第23話 インストール
和奏ちゃんは可愛いだけでなく、とてもユーモア溢れる女の子だったんだなと感傷に浸りながら帰路に着き、僕は夜の春風に吹かれながら水城院家のお屋敷に帰って来た。
「お帰りなさいませ〜! 幸守様ぁ~!!」
「ただいまナユタ。今日は色々と手伝ってくれてありがとうね。助かったよ」
出迎えてくれた水城院家のメイドさんに続いて、ロスタイムに入ってまで数学の勉強を続けていた唯香も、わざわざ一言僕に労いの言葉をかけに来てくれたらしい。
「お帰りなさい。幸兄…和奏を送ってくれてありがとう。それから、勉強も教えてくれてありがとう。ちょっと…見直したわ……」
怒っていない時は本当に可愛いのにな。
「そう? お役に立てたなら何よりだよ。唯香も勉強お疲れ様。頑張ったね」
と言いながら、頭を撫でる。…いいや無理に決まっているじゃないか。せっかくアドバイスしてくれたのにごめんよ和奏ちゃん!
普段は中間テストが近いからといって特にテスト前勉強をしたりはしないのだけれど、今回は後輩2人に偉そうに勉強を教えたこともあり、万が一にも情けない点数を取りたくはなかったので、僕も一応申し訳程度にテスト前勉強をしておこうと思う。
そうは言っても、教科書を全て見直しておくだけだけどね。
早速軽く自習をしようと思い、出迎えてくれた2人と別れて自室に向かう。1人静かな部屋で短期集中で終わらせてしまおうと思っているのだけれど、何故か気配が消えないな?
背後を振り返ると、自室へ向かう僕の後をついて来る義妹と緑髪のメイドさんの姿が…。
「2人とも、まだ何か用かな?」
「は、発展問題でわからないところがあるから、もう少し勉強を見てもらいたくて…」
「大したことではありません! 幸守様に飛びかかる隙を窺っていただけですよ~!」
よし、ナユタは無視しよう。そのまま一生隙だけを窺い何もしないでくれると助かる。
僕の予定は変更を余儀なくされたが、自分の勉強などよりも優先すべきは唯香の手伝いに他ならない。水城院家を継ぐ気が無い僕がいくら良い点を取っても将来的に無意味だ。
源治郎さんの血をきちんと継いでいる唯香が立派に成長する。そのサポートをすることこそが源治郎さんへの恩返しと言えるだろう。
「幸兄が良ければ、メイドがうるさいから私の部屋で続きをしましょ! 」
「んな〜!? 幸守様っ! これは巧妙な罠に違いありません! 一見、唯香様のお話しに性的な意味は無いように聞こえますが、怪しくない方が逆に怪しいパターンですよ~!」
何を言っているんだろうこのメイドは?
「せ、性的って!? 私はただ幸兄に勉強の続きを見てもらおうとしただけじゃない!」
だね。どう聞いても、それ以外無いね。
「そもそも僕と唯香は兄妹ということになっているし、唯香が自分の部屋に僕を呼べるのだって、全く微塵も僕のことを男として見ていないからだよ。ね!」
自信満々に僕はそう言った。
「………………そ、そうよっ!!…」
「何ですかその間〜!? 怪しいです!」
別に何も怪しい点は無いと思うんだ。
「怪しくないわよ! 大体、私は幸兄のことなんて全く微塵も好きなんかじゃ…………」
「どうしてそこで止まるので?」
赤面する唯香に疑惑の眼差しを向けるナユタだけれども、唯香が僕を男として見ていないなんてことは、この僕が1番理解していることだ。嫌われる要因ならいくらでもあったけれど、好かれる要因は無かった。
やらかしては謝罪の繰り返しで、ようやく人並みに扱われているこの僕を、唯香が性的な目で見るはずが無い。100%無い。
でも、兄としては、それなりに頑張っているつもりだったので、はっきりと嫌いだと言われるのは心に刺さるものがある。
「ごめん。唯香に嫌われているって自覚はあるけれど、こんな風に面と向かって言われると、流石にちょっと傷付くかな…」
「き、嫌ってないってば!!」
僕を傷つけまいと優しい嘘を吐かせてしまったことに罪悪感を覚える。せめて、利用価値のある兄として唯香の役に立とう。
「幸守様は唯香様には渡しません!」
ナユタに腕を組まれて、その豊満な胸で圧せられる。相変わらずの凶器だね!
「なっ! ハレンチな! 幸兄はアンタのものじゃないでしょ!? 幸兄が嫌がってるでしょ! 放しなさいよメイド!」
ごめんよ唯香。別に嫌がってはいないけれど、とても困ってはいる。思春期の男の子がこんな凶器で挟まれたら普通は昇天してしまうところだろうからして、理性を抑え込むのが大変なのだ。
「鼻の下が伸びていますので大丈夫です!」
「何鼻の下伸ばしてんのよ! 変態っ!!」
理不尽過ぎる。今日はちょっと良い感じに唯香の信頼を蓄積できた気がしたのに、こんな数秒で全部台無しなのだろうか。やはり、ナユタの豊満な胸は必殺の凶器に違い無い。
地道にコツコツ稼いだ僕の唯香ポイントが!
「いいから胸を押し当てるなっ!」
「悔しかったら唯香様も幸守様に押し当ててみては如何ですか〜。あっ、申し訳ありません。無いものは押し当てられませんね〜」
「無く無いわよ!! 後2年もしたら私だってそれくらいになるんだから!」
え? そうなの?? ナユタは特別大きいと思っていたけれど、後2年もしたら唯香もこんなにバインバインになるの?? そうなのかぁ…。
女体の神秘恐るべし…。
「幸守様はナユタの胸で癒します!」
「私の胸で癒すから間に合ってます!!」
唯香さん? ナユタに乗せられてない??
ペースを握られたら勝ち目は無いよ?
「幸守様の腕に抱きつくこともできない根性無しの唯香様には不可能ですね〜!」
「こ、このっ! 私にだってそれくらいできるわよ! できたら幸兄を借りるからね!?」
「良いでしょう。でしたら、妹らしくお義兄様に向かって可愛らしく上目遣いを決め、泣き落としのようなお強請りをして、腕にすがりつくことができたのであれば、今日のところはナユタが身を引きましょう!」
「やってやるわよ余裕よ! 余裕!!」
ダメだ。ここはもう完全にナユタのテリトリーに入っている。ナユタがルールであり、ナユタが審判であり、ナユタが神だ。やめてください。冷静さを取り戻してしまった後の唯香さんがとても怖いので…。
ナユタに誘導された唯香がじりじりと僕との距離を詰めて来る。その目は若干どころか完全に我を失っていた。ナユタも自分が言い出したルールには従うようで、僕から腕を離して何処から取り出したか赤白の端を両手に構えて、ホイッスルを口に咥える。
君はメイドとして、そんなものをいったいいつどこで使うつもりだったんだ?
その答えは出た。今ここで使うのだろう。
「幸兄!!」
「は、はい……」
今の僕は直立不動のただの置物。競技に使われるものが勝手に動いてはならないだろう。
唯香の味方も、ナユタの味方もしない。勝負はフェアであるべきだ。こうなってしまっては仕方が無い。女の闘いを決するためのただの置物に人権など存在しないのだから…。
後のことは考えたくない程怖いが、今ここでナユタを説得することに成功すれば、僕は全力で唯香のサポートに徹することができる。中間テストが終わるまではナユタも唯香に付きっきりになることを許してくれるはずだ。
さあ、さっさと終わらせてくれ〜い!!
スイッチの入った混乱状態の唯香が、本当にこれが僕のことを虫けらでも見るような目で見下していた唯香さんなのかと思う程、可愛い妹をパフォーマンスして来る。
言うならばそう。
和奏ちゃんインストール!!
「幸守お兄ちゃん! 唯香の部屋で、唯香に勉強を教えて! お願い!」
だきっ! うるうる。マジ天使!!?
「……うん………いいよ………」
彼女は女優か何かなのだろうか?
可愛過ぎて頭をなでなでしてしまった。
唯香が僕からスッと離れる。
「…わ、わわわ、わたわ、たた、わたしの勝ちのようねナユタ!?!??」
あっ、混乱が解けている。顔面真っ赤だ。
「…ピッ!!…仕方ありません。今日のところは幸守様をお譲りしましょ〜。ただし、今宵のナユタは、ナユタ四天王の中でも最弱のナユタでした! 次に会う時はこの程度では勝利のホイッスルは吹けません。精々腕を磨いておくことですね!」
ナユタ四天王って何だろう?
赤白の旗は結局、何にも使われなかった。
もう、何が何だかよくわからなかったが、たまにはナユタも唯香と一緒に遊びたかったのかもしれない。そういうことにしておこう。
ナユタ四天王の中でも最弱のナユタさんがスカした顔で廊下を進み、画面外へフェードアウトして行く。さてと……。
「…ゆい……………」
「ワスレナサイ…」
「……か、さん?…」
「忘れられないなら、忘れさせるしかないかもしれないわね。幸兄がどうすれば、さっきの出来事を忘れるかを私はもう知っている。唯香さんは知っている!」
唯香が何を言っているのかわからないけれど僕の生命が危ないことだけは何となく察することができた。目に焼き付けられて忘れられない姿だったが、唯香が忘れろと言うのであれば僕は記憶を抹消しようと思う。
とはいえ、そんなことは不可能なので、脳天にかかと落としを決められて頭がパッパラパーになってしまう前に命乞いをする。
「宣誓!! 僕、水城院 幸守は! 和奏ちゃんインストール唯香を、決して思い出さず、口外もせず、記憶として封印し、墓場まで持って行くことを誓います!!……」
「…コフー、コフー、コフー………」
殺意の波動に、殺し屋の眼力!!
ベルトコンベアに乗せられて出荷されていく豚でも見るような目。心臓が凍りそう。
「…こふぅ〜……はぁ………そう。それならそうして……言っておくけど、さっきのはあの変態メイドを納得させるための演技だったんだからね! 私…あんな甘えん坊じゃないんだから! 勘違いしないでよ……」
「大丈夫! 2度と頭も撫でないよ!!」
「…………たまになら、撫でていい…」
「たまに撫でるよ! 仲の良い兄妹の兄は妹の頭を撫でるのが基本らしいからね!?」
知らんけど!!
「そ、そうなの?…そう…それなら、まあ仕方無いわね。本当にたまになら…許してあげるわよ。3日に1回くらいだからね?…」
多くないですか!? 結構許されるな。
いや、和奏ちゃんの頭を今日だけで何回撫でましたかって話。つまり、3日に1回は決して多くはないですよねって話。理解!!
「わ、わかった。唯香は嫌かもしれないけれど、僕たちが仲の良い兄妹であることを源治郎さんにたまには見せないとなので、僕は3日に1回くらいのペースで唯香の頭を撫でさせていただきます! よ、よろしくね!?」
「こ、こちらこそ…よろしく?…ん??」
ここまでナユタの計算通りなのか?
だとしたらナユタさん恐ろしい子。
水城院家に仕える緑髪の変態さんが、本職であるメイドに戻り、夕飯の支度をすべく僕の前から立ち去ったのが数分前の出来事だ。
何だかよくわからないハプニングがあった気がするけれど忘れた。数分前の出来事を忘れたのかって? 忘れて墓まで持って行くことになっているから忘れたったら忘れたんだよ!
イスに座り自室の勉強机に広げられた問題集を指差しながら、唯香が隣に佇む僕に話しかけて来る。本当にまだ勉強していたのか。唯香は勉強熱心なんだね。感心感心。
おっと、頭を撫でるのは3日に1回。
この縛りを破ったら頭がパッパラパーになると思え水城院 幸守!
「それでね幸兄、ここの問題なんだけど…幸兄って教科書しか見ないのよね?…こういう問題集の問題も解けたりする?」
妹に頼られたからには全力を尽くさねば!
「どれどれ、見てみないとわからないけれど…教科書に載っている知識の組み合わせで解ける問題であるならば…うん……これなら僕にもわかるよ…というか、これくらいなら全部、問題なく教えてあげられそうだよ」
「幸兄って本当に頭良いのね…」
「僕は自分が頭が良いと思ったことはないけれどね。本当に凄いのは、最初にこの数式を発見した数学者たちだよ。この世の方程式を解き明かした人たちなんだ。尊敬するよ…」
「私から見れば、幸兄も充分、尊敬できる義兄だと思うけれど……」
「ありがとう。でも、お世辞を言っても何も出ないよ。お、お金は持ってないです…」
「別に何もたからないわよ!?…そんなことより、レクチャーしてよ。幸守先生」
「…はいはい。夕食ができて、ナユタが呼びに来るまでね。それじゃあ、早速この問題の解き方からだね……これは………………」
「………………………………」
真面目に勉強している子に教えるのって案外楽しいな。不真面目な友人にしか勉強を教えて来なかったから、個人レッスンの塾講師とかもこんな気持ちなのだろうか?
一連の解き方を説明すると、基礎のしっかりしている唯香はスラスラと…。
「…ん? 唯香?」
「ご、ごめんなさい。聞いてなかった…」
「勉強しっぱなしだったからね。うとうとしちゃってた? いいよ。もう1度最初から説明するね。唯香が理解できるまで、何度でも説明するから…」
「…幸兄って…モテる?………」
勉強に関係無いことを聞かれている。
ナユタには重い愛でのしかかられている気はするけれど、あれを見て僕がモテると判断したのならそれは早計だ。そもそも、モテるモテないの判断基準がわからないけれど、僕はモテない方なんじゃないかな?
「ははは、そんなわけないよ…」
「…そう…なんだ……そっか………」
「唯香は凄くモテそうだよね~」
「どうしてそう思うのよ?」
「どうしてって、美少女だし、何なら僕のクラスメートの野郎何人かに、唯香を紹介してくれって言われたし…もちろん、その全員に唯香に近付きたければ、先ずはこの僕をサシで倒してからにしろって言っておいたよ!」
全員、みねうちにしておいた!
「紹介されても困るからとりあえずはありがとうと言っておくけれど、幸兄のお眼鏡にかなう人は居なかったんだ〜」
「居ないね! 最低でも僕以上じゃなければ、お義兄さんは交際を認めないので!…」
「幸兄以上ねぇ〜…」
いっぱい居ると言いたいんだね妹よ。
でも、僕が判断できるのは、僕以上か僕以下かだけだ。僕よりも唯香のことを大切にできると確信が持てた人物ならば、唯香を紹介することもやぶさかではない。
「…な、何か?………」
「何でもないわよ。そうね。それじゃあ、私も彼氏を作るなら最低でも幸兄以上の男からにするわね!」
「それって、守備範囲広過ぎない!?」
「自己評価の低い男ね…」
いやいやいやいやいや。
僕程度の男なんてそこらかしこに居るって。
「…私は、幸兄のこと…意外と高く評価しているから大丈夫よ………」
「……………………………」
「安心した?」
唯香が悪戯っ子のようにそう言う。
「安心できないな。目が節穴だから…」
「本当に自己評価が低いわね…」
「でもそっか。唯香が、最低ラインを僕だと言ってくれるのなら……」
唯香の頬がこころなしか赤く染まった気がしたが、たぶん気のせいだろう。
「最低ラインを上げてやろうと思うよ!」
「絶対評価にはできそうにないわね…」
「とりあえず、全教科100点からかな!」
「私に彼氏作らせる気あるのかしら?…」
勉強を教えるために招かれたはずだったのに勉強に関係無い話で笑い合い、そのまましばらく他愛も無い話で盛り上がり、唯香との親睦を深めることになってしまった。
仲の良い兄妹ポイントは結構稼げた。
そう思いたい1日だった。




