信長は家督を継いだのか?
信長については、重要な資料が二つあるようです。
(諸意見あり。ただし、信長に会ったことのある同年代の人(信長の死後100年、とかじゃなく)が書いていて、それなりの情報量があるのはこの2つっぽいです)
1つは信長公記(太田牛一)
もう1つは 日本史 (ルイス・フロイス)
です。
信長公記には
信秀が死んだ後、
「末盛城」(信秀の住んでいた城)と「柴田勝家・佐久間信盛・その他歴々(一流の人々)」
を、信行(信長の弟)に譲った
と、がっつり記載されています。(首巻9・織田信秀、病死)
(柴田勝家も、佐久間信盛も、織田家重臣。
その後、信長軍を束ねる超重要な家臣になります)
――これって、信行が家督を継いだって言いませんか???
だって、家(家族含む)と、メインどころの家臣は信行が譲り受けたってことですよね??
ちなみに嫡男・信長は(信秀の生前に)那古野城を譲られたって書いてあります。(首巻1・尾張の国、上の郡と下の郡)
「嫡男」とは書いてありますが――。
これは跡を継げない側室の子供とか、四男以降の息子とかが、わりと早めに本家を出されて自分の城を貰ったのと同じ扱いなんじゃないかと思うのです。
で、信長につけられた家老が四人いて
筆頭 林秀貞 → 父の死後、信行に寝返る
次席 平手征秀 → 父の死後、切腹
三番 青山秀勝 → 信長の元服前に死んでる
四番 内藤勝介 → あんまり活躍していない(不祥事があった?)
勘定方 平手征秀(次席と兼任)
(和田裕弘 織田信長の家臣団ー派閥と人間関係27-35)
…………けっこう、かわいそうな感じじゃないですか?
これで「家督を継いだ」って言われても……(涙)、的な。
ちなみに「日本史」(フロイスさんはちょっと思い込みが激しめなので、事実以外は鵜呑みにはできませんが、当時の日本人の様子がたくさん書かれています。あと、信長の部下じゃないので、牛一さんと違って忖度なしです)の方には
ざっくりまとめると(第1部83章 前半部分)
信長は3男だった。
信長には兄がいた。
信長の父が死んだ時、信長は兄の相続権が自分より上だったのが我慢できなかった。
(兄が父の相続において自分に優先することが堪えられなかった、と訳されています)
病気のふりをして兄を呼び出し、兄を殺した。
と書いてあります。
「日本史」は古いポルトガル語で書いてあり、私は原文は読めません。
が、この「兄」というのは明らかに弟・信行の事ですよね。
(英語だと兄も弟もbrotherと同じ単語で表します。
現代ポルトガル語にも同じような単語があるそうです。
古いポルトガル語で書かれた「日本史」に記載されている、「兄」がどのような単語だったのかは分かりません。
誰かご存じの方、いらっしゃったら教えてください!)
というわけで、「日本史」にも、がっつりと「織田信秀の跡を継いだのは信行」と書かれている。
と考えて良いのではないでしょうか。
以上「信長公記」「日本史」の2つの文献により、
『織田信秀の死後、織田家の家督を継いだのは、信長の弟・信行だった』
ではないかと思うのですが………。
違いますか……?
私の知らない、もっと重要な資料があるのでしょうか。
私はどこで間違えたのでしょう………。
何かあれば、ご指摘希望です!!
(ホントに……お願いします……!)
とりあえず、本編では誰が何と言おうと
「織田信秀の跡取り息子は信行」という前提ですすめていきます!!
そうすると、ちょっと違った景色が見える気がしませんか?
こんなところまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
本編頑張ります。
お読みいただけると嬉しいです!
むっちゃ嬉しいです!
応援よろしくお願い致します!
参考文献
地図と読む現代語訳信長公記
太田牛一著 中川太古訳
回想の織田信長-フロイス「日本史」
ルイス・フロイス(著),松田毅一(翻訳),川崎桃太(翻訳)
織田信長の家臣団ー派閥と人間関係
和田裕弘




