第51話 特別な存在
水城院財閥のプライベートポリスが特殊回線を繋いで連絡を取り合い、水城院だと名乗った男の指示に従って街中を駆け回ると、後部座席のドアが片方だけ吹き飛んだ黒い車が乗り捨てられており、助手席には後頭部をケガして気絶している男性を発見する。
「こちらB班! 誘拐犯の車を確認。人質は放置されたままです。直ぐに救急車を手配します。我々は…了解…万が一に備えてこのまま人質となった男性に同行します」
「おいおい。いいのか? この近くに誘拐犯が隠れたのは明白なのに…」
「指示に従え。雇い主の命令だ…」
「…了解。……あ、すんません。救急車を寄越してもらえますか? ケガ人1名、頭から出血しています。意識はありませんが息はしています。場所は……」
「…何? そんなところで? 本当か?」
「救急車の手配終わりましたよ!」
「どうやらこちらも方がついたようだ。D班のポイントで誘拐犯を確保したそうだ…」
「はいい!?…いやいや、どうしてそんなところで…いったいどうやって?」
「…さてな……ふっ、我々に命令を下した少年は、相当の切れ者かもしれんな…」
「スピード確保でしたね…」
「油断するなよ。誘拐犯の仲間が後何人居るかもわからんのだ。お前さんにボスから、高い給料を払っているのだから愚痴を零さず真面目に仕事をしてくれ。だとよ…」
「…何で俺のことまで、どっかで見てるような指示飛ばして来ますね。気持ち悪い…」
「水城院家は能力主義だ。次代当主様は、源治郎様以上におっかない方かもしれないな」
それから数分後に救急車が到着しプライベートポリスの2人は水城院家の少年の指示に従い病院まで同行することになった。
水城院家の息が掛かった病院。
水城院 幸作さんの誘拐事件で片耳を負傷した僕は、しばらくの入院を余儀なくされていた。思い出したように耳の傷が疼き、気分が悪くなって来るが、幸いにもしっかりと療養すれば後遺症はそれ程残らないと言われた。
片耳が聞こえないと不便なので、音のダメージを可能な限り軽減する方へ耳を向けたのは正解だった。我ながらよく計算し、判断したと思う。頭もフル回転させたせいで今はもう何も考えたくないところだが…。
「君は本当に凄い子だね…幸守君……」
隣のベッドに寝かされていた幸作さんに話しかけられてしまう。しばらくは、私服姿のプライベートポリスにガードをお願いしているので僕が同室になる必要は無かったと思うのだけれど、纏めて同じ部屋にされるのは当然の配慮か。
耳が痛くて聞こえない振りは…。
したらダメなんだろうなぁ…。
「…恐縮です…でも、たまたまですよ…」
「たまたまかい? たまたま、金属バットの威力を殺すように腕で受け、人の急所を確実に打ち抜いて1発KOし、弾丸を避けたり、棒で弾いたり、大したたまたまもあったものだね幸守君……本当に君は天才なんだね…」
唯香にでも聞いたのかな?
この人、最初の1発で伸びていたし。
「………僕は……天才ではないです……」
凡人だからこそ、それなりの努力はしたつもりだけれど、それでも、本物の天才であるナユタには及ばなかった。彼女こそ天才だ。
「まだお礼を言ってなかったね。私と唯を助けてくれてありがとう。ははははは、唯ともども私まで君に命の借りができてしまった。これでは、君に娘はやらんなんて…流石にそんなことは言えないね……ぐすん…」
何故に涙目?
「いえ! いえいえいえ!? あだっ……そ、そんな風には思っていないですし、借りなんてそんなの…僕は源治郎さんから貰いっぱなしですから……貴方が、席を譲ってくれたから、僕は生きて来られました…」
だから、貰い続けているものを返すつもりで、この命を使ったまでだ。
僕だけじゃない。ナユタもそうだ。
「謙遜は美徳だがね。英雄がいつまでも憂いていては格好がつかないだろう?…」
「…英雄だなんて…過大評価ですよ……」
「私も唯も…父も、そうは思っていないと思うがね。君がここに居てくれて本当に良かったと思うよ。命拾いしたよ。ひょっとして君は柴神さんのお弟子さんか何かかい?」
トラウマ級の名前が飛び出して来た。
不意打ち過ぎて変な汗が出て来た。
「柴神師範を知っているんですか? 柴神師範は…そうですね。まあ、僕とナユタの居た孤児院で護身術と称して自分の武術を子供たちに伝授したい、ちょっと変わった人でした。僕はそっちの方の才能は微妙だったので、あの人の弟子というわけではないですよ…」
自らそう名乗るのは流石におこがましい。
まあ、僕とナユタは特別可愛がられていた記憶があるけれど。今だけは感謝しておこう。本人にありがとうなんて言うと調子に乗って僕らを再び可愛がりかねないので言葉には絶対に出さないけれどね。
「そっちの方の才能はね……」
「あっ…いえ…どの才能も微妙です…」
「謙遜は美徳だがっ!!」
「はい! 僕は才能結構ありました!」
いきなり大声を出さないでほしい。耳が痛いし病院の人たちに迷惑がかかるし、幸作さんの頭の傷にも響くだろう。
「よろしい!…私はね…子離れする気など毛頭無いのだよ!」
「え?…な、何の話ですか?…」
「唯の話だよ!」
それはわかりますよ?
「まだ、子離れするつもりは毛頭無いが、あの娘を命懸けで守った君になら、将来あの子を嫁がせても良いと考える…」
「はいっ!? あいだっ!……」
耳がズキンズキンと痛む。
「あの子が君を好きになった理由も、こうして直接君を見て、その才覚と、その行いを知って、私も君という男を、どうしようもなく認めてしまった!……いつか誰かに…娘を託すのだとしたら、私は君がいい…」
「………そ、それは、その……すみません僕…唯香のこと振っちゃって…」
「そうかそうか。どうえっ!? うちの娘が世界一可愛くないと言うのかこのクソ餓鬼! 耳より先ずは目を治してもらいなさい!!」
「いえ! 唯香さんは世界一可愛いと思うので世界一可愛い美少女は、ちょっと僕には釣り合わないかなと思った次第です!!」
「なるほど君は謙虚だねぇ!!」
「お褒めに預かり光栄です!!」
「お静かにぃいい〜!!!」
「「すみません…」」
看護婦の方からお叱りを受ける。この人は本当にあの唯香のお父さんなのだろうか。確かに唯香も怒る時はこうして声が凄く大きくなったりするけれども…。
そもそも、幸作さんてこんな人なのか!?
源治郎さんの息子さんというイメージから、もっと威厳のある人を想像していた。
「……………………………」
黙っちゃったよ! 看護婦に怒られて!
何だかシュンとしていて可愛いけど!?
「…娘はダメかね?………」
また話しかけて来た。そりゃ、寝るか話をするくらいしか今はやることが無いからね。
「いえ、その、えっと………」
こんな話を幸作さんにするのか?
しなければ、永久に尋ねて来そうではある。
僕は観念して話し出す。
「……源治郎さんと幸作さんが、縁を繋ぎ直して、幸作さんが水城院家の後継者として戻ったら、僕はそのまま水城院家を出て行くつもりだったんです。…だから、その…必ずやり遂げると決めた目的を果たすまでは、源治郎さんの安全と、それ以外のことは…全て考えないようにしていたというか……」
「では、やり遂げたのだね?」
「…やり遂げた?……いえ、結局、僕は何もやり遂げられず、唯香に僕の存在理由を消されてしまいました……」
「……………………………」
「そして、新たな存在理由を与えられた…」
「それは嫌かね?」
「恐れ多いんですよ。自分が源治郎さんの跡を引き継ぐだなんて、恐れ多くて…」
「そうかい? 君は充分に多くの人の上に立つ資格を持っていると思うがね…」
「そんなことは…」
「この私の言葉では説得力が無いかもしれないね。だが、水城院 源治郎が選んだのが君だとするならばどうかね? 君は、私の父の目も信じることができないのかね?…父は耄碌していると思うかね?」
「その言い方は卑怯だ……」
「そんなことは無いと思うがね。子供たちに悟りを与えてやるのは大人の役目だよ。まだまだ自信が足りないと言うのであれば、それを身につけて行けばいい。君はまだ学生なのだから、焦らずにゆっくりと成長して行けば良いと思うのだがね…」
「…唯香を成長させるんじゃダメですか?」
「あの子に君のような才能は無いよ。水城院家の後継者とするには、足りないものが多過ぎるだろうからね。何たって私の娘だ! でもね。才能だけが人の魅力というわけではないだろう? あの娘には、水城院家を継ぐ気など微塵も無いだろう……だがもしも…」
「…………………………」
「もしも君が、あの子をずっと傍に置いてくれるというのならば…あの子は全力で君の支えになるだろう。そういう子だ……」
「…………………………」
「そういう子に育てた覚えはないのだが! 父にも母にも似ずに本当に立派な娘に成長してしまった。小さい頃は、大きくなったらお父さんと結婚すると言って婚姻届に名前まで書いたんだ! それなのに、それなのにっ…」
この人、大丈夫なんだろうか?
「そ、それは可愛らしいエピソードで…」
あっ、唯香……。
佇む唯香に気付かずに語り続ける幸作さん。
「そうだろうそうだろう!? だから、いずれ幸守君に唯香が、あんなことやこんなことをされると思うと、お義父さんは正気ではいられないかもしれないが、断腸の思いであんなことやこんなことを許す!! だから、もしもその時は、あんなことやこんなことをした感想を是非、後でお義父さんにぃ…い……」
幸作さんも唯香の存在に気付いたらしい。
お見舞いに来てくれたようだ。
「ふんっ!」
「止せ娘よ! お父さんは今頭を何針も縫っているからして、それを打ち落とされたら傷口がプシャーって開いてしまう!!」
「ゆ、唯香…落ち着いて足を下ろそ?…」
「ふしゅ〜…ふしゅ〜…ふしゅ〜……」
凄い呼吸してる。怖い。
「そりゃそんな予定もあるけれど!!」
「やっぱりあるのか娘よ〜!??」
これ、僕が聞いていていい話なの?
体温が急上昇してしまった。唯香程ではないとは思うけれど、ここは一先ず耳の痛みがぶり返した体で、気絶でもしておいた方が良いのかな? 後で唯香に何か尋ねれても聞かなかったことにした方が世界が平和になりそうだからね。
「予定通りに行くように、私だって精一杯幸兄を誘惑するつもりだけれど…でも……」
何何何何何!? 何で涙目なの唯香さん?
「…私に言い寄られるのは…嫌?………」
「…(おい小僧、唯を泣かせたら殺すぞ)」
いや、断れないよ! 幸作さんがこっちを鬼の形相で見て来ているんですけれども!?
今初めて、この顔ができる幸作さんは唯香のお父さんなんだなって実感が持てました!
「…い、嫌じゃない! 嫌じゃないけど、恋愛って今まで全部何も考えないで、僕には一切関わりの無いものとして処理して生きて来たから僕にはそこら辺経験値が足りないし…正直、よくわからない…」
「嫌じゃないのね! 言質取ったからね!!」
「………………………」
「経験値が足りないなら私が稼がせてあげるんだから! とりあえず、看病は全て私に任せてもらうわよ!」
「えっ!?」
「唯? お父さんは?」
「お父さんはもう退院だって! だから、もう家に帰ってくれて大丈夫よ! ここからは、若い2人に任せてどっか行ってて大丈夫! というか邪魔だから、さっさと帰ってお母さんにでも慰めてもらってよ!」
「幸守君、慰めてくれるかい?」
「幸作さんお気を確かに!?」
灰になって風に吹かれて消えて行く幸作さんの幻影を見た気がした。
「カーテン敷くわよ!」
「えっ、お父さんまだ幸守君との話が…」
シャーっと、上から吊るされたカーテンで部外者の目をシャットアウトする唯香。まだ幸作さんは何か言っているが、そんなことは気にも留めずに白く狭い逃げ場の無い密室で唯香が僕に迫って来る。
今はそこそこ大ケガしているケガ人だから痛いのだけはやめてほしい。
「……幸兄!」
「は、はい………」
唯香の頬がどんどん赤く染まって行く。
「改めて言わせてもらうわね…」
「……………………………」
「私のことを何度も何度も助けてくれてありがとう! お父さんのことを助け出してくれてありがとう! 感謝してもし切れない…」
「それは当たり前の…」
「当たり前じゃないわ。当たり前のことをされただけで、どうして私が…こんなに苦しい想いをさせられなきゃならないのよ?」
「唯香…どこか痛めたの?…車から、強引に引っ張った時だね!?…その、ごめっ…」
謝罪の途中で人差し指で唇を押さえられる。そして、僕が黙り込んだ後で、そのまま手のひらを自分の胸に当てて見せた。
「バカ…苦しいのはここなのよ…謝るくらいなら…幸兄が空けたこの穴を埋めてよ…でも…幸兄からは、できないんだもんね?…だから私は…私から伝えるの……」
「…………………………」
「私は幸兄のことが好きです。1度振られてはいるけれど、私は絶対諦めないから! もう私を、女の子として見れない言い訳も、恋愛感情を抱けない言い訳もできないんだからね!」
それは、その、そういうことになるの?
僕はこれまで、ずっとそうやって…。
恋愛できない理由を作り、盾にして来た。
「幸兄からは無理だって言うなら! 私が! 幸兄に好きになってもらえるように精一杯頑張るから! だから、これからも、私のことを…ちゃんと見ていてくれますか?…」
「違うんだ唯香…僕は……本当の僕は…」
大切な人ができるのは怖いことだ。
その人を失う恐怖に僕は怯えている。
大切な人を失うくらいなら、自分が犠牲になった方がずっと楽でいい。僕はそのことを知ってしまっている。あの時死ぬべきだったのは僕だったって、だから誰も、本当は特別な存在になんかならないでほしかった。
でも、今はもう、僕には特別だと思ってしまっているものがたくさんある。
痛い。頭痛がする。記憶が混濁している…。
僕は何を考えている?
見知らぬ感情が不意に飛び出す。
「怖いんだよ!…唯香を失うのが、怖い…」
「………………………」
「これ以上大切だって思いたくない!!…僕は、大切なものが無くならないようにって、いつも怯えているだけの、情けない男だ…」
「そんなことないよ…」
「そんなことある……僕のことだ…」
「だったらもう、幸兄は私のことを守ってはくれないの?」
「……それは…………」
「わがまま言ってごめんね。幸兄が隣に居て、いつでも私を守ってくれていたから、私はこんなにも安心している。安心して新しい生活を送ってこられたんだね。気付くのが遅くなってごめんね! もっと早く、幸兄に伝えられたら良かったよね! 幸兄は皆を守ってあげられる強い人なんだよって、私ならもっと早く幸兄に伝えられたのに……」
「…どうして…唯香が泣いているの?」
「私はもう、幸兄抜きの生活なんて考えられないわ! だってそんなの、怖くて怖くてたまらないもの!…私だって嫌よ! 私だって幸兄と同じなんだから! 私の大切な人になったくせに! 勝手に居なくならないでよ!!」
「……………………………」
「凄く辛いけど! 私のことを好きになれないならそれでもいいから! せめて、ここに居てよ! 特別に思えないならそれでもいい!…だから、水城院 幸守はやめないで! どこにも行かないで……私の幸兄で居てよ!…」
「………………………」
「私に…同じ思いをさせたいの?…」
大切を失う辛さを…。
僕が1番、理解していたはずなのに…。
「……………ご、ごめん………」
そんなつもりじゃなかった。
こんなはずじゃなかったのに。
「傍に居るって言って!!…どこにも行かないって言って!!…私のことを…置いて、行かないよね?……ゆきにぃ……」
「……………うん………」
僕は自分が1番恐れていることを、大切な人に押し付けようとしていたのか?
そんなことが許されるはずもないのに。
嗚呼、そうか。
水城院 幸守はもう、消せないのか。
途中で退場することなんてできなかった。
僕はそんなことにも気付いていなかった。
まだまだ、学ばなければならないことがたくさんあるんだな。君の隣に居れば、僕はもっと多くのことを学んで行けるのだろう。
「傍に居る?…」
「…うん。傍に居る」
「どこにも行かない?…」
「…どこにも行かない」
「私は幸兄の特別になれる?」
「…もう、なってるよ……」
だってもう、僕は縛られていなかった。
僕の生きる意味を唯香が打ち砕いたから。
それでも僕は動けたじゃないか。より一層強く唯香を守ろうと動けたじゃないか。怖いならば守ればいい。これまでそうして来たように守ればいい。自分の命1つだけ、守らなきゃならないものが増えただけだ。
たったそれだけのことじゃないか…。
「…私……幸兄に、恋しても…いい?…」
「……な…難攻不落の要塞らしいよ?…」
どこかのメイドさんがそう言ってた。
小悪魔な同級生の紅一点もそう言ってた。
僕が困ったようにそう言うと、泣いていた唯香はようやく僕に笑顔を見せてくれた。
「絶対に私が落としてやるわよ!!」
「………………………」
「…だから…覚悟しておいてよね!」
「…うん」
「幸兄っ!…大好き!」
「………………………」
難攻不落の要塞が聞いて呆れる。
もう落とされてしまいそうだ。
僕もいつか誰かを…こんな風に……。
…そんな日が…訪れるのだろうか…。
心の傷が癒え、男の勲章が増えた。
そして僕は、きっと、恋を知っていく。
そんな予感がそっと過る。
夏の日の物語だった。




