第42話 チークキス
何もわからなかった。
僕の何が唯香を悲しませたのか?
水城院 幸守は、何を間違ったのか?
僕は彼女を本当に守れているのだろうか?
物理的には及第点か?
本当か?
精神的には、どうなのだろう?
どう見ても、ダメそうだ。
「ユイ〜! ぜぇ、はぁ、はぁ、はぁ…」
「和奏! 良かった。無事で…」
僕の胸でしばらく泣いていた唯香に突然胸を突き飛ばされて、もう大丈夫と言われてから唯香は捻った足首に力を入れて無理矢理立ち上がり涙を拭いて和奏ちゃんを待った。
その数秒後に、ニホンマムシに全力で警戒しながら慎重に後を追って来たであろう和奏ちゃんが僕たち2人に追いついて、唯香と和奏ちゃんは強く互いを抱きしめ合っていた。
「心配しましたよユイ!」
「ごめん! ごめんね和奏!…」
「どうして走ったんですか?」
「後で言う…幸兄のいないとこで…」
「…えっと……お邪魔なら、さっきと同じように後方に控えていることもやぶさかではないのだけれど…と、言いたいところだけれど…これ以上唯香のケガを悪化させるわけにはいかないからね…ほら、乗って…」
僕に背負われるなんて屈辱。穴があったら入りたい。とでも思っているだろうけれども他に選択肢は、たぶん無い…。
僕はしゃがみ込んで唯香を待つ。
「ケガしたんですかユイ!?」
「少し足を捻っただけ…別に……」
強がって自力で歩こうとするよね。
理解っていたことだけれども…。
「い、痛いから…幸兄を頼る……」
「……っ!?!??……」
理解っていたこととは!?
素直に頼ってくれるのは、説得する手間が省けて僕的にはだいぶ助かるけども!??
「はい! それが良いと思います! 幸兄さんのリュックサックと、ユイのリュックサックは私が持ちます! お任せあれです!」
それは、ちょっと和奏ちゃんには厳しそうだなと思う。やる気は買うけれど。
「大丈夫。前向きに背負い込むし、唯香のリュックサックだけお願いできるかな?」
「こんな時くらい頼ってほしいです!」
「頼りにしてるよ。だから、途中で唯香のリュックサックが重いと言っても、僕は持ってあげないからね?…」
というか、リュックサック2つと唯香の組み合わせでハイキングは僕の腰が限界だ。僕はそれ程筋肉ムキムキではないからね。こんなことになるならば、もう少しだけ鍛えておくべきだったかもしれないけれど…。
照明君か将隆君を呼びに行って、唯香を背負ってもらうというのは…何故だろう…。
それは何となく嫌だな。
気合を入れてお兄ちゃんを頑張ろう。
「よいしょっと…唯香……」
「な、何よ……」
「意外と軽い…」
「意外とって何よ! メイドと違ってあまり胸が成長していないから軽くて良かったわね! でも残念だったわね! メイドと違って胸が小さいから、背中に押し付けられても大して何も感じないでしょうね!!…」
唯香に思い切り胸を押し付けられる。
神様!? 何が起こっているのでしょうか!?
「い、いや、柔らかいよ??…」
「あっそ! 良かったわね!!…」
「……ほぇえ〜? 私が、後方3メートル?…」
「隣に居てくれていいから!?」
「お邪魔じゃないからっ!?」
「ユイと幸兄さんは仲良しさんです!」
何故だろう。唯香から刺すように放たれていた僕への敵対心を今は全く感じない。こんな場面ではゴミを見るような目とともにいつでも放たれていたはずなのに、何故かな?
声は大きくなっているけれど、その声色から怒気をまるで感じない。
「…幸兄の汗の匂いがする………」
「えっ、そ、それは…我慢して…」
「別に嫌いな臭いなんて言ってない…」
「…そ、それならよかった…よ?……」
「落ちないようにもう少し強くいい?」
「えっ、は、はい…首絞めなければ…」
「絞めないわよ…幸兄のバカ……」
「うん………」
「あの! 私お邪魔でしょうか!?」
和奏ちゃんが挙手しながらそんなことを言って、唯香に向かって話を続ける。
「私、幸兄さんの居ないところでユイに言われることが何となくわかった気がしますが、それは幸兄さんには教えられません!」
「わ、和奏! 本当にダメだからね!??」
「えっと…唯香が僕に知られたくないことだと言うなら別に無理に聞く気はないけど?」
えっ!? 和奏ちゃんは唯香の何にそんなにあっさり気付いたというのだろうか??
いやいや、いけない。
今は唯香を無事にハイキングコースの合流地点まで運ぶことだけに集中しないと。ハイキング初心者コースはもう既に8割程は来ているはずだから、戻って救急車を呼ぶよりも上に上がり切ったところにある小さな売店で応急処置した方が良いはずだ。
下りはロープーウェイもあるし、その方が唯香に負担をかけずに済むだろう。
「幸兄…私の汗ついたら、ごめん…」
「唯香の汗なら気にしないよ?…」
「……私が…気にするのよ……バカ…」
「…………………………」
その後もやけに唯香から声をかけられ、耳元で擽ったい思いをしながらも、残りのハイキングコースを彼女を背負ったまま踏破した。流石の僕も足と腰に来ているが、それよりも優先すべきは足を冷やす氷の補充だろう。
兄としてできる限りのことはした。
ハイキングからのピクニックは中止して、僕と唯香はロープーウェイを利用してハイキングコースの入口まで戻り、手配していたタクシーで最寄りの病院へ行くこととなった。
唯香には大げさだと言われたけれど、源治郎さんから頼むと任されている孫娘さんだ。
残りの4人には悪いけれど、僕は唯香のことを優先して動くと決めている。
和奏ちゃんのことは将隆君に丸投げしておいたのでたぶん大丈夫だろう。毎度頼り切ってしまい悪いとは思うけれど、事情を話したら一言任せろと言ってくれた。
唯香にとっては嫌な思い出になってしまったかもしれないけれど…。
病院で治療を受けた唯香が松葉杖をつきながら待合所で待機する僕に近付いて来た。
「唯香、どうだった?」
「軽い捻挫。大人しくしていれば直ぐに治るって、幸兄は大袈裟なのよね…」
「そんなことは無いと思うけど…大切な人がケガをしたら心配にもなるよ……」
ベシッと松葉杖で頭を叩かれる。
「あだっ!? ゆ、唯香さん!?」
使い方が間違っていませんか!?
だいぶ手加減してくれてはいたけれど、病院の人に見られたら怒られちゃうよ!?
「幸兄にとっての大切な人って誰?」
「えっ!? それは、唯香と…源治郎さんとナユタ、新園さん、マサ、和奏ちゃん…一応テルもカウントして…あとは……唯香のお父さんかな?…」
「何でパパなのよ。気が早いわよ…」
「…なんて?」
「何でもないわよ!」
一時はどうなることかと思ったけれど、1度泣いてスッキリしたのか、今ではいつも通りの唯香に戻っていた。
「幸兄、ちょっと中腰になって!」
かかと落としを決めやすいようにですか?
せめて、足を直してからにしませんか?
「こ、こうでしょうか…」
「丁度良い位置に来たわね!」
マジで蹴り沈められる5秒前!
僕はグイッ目を瞑る。華麗なる、脳天スラムダンクが、炸裂していっ……ちゅっ……。
「…ん?……んんん??…」
ほっぺたに柔らかい感触と、唯香の残り香を微かに感じ取る。僕は今、彼女に何をされたのだろうか?
「…その…お礼……勘違いしないでね?…」
僕はほっぺたに手を当てる。
「…唯香、今?………」
「お、お礼だからっ! 兄妹ならこれくらいのスキンシップはする!…らしいのよ!!」
「そ〜なのっ!?…そ、それじゃあ、僕も和奏ちゃんのほっぺたにしなきゃなの?」
唯香に笑顔で胸ぐらを掴まれる。元気いっぱいで何よりだ。精神の方は既に完全復活と言っていいだろうと思う。
「冗談だよ!? 冗談なんです!」
「和奏にはダメ! 和奏がしてほしいって言ったら、その時はしてあげたら? ただし、その時は私も幸兄のことを容赦無く………これ以上はネタバレになるからやめておきましょ」
「ネタバレしてください怖いから!!」
僕はどう咎められるのでしょうか!?
「嫌よ。とにかく! どうしても女の子のほっぺたにキスしたくなったら、その相手は私にしておきなさい! その、許可も無く私からしちゃったわけだし、私も幸兄にされるなら、嫌とは言わないから…」
「今のところ特に予定は無いんだけど…」
「はいダウト! あのメイドとは、こっちでチュッチュッ、あっちでチュッチュッしてるくせに嘘吐くんじゃないわよ!」
「いいぃい〜!?? し、してないよ!…たまにハグすると何だかよくわからないパワーが充電されるとかで、その協力を少しだけしている程度なんだけど…」
「ああ、あれね! じゃあ私もメイドにするくらいのペースで充電してもらおうかしら?」
「僕にいったいどんな不思議パワーが!?」
足でも速くなったりするのだろうか?
それはドーピングと言わないか心配だ。
「幸兄、1つだけはっきり言わせてもらいたいことがあるのよね! 耳をかっぽじってよく聞いておいて!」
「み、みみみと言われても、かっぽじる道具がここには無いんだけど??」
「忘れたら死刑だから!!」
「罪が重くないかな!?」
唯香は凄い良い笑顔だった。
「私、今のところは、幸兄に何をされても、幸兄のことを嫌いになる予定は無いから…」
「そ、そりゃ今のところは…ね?……」
「あっそ! じゃあ、言い直すわ!!」
墓穴を掘った気配に満ち溢れている。
「私、幸兄に何をされても、幸兄のことを嫌いになることは無いから…着替えを覗かれても、バスタオル姿を見られても、頭を撫でられても、ハグされても、ほっぺにキスされても、その先を…されても……」
心なしか唯香の頬が赤いような…。
知らぬ間に、随分と好感度が上がってしまったみたいだ。これならば兄妹喧嘩で源治郎さんを心配させることも無いと見た!
「…そっかぁ〜………………………」
「………………………………………」
数秒間、脳が必然フリーズした。
その先とは何のことなのだろう?
「幸兄、今日は格好良かったわよ!」
「……あ、ありがとう?…」
こいつは社交辞令というやつである。
「訂正。今日も…格好良かった………」
「……う、うん……………」
うん? これも、社交辞令…なのか??
「さっ! コテージに戻りましょ!」
「え!? またタクシーを手配するから水城院家のお屋敷に戻った方がいいよ唯香?」
「嫌よ! せっかくの楽しいキャンプを私のせいで台無しにはできないわ。それに、ここでのこのこ家に帰るなんて終わり方。私は絶対に嫌だもの……私は無理してでもコテージに戻るけれど! 幸兄はどうするの? 私との思い出作りを続けるの!? 続けないの!?」
「……それは…………………」
「………………………………」
「唯香がまだ満足していないと言うのなら続けるしかない、かな……後で、源治郎さんに僕が怒られる気がするんだけど!?」
「怒られてよ! 兄さんでしょ!」
「世の兄ってこんなに理不尽なの!?」
理不尽に抗う世の兄に敬意を表するよ。
「私の義兄でいるのが嫌なら…そうね〜…私を…恋人にでもしちゃえばいいのかもね?」
「…ぇ………」
「何よ変な声出して…冗談よ……」
そりゃ1億年と2000年前から冗談だろうと思っていたけれど、冗談でも唯香が言わなさそうなことを言うから変な声も出るよ。
「ふ〜ん。幸兄は私が恋人じゃ不満なのね」
「滅相もないです! でも、龍の隣に並び立つのは虎だって昔から決まっていて、僕に虎の器があるかと言われると…ちょっと頼りないんじゃないかなと…」
精々、オオカミか?
「誰が龍よ!……いつも、頼りになってるじゃない…頼りにしてるんだから……だから、これからも私は幸兄を頼るからね!!」
「…が、頑張ります……」
「…よろしい……」
唯香が僕に微笑んでくれる。
僕の努力でどうにかなりそうな問題ならば、努力を惜しむつもりはない。この笑顔が失われないように、僕も頑張ってみるつもりだ。
何故だろう?
キャンプに出掛ける前の唯香より、今の唯香の方が断然可愛く見えてしまう。
いったい何が変わったというのだろうか?
確かに何かが変わった。
そんな気がした夏の日の出来事だった。




