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忘却世界の渡り手ーー忘れないと決めた男の忘れられる旅  作者: 生サーモン


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【第30話】初戦、相棒

 開演前の闘技場は、すり鉢の底で音が煮えていた。


 円形の観客席がすり鉢の壁で、底に据えられた石造りの円い舞台は、床から人の背丈ふたつぶん高い。落ちたら場外。落下点には緩衝の理が敷いてあると係員は言った。フィムに聞いたら「たぶん」と返ってきた。この街の「たぶん」は、あんまり信用しないことにしている。


 観客の柄は、聞きしに勝った。


「初戦から八級同士、潰し合え!」


「噂の器持ち! 顔は九級だな!」


「ガロー! でかいぞー!」


(でかいは、応援なのか?)


 野次の質はともかく、量は本物だった。新人大会は、この街の数少ない全種族共通の娯楽らしい。獣人も竜人も機械の民も、同じすり鉢で同じ串焼きをかじって、同じ野次を飛ばす。平和といえば平和な光景ではある。舞台の上を除けば。


 午前の第三試合で、その野次が一度だけ、変な形に裏返った。


 ドルゴと、本命ラガンが、初戦でぶつかったのだ。籤ってのは、平等に意地が悪い。岩の巨体が若い竜人を潰すと誰もが思った試合は、長くは続かなかった。ラガンは静かだった。ドルゴの突進を三度いなし、四度目、伸び切った岩の腕を取って、支点ごと崩して、舞台の縁の外へ落とした。


「十五年の六級が、聞いて呆れらあ!」


 場外の砂の上で、ドルゴは長いこと、自分の掌を見下ろしていた。野次は好きに飛べばいいが、あの背中は、あんまり見ていたい類いのものじゃなかった。





 昼、第六試合。


 観客席へ上がる前に、ノアが俺とガロを順繰りに見て、生真面目に言った。


「……どっちも、おうえんする」


「おう!」


「引き分けはないぞ、それ」


「ん。しってる」


 知ってて言うのが、あの子の答えらしかった。フィムはフィムで、俺の胸ポケットから渋々出ていきながら「公式試合は同行禁止なんだよ! 規則だから! 規則だからね!」と三回言った。あれはたぶん、あの妖精なりの武運長久だ。


 舞台への通路で、ガロと並んだ。防具は胸当てだけ、得物は刃を潰した訓練用だ。あいつは大剣、俺は短い棒。得物と呼ぶのも申し訳ない装備だが、素手よりはましだった。


「メグル。ひとつ聞く」


 ガロが、前を向いたまま言った。


「誓いのやつ、使うか」


「使わない」


 即答できた。ゆうべのうちに決めてあった。


「調教が終わってない。対人で使って、妙な言葉が暴発したら、試合じゃ済まなくなる。……ってのが理由の半分。残りの半分は、まあ、あれだ。相棒相手に、口約束で勝ちたくない」


 ガロは二秒黙って、それから、通路の石が鳴る声で笑った。


「なら、それがおまえの全部だ! 全部、来い!」


 光の中へ、先に出ていく。でかい背中だった。試験の日は隣に組んだ背中を、今日は正面から見る。


 銅鑼が鳴って、俺は三歩で悟った。


 宿題を、やってきていやがる。


 構えたときの左足の荷重。打ち込む前に右へ振れる尻尾の先。打つ直前の、一回の瞬き。出会った日にこの目が拾った三つの癖が——ない。きれいさっぱり消えている。俺が教えたのだ。教えた癖を、あいつはこの二月あまりで、ひとつずつ潰してきた。


(真面目か! そういうとこだぞ、おまえ!)


 読みの外れた初撃は、爪先の向きだけを頼りに、後ろへ跳んで外した。風圧が前髪を持っていく。刃が潰してあっても、当たれば骨までいく重さだ。二撃目の横薙ぎは転がって抜け、立ち上がる前に三撃目の影が来て、舞台を這って逃げた。すり鉢が沸く。逃げてるだけで沸いてくれるんだから、いい客だった。


 逃げながら、目は働かせ続けた。癖は消せる。だが、生き物は嘘をつききれない。


 ひとつ。耳だ。尻尾は御しても、狼の耳までは御しきれない。狙いの方角へ、左耳の先が一瞬だけ倒れる。


 ふたつ。踏み込みは三歩目が最速。一歩目と二歩目は加速の仕込みだ。なら、二歩目までに立ち位置をずらせば、最速の三歩目は空を切る。


 みっつ。吠える直前に、息を溜める。あいつの咆哮は景気づけじゃなく、本当に一拍、力が乗る。胸の膨らみが、その予告になる。


 三つあれば、上等だ。


 次の突進、二歩目で左に半歩ずれた。最速の三歩目が、俺のいない場所を通り抜けていく。伸びた胴へ、棒の先を突き込んだ。手応えは、浅い。それでも闘技場が、どっと揺れた。


「当てた! あの八級、ガロに当てたぞ!」


 当てただけだ。効いちゃいない。それでも、当たるという事実が、ガロを変えた。笑ったのだ、あいつは。牙まで見せて、嬉しくてたまらん、という顔で。


「そうこなくちゃなあ!!」


 咆哮の予告も、二度使えた。胸が膨らんだ瞬間に間合いを捨てて離れる。力の乗り切った一撃は、当たらなければただの大振りだ。振り抜きの脇腹へ、棒を一本返しておいた。効かないのは承知の上で、帳尻ってのはつけておくものだ。


 そこからは、削られる一方だった。


 ガロは、考えるのをやめた。考えて振るから癖が出る。読みの土台ごと捨てて、ただの狼に戻って、上から横から、質量で潰しに来た。読める。読めても、体が追いつかない。棒で受けた左腕がしびれ、二度、舞台の縁まで吹っ飛ばされた。爪先が縁の内側に残ったのは、運と意地だ。


 最後は、罠を張った。


 縁を背にして、足を止める。誘いだと、あいつも分かっていたはずだ。分かってて、来た。そういう男だ。俺は二歩目で外へ振れて、突進の横腹へ、足を掛けにいった。体重差は関係ない。走っている質量は、行き先さえ曲げてやれば勝手に転ぶ。今朝ドルゴを落とした、ラガンのあの崩しを、頭の中で百回なぞった一手だった。


 届く寸前、ガロの左手が、俺の襟を掴んでいた。


 最速の三歩目を、あいつは自分で殺していた。勝負どころで突進を捨てて、止まって、掴む。読み合いの、そのまた上を行かれた。あとは単純だ。視界が回り、背中から舞台に落ちて、肺の空気が全部出た。気づけば大剣の先が、鼻先で止まっていた。


 出会った日と、同じ構図だった。違うのは、周りの音だ。あの日の失笑の代わりに、地鳴りみたいな歓声が、すり鉢の底へ降ってきていた。


「……参った」


「よっしゃあああ!!」





 ガロは両腕を突き上げて吠え、すり鉢がそれに応えた。勝ち名乗りってのは、あいつのためにある儀式だと思う。俺は転がった棒を拾って、素直に拍手をした。悔しさは、ある。腹の底でちゃんと燃えている。ただ、それとこれとは別の話だった。


 勝敗が読み上げられ、並んで舞台を降りた。


 降りる途中から、観客席の声が耳に入ってきた。勝ったのはガロだ。誰の目にも明らかだった。なのに、飛び交ってる話の中身が、妙だった。


「あの八級、最後の見たか。今朝の竜人の崩しを、もう写してやがった」


「ガロに二回当てたぞ。九級上がりたてが」


「強さの、種類が違うんだよな。ああいうのは」


「末恐ろしいってやつだ」


 勝者を差し置いて、負けたほうの品評会だった。俺は隣を歩くでかい相棒の顔を、まともに見られなかった。


 通路の暗がりで、ガロがぽつりと言った。


「……オレは」


 低い声だった。ほとんど、独り言だった。


「オレは、置いてかれるのか」


「……ガロ?」


「ん!? なんでもねえ!」


 振り向いたときには、いつものでかい笑顔が装着されていた。装着された、としか言いようのない速さで、だ。


「飯だ、メグル! 勝者のおごりだ! 骨つきのでかいやつな!」


 俺は、聞かなかったふりの下手な男だ。それでも、あのときはそうするしかなかった。なんて返すのが正解だったのか、骨つき肉を二本平らげたあとも、答えは出なかった。





 答えの代わりに、その晩、別のものが出た。


 大時計塔の掲示板に張り出された、大会二日目の組み合わせだ。準々決勝三試合の下に、見慣れない枠がひとつ、付け足されていた。


『敗者復活戦(一枠)。勝者は準決勝へ進む』


「闘技場は、興行ですので」


 受付のミレーヌさんは、こともなげに言った。


「一回戦で敗れた六名から、運営が『客の入る』二名を選んで組みます。救済であり、見世物です。……今年の選出は、もうご覧になりました?」


 見た。枠の中に、二枚の札が並んでいた。


 空木廻。


 ドルゴ。


 噂の八級と、十五年の六級。なるほど、客は入る。入るだろうさ。


 掲示の前で、背後の床が、みしりと鳴った。振り向かなくても分かる質量だった。


「英雄サマ」


 岩の擦れる声が、頭の上から降ってきた。


「舞台の上なら、遠慮はいらねえ。……そうだよなあ?」


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