第19話 悪友とたわし
万全を期して、今回は大浴場へは向かわずに自室に付属している小さな浴場で身体の汚れを洗い流すことにする。ナユタが僕のために大浴場の湯を張ってくれたのは嬉しいが、どう考えてもナユタさんがそこに待機している気がするんだよね!?
だって、呆気なく引き下がったのがおかしいじゃないか。ナユタなら、そのまま看病にかこつけて混浴くらいしてのけるだろう。確かに身体はまだ少し痛いが、洗ってもらう程身体が動かないなんてことは一切無い。
甘いんだよナユタ!
そんな見え透いたトラップに引っかかる程、僕の灰色の頭脳は耄碌していない。
自室に付いた小さな浴室が安牌。ここならナユタが待ち構えていることも無いだろう。と言いつつも誰も居ないか隅々まで確認する。僕は慎重な男。屋根裏まで確認する必要があるか悩んだが、身体に負担をかけることになるので、流石にそこまでは止しておいた。
身体を数回流してから、早速沸かした湯船に浸かる。
い…痛い痛い。痛い!
どうしても傷に染みる。擦り傷も少なくはなかったからね。けれども、痛いのは最初だけで慣れてくるとそこはいつもの癒やしの空間と化してくれた。
簡素なバスルーム。とは言えないか。浴槽に使われているのは香りの強いヒノキだし、大人が2人は寝そべれる程の広さがある。これでも充分に豪勢なお風呂なのだろう。
「…染みるなぁ〜………」
「…染みるの? 痛いの? ゆ…幸兄、湯加減はどう? あまり熱くは無いわよね?」
「うん、これくらい大丈夫だよ。本当に唯香は心配性だな。心配してくれてありがっ…」
おや? 幻聴だろうか?
唯香の声が聞こえたような気がして、思わず普通に答えてしまったのだが…。
念のために確認してみよう。念のためね?
「…ゆ、唯香?」
バスルームと脱衣場を繋ぐ半透明のモザイクがかかったドアにうっすらと白を巻き付けた肌色が乗せられて行くのがわかる。
幻聴に幻影だったとしてもだ。
僕は叫ばずにはいられなかったという。
「うわっ!? わわわ、わぁ~! は、入ってま~すっ!! 入ってますよ〜!?」
個室トイレでもあるまいし、などと笑い飛ばせる状況ではなかった。ここがロックのかかるトイレならばどれ程良かったことか。いや、ロックなら実はかけられるじゃないか。しかし、今から湯船を飛び出しドアにロックをかけに行くのはリスクしかない。
迂闊にも、内側ロックをかけ忘れていた僕は慌てふためき、とりあえず叫び続けた。
「兄! 入ってるからね!?!??」
「言われなくてもわかるわよ!」
わかってくれたか。だったら尚更、唯香がここに居る意味がわからない。ナユタが突撃して来る理由なら100歩譲ってわかると言っても構わないが、唯香がここに来てしまった理由は10000歩譲ってもわからない。
「は、入るわよ?…」
何で僕の部屋の風呂に入るんだ!?
「いやっ! ダメだって!? てか何故!?」
「何故って幸兄、まだ身体を動かすの痛いんでしょ…だから、身体を洗うのを手伝いに来たのよ。だから…入るからねっ!…」
気持ちは嬉しいけど遠慮したい!
問答無用とはまさにこの事である。自動車と歩行者の衝突では、どのような理由があれ自動車側がほとんどの確率で加害者になる。それと同じ様に僕は今、問答無用で加害者という名の被害者になったのだ。
いや、義妹のバスタオル姿を目に焼き付けた変態になったと言い直すべきだろうか?
「ゆ、幸兄…バスタオル巻いてる?…」
ちなみに腰に巻いてはいる。これは、万が一に備えたメイドさん対策なのである。まさか義妹にこの対策が刺さるとは思わなかった。
浴室に乱入して来た唯香はバスタオルを胸に巻いているものの、紛れもなく布一枚だ。真っ赤な顔で死ぬ程恥ずかしそうにしている。
「じ、じろじろ見ないでよ…」
「ごめんなさい!!」
目を逸らして。何なら目を閉じて、身体ごと後ろを向き、こちらにはやましいことなど何もないのだとアピールするために両手を上げてみたりもする。僕は無実だと思う。
しかし、そんなことは知ったことではない。唯香が悲鳴を上げれば最後。悪いのは誰がどう見ても男の幸守君で確定なのだ。裁判をしてみようか? 僕は、水城院 幸守君が変態罪で負ける方に全財産を賭けたって良い!
「わかったよ。でも、痛くないようになるべく優しくやってくれると嬉しいな」
彼女は僕にトドメを刺しに来たのだ。
そうだ。きっとそうだ。そういうことにしておこう。ここならば逃げ場は無いし、彼女は物理的にトドメを刺しに来ただけで、社会的に抹殺しに来たわけではない可能性に最後の希望を託そうと思う。
伝家の宝刀。かかと落としで許してくれ。
社会的撃滅は源治郎さんにも迷惑をかけてしまう恐れがあるから勘弁してくれ〜!!
「何で震えてるのよ? もしかして、幸兄…緊張してるの? へ…変なこと考えてるんじゃないでしょうね!?」
「滅相も無いよ! やるなら人思いに!」
「それならいいけれど……背中は…大丈夫みたいね。 幸兄、ゆっくりこっち向いて…ゆっくりだからね? あと、あんまり私のことをじろじろ見たら…怒るからね?…」
嘘だ。殺すからね? くらいあるだろう?
何が目的だ。目的は何だ。金か。レンズか。この流れは大変よろしくない。お前の命だ。そう言われてぶった斬られるパターンだ。ネタバレになって申し訳無かったと思う!
育ち盛りの黒髪ツインテール美少女と混浴なんて、端から見たらこんなハッピーな事は無いだろう。僕が照明君なら下半身で起立して、そのまま唯香に襲いかかってるね!
そうなる前に何か手を打たなければ。
「どうすればいい、いっそ自分から気絶すれば…そうだ! 額を思いっ切り壁に打ち付ければ全てが白に変わるはず!」
勿論、湯船は赤に染まるだろうが。
おわかりいただけただろうか。現在、水城院 幸守君の世はまさに大混乱時代なのである。
「事件にならなければいいんだ! 最初から僕が気絶していればいいんだ。血に染まりながらも、何も無かったと仁王立ちする三刀流が如く!」
「さっきから何物騒なこと言ってんのよ? 1人で身体を洗うのは大変かなと思って、人が恥を忍んで来てみれば…このバカ兄貴は!」
唯香は拳骨を振り上げて幸守の脳天に狙いを定めるが、震える拳をどうにか引っ込めて冷静に話し出す。直ぐに手が出るのは良くないことだ。それで何度失敗しただろう。
「…はぁ…落ち着け私………幸兄、あのね。私はただ背中を流しに来ただけよ…それと、本当にケガが大丈夫なのか確認をね……」
「…そ、そうなの?…僕が土手で唯香のパンツを見ちゃったから、キツい一発をお見舞いしに来たんじゃないの?」
ハッと思った時には既に時遅し。あえて言おう。それは完全に墓穴だったと…。
「やっぱり見てたんじゃないこの変態っ! そうねっ!? それじゃあ、ご希望通りキツい一発をお見舞いしてあげるわよっ!」
逆鱗に触れてしまった。死んだかなこれは?
父さん。母さん。今そっちに行きます。
アーメン。
……アーメン。
…………アーメン。
…な、南無阿弥陀仏!!
しかし、かかと落としが降って来ない。
ちらっと、恐る恐る目を開ける。
「…幸兄が…何も悪くないのはわかっているわよ。だから今は、大人しく…ちょっとくらい借りを返させてよ……後ろめたい気持ちで気が滅入るのよ! だから返させて!」
「……………は……はい………」
ゆっくり振り返ると、彼女は表情を隠すように俯いており、普段の彼女とは比較にならない程に弱々しかった。罪悪感を抱かせておいて消させないように立ち回ることも、余っ程悪どくて、たちの悪い事かもしれない。
それで少しでも、唯香の気が晴れると言うのであれば邪な気持ちは抱かないように細心の注意を払って背中を流されよう。
「じゃあ…お願いしようかな?…」
「…ま、任せて! やってあげる!」
殺してあげると書いてヤってあげるじゃないことを祈りつつ、僕は湯船からゆるりと上がってバススツールに腰を落とす。
無防備な背を唯香に向けていることに違和感しか無くてかなり怖い。今頃鬼の形相で釘バットでも振り上げている頃なのではと、目の前の鏡に不意に視線を向けてしまう。
「じ、じろじろ見ないでってば!?」
「ご、ごめんってば!…」
目は瞑ろう。3度目は無さそうだ。命が的な意味でね。
「それじゃあ洗うわよ! このたわしで!」
「うん。ありがとう唯香…たわし!!?」
「ボディーソープをたっぷり塗って…」
「え!? たたた、たわしに!??」
何かがおかしかった。よくよく思い出して見ると赤面したバスタオル姿の唯香が持っていたのは意味不明なトゲトゲの塊だったような気がする。奴の名はそう、たわしだ。
「やるわよ!?」
本当に殺すわよに聞こえて来た。
いくら唯香が罪悪感を抱いていたとしてもバスタオル姿でサービスショットなんて、彼女自身が閃いたことであるはずがない。それくらいのことは気付くべきだった。
この裏には黒幕が居るのである。
ザザザザザーというノイズの後。2人の悪友のゲスいニヤけ顔が脳裏に映し出される。唯香を励ますように何かを吹き込んでいた悪友2人。あれは、ただの励ましの言葉ではなくて、唯香を利用した僕へのドッキリ大成功だったに違いない。
背中の傷は剣士のは…。
「ちょまっ……」
「えい!」
ガリガリっという豪快な音と共に僕の背中に恥が刻み込まれた。
「ぎゃあああぁ〜す!!?」
「きゃっ!? ゆ、幸兄!? 何で…何で背中から血が出てるのよ!??…男の背中は分厚いから、高校生くらいに成長した男の背中はたわしで擦らないと汚れが取れないって金髪が言ってたのに!…」
「あ、あの野郎絶対にヤってやる…」
勿論、ぶっ◯すの方の意味である。たまには温厚な僕でもプチンと来ることはある。真に受けた唯香も唯香だと思う。今回は少しお説教が必要かもしれない。
「そんなわけないでしょ!? というかだとしても力込め過ぎですよ唯香さん!?」
「ご、ごめんなさい!…だって……」
泣き落としはずっこくないですか?
「……うっ…も、もういいから…とりあえず唯香は出て行ってもらえるかな? 最初から1人でも身体くらい洗えたから…唯香には、別のことで借りを返してもらうことにするから今は退室してくれるよね?」
「…は、はい…………」
げんなりしているが、唯香のアフターケアは後回しだ。これじゃあ、命がいくつあっても足りやしない。そもそも、男性がたわしで身体を洗うわけないじゃないか。思ったよりもかなり唯香は精神的に来ているのか?
僕の義妹を弄びやがって!
あの猿と尼、許さんぞ!!
でも、とりあえず汗を洗い流そう。唯香に臭いと言われたのは、そもそもそれすらも奴らの仕込みで、僕をここへ誘導するための罠だったのかもしれないが、だとしても義妹に臭いと言われるのは耐え難いからね。
傷は染みるが仕方が無い。
本当に許さないからなあの悪魔ども!!




