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8話 昼の図書室

 学院の図書室は北校舎の一階にあり、ちょうど北側に大きくせり出した箇所にある部屋だったので、他の教室に比べて天井は高いが、日当たりが悪かった。太陽の光が当たりにくいので本の焼けを防ぐのには良いのだが、湿度は高めなので図書室の中は古い本が持つ独特の匂いに溢れている上に、蔵書量も然程多くはなかった。だからなのか寄り付く生徒が少なく、図書室はいつも閑散としていた。


 図書室を利用するのは、試験前に勉強をする時と調べ物をする時という生徒は多く、今日も図書室は人がまばらだった。

 セレスも授業の事で調べ物があったので図書室へ来てみただけだったのだが、自習スペースの席に座り、本を読むアルウィンの姿を見つけてしまった。


 学院に来た初日には図書室の場所を聞いてきたし、昼休みになると彼は教室を出て行くので、おそらくいつもこの場所で昼の時間を過ごしているのだろう。


 ダークブロンドの髪に緑色の瞳を持つ彼は顔立ちも整っていて、見目が良い彼にこの図書室は似つかわしくなかったが、静かに読書を楽しむにはちょうど良い場所でもあった。


 彼のようなタイプは好奇心の強い女生徒が放っておかないはずなのだが、アルウィンは誰かに話し掛けられても、返答は必ず帝国語でするのだ。それも少し早口気味なので、クラスの中で彼とまともに会話が出来るのはセレスくらいだった。


 クラスメイトたちには彼が帝国語しか話せないと思われてしまい、次第に声を掛けられる事はなくなり、セレスと同じようにアルウィンも教室の中で孤立していた。


 しかし友人を作ろうとしていたセレスとは違い、教室の中でいつも本を開いているアルウィンからは、最初から誰かと仲良くしようとする意思が感じられなかった。


 セレスの席はアルウィンの斜め後ろなので、彼の姿が時折視界に入る。授業を受けている彼はレーデン語の内容を理解しているようで、レーデン語で話す教師の言葉を帝国語で自分の帳面に書いているし、黒板の板書はレーデン語だったが、レーデン語で正しく書き写せている。彼ならば、クラスの中で話の輪の中心に入れそうなのに、彼から他の生徒に話し掛ける姿をセレスは見た事がなかった。


 セレスがアルウィンを見ていたのはほんの少しの時間だったし、距離もあった。しかしアルウィンはセレスの視線に気付き、読んでいた本から顔を上げるとにこりと笑顔を見せるのだった。


 知らないフリが出来なくなったセレスは、挨拶をするためにアルウィンの元へ近づくしかなかった。


「ミュラー嬢がここに来るなんて珍しいですね」


 相変わらずアルウィンが話す言葉は綺麗な帝国語で、言葉遣いも丁寧だった。


「調べ物がありましたので、資料を探しにきたのです」


 セレスは帝都で話されている発音を意識しながら答える。アルウィンに校舎を案内した日は久し振りに帝国語使ったので、東部寄りの発音になってしまったが、セレスも帝都の貴族程度には綺麗に話す事が出来る。特に最近はアルウィンと話す機会があったお陰で、綺麗な発音が戻ってきていた。


「ああ、今日は王国史の授業がありましたからね。他国の歴史というものは、外国人にとって難しい教科ですよね。俺が帝国の学院にいた時も留学生は皆、帝国史に苦労している様子でしたよ。ほら、帝国は歴史が長い上に旧帝国史と合わせるとかなりの量になりますから」


「私は入学する前に家庭教師から教わっていましたからそれほど難しくは感じていません。フォレット様はいかがですか?」


「留学生は定期試験を受けなくてもいいですから、成績の事は気にせずほどほどにやらせてもらっています。ミュラー嬢は定期試験を受けているのですか? あなたは俺と同じ留学生ですよね」


 当然のようにそう話すアルウィンの言葉にセレスはどきりとした。


 セレスの国籍は帝国にあるので、セレスも正確には留学生なのだ。


 帝国出身である事を隠してはいないので、少し考えれば分かる事だった。しかしセレスは入学した時からずっと学院に通っているし、レーデン語も問題なく使えている。この学院の卒業資格が欲しくて他の生徒と同じように定期試験を受けているので、セレスが留学生だと気付いている生徒はほとんどいなかった。だから改めて指摘された事で驚いてしまったのだ。


「この国には馴染めていますか?」


 そう問いかけたのは、セレスではなくアルウィンだった。


 留学生のお世話係を言い付かっていたのに、男子生徒の彼と親しくなる事を避けていたセレスは、アルウィンとはあまり関わろうとはしなかった。本当はセレスが掛けるべき言葉なのに、先に言われてしまった事で気まずい気持ちになったが、セレスには彼が敢えてこの話題を振ったのだと思い、少しだけ嫌な気持ちになってしまった。


「私は少し時間がかかってしまうだけで、いずれ今よりもずっと馴染めるようになりますわ」


 完全に強がりではあったが、セレスに友人がいない事はアルウィンも気付いているだろうから、そう言うしかなかった。


「追い詰めている訳ではないのですが……。ここよりも帝国の方があなたを守ってくれるものは多いのではないですか? それを全て振り払ってまでこの国にいる価値があるのでしょうか?」


 不機嫌そうなセレスとは対照的に、アルウィンはセレスの言葉を受け流すように口調も和やかだった。


 この国にいるのは全てセレスの我儘から始まっている。ヒューゴとの関係がせめて一年生の時のように悪くなかったのなら、違うのだと言い返す事が出来た。しかしニーナに邪魔をされている事で、ヒューゴとの関係がこじれ始めてしまった今は、この国に居続ける意味はあるのだと言い切れなくなっていた。


「……」


「一度帝国の学院へ通ってみませんか? あそこは他国からの留学生も多くいるし、昼休みの図書室だってこことは違って生徒で溢れています。ここのように貴族科はありませんが、一般科、淑女科、領地経営科、騎士科とレーデンよりも学科も多く、学院内は平民と貴族との身分差も少なくて実力主義です。実力主義だから生徒たちの学ぶ意識がここよりも強いし、あの学院ならミュラー嬢の世界をもっと広げてくれると思います」


「……分かっています、私も帝国の学院で淑女科に籍がありますから」


 アルウィンが彼にしては珍しく、緑色の瞳を見開いて驚いた表情を浮かべる。

 セレスは言葉を続けた。


「両親との約束だったのです。この国へ留学をするのに帝国の学院で単位を取る事が。あちらの学院は条件を満たしていれば通学をしなくても単位を取れますし、卒業資格も取得できます。他国への留学も学院の定める条件の中にありましたので、一年生として入学をした昨年から定期的に課題やレポートを提出しています。春には帰れませんでしたので今は仮進級の立場ですが、この夏に帝国で進級試験にパスをすれば正式に二年生へ進級する事になります」


「そうでしたか。あちらの課題は大変でありませんか? 通った方がずっと楽でしょうに」


「ええ、思っていた以上に課題の量が多くて、家では調べ物ばかりしていますわ」


「生徒を決して遊ばせようとしないところはあの学院らしいですよね。淑女科の試験はマナーやダンスといった実技が多そうですね。俺は領地経営科にいましたが、座学が多くて覚える事ばかりでしたし、課外学習では自領ではない土地で問題を見つけて解決方法を探すといったやっかいな課題を出されて、一年生の時は夏期休暇がそれで全部飛びましたよ。通いでもこれなのですから、そうでないのでしたら大変でしょう」


「大変とおっしゃりますが、マナーや立ち居振る舞いは小さな頃から教えられていますし、淑女科出身の母からは及第点だと言われましたわ。座学の方も帝国貴族家の家名はこの国に来る前に全て覚えましたし、帝国史や旧帝国史も学んでいたので少し復習をするくらいです。今は課題とレポートに追われているところで、それが終われば試験勉強ですわ」


 帝国の学院を勧められた事で気分を悪くしたセレスの口調には多少の棘があった。しかしアルウィンの関心はセレスの不機嫌よりも彼女が話す内容に方にあったらしく、何かに気付いた様子でアルウィンは組んでいた腕を右だけ解くと、顎の下に親指の腹の辺りを当てて語り出す。


「領地経営科は課題が一番面倒だと言われていて、皆が必死になって勉学に打ち込んでいましたが、今の話を聞いて一般科にいた奴らが淑女科の令嬢たちと遊んでばかりいた理由がわかりましたよ。学院に通う利点は早くから同世代の貴族と社交を始められる事にもありますが、遊び過ぎは良くないと俺は思うのです。そもそも貴族の本懐というものは、領地と領民を管理する事で彼らを守る事にあるはずなのです。領地の安定は家の繁栄にも繋がり、家の繁栄は貴族の……どうかしました?」


 途中まで相槌を打つように頷きながら話を聞いていたセレスの動きが突然止まったので、その事に気付いたアルウィンが途中で言葉を止める。


 饒舌に語るアルウィンを見ていたら、彼が自分の父親に似ている事に気付いた事でセレスは息を呑み、相槌が止まってしまったのだった。


「……フォレット様がそのようにたくさんお話をされるのは珍しいと思いましたので」


 まさかアルウィンと自分の父親の姿が重なってしまい、驚いたからだとは言えないセレスは、話の矛先を少しずらして答える。


 セレスの父親は体型も痩せ型で、肩幅が広く背の高いアルウィンとは体型も顔立ちも持っている色さえ全く違う。似ているところなんて外見的にはどこにも無いが、仕草や話し振りが父親に似ているのだ。


 先ほどアルウィンがしていた、腕を組みながら親指を顎に当てる仕草は、考え事をしながら話をする時にセレスの父がよくしている癖と同じだった。


「そうですか? 必要ならば俺も話くらいはしますよ」


「フォレット様はお喋りをするよりもよく微笑まれていらっしゃる印象が強かったので……」


「フォレット家の家訓で〝辛い時ほど笑え〟という言葉があるのです。俺の母方の祖母からの言葉ですが、俺って苦境に立つほど笑っているみたいで、普段から笑うのがクセになっているらしいです。でもミュラー嬢のご指摘通り、今日の俺は口が軽いのが自分でも分かります。ミュラー嬢と話す事が楽しくて、つい喋り過ぎてしまいました」


 アルウィンは笑顔を見せる。その時の笑みはいつも浮かべている社交用のものではなくて、子どもが見せるような人懐っこい笑顔だったので、彼を少しだけ幼く見せた。学院でアルウィンの澄ました顔ばかり見ていたセレスは、自分よりもずっと大人だと思っていた彼が、こんな顔もするのだと意外に思ったのだった。


 その日をきっかけに、セレスも昼休みは図書室で過ごす事が多くなった。


 セレスはアルウィンのように本を読むのではなく、帝国の学院から出された共通科目を中心とした座学の課題に取りかかっているのだが、分からないところがあって悩んでいた時に、たまたまアルウィンが声を掛けてくれたので、思い切って相談をしてみたら、彼は資料も見ずにどのように進めていけばいいのかを教えてくれた。全科共通の科目については、テキストが手元になくても、テキストのどの辺りを読めばいいのかまで分かりやすく教えてくれたのだった。


 それ以来セレスは課題やレポートで躓いた時はアルウィンに聞くようになった。彼の読書の邪魔にならないかと気にはなったのだが、大丈夫だと言うのでその言葉に甘えさせてもらう事にしたのだった。


 もちろん用事の無い日はアルウィンとは挨拶くらいしかしないし、座る席も離れた場所を選ぶようにしている。


 しかし彼と同じ空間にいると、セレスは実家にいた時に感じていた安心感や懐かしい気持ちを自然と思い出してしまい、自分が今いる場所との差を感じてしまうのだった。


(ここの場所は、居心地がいい……)


 今はこうして昼休みにアルウィンが勉強を教えてくれる場を作ってくれるようになったが、数ヶ月後に彼が帰ってしまうと、セレスはまたひとりで取り残されてしまう。


 これまでのセレスは強硬に自分の想いを主張してきたので、意地を張ってきた手前、簡単に帝国に帰るとは言いにくかった。


 セレスの想いとはヒューゴに対するもので、それだけのためにこの国へ来たのだ。


 誰かを一途に想い続ける事は美しい事であり、正しい事だとこれまでずっと思い続けてきた。


 この想いの為だったら、何を犠牲にしてもいいとさえ思ってきた。


 しかしセレスのその想いは、ひとりで想い続けていた時の方が、完成されていて美しかった。


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