聖徳寺の会見
「老人雑話」にも、この会見についての記述があるようです。
(「老人雑話」 → いろんなおもしろエピソード集的な文献。信憑性はそこまで高くない。江戸時代に書かれているので、このエピソードも信長公記をベースにしている可能性もあるんじゃないかと思います)
老人雑話では、信長の着物の柄にまで言及されていて、陰茎が大きく染め抜かれていたとか。
「お馬鹿なありえない衣装」で片付けられてしまうことが多い逸話ですが、
結婚後5年近くたつのに濃姫との間に子供ができていないことを考えると、「ありえない」だけじゃない気もします。
濃姫は、道三の正室が産んだ唯一の娘と言われています。
道三は美濃で、婚姻と暗殺を繰り返して成り上がっています。
濃姫(正室の産んだ娘。18才。まだまだ再婚・出産可能。信長との間に子供ナシ)は道三にとってかなり大切な駒のはず。
私が道三なら、絶対に没落寸前の織田家から、濃姫を回収します。
信長としては濃姫を回収されたら道三とのつながりも切れてしまうので、そこは絶対に避けたいところ。
最大のネックは、二人の間に子供がいないことです。
そこで「俺は(性的)無能じゃねぇ!」アピールをしたかったんじゃないかなぁと思います。
そう考えると、単に「お馬鹿」で片付けられるエピソードではなく、信長も相当必死だったという可能性もあると思います。
(崖っぷちでもあきらめない。打てる手は全部打つ。どんな時でも全力投球。素敵です)
あるいは……。愛知県を含め、日本各地に陰茎をかたどったご神体等がある神社(子宝神社的な)はたくさんあります。ということは、今の感覚に比べると当時はそれほどぶっ飛んだデザインじゃなかった可能性もある、かも……????
※※
話は少し飛びますが……
(そしてふんわりと聖徳寺の会見後の内容も含みますが)
濃姫については資料が少なく、結婚後すぐに亡くなったり離縁したという説もあります。ただ、聖徳寺の会見の後、道三が信長に兵を貸したりしていますので、少なくとも会見の後すぐまでの離縁・死別はなさそうです。
というか、信長は道三が亡くなるまで子供ができていません。
信長は道三の死後、側室との間に次々と子供をもうけます。
となると、不妊の原因は濃姫側にあったと考えるのが自然です。
それでも信長には道三が死ぬまで(あるいは、信行との跡目争いが激化する頃まで)子供がいません。
『この時代は跡継ぎを作ることは非常に重要で、正室に子供が産まれなければ、側室に子供を産ませるのが普通』とのことですが、その形跡がありません。
以上を踏まえると、信長は、かなりの高レベルで濃姫を大切にしていた可能性があるのではないかと思います。
(いやむしろ、そうあって欲しい!!(笑))
それか、20歳過ぎまで女性には興味がなかったってこと!? むしろ男性派??
確かに当時は、男色は今よりずっと一般的だったそうですが……。
それでも第一子の誕生後は、たくさん子供もできています。
その間に、一体何があったのでしょう。
できることなら、本人に聞いてみたいです!!
※※
この会見は、とっても象徴的かつ魅力的なエピソードなので、大好きです。
(信長公記で淡々と描かれたこのエピソードを読むと、ゾクゾクします。
ただ、道三のセリフとか「いつ、誰がどこで聞いたのさ?」「そして、それを、いつ、誰が牛一に伝えたのさ!?」とか思い始めると、どこまでが事実なのか疑問がわきます。
ストーリーとしては最高なので、逆にできすぎているというか……)
ちなみに。信長公記では、この信長が正装をする大変身の場面に「生まれて初めて髪を折り曲げに結い」と書かれていますが、本当でしょうか?
信長の元服は本家で盛大にやった(信長公記首巻3、吉法師、元服)っぽいのですが、その時は折り曲げにはしなかったんでしょうか。元服の衣装、謎です。
いずれにせよ、私が知る限り「信長公記」と「老人雑話」以外の文献に、この会見についての記載がないので、信長公記に書かれた内容のうちどの程度が「真実」 or 「でっちあげ」 or 「忖度」なのか、分からないところが残念です。
何かご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。
お読みいただきありがとうございます。
本編、まだまだ頑張ります。
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