜んでいるし、地元ということを別にしても、ここは本当に癒される。興味深い場所だ」

「ありがとうございます。もっともっと、ええ宿になるように、頑張りますさかい」翔太が笑う。

「私はね、前から君にすごく興味があるんだ、翔太くん。可愛いし、賢いし」有川が翔太の頬をなでた。

「ぼ…僕は、紗由ちゃん一筋ですさかい」緊張した面持ちで、一歩後ずさりする翔太。

「ああ…違う、違うよ、翔太くん」有川が大笑いする。「私も女の子のほうが好きだ。そうじゃなくて…君の“力”だよ。私が興味があるのは」

「“力”? 紗由ちゃんみたいな可愛ええ子を彼女にしたからですか?」にーっと笑う翔太。

「確かにそれも、かなり優れた“力”だねえ。そういう切り返しをすぐにできる頭の良さも“力”だ。だが、私の言っているのは君の…いや、君たちのというべきかな、“不思議な力”のことだよ」

「“不思議な力”…」

 翔太は有川の言葉を繰り返しながら、胸のぴかぴかの様子をうかがった。

“この色…?”


 その時、後ろから声がした。

「ごきげんよう、健造さん」

「華織さん…いらしてたんですか?」

「ええ。可愛い翔太くんをいじめる人がいないかどうか、周囲を見に来たの」

「華織はん! おおきにでございます」駆け寄り、うれしそうに華織を見上げる翔太。

「見張りですか」穏やかな笑顔の有川。「私にも欲しいなあ。紗由ちゃんによると、私は狙われていて、守らないといけないそうですから。可愛いボディガードも付けてもらったんですけどね、やっぱり紗由ちゃんに見張ってもらおうかなあ」

「外務大臣のお仕事は大変ですわよね。お体はお変わりなくて?」

「それが、最近どうも、頭の調子が変で困ってます」声を上げて笑う有川。「恭介の影響かもしれません」


 華織が何か言いかけたとき、着物姿の紗由が後ろから現れ、声をかけた。

「ありかわせんせい、せいりゅうへようこそ。わかおかみの、さゆでございます」にっこり笑ってお辞儀する紗由。

「紗由ちゃん!…これはこれは、今日はまた、一段と可愛い、いや、美しいねえ!」着物姿の紗由に目を細める有川。

「ほんま、かわええなあ…」口を半開きにして紗由の手を取る翔太。「でも、紗由ちゃん、ほんまのお客様の前で言うてええかどうかは、じっちゃんや、おかんに聞いてからでないとダメやで。ええな」

「…ごめんなさい」自分がいけないことをしたのかと、しょんぼりする紗由。

「いいじゃないか、翔太くん。こんなに可愛い若女将姿を見られて、私は何だか得した気分だよ。ねえ、紗由ちゃん」


「先生が、ええ言うてくださるなら、ええんですけど…子供が働くのを喜ぶお客様ばかりではありませんから」難しい顔の翔太。

「そうね。翔太くんだって、接客する相手は選んで気を遣っているものね」

「こんなに可愛い子たちにおもてなしされたら、私は非常にうれしいですけどねえ。“大人”というのは、妙に気難しくて面倒だ」

 少し口をすぼめる有川に華織が言う。

「建造さんのような気のいいお客様ばかりなら、どんな商売も楽ですわね」

「それは、お褒めいただいたと素直に受け取ってよろしいんでしょうか?」


「建造さん、この着物ね、マダム花津が染色から手がけた一点ものですのよ」

 有川の言葉には答えない上に、まるで自分の作品のように自慢げに言う華織。有川も、そういう華織の話法に慣れているのか、動じもせずに会話を続ける。

「家内もファンなんですよ、マダム花津。薄紫の藤に、白と紫の菖蒲か…。元々美しい作品だが、紗由ちゃんのような子が着ると、いっそう引き立つ。うん、素晴らしい」

「おそれいりますぅ」紗由が首を傾けながら、可愛いポーズを取る。


「ですわよね? せっかくこんなに可愛い子なのだから、あまりお転婆にはさせたくありませんの。外務大臣の見張りなんて大役は無理そうですわ」

 華織が紗由の頭をなでながら、有川をじっと見つめる。

「そうですねえ。まあ、お転婆に関しては血筋というものの影響もあるでしょうし、あとは紗由ちゃんの意思次第でしょうね」

 有川の笑顔に、少しムッとした顔になる華織。

「さゆは、せが大きくなったら、みんながよろこんでくれる、わかおかみになるの。せが小さいうちはね、みんなのキャプテンでがんばるの。あとね、じいじや、とうさまや、たろちゃんのめんどうも、みないといけないの」

「総理と豆シバ犬を同列に語る女は君だけだよ、紗由ちゃん」有川がまじめな顔で言う。

「扱い方は大体一緒ですけど」微笑む華織。


「紗由ちゃん。おばあさまの面倒は見てあげないのかい?」

「えーと…」困った顔になる紗由。「さゆには、めんどうみれません。そーりだいじんの、じいじがむりなんだし…」

 隣で華織が咳払いをする。

「そうだよねえ。そう考えると、グランパはすごい人だねえ、紗由ちゃん」

「はい! さゆは、にほんでいちばんすごいのは、グランパだとおもいます」しっかりと頷いて、有川を見上げる紗由。

「同感だねえ。翔太くんはどう思う? そういえば、躍太郎さんは去年、ちょっと離れた所にホテルを開設したよね。いわば翔太くんのライバルだ」

「ええ旅館がどんどん出来るのは、ええことです。地域の発展いうやつになりますから。

 それに、グランパさんとこも含めて、この辺は皆、協力してるんです。急なお客を回しあったり。政治の世界で言うなら、超党派いうやつやて、じっちゃんが言うとりましたわ」


「なるほど。一蓮托生ということだね」

「いちれんた…くしょう?」意味がわからず、紗由が首をかしげた。

「仲間として、行動や運命を共にすることだよ」

「“なかま”は、ずっといっしょ、っていうことですね!」

「ああ、そうだよ」

「じゃあ、おじさまもいっしょ! “なかま”だもの」うれしそうに笑う紗由。

「紗由ちゃん…」


「ねえ、紗由。“仲間”だったら、してはいけないことは何?」

「うーん…」華織の唐突な質問に、紗由はしばし考え込んだ。「“なかま”のじゃまをしたり、しんぱいさせたり…」

「そうね、紗由。そのとおりだわ」華織はしゃがみ込み、紗由の頬をなでた。「そうよ。“仲間”を心配させるのは、とってもいけないことなの。建造さんも、そう思うでしょう?」


 紗由の頬をなでる華織の手を、ぎゅっと握り締める紗由を見つめながら、有川は少しためらいがちに頷いた。


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