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前世保母の私は聖霊王の愛し子~行儀の悪い子はダメですよ~  作者: 硝子細工の森


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4.断罪の始まり

 凱旋の夜会当日。

 王宮の大広間は、かつてないほどの賑わいに包まれていた。

 天井からは巨大なシャンデリアが幾重にも吊り下げられ、数え切れない魔石灯の光が大理石の床へ降り注ぐ。

 磨き上げられた床には貴族たちの姿が映り込み、華やかな音楽が流れている。

 誰もが王太子の凱旋を祝い、酒杯を傾けていた。

 その中心でエリアーヌは静かに微笑んでいた。

 淡い水色のドレスに宝石も装飾も最低限のシンプルな出で立ち。だが、その存在感は不思議なほど目を引いている。

 まるで湖面のような静けさで立つその姿は、騒がしい会場の中で彼女だけが別の時間を生きているようだった。

「お嬢様」

 隣のリリアが小声で呼ぶ。

「はい?」

「本当に大丈夫なのですか」

「何がですか?」

「今日です」

 エリアーヌは少し考えた。

 そして柔らかく笑う。

「なるようになりますよ」

 その返事にリリアはどうしていいか判らなかった。

 どうして、そんなに落ち着いていられるのか。

 すべてをただ流れるままに受け入れて、どうなってしまうのか。

 その時、高らかな声が響いた。

「王太子殿下のおなりです!」

 会場の視線が一斉にそちらへ向くと、豪奢な軍服を纏ったエレインが現れた。

 その隣には桃色の髪を揺らすミリアが当然のように腕を組んでいる。

 ざわり、と会場の空気が揺れる。

 婚約者ではない別の女性を堂々と公式な場所に伴う。

 それが何を意味するか判らぬ貴族はいない。

「……噂は本当だったのか」「…なんという……」「…あれが噂の…」

 小さな囁きがあちらこちらに広がる。

 二人は気にした様子もなく誇らしげに会場中央へ進むと勝利を確信した人間が浮かべる笑みを見せた。

「皆、聞いてくれ!」

 その声に音楽が止まる。

 会場中の視線が集まるのを確認してエレインは満足そうに頷く。

「本日、私は重大な決断を下した!」

 隣でミリアが微笑む。

 周囲の取り巻きたちも期待に満ちた顔をしていた。

 そして。

「私はエリアーヌ・アルヴェールとの婚約を破棄する!」

 その宣言に会場は静まり返った。

 そしてエレインは続ける。

「彼女は無能であり、王太子妃として相応しくない!」

「……」

「私は聖女であり優秀で美しいミリアを新たな婚約者として迎える!」

 貴族達には困惑が広がった。

 ただ、ミリアの魅了の影響を受けていた取り巻き達が拍手している。

 エレインはさらに続ける。

「だが!エリアーヌにはこれまで通り王太子妃業務を担当してもらう!」

 一瞬、会場が凍りつき、時間が止まる。

 エレインは自分が何を言ったのか気付いていない。

「彼女は裏方向きだからな。実務は引き続き担当させる。ミリアは聖女として表で民に愛されるのが仕事だ」

 ミリアがエレインの腕を絡ませたまま笑みを浮かべて言う。

「エリアーヌ様よろしくお願いしますね。愛されるのはわたくしの仕事ですの。ふふ、今までと同じように働いてくだされば良いだけですわ」

 そのあまりにも露骨で厚顔な話に貴族たちの顔が引き攣る。

 自分は楽をして面倒は押し付ける。

 そして功績は寄越せと平然と言っている。

 そして、ミリアが最後の一言を口にする。

「そうそう」

 くすりと笑う。

「エリアーヌ様の周りにいる水の精霊たちも、今後はわたくしのもとへ来てもらいますわ」

 エリアーヌの周囲にいた聖霊たちが震えた。

「なんだかそのままだと不気味なんですもの」

 ミリアは鼻で笑う。

「わたくしが可愛がって、もっと可愛くして使ってあげます」


 その瞬間、会場から全ての音が消えた。


 音楽。 話し声。 呼吸音。

 すべてが遠くなる。

 まるで深い海の底へ沈んだような感覚が流れる。


 エリアーヌがゆっくりと首を傾げる。

 穏やかな笑顔だった。

 いつもと同じ微笑みに見える。


 だけどリリアは知っていた。

 本当に怒った時のエリアーヌは、こういう顔をする。


「……あらあら」


 優しい声が響く。


「困りましたね」


 足元に波紋が広がる。

 誰も触れていないのに水が揺れる。

 会場中のグラスの中。

 庭の噴水。

 花瓶の水。

 ありとあらゆる水が震え始める。


 ミリアの顔から笑みが消える。

 本能が危険を告げたが遅かった。


 エリアーヌは一歩前へ出る。


「人のものを勝手に欲しがってはいけませんよ」


 優しい声。

 穏やかな口調。

 なのにとても恐ろしい。


「それに」

 にこりと微笑む。

「お友達の悪口もいけません」

 まるで泣きつく子供達のように聖霊達がエリアーヌの周囲へ集まっている。

「大丈夫ですよ」

 彼女はそっと精霊達を撫でる。 

 そして、エリアーヌは再びミリアを見た。


「お行儀が悪いですね」

 人差し指を唇へ当てる。


 それは前世でも何度もやった仕草だった。


 騒ぐ子供に。

 喧嘩する子供に。

 順番を守れない子供に。


 何度も。何度も。繰り返した仕草。


「お口にチャックしましょうね」


 次の瞬間、無数の水流が空中へ舞い上がる。

 貴族たちが悲鳴を上げ、ミリアは逃げようとした。

 だが逃げられなかった。

 水は一直線に彼女へ集まり、その口元を覆い尽くした。

「っ!?」

 声が出せない。

 呼吸はできるが喋れない。

「むーっ! むーっ!」

 ミリアは必死にもがく。

 エレインが怒鳴った。

「な、何をしたエリアーヌ!」

 しかしエリアーヌは首を傾げるだけだった。

「静かにしましょう、とお願いしただけですよ?」

 会場中が震えた。そして誰もが理解した。

 エリアーヌは儚げで優しげで大人しい見た目だし、普段は実際にとてもおっとりした雰囲気だった。

 だが、本当は絶対に怒らせてはいけない相手だったのだ。


 その時、正面扉の向こうから巨大な魔力の奔流が近付いてきた。

 大広間の壁が軋み窓ガラスが震えた。


 誰かが青冷めた声をあげる。

「…これ程の魔力……ありえない」

 次の瞬間、轟音と共に、正面の扉が吹き飛ぶ。

 そして当代で最強の魔術師であるアルベルトと王妹セレスティア夫婦が現れた。

 さらに、誰も見たことのない美しい存在も共にいた。

 どう見ても人とは思えぬ存在だった。

 現れた三人の視線が向けられるとエリアーヌはいつも通り微笑んだ。

「お父様、お母様」

 そしてもう一人の人ならざる存在へ。

「お迎えに来てくださったのですね、聖霊王様」


 その言葉と共に会場に絶望が降り立った。


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