第12話 普通の女の子
1日に2度の気絶を体験した水城院 幸守が目覚めたのは午後9時前だった。脳天が心なしか痛い。いや、かなり痛い。それも物理的な痛さである。何事かと頭をさすってみると、立派なタンコブができている。
では何故、このような丘が突然現れたのか記憶を遡ってみようと思う。そう。あれは水色のパンツである。パンツだったな〜。
どう考えても思い出し方が変態のそれだったが、一番の衝撃映像がサービスショットと言わざるを得ない開脚パンツだったので健全な男子的には仕方の無い事だろう。
御一緒にかかと落としはいかがですか?
僕は注文していないが、たぶん。オマケだったのは御一緒にパンチラの方だったんだ。それならばオマケは有り難く脳裏に焼き付けておくとしよう。変態っぽいな僕…。
目覚まし時計で時刻を確認する。
夕食の時間は既に過ぎてしまっている。
お腹が空いている。お昼は何を食べたっけ。何を食べたか、思い出せない。僕のことだから何でもいいやと適当なパンでも買って食べたのだろう。しかし、量が足りていなかったようで、空腹感が半端ではない。
減量中のボクサーじゃないんだから流石に空腹では眠れない。ここは、メイドのナユタに頼んでおにぎりでも握ってもらおう。
その間にお風呂に入って、出たら少しだけ本日の授業の予習復習をして就寝かな。
「いてて…唯香お嬢様って、結構暴力的な子なんだな。人の頭の上にかかと落としって普通しないでしょ。石頭の僕じゃなきゃ、名探偵某スペシャル水城院財閥殺人事件が始まっていたところだよ…」
タネも仕掛けもトリックも無いけれど。
タンスの引き出しから寝間着と替えのトランクスなどを取り出して、僕は1度ナユタの部屋へと向かった。夜食を頼むためだ。
夜這いに来たと思われるだろうか?
いや、大丈夫だろう。流石のナユタも今日くらいは僕のことを襲わずに大人しくしていてくれるはずだ。病み上がりだからね。病んではいないけれどね。
水城院家は所謂大金持ちである。どの程度の財力を有しているかというと、屋敷内に大浴場なるものが余裕で存在するくらいだ。
部屋によってはオプションとして小さなバスルームが備え付けられている部屋もある。僕の部屋にも備え付けられているため、普段ならばそのシャワーを浴びられる程度の小さなバスルームを使用するところだったのだが、何故だか疲れが溜まっている気がして、今日は大浴場を使いたい気分だった。
それがいけなかったのだろうか?
ナユタに夜食を頼みがてら、大浴場へ赴き、1日の疲れを洗い流してリフレッシュを試みる僕の普段は取らない行動。毎日ナユタが綺麗に洗ってくれているのだから、たまには使わなければ申し訳無いだろう。正直ここを使う人って僕くらいしか居ないわけだし…。
脱衣を済ませて大浴場の扉を開ける。
今日は良い1日だった。
唯香お嬢様とも仲直りできたことだし、後は適度にパーソナルスペースを保ち、可能な限り嫌われないように、日常生活で気を配るだけだ。ドアのノックは忘れずにってね。
「にゃっ!?…」
「……えぇ?…」
経験から学ばない男。水城院 幸守。
脱衣場と大浴場を繋ぐドアを開けた僕の前に立ちふさがるその人物は……。
何だ。源治郎さんか。そりゃそうだろう。そう都合よく僕ばかり唯香お嬢様とエンカウントしてたまるものか。それにしても、随分と華奢な身体になりましたね源治郎さん。ダイエットでもしたのですか?
普段のツインテール姿とは違い、濡れた黒髪が色っぽい。髪の毛は洗った後なのだろう。セミロングストレートの黒髪美少女と言えば思い当たる節は1人しか居ない。
この御方は、源治郎さんではないな…。
脳天かかと落としという必殺技により、3度目の正直による死刑が確定する。
「この変態バカもりぃ~っ!!?」
み、見え……。
思考停止土下座だ!!
僕はタオルで慌てて前を隠しながら、反射で思考停止土下座を決めた。
「ごめんなさい!!」
いや、でも、大浴場の扉までノックしろなんてそんな無茶な!?
トドメの脳天かかと落としを運良く回避した僕が土下座の体勢から唯香お嬢様を見上げると、そこには湯気さんでギリギリ隠されているのか隠されていないのか判断がつかない義妹のバスタオル姿があった。
彼女は慌ててバスタオルを下に引き、赤面しながら太ももを内側へ折り曲げ、土下座する僕に向かい怒気増し増しで叫んだ。
「低い位置から何を覗こうとしてるのよこの変態覗き魔野郎ぉおおー!!」
「いや、そんなつもりは、あがっ!?」
本当にそんなつもりでは無かったため、視線を逸らした僕だったが、それが致命的な隙になり、唯香お嬢様は問答無用で僕の頭を素足で踏みつけた。踏みつけてくださいお嬢様と差し出した頭ではなかったが、踏みやすい位置に置いてしまったのは事実だ。
「ふざけんなふざけんなふざけんな!! もうそのまま気絶しなさいよバカ兄貴! じゃないと今度こそ、絶対許さないわよ!??」
「1日に何度も気絶というのは流石に男が廃っちゃうなぁ~なんて……」
やめてほしい。美少女に頭を踏みつけられる特殊性癖は無い。照明君辺りなら、それはご褒美ですと言ってのけるのかもしれないけれど、僕は至って一般的な性癖だ。一般的性癖なんてものがどんなものかは知らないけれど、マニアックな趣味は僕には無い。
というか踏み過ぎ! 痛い。そこには階段から転がり落ちてできたらしいタンコブが!!
「そのまま目を瞑りなさい! 視線は下っ! わかったら首を縦に振りなさい! それ以外の回答は死刑!! 110番の刑だから…」
「うぐっ…いや、ちょっと待ってほしい。今お巡りさんに助けてほしいのは、どちらかと言うと僕の方な気が……」
「うるさい!! この変態露出狂っ!!」
100歩譲って変態かもしれないけれど、ここは大浴場なんだから露出狂は違うと思う。そもそも唯香お嬢様だってバスタオル1枚の露出姿だし、このままでは互いに変態露出狂になってしまうので、今回は痛み分けということで示談にならないだろうか?
残念ながら、僕に支払えるものは生命くらいしかないんですけどね。内臓でも売ればいくらかのお金にはなるかもだね。
脳天をかち割られずに済んだ。唯香お嬢様が殺人犯にならなくて良かった。こんな生命でも奪えば例外無く咎人であるからして…。
目の前には、性犯罪者でも見るかのように冷ややかな視線を送る唯香お嬢様。
僕は下半身だけでもとタオルで隠しながら、目を瞑ったままで浴室へと移動し、勢いよくドアを閉めた。どうやら僕はまだ生きているらしい。本当に良かった。
めでたしめでたし。
いや、バッドエンドもいいところだな?
「唯香! 確認もせずにごめん! 信じられないと思うけどわざとじゃないんだよ!?」
ドア向こうから、警戒心を一切解いていない激昂する唯香お嬢様の声が返って来る。
「信じられるわけないでしょこの変態! アンタの言動は一致してないのよ! 今日は少しだけ見直したのに…それなのに、どうしてアンタは…もうっ!!………もう……」
急激に唯香お嬢様の声色から怒気が消えた。
時間の経過とともに少しだけ冷静になり、理性で抑え込んだ。そう言った方が正しいだろうか。それよりも不可解なことは…。
今日は少しだけ見直した???
何のことだろう?
「…えっと、本当にごめん! 次からは絶対に気を付けるよ! 絶対に!!………」
いや、既に信用は地の底だろうか。
流石に、取り返しはつきそうに無い、か?
「……バカ…もういいわ。今回だけは許してあげるから、後で私の部屋に来て。じゃなきゃ許さないんだから……返事は!?…」
「はい! す、すぐに行きます!」
「すぐに来るなバカ!」
「そうだね。身体を念入りに洗って、湯船で100数えてから行こうかな!?」
「この! 何を堪能して、どういうつもりで私の部屋に来るつもりよこの変態っ!!」
何故に!? 言い方が不味かったのか。確かに言い方が不味かったかもしれない。この言い方だと、唯香お嬢様が浸かった湯船を堪能しますとでも、言ってるように聞こえたのだろうか。それは確かに変態っぽいから困る。湯船には浸からないでおこう。
「やっぱり僕、今日は自室のシャワーで済ませようかなの気分…」
「そうして!!」
慣れないことをするものじゃないね。その程度で許されるならば、断る理由は無かった。代替案でどうにか変態の汚名を半分くらいは返上できたようだ。できたと思いたい。
自室に蜻蛉返りして部屋の隅にある小さな浴室でシャワーだけ浴び、ナユタに頼んでおいた特製のおにぎりで夕食を済ませ、僕は勉強前に唯香の部屋を訪れることにした。約束を破ったら後が怖い。破らなくても怖いのだけれど、脳天かかと落としによる天誅を受けずに自室に戻れたら御の字だろう。
流石の僕も学んだようで、しっかりと唯香お嬢様の部屋の扉をノックする。
「えっと、唯香? 幸守だけど…」
「…入って」
ドア越し。唯香お嬢様からのお言葉を受けて僕は彼女の部屋にお邪魔する事になった。
「失礼します…」
声が若干情けなく震えてしまった。
唯香お嬢様の部屋は、僕の部屋と同じで、このお屋敷の中でも数少ない広い部屋だ。源治郎さんの孫娘さんなのだから当然と言えば当然、良い部屋を貸し与えられているようだ。
髪をツインテールにしていないパジャマ姿の唯香お嬢様は、普段にも増して可愛かった。この場に居たのが僕ではなく照明君辺りであれば、理性が崩壊して襲いかかっていたかもしれない。正直、僕が1年生の時では、同学年にここまでの美少女は居なかったな。
強いて言うなら唯香お嬢様と張れる女の子はメイドのナユタくらいだろうか。いや、唯香お嬢様の友人もかなりレベルが高かったな。どちらにせよ、義妹の容姿が良いことなど僕にはあまり関係の無いことだろう。
「な、何よ?」
「いや、何でもないよ…唯香お嬢様…」
ここは素直に容姿を褒めても良いところだったかもしれない。だが、今宵の僕は不用意な行動をなるべく慎む事にしていた。死に方くらいは選びたいからね。
ひょっとしたら、現状が好感度底辺という意味で、これ以上イメージが悪くなることは無いのかもしれないが、少なくともまだ話しかけてもらえるレベルなので名誉挽回のチャンスがあるはずなのだ。頼むからあってくれ。
人として好きでなくていい。嫌いの位置に居るとしても最悪構わない。それでも、どうでも良い存在となるのは困る。
全てを無視される存在になるのだけは、避けなければならない。先ず目指すのが、無視のできない100歩譲れば話くらいは聞いてやれるが聞き届けるかは別の話な嫌な奴というのは、目指す目標と定めて良いのかわからないけれど、その位置にすら居ないのだから仕方が無い。
人間サンドバッグくらいは覚悟しておこう。
腹に力を入れて彼女の言葉を受け止める。
ついでに後ろ回し蹴りも受け止めるつもりで腹筋を硬くしたというのに…。
「…お嬢様って呼ばないで………」
唯香お嬢様は随分としおらしい。何か悪いものでも食べたのだろうか。元気が無い。
「それはまた、何で?…」
ああ、そうか。義兄妹という設定にも関わらず、兄が妹をお嬢様と呼ぶのは言われてみれば変だ。
しかし、屋敷外ではちゃんと唯香と名前で呼んでいるし、屋敷内でも呼び捨てで良いということなのか? そもそも、屋敷内でも半分くらいは呼び捨ててしまっていた気が…。
いや待て、まさかとは思うけれど『妹よ!』などと呼ばせるつもりなのか?
うん! それだけは無いな!!
「私が呼び捨てでいいって言ってるんだからそれでいいじゃない! 不服なの?」
「滅相もないよ。むしろ有り難いかも、屋敷内と屋敷外で使い分けなくてよくなる分、僕としては楽ができるからね?…」
「違和感があるのよ。私はお嬢様なんかじゃないのよ。今更、お嬢様のように振る舞えって言われたって無理よ。私は私なのよ。私は水城院 唯香なの! 水城院 唯香お嬢様なんて人、私は知らないわ!…」
「…………………………」
僕には唯香の言葉の意味が理解できた。
同じだったから…。
他人から見た水城院 幸守という少年は、誰もが羨むお金持ちのお坊ちゃまなのだ。
しかし、実際はそうではない。水城院 幸守はお金持ちだからと言って無闇にお金を使いたがらないし、裕福な身の上を自慢したりもしない。養父の財力には極力頼りたくない。ただの、ごく普通の高校生と何も変わらない。
水城院 幸守は存在してはならない存在。
どうしようもなく偽者なのだ。
存在そのものが嘘なのだ。
嘘の塊としてそこに存在しているのが水城院 幸守なのだ。ならば、その存在してはならない水城院 幸守は、可能な限り目立つ訳にはいかないだろう。可能な限り、悪評は立てず、ただの好青年としてこの時を過ごさなければならない。いつでも笑っている、そんな人間でいなければならない。
偽りの自分は好きではない。
でも、僕はもう、以前の僕がどのような人間であったのか忘れてしまった。
彼女は僕とは違う。偽者の自分になることを拒んでいる。僕が選べなかった道だ。いいや違うな。それは、僕が選ばなかった道だ。その気になれば、僕だって選べたかもしれない道だった。
「…唯香、ごめん…。不快な思いをさせて、本当にごめん……」
源治郎さんの孫娘として、正統な水城院家の後継者として、源治郎さんの息子が戻って来ない場合、僕は彼女が後継者になるべきだと考えていた。最悪僕は、水城院 唯香お嬢様という人物に、僕が源治郎さんから預かっている全ての相続権を託せば良いと考えていた。
君の気持ちなど何も聞いていないのに。
「2度と言わないでくれたらそれでいいわ。頭を下げられる程のことでもないし、本当に軽い頭ね。そう何度も何度も謝らないでよ。バカ兄貴…」
唯香は、唯香お嬢様ではなく、ただの1人の女の子として扱ってほしかったんだ。
当然だ。彼女は祖父がお金持ちなだけの普通の女の子、水城院 唯香なのだから。
「これからは、唯香って呼ぶよ。お屋敷の中でも、外でも…どこでもね……」
微笑む僕につられて唯香も笑顔になるが、直ぐに普段の不機嫌そうな表情に戻ると、彼女は右手の小指を差し出してくる。
「約束だからね」
「え、指切りって……唯香って、思ったよりも可愛い性格してるんだね!?」
「んなっ!? 私をバカにしてんの!?」
「滅相も無いよ…普通の女の子だなって、そう思っただけ…それだけだよ……」
「…………なら、いいけど……」
小指を軽く絡めて僕は義妹と約束する。
水城院 唯香お嬢様としてではなく、僕は彼女のことを義妹の唯香として接する。普通の女の子として接する。
「今度お嬢様って呼んだら、活きの良いハリセンボン千匹飲ます。指切った!」
「おうふ…」
本当に決行されたら完全にイカれた金持ちの道楽なわけで、素質は充分なのではなかろうか。最も、源治郎さんの血筋である唯香がそんなクレイジーな遊びに興じるとは思えないので冗談として受け取っておく。
「わかったよ。覚えておく…」
「それと…えっと……その…今日は、助けてくれてありがと……」
「ん? 今日?……」
唯香の助けになる何かをした覚えは無いのだけれど、僕は何かしましたか??
「………本当に記憶が飛んでるのね…」
「え? いや〜、あれ? 記憶力にはそこそこ自信があるんだけど?…」
「…はぁ……お屋敷の階段から、足を滑らせたのは私よ。幸兄は、そんな私を庇って階段から勢い良く転げ落ちて頭を打ったのよ。助けられたのは事実だし、私をストーキングしていたことには目を瞑ってあげるわよ…」
記憶に無いが、唯香が足を滑らせて大ケガしそうになっていたら、僕なら捨て身で助けに飛び出していそうだ。聞かされてみても記憶が戻らないんですけども!?
でも、彼女が嘘を吐く理由なんて無いわけだし、好感度を飛躍的に稼いだ原因があるとすれば何かと言われると、身代わりに階段を転げ落ちるくらいのことは確かにしてそうだ。
本当に記憶に無いけれど、首筋がいきなりチクッとして、うとうとすや〜からの、起きてみれば事件が解決天晴名探偵並みに大活躍時の記憶がスッポリと無いけれど、好感度の上がり方は不思議としっくり来るものがある。
「そっか…お役に立てたなら何よりだよ…」
「…………………………」
「唯香?」
僕の顔に何か? 考えごとかな?
「何でもないわ。要件はそれだけ。言いたいことは言ったし、スッキリしたからもう部屋に戻っていいわよ幸兄…おやすみなさい…」
しっしと手を振って退室を促される。
「了解。おやすみ…唯香……」




