第13話 火花
嘘みたいだ。でも、真実のようだ。
水城院 幸守が部屋を出て行ってから、唯香は部屋の明かりを消し、布団に潜り込む。
自分が赤信号だった横断歩道へ飛び出したせいで、水城院 幸守は本当にその時の記憶を失ってしまっていた。目を覚ました少年の過去は、確かに抹消されていた。自分を助けてくれた義兄の記憶が消えてしまったのだ。
嘘には見えない。あまりにも自然体だ。催眠術。自己暗示。超能力なんてことは無いだろうけれども、だとしたらやっぱり…。
彼が気を失っている間に、義兄の友人である金髪の男子と新園先輩、そしてメイドのナユタが私に教えてくれた水城院 幸守の過去。
その人生は自身が歩んで来た道と僅かに重なるものがあった。彼の過去と比べてしまえば自分はまだ幸せ者なのだと思う。
幼くして母を亡くし、交通事故によって父をも目の前で失い、身寄りも無く、希望も無く、孤児院に預けられ、生きる気力も失いかけていたのに死ぬ事すら許されず、ただ周囲に生かされる人生を続けて来た少年。
そんな彼がようやく見つけた生きる意味が、自分を引き取ってくれた私の祖父。水城院 源治郎お祖父様への恩返し。
私は恐ろしかった。
私を助けようとした彼が、まるで死に場所を求めるかのように躊躇い無く、命を懸けたことが恐ろしかった。あれ程簡単に、他人の為に命を投げ出せる人を見たことが無い。いいえ、そんなことは無いのかも…前にも1度どこかで同じようなことがあったような?
どちらにせよ私にはそんな真似できない。
幸兄に、絶好している私の父と祖父を仲直りさせると言われたあの日の覚悟の目を、私は確かに覚えていた。
水城院 幸守は自分を道具だと思っている。
幸兄の言葉に偽りは無かった。
信じる信じないの問題じゃない。
彼は既に、人として何か大切なものが壊れてしまっている。
今の幸兄は、そんな生き方しかできないの?
それとも、それしか生き方を知らないの?
本気で、そのためだけに生きているのだ。
そんなのって…あんまりだ……。
「水城院 幸守………幸兄……」
仄暗い部屋の中、高い天井を見上げながら唯香は少年の名を繰り返し口にする。
「幸兄は、そんな生き方で良いの?…」
父と祖父の間に何があったかは知らない。2人が絶好してしまった理由も、父からも、祖父からも聞かされなかったし、聞いても時が来れば理解できると言われただけで答えてはくれなかった。私は何も聞かされていない。
今はまだ、その時では無いのだろう。
仮初めの名前に、仮初めの人生。
幸兄は、学園を卒業したら、あるいはお父さんと祖父を仲直りさせたら、役目を終えたら水城院家を出て行くと言っていたけれど、彼がここを出て行かなければいけない理由があるのだろうか?
少し変態なところはある。
でも、悪い人間ではないと思う。
私たちにとっては、確かにお祖父様の養子という存在は、将来的に邪魔な存在になる可能性はある。水城院家のことはよくわからないけれど、あんなにも簡単に私を助けるために命を投げ出す人が、遺産目当てとも思えないし、そもそも幸兄を養子に迎えたのは源治郎お祖父様の意思だという。
水城院 幸守は、水城院 幸守としてここに居ても良いはずなのだ。確かに、幸兄は私の父の代わりにはなれない。それでも、幸兄はここに居て良い人間だと思う。
他人の幸せを願う事のできる彼は、素敵な人だと思えるから…。
だから…。
「冷たく当たるのは止めなくちゃ…」
幸兄は何も悪くなかった。
出会った時からそうだった。
最初から彼は、見ず知らずの他人の為に、身体を張れる人だったじゃない。
私はバカだ。何を見ていたのだろう?
明日からは、彼に優しくなれるのかな…。
新たな朝が訪れる。
水城院 唯香は水城院 幸守を義兄として認め、敬意を持って接しようとしていた。
妹らしい行動とは何だろう。兄が居たことなど無いのでわからないけれど、手始めに、目覚まし時計代わりに、だらしなく眠りこけているであろう兄を叩き起こしに行ってやろうと意気込む。そうね。それが私らしい。
そんな彼女が幸守の部屋の前までやって来てみると、あまり気の合わない見知った顔のメイドさんとはち合わせてしまった。
「おや、おはようございます唯香様! 念のため確認させていただきますが、ここは幸守様のお部屋ですよ~? こんな早朝から、幸守様に何か御用がおありでしょうか?」
ニッコリ挑発して来る緑髪メイド。
このメイドさんも謎が多い。幸兄とは同じ孤児院出身で、幸兄と同じく、源治郎お祖父様が養女として水城院家に迎えたはずだったのに、彼女はいつの間にか自分を水城院家のお屋敷で働くメイドだと言い、それ以来彼女の意向に従って源治郎お祖父様はナユタさんをこのお屋敷で働くメイドとして扱っているらしい。幸兄と違って自由奔放な彼女だが、自らメイドを名乗っただけあり、お屋敷での仕事っぷりは相当なもののようだ。
というか、このメイドさん以外の使用人がこのお屋敷には居ないのだけれど、つまりそれは、彼女がたった1人でこのお屋敷の全てを管理しているということになる。
果たして、そんなことが可能なのだろうか?
私がまだ他の使用人の方にお会いしていないだけよね? 流石にね?
「おや、まだ寝間着ですか。そのあざとい姿で幸守様に近付き、何かやましいことでもしようというのですね〜!?」
アンタじゃあるまいしと言いたい。
「何も変なことはしないわよ! ただ、たまには…だらしない兄の面倒でも見てあげようかなと思っただけのことよ…」
緑髪のメイドさんはニコニコ笑っている。私の言葉を全く信じていない御様子だ。
「は〜いダウトォ! さては唯香様、幸守様のお目覚めのキッスを奪いに来たのですね!」
「は? 誰があんなイケてもない平凡な顔の男にキスなんか!? 頼まれてもお断りよ!」
「頼みませんよ~! AもBもCもHを飛び越えて禁断のXまでも、全てナユタが捧げてしまう予定なのですから、唯香様は安心して指をくわえて見ていて下さいなぁ~!」
「幸兄に何するつもりよっ!? そんな勝手な真似は妹の私が許さないんだからね!」
あっ、今の少し妹っぽい??
知らないけれどっ!
それはそれとして…。
「ナユタさんって…私の事、不本意なんだろうけれど唯香お嬢様って呼んでなかった?」
いつの間に呼び方が変わっている。
「ああ、呼び方ですか〜。それは、昨日の夜に幸守様に命じられたので…ナユタは幸守様に頼まれたので、唯香様のことを、唯香様とお呼びする事にしただけですよ~」
メイドさんはその真意を知らなかっただろうけれど、それは間違いなく、義兄が私のためにしてくれた行動であり、最初から知っていたはずの彼の優しさだった。
ドア向こうで眠りこけているであろう義兄のだらしない顔を僅かに想像する。
何でだろう。顔が少し熱くなる…。
「あのバカは…全く……」
「あれあれ~? 唯香様は何故そんなに嬉しそうにしているんですかね~? 端から見たら、そのニヤニヤは気持ち悪いですよ~!」
たかだかお屋敷に務める使用人である彼女が、仮にも主の孫娘である私に対して吐き捨てて良い言葉なのだろうか。源治郎お祖父様はこのメイドの何を評価して雇い続けているのだろうか。確かに、振る舞われる料理はどれも舌を巻く美味しさだったけれど…。
それを差し引いても流石に無礼過ぎる!
そっちがその気なら私だって容赦しない!
「へ、変態に言われたくないわよ! とにかく今日のところは、私が幸兄を起こすから、ナユタさんは大人しく引っ込んでいてくれないかしら? 早いところ朝食の支度でもして来たら良いと思うわよ〜」
「ふっふっふ、甘いですね。朝食の支度など既に2週間前から始めています! じっくりことこと煮込んだ鶏ガラ出汁を使用した極上の一品を朝から振る舞い、ナユタが幸守様の胃袋を鷲掴んでみせるのです! そして、ナユタに命令できるのは源治郎様と我が主様である幸守様だけなのです! 唯香様の命令など、聞く耳持ちませんね~」
「お祖父様? どうしてこんな自由な人を野放しにしておくのですか??」
これで、よくもクビにならないものだとつくづく思った。源治郎お祖父様がこのメイドを気に入っているのは知っているけれど、まさか愛人にでもしているわけじゃ…。
「嗚呼、幸守様ぁ〜! 幸守様ぁ〜!!」
無さそうだ。幸兄一筋300年と顔に刻まれていそうなメイドさんだ。どうしたらそこまで好きになれるのかわからない。どこか、狂気じみているメイドさんの幸兄愛だった。
歳の差もあるし、源治郎お祖父様がこのメイドさんとどうにかなっている説は薄い。
「使用人なら、私の頼みも少しくらい聞いてくれても良いんじゃないかしら?」
水城院家当主の水城院 源治郎の孫娘である自分は、流石に屋敷務めのメイドさんより立場が上の人間であるはずだ。無闇に立場を振りかざしたくはないが、こちらにもこちらのプランというものがある。
もう少しだけ、幸兄のことを知り、仲良くなれたらなと思う。義兄なわけだし…。
「ここを通りたくば、ナユタの屍を越えて行くことですね〜! 水城院財閥メイド長、水城院 ナユタがお相手致しましょう!」
何だかノリノリだ。こんな自由人なメイドさんの相手をしていたら、知らぬ間に時間が過ぎて幸兄が起きて来ちゃうかもしれない。
屍を越えて行けと言うのなら、そのメイド服を踏み越えて行ってやろうじゃない!
水城院 幸守の部屋の前。
バチバチと火花を散らせる美少女2人のガトリングトークで場が温まっていた。
そんなことなど知る由もない水城院家の少年は、眠たい目を擦り学生服に着替えてから、欠伸をしながら自室の外へ出る。朝から騒がしいが何事だろうか?
「…おはよう。唯香、ナユタ…2人とも朝が早いね。こんなところでどうしたの?」
まだパジャマを着たままの唯香と、既にメイド服を着用して、できる女のお仕事モードに入っていたメイドのナユタさん。
2人が同時に僕を見て来る。
「お、おはよう…幸兄……」
やや照れ気味に唯香がそう呟くや否や、隣に居たメイドさんが崩れ落ちる。何かあったのかと心配するだけ無駄な理由で崩れ落ちたのだろうと想像がつく。
「そんな。幸守様ぁ〜!? 何故お姫様のお目覚めのキッスも無しに蘇るんですかっ!?」
ほら、くだらん理由だったよね。
「誰が眠りの森の王子様だって? というか白雪姫が王子様起こしに来ないでよ。そんな童話聞いたこともないよ。あれ?…おかしいな。目覚まし時計が鳴らなかった気が…」
「専属メイドが居るというのに、目覚まし時計に頼るなんて、そんな横暴は神様がお許しになられても、この幸守様専用淫乱エロメイドのナユタが許しませ〜ん!!」
「この子今自分のこと、い…淫乱って…」
唯香が朝からドン引きしている。
そうだよ。そろそろ気付いたかな。そのメイドさんは僕の5000倍は変態だよ。あらゆる意味でね。でも大丈夫。ナユタは決して悪い子ではないから、そのうち慣れるよ。ちょっと待って? 壊したの? 僕の目覚まし時計を壊したの?
「悪い子じゃん!? 僕のなけなしのお小遣いで買った目覚まし時計を壊したの!?」
「幸守様! 心配には及びません。こちらが新しい目覚まし時計型メイドになります。こちらのおっぱいを押しながら起きたい時刻を設定し、こちらのおっぱいを押し込むことにより、耳元恋人ボイスアラームをストップすることができる、科学の粋を結成した最先端の目覚まし時計型メイドとなっております! 故に、旧文明のポンコツは用済み! 後程、燃えるゴミの日に出しておきますね〜!」
「旧文明1週間も保たなかった!!…980円もしたのに……」
「……え……ええ?…私、このノリに慣れなきゃいけないの?…え?……ごめん幸兄…私ちょっと自信無いかもしれないわ…」
「いや、慣れなくていい…代わりに、僕と一緒にナユタの暴走を止めてくれ!」
「ふっふっふ〜。かかっておいでよどうぶつフォレスト〜! くいっ! くいっ!」
「ごめん幸兄…それもちょっと嫌かも…」
「そうだね。そうだよね。大丈夫。ナユタの暴走はどうにか僕が食い止めてみせるよ!」
本人には言わなかったが、唯香の目には逃げ惑うのが関の山なハムスター幸守君と、いつでも捕食できるのにわざと泳がせて楽しんでいる大蛇ナユタさんが背景に見えていた。
やる前から、勝負あったようなものだが、このまま丸呑みされる義兄を見て見ぬ振りするのも妹として良くないのかもしれない。
「私に出来る範囲でなら手伝うわ…」
「えっ!?…唯香……どうしたの?」
彼女の額に手のひらを当てる。
「にゃあぁ〜!?…にゃによ!?」
飛び退かれてしまった。
「何って言われても、らしくないことを言うものだから熱でもあるのかと思って…何だか顔も赤いし、大丈夫? 唯香…」
「おやおや、真っ赤ですね〜」
ナユタもそう思う? やっぱり…。
「し、心配してくれてありがとう! でも私は何ともないわ!…って言うか、幸兄のそういうところよ!? そういうところがあらぬ誤解を生むんだからね! 直しなさいよね!?」
「えっ…どういうところ?……」
「ありのままの幸守様で居てください。ナユタはそんな幸守様のことを、生涯のアラームになりたい程、愛しています!」
「あっ!? あいしっ…何をサラッとプロポーズしてんのよこのメイドは!?…幸兄、このメイドだけはやめておきなさいよ!?」
「ほほう。ナユタよりも自分の方が幸守様の伴侶に相応しいとでも仰っしゃりたいので? おやおや、耳が赤くなって来ていますが、満更でもないのですかね〜? 正妻を気取るのはまだ流石に早いですよ〜」
「だだだっ、誰が正妻よ!??…私は幸兄の…い、いもうとよ!!…妹としてアンタは認めないって言ってんのよ!」
「苦しい言い訳ありがとうございま〜す!」
「幸兄! 私このメイド嫌い!!」
ほうほう。何だか知らないけれど。
「2人はいつの間に仲良しになったの? 何はともあれ、仲良くやっていけそうで良かったよ。ありがとうね唯香!」
「幸守様クオリティー!」
「……変な人たち………」
本当に嫌いな相手であるならば、こんなに楽しそうに話したりはしないだろう。ナユタはこんなんでも僕の大切な人だし、唯香も義妹として守らねばならない大切な女の子だ。
大切な人と、大切な人が仲良くしてくれるのはとても嬉しいことだ。
新学期。不安だらけの出だしだったけれど、どうにか上手くやっていけそうだよ。
尊い犠牲はあったけどね。
僕の…980円……。




