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前世保母の私は聖霊王の愛し子~行儀の悪い子はダメですよ~  作者: 硝子細工の森


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6.リセットはありません

「少し、お話をしましょうか」

 まるで幼い子供に語りかけるような柔らかな声が響く。

 だがミリアは後退った。その優しい声こそが恐ろしいものに感じて。

「ち、近寄らないで……」

「どうしてですか?」

「どうしてって……!」

 ミリアの声が震える。

 頭の中が混乱していた。

 理解できない。

 こんな展開、ゲームにはなかった。


 悪役令嬢は婚約破棄される。

 聖女は祝福される。

 王子と結ばれる。


 そう決まっていたはずなのに。

 なのに。

 どうして。

 なぜ。

 目の前の悪役令嬢が、国を支える最重要人物なのか。

 なぜ最強魔術師が父親なのか。

 なぜ王妹が母親なのか。

 なぜ聖霊王まで味方なのか。

 全部おかしい。

 全部おかしい。

 全部おかしい。

 全部おかしい。

 全部おかしい。


 全部おかしい。


「話が違う……」

 ミリアは呟く。

「何がですか?」

 エリアーヌが首を傾げる。

「話が違うのよ!」

 ミリアは叫んだ。

「こんなのゲームじゃない!」

 会場がざわつく。

 誰にも意味が分からなかった。

 エリアーヌは静か聞いていた。

「ゲーム」

 その単語をゆっくり繰り返す。

 ミリアは息を呑んだ。

 理解された。ここに来て初めて自分の言葉を理解した人間がいた。

「あなた……前世の記憶があるのですね」

 静かな言葉だった。

 ミリアの顔色が変わる。

「あなた……!」

 縋るように叫ぶ。

「あなたも転生者なの!?」

「ええ」

 エリアーヌはあっさり頷いた。

 その瞬間ミリアは泣きそうな顔になった。

「だったら分かるでしょ!?」

「何をですか?」

「私は主人公なの!主人公だから幸せになるはずだった!」

「……」

「なのに何で邪魔するのよ!」

 エリアーヌは黙ってミリアの言葉を最後まで聞く。

 途中で遮らない。否定もしない。まずは聞く。

 それは前世で身につけた癖だった。

 子どもの話は最後まで聞く。まずはそれから。

 ミリアは涙を流しながら叫ぶ。

「私は苦労したのよ!」

「……」

「転生した時は不安だった!」

「……」

「でもチートをもらって!」

「……」

「これで幸せになれると思ったの!」

 エリアーヌは静かに見つめていた。

 やがてミリアは静かになると、泣き疲れた子どものように肩で息をしていた。

 エリアーヌはそこで初めて口を開いた。

「そうだったのですね」

 包み込むような優しい声だった。

 ミリアは思わず顔を上げる。

 理解してもらえたのかと思った。

「でも、それは理由にはなりません」

 微笑んではいる。だけどそれは自分に対する絶対的な否定の言葉だった。

「え……」

「不安だったのは分かります」

「……」

「幸せになりたかったのも分かります」

「……」

「ですが」

 静かに続ける。

「だからといって、人を傷つけていい理由にはなりません」

 エリアーヌは怒っていない。大きい声を出しても責めていない。むしろ優しい声音だった。

 ただ静かに事実を述べているだけだった。

「人生はゲームではありません」

 ミリアの肩が震えた。

「違う……」

「誰かを利用したら、利用された人は傷つきます。そしてその誰かに嫌われます」

「違う……」

「誰かから奪ったら、奪われた人は困ります。大切なものなら悲しくて泣くでしょう」

「違う……」

「自分がされたら嫌な事をしてはいけないのよ」

 ミリアは子供のように必死に何度も首を振る。

「自分のした事は自分で責任を取りましょうね」

「違う!」

 叫ぶ。

「やり直せるはずよ!」

 涙が溢る。

「ゲームならやり直せるじゃない!」

 誰も答えない。

 エリアーヌはミリアを静かに見つめる。

 そして視線を合わせるために、ゆっくりとしゃがみ込んだ。


「残念ですが」

 その声はどこまでも優しかった。


「リセットはありません」


 ミリアの瞳が揺れる。


「ログアウトもありません」


 さらに続く。

「セーブデータもありません」


 一言ずつ。

 現実を教えるように。


「ここは生きている人たちの世界です」


 水を打ったような静寂が広がっている。

 誰も言葉を挟めない。


「現実とお遊戯(ゲーム)の区別がつかない、本当に悪い子ですね……。あなたのよう者に、私の大切な子供(せいれい)達は渡せません」


 エリアーヌは微笑んでいたけれど、その言葉は容赦がなかった。

「さぁ自分の事は自分でするように頑張りましょうね。お片付けの時間ですよ」

 前世で何度も子供達に言った言葉だった。子供達に教えた当たり前の言葉。

 だがミリアはそれを学んでいなかった。だから今教える。

「いや……」

 ミリアの声が掠れる。

「嫌……」

 涙が落ち、化粧が崩れていく。

「嫌だ……」

 現実を受け入れたくない。受け入れられない。……だが現実は消えない。

 エリアーヌは立ち上がりミリアの耳元へ顔を寄せた。

「ひっ」

 ミリアが震える。

 エリアーヌは微笑んだまま囁く。

「うふふ」

 その声は優しかった。だが底知れなかった。

「人の身体のほとんどは水なのですよ」

 ミリアの顔色が変わる。

「知っていましたか?」

 周囲の空気が静かに冷える。

 そして、グラスの中のワイン。花瓶の水。庭の噴水。会場中のすべての水が揺れ始める。

「もし……」

 エリアーヌは微笑む。

「その水がなくなったら、どうなるのでしょうね」

 その瞬間ミリアの視界が歪んだ。


 喉が渇く。

 肌が乾く。

 息が苦しい。

 目が霞む。


 身体がひび割れていくような感覚におそわれた。


 もちろん現実ではない。

 魔圧による幻覚だった。

 だがあまりにもリアルにミリアの感覚を侵食した。

「ぁ……」

 声が出ない。

「ぁ……ぁ……」

 (死ぬ)

 ミリアは本気でそう思った。

 それは圧倒的な死の恐怖だった。

 ゲーム感覚で生きてきた少女は本物の死の恐怖を味わっていた。

 そして、ミリアの瞳から光が消えた。

 やがて身体が床に崩れ落ちた時には完全に意識を失っていた。

 その場は先程からずっと彼女達の声と音以外静寂が保たれたままだった。

 ミリアが倒れても誰も動かない。

 エリアーヌが小さくため息を吐く。

「困った子ですね」

 その声音は問題を起こした園児を前にした先生そのものだった。

 もう会場の誰一人として彼女をただの優しい令嬢だとは思わなくなっていた。

 そしてその光景を見ていたエレインはようやく理解し始めていた。

 自分が何を失ったのかを。


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