第11話 呼び方
ベッドに横になっている。頭が少しだけズキンと痛む。視界が開けて来た。無駄に高い天井をぼんやりと見上げる。水城院家のお屋敷の、僕の…水城院 幸守の自室のようだ。
「……あれ、僕は…」
小さく呟くと、寝ていた僕を見守るようにして椅子に腰掛けていた2人の少女が心配そうに話しかけて来る。
「だ、大丈夫なの!?」
「幸守様!…よかったぁ……」
大丈夫? 何が大丈夫なのだろうか?
唯香お嬢様に心配されるなんて、そんなはずはないのでこれは皮肉だろう。頭大丈夫なのお馬鹿さんという意味だ。ファイナルアンサーかだって? ファイナルアンサーだよ。他にどのような理由も思い付かない。
唯香お嬢様と一緒に居る緑髪の巨乳は、お屋敷で働いている美少女メイドのナユタだ。今日もカチューシャがよく似合っている。いつもより少しだけ元気が無い。何故?
唯香お嬢様とナユタ。
どうしてそんな顔をしているんだろう?
ダメだ。思い出そうとすると酷く頭が痛くなってしまう。何故僕は、自室のベッドで2人の美少女に見守られながら眠りこけていたのだろうか。どうしても思い出せない。
「お身体に痛い所はありませんか幸守様? 屋敷の2階に向かうため階段を上っていた幸守様は足を滑らせてそのまま階段の1番下まで転がり落ちたんですよ~!」
マジですか?
「それで頭が痛いんだね。何だか身体もところどころ痛いような気がするし、なるほど、階段からね〜。ぶ、無様過ぎる……」
階段で足を滑らせて転がり落ちてそのまま気絶して自室に運ばれたと。その時の記憶が無いんだけど、ナユタがそんな無意味な嘘を吐く理由が無いから本当なのだろう。
お尻とか凄く痛いし、打ち付けた感じもするけど、擦り傷っぽい痛みもするんだよね。
右腕、左腕、交互に回してみる。両足も多少痛みはするが問題無く動くし、五体満足のようなので大したことはないようだけど、階段から転がり落ちて気絶ってどうなの?
そんな兄どうなの? 最高に滑稽だよね?
幻滅は、最初からされているので、唯香お嬢様の好感度はこれ以上は下がることがないのかもしれないけれども、最早挽回の余地すら無くなったかもしれない。
できることならば、恩師である源治郎さんの言い付け通り唯香お嬢様とは仲良くしたかった。ごめんなさい源治郎さん。これはもう不可能と書いて無理と読むやつです。だって変態の上にダサいが追加されたからね!
「幸守様ぁ〜! とても格好良い気絶っぷりをしていらっしゃいましたよ幸守様!」
「そ、そうなんだ。格好良い気絶?…格好良い気絶って何? どんなポーズ??」
不屈のボクサーのように、奇跡的に立ったまま気絶でもしていたのだろうか。
「あまりの格好良さに、不覚にもナユタは寝込みを襲えなかったのです!」
意味がわからないが、僕のアクロバティックな格好良い気絶に感謝だね。助かった。それはどの程度ダサさを軽減してくれたのか気になるところだ。
「人が気絶している間に何をしようとしているのかな? 大丈夫なのかな? 僕のあれやこれや色々と、本当に大丈夫なのかな?」
トランクスの中を確認して、白黒はっきりさせたいところだが、唯香お嬢様が居る前で早速トランクスの中を確認なんてできるはずもない。証拠を見るのは後にしよう。
ナユタが心配してくれるのは嬉しいし、彼女の事だからそんな形で僕の童貞を奪おうなんて事は無かっただろうけど、問題は僕のことをビンタしたい程大嫌いな唯香お嬢様が、階段から転げ落ちた無様な僕を、何故心配しているのかというお話だ。つまりは…。
また何かやらかしちゃったのかな?
悩んだ末に、僕はとりあえず唯香お嬢様に謝っておく事にした。僕が彼女に良いことをしたとは思えないからね。謝り得だろう。
「その…唯香…何をやらかしたか、ちょっとよく覚えていないんだけど、何かとんでもないことをやらかしていたのなら謝るよ…」
何もやらかしてない僕が唯香お嬢様と距離を縮めたなんて有り得るのだろうか?
答えは否だ。
こっちは少しでも険悪なムードを解消したいというのに、何かある度に仲が悪くなっていくなんて勘弁してほしい。
それにしても、唯香お嬢様は嫌いな相手でも心配することができる子なのか。本当の彼女はとても優しい子なんだろうな。
こうなりゃヤケだ。最終手段。ナユタに女の子と仲良くなるにはどうすべきか相談に乗ってもらって……。
あれ?…何だ?……頭が…痛む…。
「アンタは、その…別に……私に何もしちゃいないわよ。何も……」
「………………………」
特に大きな外傷も無かったので僕はベッドから起き上がろうとしたが、メイドさんのナユタに止められてしまい、ベッドに強引に押し倒されてしまった。そのまま馬乗りにならないのは唯香お嬢様が側に居るおかげか?
「ダメですよ幸守様ぁ〜。歴史は繰り返すとよく言います!」
ナユタさん? それはつまり幸守君は全く学習能力が無い子なので、階段から足を滑らせて転げ落ちるテイク2をやらかすだろうと言っているように聞こえるんだけど?
今度はちゃんと気を付けるから大丈夫さ。
「幸守様…2人切りになれますよ〜…」
ナユタが小声で僕に耳打ちすると、ついでに軽くチュッと頬にキスをしてくる。
「ちょっ!?」
「にゃにをっ!?」
僕と唯香は同時に緑髪のメイドさんを見詰めるが、彼女は全く悪びれない。いつものようにニコニコ笑うだけだ。ナユタが自らキスして来るのは珍しい。何だかんだで彼女は僕の方からアプローチされたい女の子だからね。
「それでは、ナユタはお仕事に戻りますので唯香お嬢様にはナユタに代わり幸守様の看病という大役をお任せします。よろしくお願いしますね~!」
僕の看病って、僕は病気なのか??
ペコッと頭を下げて水城院 ナユタは2人を残し幸守の部屋を出て行ってしまう。それから彼女は廊下に出た後に誰にも気付かれないように小さく呟いた。
「ご褒美、確かに貰いましたよ幸守様…」
自室に残された僕と唯香お嬢様は互いに顔を見合わせて黙り込む。心なしか唯香お嬢様は、いつにも増してご機嫌斜めだ。何か気に障るようなことでもしただろうか?
「…へぇ~、あっそう……嬉しそうにしちゃって…つくづく変態なのね!」
さっきのほっぺにキスで気分を害した?
確かに、他所でやれ感はあるが…。
「嬉しそうになんてしてないよ?…」
唯香お嬢様も見ていたよね? 僕は何もしていなかったよね? 確かに防御も回避もできなかったけど、できなかっただけなんだよ。できたら避けたんだよ。本当だよ…。
まあ、これっぽっちも嫌ではなかったけれどナユタ程の美少女に不意にキスされて嫌がれというのも、嫌がる素振りを見せろというのも無理な話だ。
相変わらず理不尽に変態扱いされているが、唯香お嬢様は何故か部屋を退室しない。僕が変態だと言うのであれば、2人切りのこの現状は唯香お嬢様にとってよろしくないものなのではないか。いや、僕は変態ではないし、唯香お嬢様をどうにかしようなんて邪な考えは無いけれど、しかし、よくわからないうちに降って湧いた機会を逃す手は無いだろう。
仲直りのチャンスだ!
とはいえ、謝罪は散々して来たし、同じようなことをしても、はいはいそれね。見飽きたわ。と一蹴されて終わるだけだろう。
自分で言うのも何なのだが、唯香お嬢様は水城院 幸守という男が大嫌いなのである。
嫌い程度ではない。顔も見たくない程大嫌いなのである。その唯香お嬢様が大嫌いな相手の部屋から1秒でも早く退室しないのは、一体全体どういう理由だ?
考えてもわからない。僕の軽い頭では謝っても無駄かもしれないが、謝っておくか。
「ごめんなさい…」
「………へ?……」
いいや、唯香お嬢様が謝ってきた。
どのようなナゾナゾよりも謎な謝罪がそこにあったという。自分が唯香お嬢様に謝罪されたという珍事を頭が認識するのに30秒程かかってしまう。不可解な謝罪だ。
「…ん?…えっと、唯香が謝るようなことは何も無かった…と思うけど…」
「嫌な態度を取ってごめんなさいって言ってるのよ! 充分に…謝るようなことよ…」
それはそうかもしれないが、もともと悪いのは唯香お嬢様の着替えを覗いてしまった僕の方だし、唯香お嬢様の父君の代わりに源治郎さんの養子としてこの家に迎え入れられた僕を彼女が恨むのも無理の無いことだ。
僕の知らぬ間に何かがあったのか?
待てよ。もう1つ可能性がある。
「あ、ああ…これは、夢か……」
僕の導き出したワンチャン当たってるんじゃないかという答えに対し、お世辞にも沸点が高いとは言えない唯香お嬢様がキレた。
「それは私が、夢の中でもないと悪いと思ったことを自ら謝り頭を下げるような人間じゃないって意味なのかしら!?」
「そこまでは言ってないよ!?…え、何何何何何!? 何故に距離を詰めて……」
唯香お嬢様の間合いだった。
普通に怖かった。
唯香お嬢様はベッドの上に片膝を乗せて身を乗り出すと、ケガ人相手に容赦無しの攻撃を仕掛けて来た。こめかみをはさ込むように拳を密着させると、勢い良くグリグリと回して僕のライフを削り始める。
「うがぁ~!? い、痛い!? 何で痛い!? ごめんなさいごめんなさい!? 本当にごめんなさい! これは現実でした! 唯香さんは世界一優しいお嬢様でした!?」
超痛かった。
「バカのくせに私をバカにするな! バカぁあああ〜!!」
ギャオース!! 怪獣の名前のような断末魔が僕の部屋に木霊した。
何ひとつ現実を飲み込めない。
一体全体どうしてこうなっている???
「もういいわよ。とにかく私が! 謝っているんだから許してくれればいいのよ!」
頼まれている割には、まるで脅迫だ。
僕の知らぬ間に仲直りのきっかけがあったのだろうが何1つ覚えていない。ナユタか源治郎さんが手を回してくれたのだろう。それでも、仲直りできるのなら是非もないと、僕は改めて右腕を彼女に差し出した。
「唯香、仲直りしよう」
「………………………」
多少勇気を出して差し出した手だったが、その手を見て唯香お嬢様は黙り込む。別に僕の手はそんなに汚くはないよ。いや、階段から転げ落ちて直送でベッドの上だとしたら汚いかもしれない。引っ込めるが吉か…。
事を急いだと後悔しつつ、恐る恐る引っ込めようとした手を彼女が慌てて握り締める。
「何で引っ込めるのよバカ幸守!」
「ご、ごめんなさい!?」
優しく握り締める少女の手。自分のものよりも僅かに小さく、温もりが伝わって来る。
「小さい…」
温いと言うのも変態っぽいので、消去法で女の子の手って小さいんだなと発言した僕の不用意過ぎる呟きに唯香お嬢様は再びキレた。
握力が跳ね上がる。女の子とてキレればそこそこの握力を発揮するのだと僕は経験から学び取った。力を入れ返せば流石に勝てそうだけれど、これ以上嫌われる行動は避けたいので力は入れずに痛みは我慢する方針となる。
「え? 何かしら? それはもしかして、私の身長の事を言っているのかしら? それとも、む…胸の事を言っているのかしらね? 変態だから胸の事かしらね!??」
ナユタに比べたらそうだねと言えば最期、やり直しは効かないだろう。僕は痛みに耐えながらそのガメオベラの呪文を飲み込み弁明に勤しむ。
「ち、違うよ!? 女の子の手って小さいんだなぁ~って!…それだけだから!……」
「そっ…いつまで握ってんのよ!…」
ようやく手を離してもらえた。握り潰して来ていたのは唯香お嬢様の方だと思うが、火に油を注ぐような真似はやめておこう。
「幸守……」
「…は、はい……」
突然、唯香お嬢様に呼び捨てられた。
背を向けたまま呟く唯香お嬢様は、続けてその名を繰り返し口にする。
「…幸守……… 幸っ… 幸守さん?……何か違うわね…ゆき……ん〜…………」
黙って聞いていた水城院 幸守さんこと僕には彼女の行動がやはりわからない。その足りない頭で考察しようとした次の瞬間。
バッと振り返って来た唯香お嬢様にビクッとする幸守さん。義兄の威厳など皆無である。本当に普通におっかない。
「ゆ、幸兄さん!!」
「……………へ?…」
顔を真っ赤にして再び背を向けてしまう唯香お嬢様の肩はワナワナと震えていた。
「さんは無し…なんだかムカつく…さんを抜けばいいのよ…大体、こんな奴にさんなんて敬称勿体無いわ。さんの無駄遣いよ…」
「……………………」
お嬢様は振り返り僕に向かい断言する。
「今から私はアンタの事をそれなりの敬意を込めて、幸兄って呼ばせてもらうから!」
「……何で?…」
新手の脅迫??
いいや、違う。ただ呼び方を決めただけだ。コイツ、アイツ、ソイツと呼ばれるよりは遥かに有り難いことではある。そうだね。少なくとも源治郎さんの前では、そう呼んでもらえると有り難いかもしれない。
水城院 幸守と唯香お嬢様が兄妹という設定を口にしたのは源治郎さんなので、お嬢様はそれに従ったに過ぎないのだろう。決して敬意を込めて愛称を決めたわけではない。理解している。渋々、致し方なくである。
幸兄だって?
内心では、敵、ゴミ虫、変態野郎、トラックにでも轢かれてしまえ! くらい思っているはずなのだ。ここ数日邪見にされていた僕が、彼女の目にどう映っていたかなど確かめるまでもないことだろう。
これは彼女にとっての最大限の譲歩だ。
そういうことだ。そうだね。そうしよう。
源治郎さんの前だけで構わない。僕たちは仲の良い義兄妹を演じようじゃないか。
「わかったよ。全て理解した!」
「な、何を理解したのよ? 思い出したの?」
思い出したとは? この僕に何を思い出せと言うのだろうか。何やら軽く頬を染める唯香さんを見て、思い出すことと言えば何だろう。唯香、恥ずかしがる顔は可愛いのにな…。
恥ずかしがる唯香…あの時も…。
「上下とも水色の…」
「…上下とも水色の?………」
しまった。迂闊過ぎる。早く話題を変えてうやむやにしなくては、いけないのに…。
唯香お嬢様は秒で理解したようだ。
「上下とも水色の何を、じっくり舐め回すように見ていたのかしらね〜??」
凄い。唯香お嬢様は身体が柔らかいんだろうな。でもどうして、またしても僕に水色のそれを見せてくれているのだろう。緩やかなそのモーションに何の意味があるのだろう?
制服のスカートから覗くパンツに目がいってしまい僕はそれがトドメの一撃を放つ予備動作だと気付かなかった。いや、本当は気付いていたんだと思う。でも、脳天より高い位置に上げられた見事な開脚を前に僕はただただ感心してしまったのだ。
それがいけなかった。
「バカぁあああ!!」
「ごはっ!?」
後に何度でも浴びることになる唯香お嬢様の伝家の宝刀。脳天かかと落としは、彼女の下着に視線誘導されていた僕の隙だらけと言っても過言では無い頭上から、容赦なく打ち落とされた。必殺の破壊力だったという。
水城院 幸守は無様に、そして呆気なく、再び記憶を失ってしまうのであった。
ベッドに沈み気絶する水城院 幸守を眺めながら、ツインテールの少女は鼻をフンっと鳴らしてから首を背ける。
「バカ兄…もう、最悪。何で私…こんな変な奴に助けられちゃったのよ…不覚だわ…」
気絶する義兄を見詰めながら、唯香は小さな溜め息を吐いた。
気絶してしまった部屋の主をベッドに寝かせて布団をかけ直してやり、唯香は幸守の部屋を後にした。ドアを閉めると同時に陽気な声色のメイドさんが現れる。
「な、何よ!?」
お屋敷勤めの住み込みメイドさんは唯香の目をじっくり見詰めて尋ねた。
「幸守様に惚れましたかぁ〜?」
身体を抱き締められ、命懸けで自分を守ってくれたことには感謝しているし、胸がドキドキしたのは確かだった。でもそれは、所謂吊り橋効果というものに違いない。
頬が赤く染まる唯香だったが、そんな事は絶対に無いと彼女は思い切り首を左右に振り全力で否定する。絶対に! 違う!!
「だ、誰があんなバカ兄貴に惚れるもんですかっ!? あんな、変態に惚れる女が居るわけないでしょ!?…」
「ナユタは惚れていますっ!!」
変な人と変な人でお似合いだと思う。
「それは知ってる。見ればわかるわよ。変な勘違いしないでよね。私はただ、お祖父様が私たちの関係を兄妹という設定にしたから、やむなく演じてあげているだけ。それに、一応は…命の恩人だから……ただ、それだけなんだからね!…それだけよ…それだけ…」
立ち去る唯香を見送って緑髪のメイドさんは少々困ったように微笑んだ。
「ツンデレ義妹ですか〜。相手にとって不足は無いですね! ですが、残念ながら幸守様はナユタが美味しく頂きますからねぇ~!…途中参加の義妹に負けるようなメイドさんではありません! キャリアが違うのですよ!」
恋のライバルが現れた。
幸守大好きメイドさんは勝手にそう判断し、唯香お嬢様への態度を改める事にした。
当然である。
本人は気付いていないかもしれないが、彼女から発せられていた敵対心は、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。彼女はもう、幸守の敵ではなくなったのだから…。
「もっと時間がかかると思っていたのに…案外チョロいんですね〜。唯香お嬢様…」




