第45話 無差別な優しさ
「待ってって、言ってるのに……」
取り残された少女の瞳から涙が溢れる。
「え?…何?…つまり、私…………」
その意味を理解して目尻が更に熱くなる。
「…幸兄に…振られたの?………」
これが失恋。勢いに任せて早まった真似をしてしまった。初めて味わう胸の痛みで、水城院 唯香はその想いを伝えた義兄の後を追うことができなかった。追うのが怖かった。
水城院 唯香ならば、捻挫した足の痛みなど無視して彼を引き止めたはずだ。
引き止めようと伸ばした腕が、敷かれたマットの上に力無く落ちる。
「…………………………」
今1番叶えたい願い。
それが叶わなかったから。
こんなに涙が溢れて止まらないのだろう。
自分はもう、こんなにも彼が……。
「じゃあ、どうして…こんなにっ! 私の心を貴方で埋め尽くしたのよ!! バカっ…」
それからしばらく身体はピクリとも動くことはなく、涙だけが枯れるまで流れ続けた。
無差別な優しさが人を傷つけることもある。
踏み込み過ぎてはいけないと、僕は理解していたつもりなのに、爪痕を残すような真似はしてはいけなかったのに、上手くやれていると思っていたのに、失敗ばかりだ。
何もかもが、上手く進んでくれない。
時に優しさは不幸を生む。
「お帰りなさいませ幸守様ぁ〜!!」
「…………………………」
自室に戻った僕を緑髪のメイドさんが待ち構えていた。
水城院 ナユタ。僕を慕う女の子。
ナユタにも、僕は優しくしてはいけない。
そうすることで気持ちが離れ、やがてはどうでもいい他人へと変わって行くから。そうなってもらう必要がある。だって僕は、僕という存在は、ただの演技なのだから…。
水城院家の人間として好青年を演じるためには優しさを振りまくしかない。水城院家に迷惑をかけないための演技だ。
それなのに、その偽りの優しさで、水城院家にとって大切な存在である源治郎さんの孫娘の唯香と、お屋敷の全てを任されている守りの要であるナユタを振り回してしまった。
義妹と幼馴染との関係は円満に。
けれども近付き過ぎずに、いつ居なくなってもそこまで気に留められない距離をキープする。そんな無理難題な矛盾を抱えている。
さあ、どう挽回すればいい?
「……幸守様?………」
どうすれば、無かったことになる!?
「…教えてくれないかな? ナユタは…どうしたら僕のことが嫌いになるの?…」
「…唯香様と何かありましたか?」
見透かされたような質問が返って来る。
「答えてよ…」
「そうですね〜。真面目に考える価値が無いので考えたことすらありませんが、ナユタに幸守様のことを嫌いにさせたいのであれば方法は1つなのかもしれませんね!」
「どうすればいいの?…それは、他の人にも通じる手段なの?……」
「誰にだって通じると思いますよ!」
そんな夢のような話があるのか。
「先ず、タイムマシーンを作ります!」
「………え?…」
「それに乗り込み、ナユタと幸守様が出会う前に戻してください! その後はただ、ナユタのことを一切気にかけずに、泣いていようが独りでいようが、徹底的に無視を続ける人生をやり直してください! それで、ナユタが幸守様に恋する可能性は消え失せますよ!」
初手で詰んでいる。まさに夢のような話だ。
「……その他の方法は?…」
「あるわけないですよ。今更、無かったことになんてできません!」
「…人生をやり直せるなら、僕はナユタのことも、唯香のことも、助けたりはしない。そんな道を選べるのに……」
「本気で言ってますか幸守様?」
「………本気だけど?…」
「いえ、幸守様は何度人生をやり直してもナユタを助けてしまいますし、唯香様のことも助けてしまうと思いますよ。唯香様に惚れられるのも時間の問題でしたが、唯香様が思いの外チョロい娘でナユタは焦っています!」
「ほ、惚れられるって…僕は別に……」
「ナユタが何年、幸守様だけを見続けて来たと思っているのですか? 幸守様のことであるならば、どのような変化も見逃しませんよ。ナユタの目の黒いうちは、絶対に幸守様を1人にはさせません。ナユタがずっと、幸守様を支えます! 何があろうともです!」
「それを止めてくれって、頼んだら?…」
「お断りしますね〜。幸守様はもっと、自分の行いに責任を持つべきです!」
「それを、君が言うの?…」
「ナユタは自身の行いに責任を持って行動しているつもりですよ〜! 幸守様に惚れられて、お嫁さんとして迎えられた暁には、その後のことは全てナユタ1人だけでもどうにかして幸守様には、異世界人もビックリな理想のヒモ生活を御提供致します!」
「そこまでのダメ人間にはなりたくないな」
「でしたら、そうはならないように、頑張るしかないと思いますよ。幸守様がこれまで頑張り続けて来たように、幸守様は幸守様の理想に向かって走り続けるしかないのです!」
「ナユタがそうであるように?」
「そうです!!」
「君は、報われないのに?…」
とても酷いことを口にしてしまった。
口にしてから後悔してしまう。
「おかしなことを言いますね〜? 誰がどう見たって、もうナユタは報われています。だってナユタはこうして、幸守様に助けていただき、最高の恋をして、毎日をこんなにも楽しいく生きているではありませんか! ここは既に、ナユタが死ぬまで居たい場所ですよ!」
「……でも僕は、ナユタを幸せにはしてあげられないんだよ!!………」
「でしたら、ナユタのことは幸せにしていただかなくても結構ですよ…」
「…………え?……」
「ナユタが幸守様を幸せにしますので!!」
「………………………………」
「幸守様は幸守様のやりたいに、安心して走り続けてください! 当たって砕けて立ち上がれなくなったとしても、何でもできるこの無敵のパーフェクトメイド、ナユタが最後は必ず幸守様を幸せにしてみせますから!」
何だよそれ。何なんだよ。
何でこんなに、僕は安心しているんだよ!?
何でこんなにも、かつて君を振ったことを、後悔しなくちゃならないんだよ!?
本当は僕だって、大好きだったのに!!
かつて大好きだった人の前で、泣き出すなんてみっともない。そんな恥ずかしい姿はナユタには絶対に見せちゃいけないはずなのに。
ダサい。なんてダサい男なんだ。
「ナユタのこんな胸でよろしければ、いくらでもお貸ししますよ幸守様。おっぱいにはリラックス効果があるそうなので! 思う存分この幸守様専用メイドの胸で一休みしてくださいませ!」
そう言いながら、ナユタが僕を抱き締めて自らの胸に僕の顔を埋めてくれる。僕はそれを拒めない。それを望むように、彼女に甘えてしまい、その温かな身体を抱き締めてしまった。突き放さなければならないと思い、突き放そうとしたその女の子に、こんなにも寄り掛かってしまっている。
「僕には僕のやりたいことが、やらなきゃならないことがあるんだよ! それなのに、どうして皆、僕を放っておいてくれないんだ!」
「それは、幸守様と同じですよ。放っておけない特別だから、関わりを断ち切るなんて考えもしないんですよ。だって、考えても幸兄様にはできませんよね?…幸守様は、水城院 幸守を演じている気になっているだけです」
何をわけのわからないことを…。
「最初から幸守様はこうでした。成長して多少性格に変化があったかもしれませんが、根本は何も変わっていませんし、人はそう簡単に変わったりはしないんですよ…」
「………………………」
「誰よりも優しい貴方だからこそ、源治郎様は幸守様を見付けてくださったんです。何者でもない貴方が、水城院 幸守として優しさを振り撒いているなんて勘違いですよ。幸守様は最初からずっと…お人好しでした…」




