21 揺らぎ
「ちょっと待っていてくださいね」
そんなことを言ってから、アリエルさんはキッチンで料理をしている。アーベルくんは、今日は帰らないらしい。となると、今晩は二人きりということになる! なんという強運!
俺は待っている間、リビングから見えるアリエルさんの後姿を眺めたり、家の中をきょろきょろと見回したりする。
あまりすべきではないとわかっていても、気になるものは気になるのだ。そもそも、現実世界でもこんな経験は一度もなかった。だから、仕方がなかろう。
そんな言い訳を自分にしながら、台所から漂ってくる香りを楽しむ。
「やっぱり、忙しいんですよね。アルマの使徒様は」
アリエルさんがカウンター越しに、躊躇いがちに尋ねてきた。やや上目遣いになっているのが、なんとも愛らしい。
「どうでしょうね。忙しい人もいれば、そうでない人もいるかもしれません」
「ふふ、そうですね。私にはわかりませんが、使命があるのでしょう?」
俺が与えられた役目と言えば毎週行われるPvPに参加することくらいだろう。
もう三度行われていたが、このことに意味を見出せはしなかった。PvPといっても、俺はすでにパーティには関わらず、一人で徘徊するだけになっていた。そして敵を見つけ次第、たった一人で立ち向かうのだ。だから、相手がmobか対人かというだけで、やることに変わりはない。
「俺もよくわかりませんよ。そもそも、アルマの騎士と言われても、なんのことやら」
「私たちを、守ってくださるのだと、お爺さんが言っていました」
アルマの使徒が遣わされるのは、百年に一度あるということだから、二つ上の世代はその話を経験者から聞いたことがあるのかもしれない。
それにしても、守ってくれる、というのは妙な言い回しだ。町の人はほとんどプレイヤーとのかかわりはないだろう。そもそも役割であるPvPに参加しているときは、どこか離れたフィールドにいるため、ここの人々とはまったく関係がないはずだ。
ならば、後のアップデートでなにかがあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、アリエルさんが料理を運んできた。
そしてささやかな晩餐会が始まる。
俺は早速、料理に手を付けていく。家庭的な料理など、口にしたのはいつぶりだろうか。
「とても美味しいです。上手なんですね」
「ありがとうございます。お口に合うか心配だったので、そう言っていただけてほっとしました」
食事中アリエルさんはにこにこと笑顔で、日常の他愛もない話をしては盛り上がった。
きっと家庭を持てばこんな状況も珍しくないのだろう。そんな風に思ってしまうくらいには、俺は浮かれていたのかもしれない。
けれど、やはり俺はプレイヤーで、彼女はそうではない。この意識がある限り、距離が縮まることは難しいに違いない。
「それじゃ、そろそろお暇しますね。あんまり長居しても迷惑でしょうし」
「……はい。お気をつけて」
アリエルさんは少し寂しそうに、別れの言葉を述べた。
大して時間は経っていないし、もう少し長くいてもよかったかもしれない。けれど、そうすれば俺の決心はますます揺らいでしまうだろう。だから、プレイヤーとしての俺が必死に急かすのだ。さあ、狩りに行けと。お前のすべきことはそれだけなのだと。
もしかすると、俺は恐れていたのかもしれない。唯一の誇れることが、失われてしまう気がして。もう異世界に来た今となっては、なんの役にも立たない矜恃だというのに。
迷いを消すように、俺は夜の街へと飛び出した。
†
再び第十三エリアに戻ってきたときには、すっかり闇に包まれていた。山中ということもあって、明かりなしでは付近の状況はほとんど把握できないだろう。
俺は舌を鳴らして反響音から周囲を判断しつつ、慎重に歩いていく。細かい凹凸まできっちり把握するのはなかなか難しく、木の根が入り組んでいるここでは転んでしまう可能性もあった。
パーティならば、誰か一人が明かりを持つという選択もあるだろう。しかし、ソロではそんな余裕などありはしない。
俺はそれでも躊躇せずに、弓を取り出すなり矢を放った。
暗がりの向こうにいるジャイアントラビットに命中。すると向こうもこちらへと飛び込んでくる。どうやら暗闇だろうがよく見える目、あるいはよく聞こえる耳をもっているようだ。
俺はすかさず死者の槍を取り出し、敵の接近に備える。
大きく、敵が跳躍した。俺はすかさず斜め前方に踏み込み、槍を横薙ぎに振るった。ジャイアントラビットの後ろ足に引っかけ、一気に打ち上げる。
体勢が崩れた大ウサギは、頭から大木に突っ込んでいった。どん、と大きな音が響き渡る。
すかさず俺は突きを繰り出し、後ろから首の付け根を一気に貫いた。赤黒い血が噴き出した。
それでも敵は必死に体を動かし、俺を翻弄せんとする。
だから俺は距離を取るなり、武器をボーンクラッシャーに持ち替える。そして大きく振りかぶるなり、「ステップ」で距離を詰め、すかさず打ち下ろす。
この衝撃にはいよいよ耐え切れなくなったのだろう。もうジャイアントラビットが動くことはなかった。
獲得経験値 47.3
次のレベルまで 634.4
相変わらず効率はよろしくない。しかし、完全に全域を探しきったわけではない。もしかするとなにかあるかもしれない――そんな期待をしなければ、やっていられなかった。
と、しばらく狩りを続けたときのことだ。
向こうにぼんやりとしたもやのようなものが見えたのだ。
すわ、プレイヤーか。俺は身構えながら慎重に距離を詰めていく。すると、その正体が明らかになる。
青白い炎が、人の姿を模っていた。いわゆる人魂というやつなのかもしれない。
落ち武者のような鎧を纏い、辺りを徘徊しているようだった。
俺はすかさず意識を集中させるが、ウィンドウは生じない。どうやらmobではないようだ。しかしだからといって、心霊現象なんかではないだろう。ここに実在するということは、おそらくクエストかなにかだ。
これは当たりかもしれない。おそらく、明かりをつけていれば見つけることはできなかっただろう。そう考えると、俺の判断は間違いではなかったのかもしれない。もちろん、ただの偶然にすぎないのだが。
俺はずかずかとそちらに近づいていく。
「あのー、なにかお探しですか?」
落ち武者の霊は俺に気が付くと、徘徊を止めてこちらに向き直った。
「お主……わしが見えるのか?」
「ええ、もうばっちりと。これでも視力はいいほうなんですよ」
「そうか……ならば丁度良い。聞いてくれ」
そう言うなり、落ち武者は語り始めた。どうにもクエスト依頼人は勝手に話を進めるきらいがあるようだ。そんな厚かましさがなければ、人に依頼することなんてできやしないのかもしれない。
「わしはその日も戦場にいたのだ。……重大な一戦だった。敵将を討ち取れば勝利が近づくはずだった。しかし、わしは敵を討ち取れはしなかった。ゆえにわれらが主は命を落とし、一族郎党皆殺しに……いかようにして、この恨みを晴らそうか」
テンションが最高潮に達すると、血走った眼を俺に向けてくる。
「おお、おお、そうじゃ。ここには新鮮な肉体があるではないか。もはや悩むことはない。感謝するぞ若者――」
言い終えるなり、落ち武者が俺へと接近してくる。
やられてたまるものか。すかさず俺は死者の槍を構え、武者目がけて勢いよく振るった。
が、穂先は落ち武者の体をすりぬけ、突如視界は暗転した。
そして気が付いたとき、俺の目の前には、戦場が広がっていた。




