【第11話】漂流者たち
保護院通いには、ノアと話す以外に、もうひとつの顔ができていた。
漂流者たちへの聞き込みだ。
といっても、大げさなものじゃない。夕方の談話室で茶を飲みながら、世間話の続きで聞く。あなたの世界は、どんなふうに終わりましたか。
趣味の悪い質問だと自分でも思う。最初に切り出したときは、口の中が乾いた。だが、聞かずにいられなかった。俺は地球の終わりしか知らない。終わり方に種類があるのかどうか、それを知っているのは、世界でここにいる人たちだけだった。
意外だったのは、みんな、嫌がらなかったことだ。
「聞いてくれる相手がいるってのは、ありがたいもんさ」
メロウの爺さんは、そう言った。
「この街の連中は優しいがね、忙しい。消えた世界の話なんて、酒の肴にもならん。だが俺たちにとっちゃ、話すことが墓参りみたいなもんでな」
墓参り。うまいことを言う。俺がスマホの写真を眺める夜も、たぶん同じものだ。
「わしのメロウはなあ、ゆっくりだったよ」
爺さんは、茶をすすりながら語った。
「最初は夕陽の色が薄くなった。次の日は海の青が薄くなった。十日かけて、少しずつ、少しずつ色が抜けてな。年寄り連中は『世界の風邪だ』なんて笑っとったが、七日目に空の端に灰色の裂け目が出たあたりから、笑う者はおらんくなった」
「十日……」
「わしはたまたま、裂け目のそばの岬におった。世界が畳まれるとき、裂け目から弾かれた。運が良かったんだか、悪かったんだか」
火の世界を失った女性は、二週間だったと言った。かまどの火が、日に日に白っぽくなっていったという。歌の世界の青年は、ひと月近くかけてゆっくり色が抜けたと言った。最後の週には、歌が誰の喉からも出なくなっていたという。音の世界から、先に音が引いていく。
指折り数えて、談話室の六人全員が、同じことを言った。
何日も前から、予兆があった。色が抜けて、それから裂け目が来た。
聞きながら、俺は手帳に書き留めていった。メロウ、十日。火の世界イグナ、二週間。歌の世界カンティレ、ひと月。習いたての音字は不格好で、書くのも遅い。それでも誰も急かさなかった。歌の世界の青年は、俺の手元を覗き込んで、ぽつりと言った。
「あんた、書いてくれるのか。カンティレの名前」
「……ああ。忘れないように」
「そうか」と青年は少し笑って、「綴り、そこ違う」と俺の字を直した。消えた世界の名前の綴りを、その世界の最後のひとりに直してもらう。この手帳は、たぶん、俺が思っていたより重いものになる。
「メグルの世界は、どうだったんだい」
逆に聞かれて、俺は答えに詰まった。
「……朝、空の色が薄いなと思って。夜には、終わってました」
談話室が、静かになった。
湯呑みを持つ手が、あちこちで止まった。歌の世界の青年が「一日で?」と聞き返した。爺さんが湯呑みを置いて、眉間に深い皺を寄せた。
「朝に色が抜け始めて、夜に畳まれた? 途中の裂け目は」
「夜です。色が抜けるのと、ほとんど同時でした」
「……六十年生きて、いろんな漂流者の話を聞いたが」
爺さんは首を振った。
「そんな急な終わり方は、聞いたことがない」
背中を、冷たいものが伝った。
俺はずっと、世界の終わりとはああいうものだと思っていた。比べる相手がいなかったからだ。だが違った。世界の終わりには、相場がある。十日、二週間、ひと月。ゆっくり色が抜けて、ゆっくり畳まれる。それが相場だ。
地球だけが、半日で刈られた。
(なんで、だ)
偶然か。地球がよほど「枯れて」いたのか。それとも——誰かが、急いだのか。
急ぐ、という発想が出てきた自分に、少し驚いた。急ぐという言葉は、刈る側に意思があるときにしか使えない。庭木は勝手に枯れるが、急いで刈られるのは、都合があるときだ。
誰の、どんな都合だ。
答えの出ない問いばかりが増えていく。ただ、ひとつだけ確かなことがあった。俺の世界の終わり方は、この道の先輩たちですら聞いたことのない、異常な終わり方だったということだ。
台帳から消えた界名。前例のないギフト。相場を無視した剪定。
三つ並べると、偶然という言葉のほうが、よほど胡散臭かった。
■
その夜、寮に戻ると、ガロが食堂で手を振っていた。向かいに座るなり、飯より先に話が飛んできた。
「メグル、聞いたか。九級の遠征募集が出るらしいぞ」
「遠征って、界門の向こうのか」
「おう。第一界圏の安全なとこだけどな。九級になりたてが行けるのは、護衛か調査の下っ端仕事だ。それでも門の向こうは門の向こうだぜ」
門の向こう。その言葉だけで、飯の味が半分になった。緊張と期待は、腹の中では区別がつかないらしい。
「ガロは行くのか」
「行くに決まってんだろ! 仕送りが待ってんだ。遠征は日当が倍になる」
「倍か。……俺も出たいな。ノアのことは気になるけど」
「ノア? 誰だそれ」
ガロが首を傾げた。一瞬、ひやりとした。話したはずだ。三日前の飯のときに、確かに。
「……保護院の子だよ。前に話した」
「ん? ああ……ああ! そうだ、聞いた聞いた。悪い、なんでか頭から抜けてた」
ガロは自分の頭を拳でこつんと叩いた。本人はそれきり気にしなかった。俺は気にした。ガロは人の話を忘れる男じゃない。焼き飯の具の順番まで覚えている男だ。
風化は、本人のいない場所でも働く。名前を又聞きしただけの相手の記憶さえ、ゆっくり削っていく。あの子が背負っているものの大きさを、俺はまたひとつ思い知った。
「で、遠征の話だけどな。オレたち新人が組で出るなら——」
言いかけたガロの耳が、ぴくりと動いた。同時に、食堂の入り口から声がかかった。
「メグルさん、いらっしゃいますか」
ギルドの使いだった。差し出されたのは、正式な書式の依頼状だ。受け取ってから思い出した。俺、まだろくに字が読めない。フィムが肩から飛び降りて、文面の上を滑るように飛びながら読み上げた。
「ええと……『第八〇三界アルディアにおける魔物異常発生の調査依頼。指名構成員、メグル、ガロ・ヴァンデール』……えっ、指名依頼!?」
「し、指名って、なんだ? いいことか?」
「いいこと……のはずだよ。実力を買われた渡り手が、依頼主から名指しで頼まれるやつ。でも九級なりたてに指名なんて、聞いたことない」
ガロと顔を見合わせた。実力を買われる。誰にだ。ヴェルタ爺さんの試験の話が、そんなに広まったのか。それとも、水晶の一件か。どっちにしても、指名される筋の話じゃない。
「フィム。依頼主の名前は」
「依頼主はアルディアの辺境騎士団。で、ギルド側の推薦人が……」
フィムは依頼状の一番下で止まって、何度かまばたきをした。
「……『ヴァン・シルワース』」
「誰だ、それ」
「わかんない。わかんないけど……この名前の横の印、特級渡り手の印なんだけど」
特級。
ミレーヌさんの説明を思い出す。渡り手の頂点、現存六人。生ける伝説。会ったこともないその一人が、なぜか、九級になりたての俺たちを名指しで推薦している。
厄介ごとの気配、第三弾だった。しかも今度のは、界門の向こうから来た。




