9話 意地悪の理由
「ニーナ、残念だが今回も良い返事はどの家からもなかった」
執務室へ来るように伝えられ、父親である侯爵から最初に言われたのがその言葉だった。
「そんな……、どうしてダメですの?」
「まず公爵家の次男からは他家への婿入りが決まっていると伝えられた。侯爵家三男の家からも同じく伯爵家のひとり娘との縁談を進めているところだという事だ。こちらの伯爵家次男は元々結婚をする気がないのだと返事が書かれていた」
そう言いながらニーナの父親は執務机の上に帝国から届いた封筒を一通ずつ並べていく。
今回の封筒は五通あり、そのどれもが芳しくない返事が書かれていた。
ニーナの婚約者探しは、学院へ入学する半年ほど前から本格的に始まっていた。
求めていた条件は、帝国の高位貴族という一点のみだった。小国とはいっても、こちらは侯爵家なのだから縁談はすぐに決まるものとばかり思っていたのだが、高位貴族の嫡男のほとんどは既に婚約者がいたので、釣書を送る事すら叶わなかった。
なので今度は高位貴族の次男や三男でも、王宮勤めをしている令息たちに釣書を送っているのだが、今回の返事を入れるとこれまで十通以上釣書を送っても良い返事をもらえない事が続いていた。
「ニーナ、いい加減帝国貴族との結婚はあきらめたらどうだ? 嫡男ではなくても、王宮勤めをしていて独身で婚約者がいない令息なんてそう多くはない。お前の婚約者探しをするまで知らなかったが、帝国は高位貴族になるほど婚約者を決める年齢が早い。正式に婚約を結んでいなくても、名家であるほど婚約が内々に決まっている。それに我が国レーデン王国の中だって、お前と歳回りが合う跡取りの令息は、近頃どんどん婚約が纏まっているのだぞ。今なら我が家と付き合いがある家に縁談の話を持っていけるし、国内の令息からならお前にも釣書がいくつか届いているんだ。帝国へは旅行で時々行けばいいじゃないか」
「いいえお父様、先日帝国の歌劇を見て、やはり私は帝国に嫁ぎたいと気持ちを新たにしましたの! 結婚して帝都で暮らす事は小さい時からの夢ですのよ!」
「……お前が幼い頃、帝都へ旅行に行った事を今さらだが後悔しているよ。まさかあそこでお前が帝都の華やかさに憧れるとは思わなかった。お前の姉たちは国内の貴族と結婚をしたのに、どうしてお前だけこうなんだ……。それにお前は帝国語だって満足に出来ないだろう」
年老いた侯爵は大きなため息を吐く。
「それは婚約者が決まらないからですわ。帝国の高位貴族令息と婚約が決まれば、私だって頑張りますのに!」
「お前の縁談がまとまらないとワシも安心して隠居生活ができない。このままだと誰とも結婚できなくなるぞ」
「そういえばクロイツ侯爵家に令息はいませんの? クロイツ家の令息でしたら何歳でもいいですわ。あの家の夫人は演劇がとてもお好きで、いくつもの劇団の支援をしてますから、嫁入りが出来れば劇が見放題ですし、役者の方に直接会う事だってできますのよっ」
「クロイツ家は令嬢がひとりいるだけだ。正式に発表までされてはいないが、最初に話した公爵家の次男の婿入り先がクロイツ家だ。だいたい帝国と我が国では国力が違いすぎるのだから、高位貴族が相手だとウチ程度の家では次男以下でも相手にしてもらえなかった。このレゴリー家が釣書を送っているというのに、返事すら返さない家もあったのだ。お前も夢ばかり語っていないで、現実を見ないといけない。帝国貴族に釣書を送り続けて、これ以上ワシに恥をかかせるつもりか?」
侯爵は机上に並べた釣書の返事のうちの一枚を指で示して、諭しながらニーナの様子を見る。封筒には帝国でも名家と呼ばれている公爵家の名が書かれてあるが、ニーナは釣書を送った家の名前にすら興味を持っていないようだった。
帝国貴族に嫁ぎたいと言う割に、貴族家の名前を覚えようともしないニーナに侯爵は頭の痛くなる思いをしていた。
侯爵は普段はニーナに甘かったが、帝国の高位貴族と結婚をしたいというニーナの我儘に付き合ったせいで余計な恥をかかされ、さすがに娘の結婚相手を探す事が嫌になっていた。
「私だって大変ですのにっ、もういいですっ」
そう言い捨てるとニーナは大きな足音を立てながら自分の部屋まで戻り、バタンと大きな音を立ててドアを閉めた。
「ああ、もうっ! どうしてうまくいかないのよっ! ウチは侯爵家なんだからすぐに決まると思ったのにっ」
侯爵家の末っ子として育てられたニーナは両親から可愛がられて育った。これまで欲しかったものはドレスはもちろん、少し高価なアクセサリーだって手に入れてきた。しかし他の令嬢たちに自慢できるような婚約者だけはどうしても手に入れられないままだった。
最初に帝国高位貴族の嫡男は婚約者がいるからどの家も無理だと言われた日、絶望的な気持ちになったニーナは、気晴らしにヒューゴのいるマドック家へ先触れもなく遊びに出掛けた。その時に庭でヒューゴと婚約者候補のセレスが楽しそうにお茶を飲んでいるところを見たのだ。
幸せそうに笑うセレスが視界に入った瞬間、ニーナの中で黒い炎のような感情が湧き上がってきたのだ。自分が幸せになるまでは絶対にこの女を幸せにしてやりたくない、そんな黒い感情をあの日からニーナは胸の内に抱くようになった。
別にニーナはヒューゴが好きというわけではない。辺境なんて田舎には興味がなかったし、辺境は粗暴な人間が多いと聞いている。それにヒューゴには兄がいるので、継ぐ家の無い彼はいずれ平民になるのだ。そんなヒューゴのどこがいいのかニーナには分からなかったが、自分が婚約者を作れずに辛い思いをしているそばで笑っている女がいる事が許せなかった。
それにセレスは平民出身だとヒューゴから聞いていたが、ニーナの出来ない帝国語を使える事も許せないところだった。気に入らないと思っていたセレスからヒューゴを取り上げる事は、やってみたら面白いくらいに簡単にできて楽しかった。
今のニーナにとって一番楽しい事といったら、いつも澄ました顔でいるセレスに意地悪をする事だった。頑張って貴族のマナーを身に着けても、どうせ最後は辺境で平民として生きるのだ。それなのにセレスには言葉の端々やちょっとした所作から育ちの良さを感じる事が多く、平民のくせに生意気だとニーナは以前から思っていた。
二人が学院を卒業してニーナの前から姿を消せば好きにすればいいが、それまではずっと邪魔してやるとニーナは心の中で強く思った。
ニーナは侯爵令嬢なのだから、少しくらい平民をいじめたって咎められることはない。それにセレスが世話になっているのは子爵家なのだから、子爵家では侯爵家に文句は言えない。だからセレスはニーナがする事をいつも黙って見ている事しか出来ないのだ。
ヒューゴの事ならニーナは小さな頃から知っている。ちょっとゴネれば彼はニーナの言う事は大概聞いてくれるのをニーナは経験から知っていた。それにヒューゴはセレスに対して偉そうにしている事が多い。
辺境の男は女とは従わせるものだと考えているところがあると母親から聞いた事があるが、辺境生まれのヒューゴも根本ではそういった男なのだろう。やはりニーナは自分にはヒューゴのように粗野な男よりも帝国のスマートな貴族令息の方が好みだ。
ニーナは鏡台の前に座って自分の髪をいじりながら、次はどんな事をしてセレスの邪魔をしてやろうかと、口の端を上げながら考えるのだった。




