第14話 血の繋がらない兄
朝食を済ませて学園へ向かう前に、僕は源治郎さんに呼び出され、1人で彼の部屋である書斎を訪れていた。
源治郎さんは僕と唯香の仲があまり良くないことを気にしていたようだったが、テーブルを囲み食事をし、普通の兄妹のように会話する僕と唯香の姿を見て一安心したようだ。
源治郎さんには、これからも孫娘のことを気にかけてやってくれとだけ言われた。最初からそのつもりだったし、仮初めだろうが何だろうが、唯香のために兄としてできることがあるのなら、僕は何だってするつもりだ。
それから少しの間だけ他愛も無い話をした。
「…っと、そろそろ学園の時間ですね。行って来ます源治郎さん」
「気を付けて行ってきなさい…」
「はい。では、失礼します!」
書斎を後にして、廊下に出てみると、気の利いたメイドさんがスクールバッグを僕に向かい差し出して来て、今日も今日とて見惚れてしまいそうな程可愛らしい、弾けんばかりの愛顔で僕を屋敷から送り出してくれた。
「いってらっしゃいませ幸守様ぁ!」
手間が省けたし、素直にありがとうと言いたいところではあるけれど、このメイドさんはまた無断で『ナユタ立ち入り禁止区域』であるはずの僕の部屋に勝手に入ったよね?
スクールバッグ持って来ているもんね。
ここは叱るべきなのだろうか?
うん、どうせ無駄だね!
どうせという言葉は好きではないけれど、事実どうせ無駄なのでこの場合は仕方が無いだろう。ナユタには勝てる気もしないからね。
「ありがとう。ナユタ…でもさ、勝手に僕の部屋に入るのは禁止だからね?」
「はい! 存じております幸守様!!」
存じているだけで実際は問答無用の無視なのだが、そんなことは知っているが、だからどうしたの図太い精神は見習いたいところだ。全く困ったメイドさんである。
屋敷内には既に唯香の姿が見えなかった。先に学園へ向かってしまったのだろう。
唯香は今日も彼女の学園初の友人である白沢 和奏ちゃんと一緒に登校するらしいので、もう僕が道案内をする必要は無い。1人で登校しないのであれば、僕が護衛として彼女に付きまとう必要も無いだろう。
鬱陶しがられているのだから、必要以上には近付かないようにすることが兄としての気遣いというものだろう。知らないけれど…。
「もう、遅いわよ幸兄!」
「おはようございます!」
水城院のお屋敷を出るや否や、笑いながら雑談を交わしていた唯香と白沢 和奏ちゃんが僕に向かい話しかけてくる。
待っていてくれたのかな?
昨日の今日でここまで変わるものなのか?
兄妹での登校って、嫌がられたりしないのだろうか。そこまで親密度が上がり、仲良くなれちゃったのだろうか?
「おはよう和奏ちゃん。ごめん! 僕を待っていてくれたんだね。唯香、ありがとう!」
僕が微笑みかけると、唯香はフンっと軽くそっぽを向く。あれ? これは仲直り前にもされていたダメな時のパターンなのでは?
「べ、別に私が待っていたくて待っていたわけじゃないわよ! 和奏が、今日は幸兄と一緒に行かないのかって言うから仕方無くね…それじゃあ、さっさと行くわよ2人とも!」
視線を背けたまま歩き出す唯香を見て和奏ちゃんはクスクス笑いながら告げ口する。
「おかしいですね。私はただ、お兄さんは一緒じゃないんですかと、聞いてみただけなんですけどね。ユイは素直じゃないです!」
「…そんなことはないよ……少なくとも、僕が思っていた以上には、唯香は素直な女の子だったよ…」
思っていることを、ちゃんと伝えてくれた。
僕は鈍感なところがあるから、言葉ではっきり伝えてもらえるのは有り難いことだ。
唯香と友達になって、見知らぬ土地での彼女の学園生活の不安を取り除いてくれた和奏ちゃんにも感謝しなくては…。
「ありがとう。和奏ちゃん…」
「こちらこそですお兄さん!」
僕が和奏ちゃんに感謝されるようなことが何かあったっけ? まあ、いいか…。
「2人とも何してるのよ? 置いて行くわよ」
「待ってくださいユイ〜!」
「………………………」
1年前の僕も不安ばかりだったな。
友達って大事だなと、僕はそう思うよ。
登校中。友人の大切さをしみじみと思っていたのがつい先程の事である。
ここはホームルームクラスだ。既に半数近くが登校を済ませている。僕の友人も、のんびり屋の将隆君を除き全員が登校済みだ。
「え? さっき妹ちゃんと和奏ちゃんに挟まれて2股してたよな!? 催眠術でも使ったんか白状せいや!? それとも何だ。惚れ薬でも飲ませたんだろう? どこで手に入るんだそのドリームアイテム! 俺にも1つ分けてくれよ幸守! 俺たちダチ公だろう!?」
逆立つ金髪が今日も無駄にエネルギッシュな超野菜人の悪友は僕の肩を前後左右に揺さぶりながら急接近の真相を追及してきた。何が気に入らないのだろう。いいや、気に入らないというよりは、羨ましいから一発殴らせろといった感じである。ここは人畜無害な顔をしてクロスカウンターをお見舞いしよう。いつでも仕掛けて来ると良い。目下の難題を解決した僕に不可能の文字は無い。
ただし! 解決した当人は頭を強く打ちつけたそうでその時の記憶は残念ながら葬られてしまっている。僕にその方法を聞いても無駄なんだよね。覚えていないからね。
「いや、僕も特別何かをしたわけじゃないと思うんだけどね?」
唯香が階段から足を滑らせて、間一髪僕が助けたらしいことは伏せておこう。唯香の名誉がかかっている。兄は妹の名誉を守る者だ。いいや、知らないけれども!
知らん振りして黙秘権を行使した僕の隣に居た新園さんが脱色した猿の耳たぶを摘んでグイッと引っ張り、何かを耳打ちしていた。
「いてて!ててて! わかってるってのっ! 俺様はそこまでおバカさんじゃねえよ!?」
「マジっすかぁ!!?」
「おいユミリン? ユミリンの分際でこの俺に喧嘩を売るとは良い度胸じゃねえか。その乳揉むぞ! 揉みしだくぞコラァ!?」
「あれれ~、警察とおかんと豪州先生呼ばれたいのかな〜テルちん」
「ぐっ、おかんは反則だろうが!??」
警察は良いのか。そういえば、照明君のお母さんって元ヤンとか言ってたっけ。1度も会ったことは無いけれど…。
「そんなに青ざめる程なの?」
「幸守あれは人間じゃねえんだよマジで! 母親ってのは普通可愛い息子が爆睡していて起きないからって、調理中のフライパンで叩いて来たりしねえだろ!? 見た目は美人だが、中身はバイオレンスな怪力マウンテンゴリラなんだってばよ! 知ってんだろ!?」
いや、だから知らないけどね。
僕が知っている事と言えば…。
新園さんが携帯の音声メモ機能で照明君の自爆ネタをちゃっかり録音していたということくらいだろうか。また1つ、脅迫のネタを勝手に握られたようだ。
「ゆ、ゆゆ…ユミリンさん???…」
携帯の音声再生ボタンを押し、悪魔のようにニヤリと笑う新園さんを見て、照明君は青ざめたまま震える声で土下座する。
「そ、それだけは!…それだけは!?…そうだ警察を呼んでくれ! 豚箱の中ってのは温かい食事と布団があって、オカンのドメスティックが届かない場所だと聞いてんぜ!」
そこまで怖いものなのか。母親というものを知らないから、共感してあげられない。
でも、図体だけは良い照明君が問答無用でひれ伏すくらいだから、絶対に逆らえない相手なのは確かだろう。流石に可哀想だからもうこの辺りで許してあげてほしい。
「テルテルあんぱん買って来て〜!」
「じゃあ、僕もコーヒー牛乳を頼むよ」
「俺はお茶…ほうじ茶……」
将隆君もようやく登校して来たようだ。何だかよくわからないけれど、奢ってもらえるらしいと判断し便乗のお茶を要求していた。
「お前ら…後で本当に覚えておけよ??」
一方その頃。仲良く並んで1年生教室まで来ていた唯香と和奏は、それぞれ自分の席に座り教科書の整理を始める。五十音順で席を決められたために、白沢 和奏は水城院 唯香の前の席となっていた。友人と席が前後なのは唯香にとって嬉しい偶然だった。
「えへへ〜」
和奏が可愛らしく微笑みかけてくる。
「な、何よ? 何か良いことでもあったの?」
「そのセリフはユイにそのままお返ししますよ。ユイこそ顔がにやけています!」
そ、そんなことは無いと思うけれど?
「遂にユイもお兄さんの良さに気付いてしまいましたか? いいえ、そんな事よりも…ユイはもしかするとお兄さんのことを…」
私が幸兄のことを何? いいや、無い! 何を言いたいかを何となく察する。
「違うわよ。私はその…あくまでもこれはお祖父様のためであって、兄妹の仲が悪いとお祖父様が心配するでしょ?…だから、少しくらいは仲良くしてあげないといけなかっただけなのよ。とにかく、色恋なんかじゃないわよ! 断じて違うんだからねっ!!」
「そこまでは言ってないですよ私? そうですかそうですか。まさか、ユイがお兄さんに恋をしてしまうだなんて!?」
「だから! してない!!…大体、相手は兄でしょ!…恋愛対象になるわけないわ!」
「そうなんですか? でも、血の繋がっていないお兄さんなんですよね? つまりそれは、結婚はできるお兄さんってことですよユイ!」
結婚って!? この子は兄という存在に願望を持ち過ぎなのではないだろうか。ひとりっ子で兄という存在に憧れていたとは聞いていたけれど、そんなに良いものだとは思えない。もしも譲れるものならば、あんな兄で良ければいくらでも貸し出すところだ。
私だってひとりっ子だけれど、兄が欲しいなんて思ったことは無かったわね。
「兄なんて、和奏が思っている程、素敵なものではないと思うわよ。スケベだし、デリカシーも無いし……まあ、いざという時に身を挺して守ってくれたりは…するかもしれないけれど……」
和奏はクスクス笑いながらコクリと頷く。
「そうですね!」
「………………」
腑に落ちないけれど、実際に助けられてしまった事実は今更消せないので仕方が無い。彼が居なければ、私は今頃この世に居なかったかもしれないんだ。でも、よくよく考えたら幸兄が居なければ、幸兄に変なことを言われて動揺して赤信号の横断歩道に飛び出すなんてことも無かったと思うわけで、もしかして私って良いように転がされているんじゃ!?
「百面相していますよユイ?」
「何でもないわよ! やっぱり、私は兄なんて居ない方が平和だと思うわね!」
「ドキドキするからですか?」
「心臓に悪いという意味でね!」
「ユイはやっぱり素直じゃないです!」
何を言うのかしらこの子は?
本当に、そんなんじゃないんだから…。
「ところでユイ、次の休みの日に何か予定はありますか?」
「次の休日? いいえ、特に予定は無いわよ。強いて言うなら、早めに足りない日用品を買い揃えておきたいくらいかしら?」
「良いですね! お買い物です! ユイはまだこの街に詳しくないと思いますから、私が一緒について行きますよ! その代わりに…」
その代わりに?
「何を要求されるのか、何となく察しがつくんだけれど…まあ、いいわよ。どうせ荷物持ちを頼もうとは思っていたからね…」
「休日デートですね!?」
「違うわよ。使えるものは使うだけよ! 本当にそれだけなんだから…そもそも、和奏も居るんだからデートじゃないでしょ!」
「そうですね。私お邪魔でしょうか?…」
「邪魔なのは幸兄の方だから安心して!」
「荷物持ちにする気なのに酷い言い草だと思いますが、安心しました!」
「兄の扱いなんて、きっとこんなもんよ!」
知らないけれど、きっとそうだ。
でも、断られたらどうしよう…。
断られたら……。
お、女の子2人で出かけたりしたらナンパされちゃうかも。とか言っとけば、心配して付いて来る気がする。私はともかく、和奏は女の私から見ても飛び切りの美少女だし、どこか危なかっかしいところがある。
幸兄でも、男避けくらいにはなってくれるだろう。見かけはひょろそうに見えるのに、幸兄って案外運動能力が高かったし、かなり全力で走った私が普通に追いつかれたもの。
それに、ひったくりを撃退するためにとっさ放っていたローキックも、何だか手慣れていた気がする。何か格闘技でも習っていたのだろうか? 幸兄って謎が多いわよね…。
「ユイ? 物思いにふけっていますね。いったい誰のことを考えていたんですか?」
「べ、別に……幸兄じゃないわよ! ニヤニヤしないで! 違うんだからね!…」
「ユイはやっぱり素直じゃないです!」
本当に…そんなんじゃないんだから…。




