第4話 再会
僕はとある部屋のドアの前にやって来ていた。
確かここが彼女、源治郎さんの孫娘である水城院 唯香お嬢様に割り当てられた部屋だったはずだ。流石に、僕が使用している部屋からは離れた位置にある。当然の配慮だろう。
ナユタが源治郎さんに頼まれて念入りに部屋の掃除をしていたことを思い出す。念入りにとは言っても彼女は普段から清掃業者が介入する余地すら無い程、最高の仕事をする使用人だ。
わざわざ念を入れる必要も無いと言えば無いだろう。どこもかしこもピカピカだ。輝き過ぎていて眩しいのでもう少し手加減してくれてもいいくらいだ。
変態ではあるが、ナユタは源治郎さんが認めている一流のメイドさんなのだ。当然、僕も彼女のことは凄い人だと思っている。彼女の好意にも当然気付いているし、こちらも好意が全く無いとは言わない。だが、彼女は自他共に認める生粋の変態さんなのだ。変態さんじゃなければ本当に完璧だったのにね。
よし、ナユタも必死に働いているのだから、僕も僕の役目を果たそう。
「失礼します」
そう言って唯香お嬢様のお部屋へ足を踏み入れた僕は、少しだけ期待していた。
ネタバレになってしまって申し訳無いが、唯香お嬢様が着替え中だったらラッキーなんて不埒な期待とかではない。断じて否だ。源治郎さんの孫娘さんだなんてそんなの気にならないはずがない。
漠然と『お嬢様』のイメージを膨らませていた僕の視界に入ってきた光景は…。
「お初にお目に……」
「………へっ!?…」
静止する刻。刹那の硬直と直後の震え。
真っ赤な顔で困った顔をしているお嬢様。
そして僕は、目を逸らすこともせず、出会してしまった本日2度目となる可愛らしいツインテール美少女の着替え中を目に焼き付け、生涯忘れはしないだろうと思う。
「わ、忘れろバカぁあ~ぁ!!」
回避はできたがしなかった。
したら、絶対に許されない気がしたからね。
とっても刺激的な本日2度目の邂逅だったという。
水城院家 現当主、水城院 源治郎さんの書斎にて。僕と源治郎さんと、顔を真っ赤にしたまま犯罪者でも見るような目で僕を睨むツインテール美少女の唯香お嬢様が柔らか高級ソファーに仲悪く座っていた。
仲悪くと言っても、これは僕と唯香お嬢様の事であって源治郎さんには当てはまらない。
原因は何だろうな。まあ、考えるまでもないことだろう。誠心誠意謝罪はしたし、代償も支払った。一応、形の上では許してもらい、今は許したが未来永劫の変態野郎認定はさせてもらうからね。という視線だけが僕に深々と突き刺さっている状況である。これは、うん。仕方無い。
全部、事を急いだ僕が悪い。
ナユタの部屋に入る際、ノックなんて必要ありませんよ幸守様ぁ! とナユタに言われてから、女の子の部屋に入る時、ノックは必要無いと刷り込まれていた僕が愚かだった。
ノックという人類が編み出した愛すべき文化を怠るようになっていた僕が、全て悪いのだ。
下着姿まで見てしまったのだから、これは仕方の無い痛みだ。ヒリヒリするが、ひっぱたかれた頬にナユタが湿布を貼ってくれたので今はだいぶ痛みが落ち着いて来ている。
それにしても、女性の平手とは思えない殺意の籠もった重い一撃だったな。世界を狙えるビンタだ。
「幸守、その頬の湿布はどうかしたのか?」
ゆったりとしているが威厳のある老人の声色で源治郎さんが隣に座る僕に尋ねてくる。嘘など吐きたくはないけれど、ここは打ち合わせ通りに行こうじゃないか。
「こ、これですか? これは、階段で滑って転んでしまって、ノンストップで下まで転げ落ちてこの有り様でして、ヒリヒリしますが問題ありません! 多少は鍛えているので!」
お孫さんの下着姿を拝んだら、頬が腫れ上がる程強烈にぶっ叩かれました。とは口が避けても言えない。最も悪いのは僕だが、頬が腫れる程の暴力を振るった唯香お嬢様も、微塵も悪く無いとは言えない状況である。
唯香お嬢様は、どうやら黙っていてくれるらしい。彼女も彼女で初日からお屋敷に滞在している人間に暴力を振るったとあっては、あまりにも源治郎さんへの第一印象が悪過ぎるだろうからね。有り難い限りだ。
全くの偶然だが、今朝は彼女がひったくりに遭ったのを目撃し、頼まれたわけではないが一応助けに入った形にはなっていた。初対面で好感度を上げておいたのも幸いしたのかもしれない。人助けはしておくものだね。
黒髪をサイドでツインテールにして結んでいる整った顔立ちの美少女。水城院 唯香お嬢様。この子と会うのは、本日2度目ということになるのだろう。
まさか、この子が水城院 唯香お嬢様だとは流石の僕も思わなかったよ。
「お祖父様、このスケっ!…男の人は何なんですか? お屋敷の執事さんですか?」
スケベと言いかけたな! 僕はスケベじゃないぞ! とは言い切らないけどね。男なんて大なり小なり性欲を持て余しているものだ。僕だって例外ではないと思う。
「幸守、先程は挨拶を済ませると言っておらなんだか? 自己紹介は、まだ済ませていなかったのか?」
「ええ、まあ… 色々ありまして、とりあえず源治郎さんの所までご同行願いました…」
気不味い空気だ。
自己紹介というか、先に弁明をしようと思ったんですけどね。弁明をする前に、1発KOのビンタが飛んで来ましてね。防御も回避もしてはいけない気がしてぶん殴られましたよ。これも悟りというのでしょうか。やられる悪役の美学が少しだけわかった気がします。
流石に、そのままふっ飛ばされて爆発しなくてはいけない気はしませんでしたけどね。
それで丸く収まるなら、とりあえずは最善の選択肢だったのではないかと自負してます。
「ならば、先ずは自己紹介しなさい幸守」
「はい。源治郎さん」
黒髪ツインテールのお嬢様に向き直る。
水城院 幸守は、真面目な優等生である水城院 幸守という男の自己紹介を開始する。
自己紹介に当たって、僕はきっと彼女に恨まれてしまうのだろうけれど、それも仕方の無い事だろうと思う。いずれこの日が来ることは理解していたんだ。心の準備だって、ずっと前からできていた。問題は無い。
「改めて、初めまして」
スッと軽く頭を下げて僕は言葉を続ける。
「僕の名前は水城院 幸守。執事ではなく一応、源治郎さんの養子ということになっているけれど、僕のことは執事だと思ってくれても構わないよ。よろしくね」
源治郎さんに会うのも初めてということなので僕の存在など知る由も無いだろう。
形だけの養子だ。僕に水城院家を継ぐ気は無いし、僕は本当の後継者が現れるまでの繋ぎとしてこの場所に居るだけの存在だ。
僕は水城院 幸守という名を与えられたが、水城院家の異物であることは事実だろう。心優しい源治郎さんは、身寄りの無い僕とナユタを孤児院から引き取り、このお屋敷に住まわせてくれている。僕らは、いずれ水城院家を出て行く事を定められている人間だ。
この名は、ただの借り物だ。
自分の考えを伝えると、源治郎さんは酷く怒るので、僕はその結論を心にしまったまま、学園を卒業するその日までは、水城院 幸守と名乗り生きていくつもりだ。
水城院 幸守は源治郎さんの息子さんの代替品である。
独り立ちして、水城院家を出たら、必ず源治郎さんに恩返しをする。水城院 幸守である以上、今の僕は可能な限り水城院家に迷惑をかけない生き方をして行く。そう決めている。
「養子? お父さんは、死んでませんよお祖父様っ!? どうしてこんな、養子なんか…」
心は痛むが、こんな男と言われる程度の男であることは事実だ。怒りを覚えたりはしない。彼女の怒りも、悲しみも、当然のものだろう。苦笑いで誤魔化しておこう。
「唯香…」
源治郎さんに睨まれた黒髪ツインテールのお嬢様はビクッと肩を軽く上げて黙り込む。
「………………………」
自分がここに居てはならない存在だという自覚はある。源治郎さんには、本当の息子さんが居るのだから…。
だから僕は、源治郎さんにとって都合の良い代替品になると決めている。要らなくなればいつでも捨ててくれて構わない。僕に使い道が無くなれば、いつでも僕はここを去ろうと思っているよ。でも今はまだ、その時ではないのだろう。だから僕は、今はまだこの場所を去ることが出来ない。
すまないとは思うよ。
僕の苦笑いを見て唯香お嬢様が一瞬申し訳無さそうな顔をするが、彼女がそんな顔をする必要は無い。間違っている存在は、僕の方なのだから。
間違って生まれて来た生命だ。
僕という存在は、端から、誰にも、生きることを望まれてなど居なかった存在だ。
源治郎さんの前じゃ、言えないんだよね。いずれ必ず僕はここを立ち去るって事…。
源治郎さんが孤児だった僕を引き取って育ててくれているのは、源治郎さんが訳あって絶交してしまったという息子さんの代わりとしてなのだ。
僕は息子さんの代わりなのだ。そして、いつでもこの席を、ここに座るのに相応しい誰かに譲るつもりでいる。
それは、君なのかもしれないね。
悪運があるのだろう。僕の生活は源治郎さんのおかげで良い方に一変したけれど、僕という偽者の存在では、源治郎さんの心を埋めてあげられるような存在には成り得なかった。他人である僕には不可能な事だ。
もし、源治郎さんの息子さんであり、唯香お嬢様の父親である彼が、源治郎さんと仲直りして親子の関係に戻れたのなら、僕は喜んでこの仮初めの居場所を捨て去ろう。
唯香お嬢様が、仲違いしている源治郎さんと息子さんを親子の関係に戻そうとしているのならば、僕も全身全霊で協力しよう。
源治郎さんの本当の幸せを願う。
僕は今、その為にここに存在している。
他の全ては、何ひとつ重要ではない。
だから、無力な今の僕は…。
『水城院 幸守』を演じるしかないんだ。
唇だけ動かして、唯香お嬢様に伝える。
後で、僕の事情を話すからと…。
互いの自己紹介。今後の学園生活に関してから、お屋敷で暮らすためのおおまかなルールについてまで、取り急ぎ話しておかなければならないおおよその説明を終えた源治郎さんは僕と唯香お嬢様を自室である書斎から退室させた。
結局、源治郎さんと唯香お嬢様の父親とのいざこざについては話してはくれなかった。
源治郎さんと息子さんを仲直りさせる方法を探している僕がどうしても得なければならない情報。孫娘である唯香お嬢様にならば、教えるかと思ったけれど…。
そう簡単にはいかないか…。
「いずれ出て行くよ。必ず…」
自室に向かい花柄絨毯の廊下をしばらく進む僕と不機嫌そうな唯香お嬢様。前を歩く彼女に僕は先程言いたかった事を呟いた。
振り返る彼女。その表情は穏やかではない。当然のように睨まれる。その目は確かに語っていた。お前は私の敵だ。邪魔だ。この世に、必要の無い存在だ。
キツいな。でも、事実だから仕方無い。
苦笑いで誤魔化しておく。
「僕の存在が気に入らないのはわかるけど、もう少しだけ待ってほしい…」
現状では、ここから出て行ったとしても何ひとつとして解決の術が無い。僕が消えても、新たな『水城院 幸守』が僕のお世話になった孤児院から選ばれるだけだろう。
そして、その新たな仮初の息子が源治郎さんの恩を恩で返すかはわからない。だったら、この役目は他の誰かではなく僕が果たす。僕は受けた恩を恩で返す。
「僕にはね。源治郎さんに返したい恩があるんだ。命の恩だ。それを返すためにここで生きている。君にも迷惑をかける事になるかもしれないけれど、約束するよ。必ず、源治郎さんと君のお父さんを親子の関係に戻すよ。 そのために僕はこの命を使っているから…」
「…何、言ってんのよ? 意味わかんない」
「そうだろうね…でも、いずれわかるよ。僕は、君の敵じゃない。…それだけ、信じてくれると嬉しいな…」
言うだけ言って彼女から離れて行く。
自己満足で終わらせはしないさ。
だから、信じてほしい。
いいや、信じてもらえなくても構わない。
為すべきことを為すだけだ。
それが、僕がここに存在する意味だから。
水城院 幸守が立ち去った後。廊下に1人佇む黒髪ツインテールの少女。水城院 唯香は現状を理解できずにいた。水城院 幸守という存在も、祖父の考えも、自分がここへ呼ばれた意味も何ひとつ説明されていなかった。
私を助けてくれた男。本来お父さんが居るべきだった場所に居座る男。親子の関係を修復すると私に向かって断言した男。説明が足りない。意味がわからない。
「私は、アナタがわからない…」
独りで小さく呟く唯香の後ろから、気配を殺した何者かが声をかける。
「お話は終わりましたかお嬢様ぁ~?」
振り向くとそこには、陽気な声色の緑髪メイドさんが笑顔で私を見詰めていた。神出鬼没という言葉をこの不気味な使用人の少女に贈ろうと思う。ビックリさせないでほしい。いちいち心臓に悪い。
「だっ、大体は…それよりもナユタさん…いいえ…な、ナユタ! さっきはよくも私に恥をかかせたわね!?」
自分を見詰めていた可愛らしいメイドさんの目が、今はもう全く笑っていなかった。
怒気すら感じ取れる程に…。
「な、何よ?…」
野生の肉食獣が目の前に居る。背筋が凍るような錯覚を覚える。鳥肌が立ち、全身が危険信号を発して身震いする。
「ナユタはアナタが嫌いです。幸守様は…優しい方です。あの方に非なんてありません。その曇ったままの瞳で幸守様を見続けるつもりならば…ナユタは幸守様のメイドとして唯香お嬢様に一切容赦は致しませんので……では~、失礼します…」
スッと頭を軽く下げて、氷のような気配を纏った緑髪のメイドが姿を消した。
容赦はしないと脅された唯香の瞳が揺らぐ。
恐怖が身体を強張らせていた。
使用人の少女は本気の目をしていた。空気から伝わるものだ。何を犠牲にしても、あの少年を守り抜くという強い意志。それは、人ひとりを怯えさせるには充分な脅迫だった。
「何よ…何なのよ! この家の人たちは…」
これじゃあまるで、今ここにある平穏を崩しに来たのは私の方じゃない。私の方がよっぽど悪者みたいだ。
居心地が悪い。
私は、何故ここに来たのだろう?
新天地。高校生活の幕開けは、水城院 唯香にとって期待と希望に満ちた気持ちの良いものではなかった。それよりも大きな不安が心に覆い被さってしまっている。
「お父さん…お祖父様…私はここで、何をすればいいのよ……ねえ、誰か教えてよ…」
少女から零れた言葉が、長い廊下の先へと消えていった。




