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第41話 初恋


水城院 唯香は歩きながら自分の背後を見る。


3人で歩くことになったハイキング初心者コースだったが、義兄は私が和奏と気兼ね無く楽しめるように気を遣って少しだけ離れた位置から私たちの後を追って来ている。


別に隣を歩いてくれても構わないのに。


「私たちの街と空気が全然違いますね! 森林浴って言うんですよね? 虫さんも思ったより寄って来ないですし、こうしてユイと一緒にお散歩するのは楽しいです!」


「そうね。お祖父様に頼んで特別に取り寄せてもらった強力ムシクルナーズと虫除けスプレーのおかげね。でも、あんまりはしゃいで転ばないようにね和奏」


「大丈夫です! 転んで足を挫いてしまった時は幸兄さんが負ぶさってくれます!」


「…それは、そうかもしれないけれど、なるべくそうならないように気を付けましょうってことよ!…私たち、遺憾なことに結構幸兄に迷惑かけちゃってるし……」


かけられてもいるからお互い様とも言えるけれど、それでも迷惑をかけている以上に大きな借りが彼にはある。


どれだけ彼のやらかしたラッキースケベを水に流してあげたとしても、命を救われた借りには到底見合わないだろう。全く、どうしてあの男はもう少し注意力を働かせることができないのだろうか。


不覚にも、彼のことを格好良いと思うことは何度もあったというのに、その数だけ情けない姿も見せられて来た。貧乏くじを引きがちな人だけど、それでも腐らずに他人のために何かができる優しい人だということも知っている。気配りもできるし、何より私にとても良くしてくれる。


私が彼を嫌に思うようなことがあっても、彼が私を嫌うようなことはなかったと思う。内心は何を考えているのかよくわからないことも多いけれど、でも…。


「幸兄さん!」


不意に和奏が後ろを向きながら後方歩きし、彼に向かい笑顔で大きく手を振った。


彼はそれに気付くと優しく微笑み、肩の前で同じように手を振り返して来る。


「私とユイが2人で初めての森林浴を楽しめるように気遣ってくれていますよね? 幸兄さんはやっぱり理想のお兄ちゃんです!」


理想の兄。


そうではあるのかもしれない。


和奏の評価もとても高い。和奏にこんな兄が欲しかったと言わせるだけの兄を熟しているとは思う。お祖父様の指示だから仕方無くしているだけ、にしては気合が入っている方だとも思うし、大切にされているのがひしひしと伝わって来る時点で良い兄なのだろう。


「ユイ! 幸兄さんは、どんな女の子が好きなんだと思いますか?」


「えっ!? な、何よ急に………」


こちらに来て初めてできた友人。今では大の仲良しになった、いつも一緒に居る親友が突然そんなことを聞いて来た。


ドクンドクンと妙に心拍数が上がる。


ハイキングの最中で、普段は歩かないような道を歩いているから多少息を切らしていたのもあったのかもしれない。それでも…。


何故、不安な気持ちになったのだろう?


「和奏もしかして…そうなの?…」

「どうなの? ですか??…」


「ゆ、幸兄のことが…好きなの?……」

「私ですか? はい! 大好きですよ!!」


自分の胸に手を当てると、不安は更に大きくなりモヤモヤした感情が膨れ上がる。今までに感じたことの無い未知の苛立ち。これは苛立ちと言っていいのだろうか。私が和奏に苛立ったということなのだろうか?


そんなはずはない。


大切な無二の親友を、あのラッキースケベに取られることが許せないだけだ。


「じゃあ! こ、告白とか、するの??」

「…告白?………」


和奏が小首を傾げる。


ようやく気付いたようで、可愛らしい親友は顔を真っ赤にさせて手のひらを私の方へ突き出し、思い切り振りながら答える。


「ちちち、ちがっ…違いますよ! 理想のお兄ちゃんとしてという意味で…異性として好きという意味では……ないのでしょうか?」


和奏は本当に可愛らしい女の子だ。その仕草1つ取っても、女の私でも、あまりの可愛らしさに思わず抱き締めたくなることがある。


「し、知らないわよ。…でも、そう…なんじゃないかしら…理想の兄としてっていつも言っていたし、異性としてってわけじゃないんじゃ…ないかしら?…」


「そ、そう…ですよね!??……」


私は何を安心しているんだろう。


「で、でも…いずれ男の人と、お付き合いすることになるのだとしたら…私は幸兄さんのような優しい人とが良いです…えへへ〜…」


私は何故また不安になっているのだろう?


「そ、それってもう…好きなんじゃ?…」

「ち、ちちち、違います! だって……」


和奏が更に顔を真っ赤にする。


「お、お付き合いしたらエッチなことをたくさんするって新園先輩が言ってました! 私はまだ、そういうことは早いと思うので!!」


「するわけないでしょ!?」


「えっ!? そうなんですか!?…」


不味い。もしもこれが、和奏にとってのストッパーになっていたのだとしたら…。


「で、でも!?…優しい人程、付き合い出したらオオカミになるって聞いたことがあるかもしれないわね!?…幸兄って、その典型かもしれないわね!??……」


いや、そんな話は聞いたことが無いけれど、作った嘘を親友に吐いてしまうなんて、私は何を必死になっているのだろう?


「幸兄さんはオオカミ人間さんです!?」

「そ、そうよ。食べられちゃうわよ…」


「……………じぃ〜……」


和奏が再び後方の幸兄を見詰めるが、今度は手も振らないし、ジッと見詰めるだけなので手を振られるのかと思い一瞬だけ手を上げた幸兄が不思議そうに小首を傾げていた。


代わりに私が軽く手を振ってみる。


普段ならこんなこと、しないのに…。


幸兄は私にもちゃんと微笑んで、手を振り返してくれた。見ていられずに私は直ぐに真正面に向き直り、歩行速度が少しだけ加速してしまう。


「わっ、ユイ? ちょっと速いです〜」


「あっ…ごめんなさい。その、そこに変な虫が居たから、早く離れたくて…」


「変な虫さんですか? 大丈夫です! 虫除けスプレーの効果が切れてきたのかもしれないですね! 私がもう1度かけますね!」


「え、ええ…ありがとう和奏!」


2人で立ち止まると、和奏はリュックサックを下ろして中から虫除けスプレーを取り出して目を瞑った私に向かいかけてくれる。


幸兄の足音が止まっている。幸兄も待ってくれているみたいだ。だから、そんな後方を歩かなくても隣を歩いてくれていいのに…。


でも、そう言うのは何故か負けた気がして素直に言い出せない。そんなの、私がお願いしているように聞こえちゃうわよね?


それは、違うんじゃないかしら?


「虫除けスプレーかけ終わりました!」

「ありがとう! 和奏も追加しとく?」


「では、お願いします!」

「お願いされます」


和奏がギュッと目を瞑り両腕を開く。


私は彼女の顔にかからないように注意しながら虫除けスプレーを噴射して行く。


突然の足音。


近付いて来る方向。少しだけ余所見をして、チラッと幸兄の方へ視線を向けると…。


「唯香ぁああ!!?」


叫びながら本気で走り込んで来た幸兄が私に向かって飛び掛かって来る。突然の出来事に驚いて私は目を瞑りながら反射で腕を前に出すが、幸兄が私に飛びかかることは無く…。


「くっ!!?…このっ!!」


「な、何よっ!?」

「幸兄さん!?」


心臓に悪い! 本当に何なのよ!??


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…唯香…和奏ちゃん……刺激しないように、進んで…」


幸兄がハイキングコースの道の先を指差す。


「だから…何!?…え?…」

「へ、ヘビさんです!!?」


決して小さいとは言えない銭形模様をした赤褐色のヘビが舌を出し、明らかに私たちを敵と認識して威嚇して来ている。


「はぁ、はぁ、はぁ……あっぶなっ…ほら、早く行って…ニホンマムシだ。猛毒があるから噛まれたら即病院送りだよ……」


「噛まれたらって幸兄まさかっ!?」


「大丈夫だから、ほら…早く……なるべく飛び出した枝には近付かないようにね…」


「………ゆ、ゆきに…」

「ユイ! 行きましょう!」


和奏に手を引かれて逃げるようにその場から立ち去ると、幸兄もそれを確認してから警戒を解かずに地面に置いたままの和奏のリュックサックを拾い上げて、冷静にその場から撤退した。遅れて合流するまだ息を切らしている幸兄が私の肩を掴む。


「唯香!? 大丈夫? 噛まれてない?」

「え、ええ…大丈夫よ……」


「和奏ちゃんも大丈夫?」

「はい。怖かったです!」


幸兄に向かい抱き着いた和奏に再び嫌な感情が溢れ出る。和奏が麦わら帽子の上から幸兄に頭をポンポンされ、慰められている。何でもないことのはずなのに…。


「…良かった…ハイキングコースの注意事項に書いてあったと思うけれど、飛び出た枝には近付いちゃダメだよ…」


「はい! すみませんでした!…」


「次からは気を付けようね。はい、和奏ちゃんリュックサック…」


「ありがとうございます幸兄さん!」


和奏が幸兄からリュックサックを手渡されて再びそれを背負うと、彼女が見せていた先程の不安が嘘のように消えてしまっていた。


何があっても守ってくれる兄。


和奏にとっての理想のお兄ちゃん。


だったら、私にとっての幸兄って何?



「幸兄腕! 思い切り腕をマムシに向かって突き出してなかった!?…本当に、幸兄こそ噛まれてないでしょうね!?」


「えっ…う、うん。大丈夫。袖の先を噛まれたけど…布だけで済んだみたい、外傷は無いよ。僕もなかなか悪運が強いね〜」


「……また、幸兄はそうやって…何で私のためにそこまでしてくれるのよっ!??」


何で私は、必死に助けてくれた彼を怒鳴ってしまっているのだろう? 何で??


何故、いつもこうなのだろう?


「何でって…大切だから…だけど?……」


「…ば、バカ!…バカバカバカ!!…」


気持ちの整理が追い付かない。


彼の顔を見る度に、顔が熱くなって行き、心臓の鼓動がどんどん早く、大きくなる。


和奏が幸兄をどう思っているのか?


じゃあ、私は彼をどう思っているのか?


考えてしまった。


考えて、考えたら、気付いてしまった。


私は義兄として彼を見ていない。


私は1人の男の子として幸兄のことが…。


………………そうなの?………。


「えっ!!? ちょっ、何でっ!?」

「ユイ!?」


気付けば私は2人を置き去りにして、その場から逃げるように駆け出していた。


真っ赤になっている顔を見られたくない。こんな顔幸兄にも和奏にも見せられない。気持ちを伝えなくたって気付かれてしまうから。鈍感そうな幸兄はともかく、和奏には直ぐにバレてしまうと思ったから…。


大丈夫。合流ポイントまで走って、そこで皆を待つ間に、頭を冷やせばいい。こんなものはただの吊り橋効果だ。


恐怖による心臓のドキドキと、恋愛による異性へのときめきを同じものだと錯覚させられているだけ。ただの素晴らしき勘違い!


「違う違う違う!!…私は………」


幸兄のことが好きなわけじゃない!


だって、凄く嫌っていたじゃない!


彼は、私のお父さんが居るべき場所に居座っているだけの他人で、悪い人で…。


本当に、心臓に悪くて仕方が無い人で…。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


彼は義兄よ。兄なのよ!!


私は、何を考えているのよ!??


でも、本当の兄ではない。血も繋がっていないわけで、きっと結婚もできるし、その気になれば、彼の赤ちゃんを授かることもできるだろうと思う。私が幸兄のお嫁さんになったら幸兄が水城院家に居てもおかしくは…。


「はあぁ〜っ!? なっ、何!? 何考えてんのよ馬鹿なの私は!!?……」


私ってそこまで幸兄を意識していたの!??


そりゃ、他の男子より格好良いし、凄く優しいし、頭もいいし、少し情けないところもあるけれど、それはそれでかわいいし…。


「嗚呼あああぁあぁ〜!?!??」


考えれば考えるだけ脳が幸兄に支配されて行くのが理解る。勘違いしているだけだと言い聞かせているはずなのに、冷静に考えても結局のところ結論は変わりそうにない。


「私…わたしは……幸兄のことが……」



「唯香!? 待ってってば!!?」


気が付けば、逃げて来たはずの彼に腕を掴まれて引き止められそうになる。彼の足がとても速いことを忘れていた。私はまだ気持ちの整理がついておらず、その腕を強引に振り払って再び走り出そうとする。逃げても追いつかれるのは理解しているつもりなのに。


もっと、速く! もっと速く前へ!!


「んっ!??」


グキッという音がして、私はバランスを崩して過呼吸になったまま地面に倒れ込む。


「唯香っ! だ、大丈夫!?」

「……いっ!……あっ、足…捻った……」


「ごめん! 僕が無理に手首を掴んだから、それでバランスを崩して…本当にごめん!…足首見せて……」


「い、いいわよ…幸兄のせいじゃない…」

「足首を見せなさい!……いいから…」


「…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…………」


この足ではもう逃げられない。


私は言われるままに頷いて、捻ってしまった方の足を幸兄の方へ向ける。彼は直ぐに私の靴下を下げて容態を確認してくれた。


「大したことは無さそうだけど、これから腫れて来るかもしれない。そうだ……」


幸兄は自分のリュックサックから水筒を取り出すと、広げたハンカチに向かって中に入っていた麦茶ごと半分程固めていた氷を取り出した。そのまま麦茶の氷をハンカチで包み込んでから私の捻った箇所に優しく当てる。


機転の利く対応力を見せる。


本当に、頼りになる人だと思う。


「痛っ!…ううぅ〜………」

「ここで和奏ちゃんが来るのを待とう…」


「……わ…和奏を置いて来たの!?…」


「和奏ちゃんに追いかけてくださいって言われたんだ。飛び出た枝も、足元も気を付けて追いかけますって……それよりも、唯香のことが心配だったんだと思うよ…でも……」


「……………………………」


「そうだね。僕は女の子を1人置き去りにして来てしまった。ごめん……」


それは幸兄のせいじゃないでしょ!!


私が身勝手なことをしたせいだ。


私が悪い! そう言いたいのに、言えない。


私と和奏の二者択一。私を選んでくれたことが嬉しくて、何も言えなくなってしまう。友を置き去りにして、こんなことを考えてしまうなんて、私はなんて酷い友人なのだろう。


「…ご、ごめんなさい………」

「そうだね。和奏ちゃんに謝らないとね」


俯いて涙を堪える。


「…よしよし……」

「……………………………」


頭を優しく撫でられる。撫でないで。


私はそんなに良い子じゃない。


こんな素敵な人を、その事情も何も知らないまま、敵だと認識して、身勝手に遠ざけて、嫌な女だ。本当に可愛くない。


それなのに幸兄は、私のことを絶対に諦めないで優しく接してくれた。


好きに、なっちゃったじゃない!!


心がそれを、認めちゃったじゃない!


「…ごめんね唯香…あっ、つい……」


撫でてくれていた手が引っ込められる。


どうして止めてしまうの?


「その…嫌いな男に介抱されるのは嫌かもしれないけれど、ケガが悪化したら僕も困るしここは我慢してもらって…」


「……じゃない……………」


「……え?…唯香?………」


「嫌いじゃない!!」


泣き顔で彼のことを見詰める。


幸兄は、困った顔をしていた。


「嫌いじゃない! どうしてテストで当たり前のように100点取れるくらい頭が良いのにそんなこともわからないのよ!! 何でそんなにバカなのよ!?」


「…えっ??…ば、バカでごめん……」


「本当にバカ! バカ! バカバカバカ!!」


「………バカでごめん…………」


何が何だかよくわかっていないが、謝るしかない彼が何も反論せずに謝罪だけして来る。


「本当にバカ!!…わたしの、バカ……」


「…唯香は…頭、良い方だと思う、よ?」


何もわかっていない。鈍感男。朴念仁。


そうよね。お屋敷に務めているあの幼馴染だというメイドが年がら年中好きだとアピールしても落ちないような男だものね。女の子をものにしようなんて下心で幸兄が動いていたのを見たこと1度だって無かったものね。


幸兄は、そういう人なんだ…。


「…泣きたいから胸貸して、貸してっ!」


「…えっ!? 僕の胸、汗臭いかも?…」


「いいから貸してよ! お兄ちゃん!!」


「………うん。いいよ……」


卑怯だ。断れない言葉を選んだ。今の私には言葉を選んでいる余裕なんて無い。兄だなんて思っていないのに。1人の男性として見てしまっているくせに、それを今ここで伝えてしまったら断られるって理解しているから伝えることができなかった。


こんな可愛くない女の子が告白して…。


振られるならば、まだ良い。


でも、受け入れられてしまったら……。


きっとそれは、私のことが好きだから受け入れたわけじゃないと思う。源治郎お祖父様の言いつけが、そうさせてしまっただけだと思うから、私はまだ貴方にこの気持ちを伝えてはいけない。振り向かせてからじゃないとこの気持ちを伝えちゃダメなんだ。


彼の胸の中で泣きながら想いを殺す。


頭を撫でてくれる幸兄の優しさに、しばらく泣き止むことができなかった。


私は…この人に……恋をしたんだ。




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