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前世保母の私は聖霊王の愛し子~行儀の悪い子はダメですよ~  作者: 硝子細工の森


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8/8

8.愛し子は幸せ

 凱旋の夜会から三か月。

 王宮は今、かつてない混乱の渦中にあった。


「こちらの書類はまだ未処理です!」

「国境結界の魔力供給が不足しています!」

「東部領地から抗議文が届いております!」

「水路管理の責任者が不在です!」


 執務室には怒声と混乱が飛び交っていた。

 書類の山が机を埋め尽くし、王宮の官僚たちは過労で倒れそうであった。

 その中心でエレインは虚ろな目をしていた。

「……まだ、終わらないのか」

 寝不足で(やつ)れ乱れた髪を直す事にも気づかないほど憔悴している。

 これまでエリアーヌが処理していた仕事をようやく理解した。

 本来これらは父王か自分の仕事だった。

 しかし、長い間彼女が優秀だからとすべてを押し付けていた。

 今ではまったく自分ではこなせない内容になっている。

 文官達が手伝おうと采配や決定は自分の仕事なのだ。

 自分の王子として仕事だけでなく、父王の仕事の一部さえ彼女がしていたのだ。

 結界管理。物流調整。水利計画。財政整理。

 それらはすべて専門知識が必要で、最終的には王族の責任となるものばかりだった。

 そして、公爵家の膨大な魔力との基本的な魔力値の違いが補いきれない問題をきたしている。

「殿下、次はこちらを」

「……あとにしろ」

「ですが急ぎです!」

「急ぎじゃない書類などあるのか!?」

 エレインが机を叩く。

 官僚達が冷めた目で黙る。

 前から実務はエリアーヌがこなしていたことはわかっていた。

 だが、彼女は未来の王妃だと思っていた。だから、責任があると、王太子を支える義務があると、彼女に甘え過ぎていた。王と王妃で国を支えるのだからどちらが仕事をしても国が回ればよいのだと思っていた。

 王太子の不足分を補い、王太子には王太子のできる事をするのが良いのだと。

 まさか、あんなことになろうとは。


 あの後ミリアは修道院へ送られていた。

 精神的な混乱が激しく、療養が必要だと判断されたためだ。


 そして彼女の入った修道院の人々は困惑していた。

 彼女が毎日のように

「セーブデータは?」

「運営に問い合わせたい」

「攻略対象がバグった」

「リセットしたいの……」

 など誰も意味を理解できない言葉を一日中呟いているからである。


 同じ頃。

 王都から少し離れたアルヴェール公爵家の別邸。

 そこは穏やかな空気に包まれていた。

 庭園の噴水が心地よい音を立て、小さな水の聖霊たちが楽しそうに飛び回っている。

「順番ですよー」

 エリアーヌが笑う。

 聖霊たちは慌てて整列した。

 その様子を見て、セレスティアが扇で口元を隠しながら笑う。

「本当に子供扱いなのね」

「みんな可愛い子供達ですわ」

 エリアーヌは頷く。

 その隣では、アルベルトが新聞を読んでいる。

「王宮の混乱がまた記事になっている」

「まあ」

「『王都の水圧低下問題、原因不明』だそうだ」

 エリアーヌは小さく苦笑した。

 原因は明白だった。

 水の聖霊たちが王宮への協力をやめたからである。

 もちろん完全に止めれば民が困るので最低限は維持している。

 だが以前のような手厚い支援はない。

 それだけで王宮機能は大混乱だった。

「お嬢様、紅茶をどうぞ」

 リリアがカップを置く。

「ありがとう」

 エリアーヌが微笑む。


 平和で穏やかな時間が流れる。 


 そこへ、空間がゆらりと揺れた。


 水面のように歪み、一人の人物が現れた。

 水の聖霊王である。

「エリーちゃーん!」

 両手を広げて飛びつこうとする。

「順番ですよ」

 即座にエリアーヌに言われ、聖霊王はしゅんとした。

「ええー、そんなぁ」

「みんな並んでいますから」

 周囲を見ると小さな聖霊達が列を作っていた。

 聖霊王は渋々最後尾へ向かう。

 その姿にセレスティアが吹き出した。

「まぁ、聖霊王が並ばされてる……」

「ふふ、ルールはみんな同じですよ」

 エリアーヌは微笑みながら言った。

 アルベルトが新聞を畳む。

「お前らしいな」

「そうでしょうか?」

「普通は聖霊王を並ばせたり、待たせたりなんてしない」

 エリアーヌは首を傾げた。

「でも特別な理由もなしに割り込みはいけません」

 やがて順番が来ると、聖霊王は嬉しそうにエリアーヌにハグしてから隣へ座った。

「はい、お待たせしました」

 エリアーヌが微笑むと聖霊王は満足げにしている。


 その光景を見て、リリアは思う。

 この家は色々おかしい。

 最強魔術師の旦那さま。

 王妹の奥さま。

 水の聖霊王。

 そんな存在たちが、みんなエリアーヌの「先生モード」に従っている。

 だが不思議と違和感はない。

 それだけ彼女の在り方が揺るがないのだ。


 その時、小さな聖霊が飛んできた。

「きゅい!」

「あら、王都の様子ですか?」

 聖霊は頷く。

 どうやら王宮では今日も書類の山に埋もれているらしい。

 エリアーヌは少しだけ困った顔をした。

「大丈夫でしょうか」

「心配する必要ある?」

 聖霊王が呆れた声を出す。

「アンタ、あんな事があったのに、まだ心配するの?」

「でも民に何かあっても大変ですから」

 セレスティアが扇で額を押さえた。

「あなたは本当に甘いわね……」

 アルベルトも苦笑する。

 だが、それがエリアーヌだった。

 だからこそ周囲は彼女を守りたくなるのだ。


 エリアーヌが空を見上げると美しく輝く青空が広がっていた。


 大切な家族がいる。

 可愛い子供(せいれい)達がいる。

 自分をちゃんと見てくれる人たちがいる。

 それだけで十分だった。


「エリーちゃん」

 聖霊王が笑う。

「これからどうするの?」

 エリアーヌは少し考えて、微笑む。

「やりたいことがたくさんあります」

「例えば?」

「まずは、聖霊たちと遊びます」

「それから?」

「困っている人がいたら助けます」

「うんうん」

「あと」

 少しだけ照れたように笑う。

「これからは、自分のために生きてみたいです」

 その言葉にセレスティアとアルベルトが優しく目を細めた。

 聖霊王も満足そうに頷く。

 エリアーヌの未来は、もう誰かの為に消費しない。


 彼女のこれからは誰かの都合のためでも、誰かの功績のためでもなく、彼女自身のもの。



 噴水の水がきらきらと輝き小さな聖霊たちが笑い声のような音を立てている。


「先生ー!」「はいはい、順番ですよー」

 穏やかな声が庭園に響く。

「アタシが一番よぉ!」「だめですよ、順番です」「そんなぁ……」

 聖霊王がしょんぼりし、周囲が笑う。


 平和で、穏やかで、少し騒がしい日常。

 それこそが水の聖霊に愛された令嬢、エリアーヌ・アルヴェールの幸せだった。



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