7.お片付けの時間
ミリアは倒れたまま動かない。
婚約破棄が始まった時、自信満々に笑っていた少女は、今や大理石の床に横たわり、涙と崩れた化粧の跡を残しているだけだった。
静寂が夜会の会場を支配していた。
誰も動けず、声すら出せなかった。
その時アルベルト公爵が指先を小さく鳴らした。
するとミリアに掛けられていた魅了の力がガラスが割れるような音を立てて粉砕された。
その瞬間今までミリアに盲目的になっていた取り巻き達の目がハッと正気に戻った。
彼等の顔に強烈な不快感と嫌悪感が浮かぶ。
(なぜ自分はあんな品性のない女をチヤホヤしていたんだ?)
という思いが浮かび混乱する。
そんな中でエレインが膝から崩れ落ちた。正気に戻った頭で、彼は最悪の現実に気が付いたのだ。
「エリアーヌ……」
先ほど婚約破棄を宣言した時とは違う震えた声だった。
「エリアーヌ、す、すまない、私が間違っていた!婚約破棄は撤回だ!お前が必要だ、頼むから戻ってきてくれ!!」
一歩、そして、また一歩。床を這うようにエリアーヌに近付いていく。
その王太子としての矜持も何もない姿に貴族達は顔を顰めた。
「私が悪かった……私は騙されていたんだ……」
震える声で告げた。
エリアーヌは黙って見ていた。
「魅了のせいだった」
エレインは必死だった。
「……そうだ……魅了だ……」
まるで自分に言い聞かせるように言う。
「私は操られていただけなんだ。………そうだ、私のせいじゃない」
みっともなく続ける。
誰も同意出来なかった。魅了があったとしても、それだけではなかった。
誰もが見ていた。
彼がどれほど傲慢だったか。
どれほどエリアーヌを軽視していたか。
どれほど彼女の努力を当然だと思っていたか。
すべて。
「だから許してくれ」
真っ青な顔で復縁を願い、エリアーヌのドレスの裾に縋り付こうとするエレイン。
だが、その手を豪華な扇が容赦なく叩き落した。
「汚い手で我が娘に触れるな。お前たち王家には徹底的に今までの事を追求させてもらうわ。覚悟しておきなさい」
その氷のような一喝にエレインは言葉を失い震えた。
「お、おば上……」
「その呼び方もやめなさい」
セレスティアは虫を見るように見下ろした。
「私はエリアーヌの母です。娘にされたこと、もう許しはしない」
エレインは震え続ける。
「どう…して…貴女だって王家の人間だ」
「まだ分からないの?」
セレスティアが首を傾げた。
その仕草はエリアーヌによく似ている。
だが中身は全く違った。
「なら教えて差し上げますわ」
扇が閉じられる。
「我が娘は五年間」
一歩前へ出る。
「あなたの仕事をした」
また一歩。
「財政を立て直した」
「……」
「結界を維持した」
「……」
「物流を整えた」
「……」
「水源を管理した」
エレインは何も言えない。
セレスティアの声だけが響く。
「それらを全部当然だと思い、さらに己の功績にしていた」
会場中の貴族が目を逸らした。
「ねぎらいの言葉も感謝もせずに」
反論の余地がない。
「……その上で婚約破棄?」
セレスティアの笑みが深くなる。
「エリアーヌを捨てるつもりだったのでしょう?」
エレインが震える。
「そ、それは……」
「違うと?」
言葉につまる。答えられない。なぜなら事実だからだ。
エリアーヌを捨てる、だが仕事だけは続けさせる。
そんな虫のいい話を本気で考えていた。
「愚かですこと」
セレスティアは吐き捨てた。
その時アルベルトが静かに前へ出る。
「報告しろ」
短い一言に後ろの執事が深く頭を下げた。
「既に準備は完了しております」
「続けろ」
「はい」
執事が書類を開くと淡々と読み上げた。
「アルヴェール公爵家は本日付けで王家への魔力供給契約を終了いたします」
会場が騒めく。
「王都上層区への水利支援も停止」
さらに騒めく。
「王都結界維持支援も終了」
悲鳴が上がり、貴族たちが青ざめる。
「ま、待ってくれ!」
それまで黙っていた王が震える声で叫ぶ。
「そんなことをしたら王都が!」
「困るでしょうね。だから何だ」
アルベルト公爵は冷たく言い切る。
「それは本来王家の責任だ。今代は妻と娘の為に我が家で過分に受け持っていたが、もう終わりだ」
その言葉に王とエレインが絶句した。
「王宮への魔力供給ラインは、今この瞬間を以てすべて我が公爵家は引き揚げる。今まで我が娘と公爵家がしていたことは今後は全て王家ですればよい」
さらに今度は水の聖霊王が前へ出る。
「アタシからもあるわよぉ」
にっこりと、楽しそうに美しい笑顔で告げる。
だが、その笑顔に貴族たちは全員背筋を凍らせる。笑顔こそ恐ろしいと既に知っているから。
この流れで次に何が起こるのか、もう考えるのも恐ろしい。この短い時間でどれだけの事が起きるというのか。
「うちの子たち」
会場中に無数の水の聖霊が現れ広がる。
「不気味な魔物だったかしら?」
誰も返事ができない。
「ねえ?」
少しだけ声が低くなる。
「誰だったかしら?」
ミリアは気絶している。代わりにエレインが震えた。
「まあいいわぁ」
聖霊王が笑いながら指を鳴らすと会場中の水がふわりと一斉に浮かび上がり、さらに聖霊達が現れる。
「見なさいな」
聖霊王は微笑む。
「この子たちが選ぶのは誰か」
無数の聖霊たちが嬉しそうに、楽しそうに、エリアーヌの周囲に集まる。
押し合い、へし合い、我先にかまってもらいたいように飛び回る。
エリアーヌは苦笑した。
「押さないでくださいね。いい子にね」
聖霊達は素直にエリアーヌのいう事を聞く。
会場にいた者たちは息を呑んだ。
魅了でも支配でもない、長い時間をかけて築いた絆がそこにはあった。
聖霊王は満足そうに頷く。そしてエレインを見た。
「アンタには一匹もついていかないわ」
エレインは真っ青になり何も言えなかった。
その時エリアーヌが小さく動く。
会場中の視線が集まる。
彼女はいつもと同じ微笑みで静かに人差し指を唇に当てる。
「皆もう十分ですよ」
柔らかな声に聖霊たちが静かになる。
母セレスティアも父アルベルトも、そして聖霊王も彼女の言葉に耳を傾ける。
エリアーヌはまるで困った園児を見るようにエレインとミリアを見た。
どこまでも穏やかにどこまでも優しく微笑む。
そして決して覆らない宣告を告げた。
「お行儀の悪い子たちには何もあげられませんね」
その言葉と同時に無数の水の聖霊たちが王宮中を飛び立った。
水源の利用の鍵。
結界維持の魔力。
王国の水脈維持の魔力契約。
王宮から、王家から、完全にすべてを回収するために。
会場に残ったのは沈黙だけだった。
誰にでもわかった。
婚約破棄され捨てられたたのはエリアーヌではない。
捨てられたのは王家の方だった。




