第1話 女難の相
自己評価は高くない。けれども、これと言って低いわけでもない。学園の絶対評価がそう語っていた。どこかの誰かが定めた評価基準によると、僕という人間はとても優秀な高校生なのだという。周囲の目が、こんな僕のことを優秀な人間だと評価してくれることに安心する。
上手く立ち回れていると思えるから、僕は僕という人間を続けることができるんだ。
定められた己の役割を全うするための高校生活1年目を終えて、四季は再び出会いの刻へ移り変わろうとしていた。
3月末のある日の出来事だ。
気まぐれで電源を入れた普段見もしないテレビの星座占いで、本日の貴方には女難の相が出ています。女性の言動には十二分に注意しましょうなどと、当てずっぽうとしか思えない忠告を受けた僕、水城院 幸守は高層ビルの建ち並ぶ都会のど真ん中を歩いていた。
僕は現実的な人間だ。占いというものを基本的には信じていない。そもそもの話、12星座占いというものが信じて良い程当たるはず無いからだ。世界中に存在する約80億の人間の運勢を12通りで占うだなんて、あまりにもアバウトが過ぎないだろうか?
気まぐれに、普段とは違う何かを行うための材料としては良いのかもしれない。深くは考えず、何かを始めるきっかけになるものだと思えば、占いもそう悪くはないのかもね。
女難の相といえば、つい先程までその女難の相の根元かもしれない女の子に追い回されていたところだ。最も、彼女にはほとんど毎日のように追い回されているので占いの注意すべき女性には当てはまらないだろう。
起床と同時に電波には乗せられない事態から始まるわけにはいかないので、全力でお外に逃亡して来たまでは良かったが、本日は特に外出する予定ではなかったため、財布も携帯電話も持って来てはいないわけで、高校生の身ではやれることなんて限られている。
腐れ縁の幼馴染が笑顔で巻き起こす若さ故の暴走が治まるまで暇を潰したいところではあるが、僕に取れる選択肢なんて友人宅へ遊びに行くか、雨上がりの街中を散歩するくらいしか思い付かなかった。
連絡もせずにいきなり友人宅を訪ねるのも悪いので、消去法で散歩をすることにしたのだけれど。
今になって思えば、占いというものもバカにはできないと思うよ。当然ながら、絶対に当たらないということも無いようだ。
目的も無く雨上がりの歩道をぼんやりと歩き続ける僕の目前でそれは起こった。
「嘘でしょ!? ど、泥棒ぉお~っ!」
尻餅をつきながらも反射で叫んだ女の子と、パーカーに付いているフードを深々と被り、黒いマスクで顔を隠している見るからに怪しい男。全速力でこちらへ向かって来ている。状況はまあ、見れば猿でもわかるだろう。
どうやら引ったくりの現行犯のようだ。
ドラマか何かの撮影かなと周囲を見回すも、近くにはカメラのセットも、撮影スタッフも、椅子に座り演技を見詰める髭もじゃの監督も見当たらない。春になって虫とともに湧いて出て来た小悪党なのだろう。
嫌だな。勘弁してもらいたい。
悪友たち曰く、僕のような人間のことを巻き込まれ型というらしいのだが、何も好き好んで厄介事に巻き込まれているわけではない。僕だって平穏に過ごせるならその方がいいと思ってはいるんだ。本当だよ。
とはいえ、見て見ぬ振りをするのも後味が悪いし、出会してしまったものは仕方無い。
正義の味方になりたいわけじゃないが、人並み程度の正義感なら僕にだって存在する。
得を積み立てるつもりはないけれど、人生の最期は足し引き0で終われるくらいの善行を積んでから、せめて地獄には落ちない程度の平凡でささやかな人生を送ってから、この世を去りたいとは思っている。
故に、大して労力を使わずに人助けのできる機会が訪れたというのであれば、為すべきことを為すべきだろう。
これも、僕『水城院 幸守』の義務の内だ。
「やるなら、他所でやってほしかったよ…」
安物のフード付きパーカーにサングラスと黒いマスク。花粉症対策にマスクをつけた人はちらほら歩いているものの、明らかに身バレを防ぐ服装をした怪しい男の手には、彼の匿名性溢れるファッションに全く似合っていない淡い桜色の鞄が握られている。
「そこを退きやがれ!」
逃走の邪魔にならないように、道を譲る素振りを見せて油断を誘う。こんなもの勇敢に立ち向かう者の方が少ないだろう。僕の方へ向かって全力疾走し、安堵して横切ろうとしたその男にタイミングを合わせてカウンターとなるように、僕は容赦の無い鋭い足払いを放っておく。
「おっと、失礼…」
「だっ!? だっぎゃああっ! ぐっ…ぬぁああ、くそっ…お、覚えてろよぉ~!?」
無茶を言わないでほしい。覚えていろと言うのなら、せめて一目、その涙目のお顔を見せてもらいたいものだ。
アスファルトの上で1回転し、派手に肉体を打ち付けながらも、勢いそのまま立ち上がり、激痛で涙声になりながら捨て台詞とともに逃げて行くひったくり犯の男性。
僕が折れない程度に蹴っ飛ばしておいたのは向こうずねという部分だ。これが痛いんだ。僕も蹴っ飛ばされたことがあるからわかる。どれくらい痛いかというと、大の男の弁慶さんが泣き出してしまうくらい痛いそうだ。
僕よりも強い正義感を持つ人たちが集まって来た。片足を押さえながらケンケンで逃げて行く盗っ人はこれで詰みだろう。彼らに任せて、盗人からドロップした可愛らしい桜色の鞄を拾い上げた僕は、尻餅をついたまま唖然としている少女のもとへと歩み寄る。
「……………………」
近付いて気付く。思わず無言になり、見惚れてしまうくらい整った顔立ちをした可愛らしい女の子だった。少なくとも外見を見る限りでは相当モテそうだ。こんな美少女がうちの学園に居たら僕の友人が秒で告白して見事にフラれ、3日は枕を濡らすことになるだろう。
きめ細かいツインテールの黒髪にキリッとした大きな瞳の少女が、仲間になりたそうにこちらを見詰めている。というのは冗談で、実際は何故か眉をハの字に吊り上げて、親の仇でも見るかのように僕を睨みつけて来ていた。
僕の防御力でも下げたいのだろうか?
「えっと、大丈夫ですか?」
「これが大丈夫そうに見えるっていうの!?」
文句無しで美少女にカテゴライズされるであろう女の子だが、どこか突き刺すような声色で彼女は僕を睨み続けている。おっかない美少女だ。性格はあまり良くなさそうだし、願わくはことなかれ主義の僕としては、あまりお近付きにはなりたくない所存だ。
パッと見、中学生くらいの少女が座っている歩道には昨夜から今朝にかけて降り続いていた雨でできた小さな水溜まりがあった。ドンピシャでそこに倒れるとはついていない。きっと彼女は本日最下位のおとめ座だろう。
差し出した僕の手を借りて立ち上がった彼女の履いているスカートはびっしょり濡れていて、その濡れ方がまるで漏らしたみたいだった。ふむ。
「なっ、何見てんのよ! ち、違うんだからね! これはその…この水溜まりでっ!」
何も言っていないけれど心でも読まれたのか、僕の率直な感想に対してまるで会話のように否定を返すツインテールの激昂少女。
「そんなに必死にならなくても見ればわかるけどね…えっと…はい、どうぞ…」
よかった。入っていた。ズボンのポケットから4つ折りになっているハンカチを取り出して少女に差し出す。
「い、いいわよ。これくらい平気…じゃないけれど、ハンカチが汚れたら悪いわ」
確かにハンカチ程度では拭いたところで気休めにもならないかもしれない。不要だと言われれば引っ込めるしかない。取り出したハンカチをズボンのポケットに押し込んでから、僕は女の子の物であろう鞄を差し出す。
「君のだよね? ここら辺には、もう少し先に行くと富裕層の人たちのお屋敷が多くあるから、お金目当てで悪さをするああいう輩がたまに出るんだよね…」
「何なのよもう! 物騒な街ね!」
声も見た目も可愛いのに何かと棘がある。イライラするのは無理もないけれど、若干八つ当たりも入っていないだろうか。
本日、女難の相が出ているらしい僕的には、さっさとこの場を立ち去りたいところではあるのだけれど、朝から開幕散々な目に遭わされた彼女には一応、余計なお世話を提案しておこうと思う。
これも教科書通りの対応だと信じている。
「よければ着替えの服でも貸そうか? 知り合いの女の子のだけれどね。僕の下宿している家がすぐそこにあるからさ」
言ってから気付く。はて、知り合いの彼女はまともな私服を持っていただろうか? 流石に持っていないということは無いだろう。流石にね。
「どうも。でも、遠慮しておくわ! 見ず知らずの人を信じて付いて行く程、私はバカじゃないんだから。それに、祖父の家がすぐそこだからいいわ……一応、ありがとうございます。これ、助かりました…」
鞄を軽く上げながら彼女が頭を下げる。
素直にお礼が言える子だった。
今さっき、見知らぬ男に鞄を引ったくられたのだ。同じ見知らぬ男である僕が警戒されるのは仕方の無いことだろう。あえて深く関わるつもりなど無い。ナンパだと思われても困るのでこちらもここで切り上げよう。
「うん。どういたしまして」
「見た目の割に強いのね。ちょっと驚いたわ。人は見かけによらないって事かしら? それじゃあ、私は失礼させてもらうわね……はぁ…最悪、気持ち悪い…」
ツインテールの黒髪少女は僕にお礼を言うと捨て台詞を吐いて早足でこの場を立ち去ってしまう。
これくらいの小さなアクシデントならば、女難の相と言う程のものでもないだろう。ケガをする程のことでもなかったし、少し首を突っ込むくらいは問題無い。
盗人が片手に刃物でも持っていたのなら…。
まあ、その程度では行動は変えないだろう。
義父から危ないことは極力するなとは言われているけれど、そうは言われてもね。どこからが、危ないことに含まれるんだろうね?
死ななきゃセーフであるのならば、大体は許容の範囲内と捉えることもできそうだ。必要とあらば危なそうなことにも手を出すつもりだ。
でもまあ、問題無く対処できそうなことを危ないこととは言わないだろう。今回も僕は、できるからやっただけだ。できないと判断すれば、僕は挑戦もしないような人間だ。
我ながら、つまらない男だ。
「野生の美少女はどこかへ行っちゃったし、我が家の暴走美少女もそろそろ落ち着いた頃かな。そもそも、出会いなんて求めていないわけだし…屋敷に戻ろうかな…」
散歩と言いつつ、星座占いが語る女難の相に、自ら会いに行っているのだとしたら馬鹿らしい。
散歩をして暇を潰すくらいなら友人から借りているファンタジーもののライトノベルでも読み進めておこう。一向に読まないからほとんど借りパクになっているし、借りパクはよくないと思うからね。
最初は無理矢理押し付けられて読み始めたものだったけど、読んでみると案外暇潰しには丁度良かった。
僕の数少ない趣味の1つになったよ。履歴書の趣味の欄に書く程のものかと言われると怪しいところではあるのだけれど、趣味はありませんなんてつまらない人間よりはマシなのではないだろうか。
たまの纏った休日なのだから、どうせなら静かに読書でも楽しみたい。普通の人は、どのように休日を楽しむものなのだろうか? 教科書には載っていなかったな。
明日にでも僕の部屋に内鍵でもつけてもらおうかな。隙だらけな読書中にメイド服の女の子が襲い掛かって来る日常なんて僕は望んでいないからね。
鍵なんて無駄かもしれないけれどね…。




