58話 思い返すのは……②
何周か走り込みをして休憩スペースまで走ってきたところで、ヒューゴはひと休みをする事にして隅に置かれた誰も座っていないベンチに腰掛ける。鍛錬場では、生徒達がふたりひと組になって打ち合いをしていた。
皆と違うメニューをこなしているヒューゴの休憩時間は自由で、自分の裁量で休憩をしている。ベンチに座ったヒューゴは、仲間たちが稽古に励む様子をぼんやりと眺める。周りには、見学に来ている令嬢たちが多くいて、鍛錬の様子を熱心に見ている。ヒューゴのために来てくれる人はもういない。
ニーナはセレスティナが腕輪を外す瞬間を見ていなかったせいか、セレスティナがクロイツ令嬢だったと話しても信じなかったし、魔道具で髪や瞳の色を変えていた事が理解できていないようだった。
しかしセレスティナがもうヒューゴの婚約者候補ではなくなったという事だけは理解できたようで、その事を知って以来、あれだけ熱心に毎日鍛錬を見学に来ていたのに鍛錬場へはぱたりと顔を見せなくなり、あの甲高い声を聞く事も、ヒューゴが絡まれる事も無くなった。
すぐ目の前にいる令嬢達は、数人でグループを作ってお喋りをしながら楽しそうに鍛錬の様子を見学している。
あの日アルウィンは、セレスティナがいつもひとりで寂しそうにしていたと言っていた。彼女がいた頃の事を改めて思い返すと、セレスティナが令嬢と話している姿を見た覚えがヒューゴにはなかった。
セレスティナは子爵家に世話になっている平民という立場で学院へ通っていた。それに将来の結婚相手が次男のヒューゴと思われていた。セレスティナが自分から彼女たちと交流を持とうとしていたかは分からないが、少なくとも彼女たちにとってのセレスティナは、仲良くする価値が低いと思われていたのだろう。だから、セレスティナと積極的に交流をしようとする女子生徒はいなかった。
貴族科の生徒の中には数は少ないが平民もいる。しかしセレスティナは、そういった生徒たちと交流している様子もなかった。
平民である彼らにも家同士の繋がりがあり、彼らのコミュニティがあるが、全く繋がりの無いセレスティナを入れる理由が彼らにはない。そしてセレスティナには、その中に入る伝手も無かったのだろう。
セレスティナに友人がいないのは彼女自身の責任だし、クラスの中で問題が起きていないのなら大丈夫だろう。深く考えずにそう思っていた。それに自分の場所は彼女自身が作るべきと考えてもいたから、手助けはしなかった。
いや、鍛錬に時間を使いたかった自分は、めんどうな問題をこちらに持ってこないなら、それでいいと思っていた。彼女が寂しそうにしているなんて考えた事もなかった。
ヒューゴの友人やマドック家と関わりがある家の令息を通して、彼らの婚約者を紹介していたら、彼女にも友人が出来たかもしれない。
そもそも、ヒューゴがセレスティナと一緒にいて、自分の隣に彼女の場所を作ってやれば良かったのだ。
――どうしてたったひとりでこの国にやってきた彼女を、少しも支えようとはしなかった?
あれから何度も思い返している、アルウィンから言われたひと言が、重くのしかかる。
最後に会った日、アルウィンの隣にいたセレスティナはよく笑っていた。その様子は少し幼くも見えたが、アルウィンに甘えているようにも見えた。
あんな彼女の姿は知らない。
あの時の彼女の笑顔は、これまでに見た事の無い、花が咲いたような可愛らしい笑顔だった。
ヒューゴの前でのセレスティナは、いつも控えめに笑う少し大人びた人だった。
だから彼女はそういうタイプなのだと思い込んでいた。あの日は、見た事のないセレスティナの表情を見せられて、余計に頭に血が昇ってしまった。
今でも夜眠る前にセレスティナの事を思い出すと泣きそうな気持ちになるのだが、もう彼女は手の届かない所へ行ってしまったので、辛さを抱えていてもどうする事も出来なかった。
昔、辺境伯領で子どもだったセレスティナと別れた日も辛かったが、あの時よりも今の方が比べものにならないくらいずっと辛い。自分は同じ人を二度好きになったが、結局二度とも上手くはいかなかった。
神様がいて願いが叶うのなら、彼女との三度目出会いが欲しかった。次があったら自分は、剣よりも彼女を選ぶ。
しかし、帝国からレーデンまで追い掛けて来たアルウィンが彼女を手放すなんて思えない。だから自分とセレスティナが三回目の再会を果たすなんて物語はきっとないのだろう。
ヒューゴは立ち上がって、再び走り始める。
自分を変える為に何をすればいいのか分からなかったが、ヒューゴには走り続ける事しか出来なかった。
そして走りながら無意識に思い返してしまうのは、初めて恋をした銀色の髪の彼女ではなく、ヒューゴがよく知っている茶色の髪色をしていたセレス・ミュラーの姿だった。
遠慮がちに笑う彼女が好きだった。ヒューゴの事を考えて、さり気ない心配りを見せてくれる彼女も好きで、彼女の側は居心地が良くて、それはずっと存在し続けて無くなるものではないものだと思っていた。
なので、彼女に対しては少しくらい強く出ても大丈夫だと気が大きくなってしまい、今思い返すと見下した態度を取ってしまっていたのだ。
身分違いの相手だと思っていたけれど、真実はヒューゴが思っていた立場とは逆だった。選ぶ事が出来たのは自分ではなくてセレスティナの方だった。
もっと彼女と真摯に向き合っていたら、アルウィンはただの留学生のままで帝国へ帰り、自分の隣には今もセレスがいて、一緒にいられる事ができたのに……。
別れて会えない日を追うごとに彼女への想いが募り、好きだという気持ちが大きくなっていく。
どうして彼女を失う前に、この気持ちに気付けなかったのだろう。ニーナの事なんて放っておけば良かったのだ。
悔やんでも悔やみきれないものがあったとしても、胸が締め付けられるように感じても、ヒューゴにはもうどうする事も出来なかった。
忘れたいと思っても忘れられないし、行き先も見えずに、暗闇を走っているような感覚から、当分の間は抜け出せそうになかった。
彼女はもう自分の隣にはいない、その事実だけが重くヒューゴの上に圧し掛かる。誰かをこんなに好きになる事は、もうないのかもしれない。




