57話 思い返すのは……①
ヒューゴがセレスティナの本当の姿を知ってから、ふた月ほどが過ぎていた。
冬が始まり、屋外での鍛錬も日に日に厳しくなっていく中、ヒューゴはひとりで鍛錬場の周りを走っていた。放課後の時間帯なので、ヒューゴ以外の生徒たちは鍛錬場の中で剣術の稽古に励んでいる。
セレスティナとはあの日以来、会わずに終わってしまった。
元々校舎が違うし、放課後の鍛錬があるから下校時間が重なる事はなく、遠くから見かける事もなかった。余計な事を言ってくるクラスメイトが、セレスティナが帝国に帰った事をわざわざ教えてくれたが、ヒューゴにはもうどうする事も出来ない問題だった。
周りが自分を腫れ物でも扱うように接してくるのが嫌だった。
勝負に負けた上で振られてしまったのだ。クラスメイトたちもどう接していいのか分からないのだろう。
あの決闘の数日前にヒューゴは剣術大会で優勝していたが、剣術大会の参加資格はこの学院全ての生徒にあった。そこには貴族科の生徒も含まれてる。アルウィン・ヴェルスは留学生ではあったが彼にも参加資格があった。
過去に貴族科の生徒が上位入賞をした事もあったし、アルウィンが出ていたら間違いなく彼が優勝していただろう。決闘の時に審判をしていた教師も、対戦前の準備運動の時から彼は剣の構え方や動きが違っていた、あのレベルの相手とあそこまで戦えたのはお前の頑張りだとまで言ってくれたが、負けは負けなのだ。
あの日以来、これまで真面目にやってこなかった走り込みをヒューゴは始めていた。アルウィンから足の動きが悪い事と持久力が無い事を指摘されたので、それを改善しようと思って始めた事だった。
黙々と走っているが、今のヒューゴには目標がなかった。来年剣術大会で優勝ができても自分はアルウィンには負けたままなのだ。ヒューゴにとって目標というものは自分が向かうべき光のようなものだった。これまでの自分は光を目指して鍛錬を続けてきたが、今はその光も見えないし、どこへ行けばいいのかさえも分からない。
先が見えない闇のような中をひたすら走っていると色々な事を考えてしまう。頭の中に浮かんでしまうのはセレスティナの事ばかりで、他はアルウィンと対戦した時の事だった。
アルウィンの動きはヒューゴに遅いと言うだけあって速かった。彼から剣戟の連打を受けている時は、あまりの速さに恐怖すら感じた。そして彼は動きが速いだけではなく、同じ剣を使っているとは思えないくらい彼の剣戟は重かった。アルウィンはあの日、学院の剣を初めて使っての対戦だったが、これが使い慣れている剣だったらきっともっと強かったのだろう。
あの時は頭に血が昇って気付かなかったが、帝国でヴェルス公爵家といったら強い騎士団を抱えている事で有名な家だった。その家の令息に決闘を申し込むなんて、馬鹿のする事だった。剣術大会で優勝した事で自分の実力を過信していた。
彼は全力でいくと言っていた割に勝ち急ぐような事もなく、格下だと分かっていてもヒューゴの出方を見てから自分の流れに持っていき勝利した。対戦が終わった後は、ヒューゴの欠点を教えてくれたが、それが更にヒューゴは自分との差を思い知らされた。あそこまでされたら完全にヒューゴの負けだった。
弱い相手であっても、自分だったら全力でいくと決めたら一撃で勝ちにいこうとしていただろう。自分の強さを誇示したかったし、手を抜かない事は相手への礼儀だと思っていた。
つまるところ、自分とアルウィン・ヴェルスとの違いはそういうところだったのだ。
だからなのか、ヒューゴは素直にあの時アルウィンから受けた助言に従い、ひたすら鍛錬と走り込みを続けていた。こうやって考え事をするのは走っている時だけで、他は寝ているか鍛錬をするしかしていない。強くなりたい。そういう思いはもちろんあったが、今は鍛錬以外の事を考えたくはなかったから敢えて厳しく自分を鍛えている。
走りながらヒューゴは、二週間ほど前の学院が休みの日に、ニーナの兄がわざわざ辺境伯家の屋敷へヒューゴを訪ねて来た事を思い出していた。
ニーナの兄といっても先妻の子どもなので、ヒューゴの両親と歳が近い相手ではあったが、彼からはニーナと婚約をしないかと言われたのだった。
これがただの伯爵家だったら受けざるを得ない状況ではあったが、ヒューゴの実家は辺境伯家なので侯爵家と同等の発言力を持っている。
それを分かっているから、ニーナの兄もヒューゴの意思を確認してから正式にマドック家へ打診しようと思ったのだろう。
華やかな帝都に憧れていたニーナが、自然ばかりの田舎くさい辺境で暮らせるとは思えなかったので、その場でニーナが辺境で暮らす事は難しいと答えたのだが、どうやらニーナがセレスティナへの当てつけの為だけにヒューゴを構い倒していたお陰で、学院の中でニーナがヒューゴと付き合っているという噂が立っているらしい。
特に剣術大会で優勝した時、ヒューゴの隣にニーナがずっといたのは貴族科の生徒たちも多数見ているので、噂を消す事が出来ないでいるらしい。
「そちらでもらってくれないと、ニーナも嫁ぎ先がないんだよねえ」
厭味ったらしく責任を取れと遠回しに言われたが、ヒューゴだってニーナのせいでセレスティナを失ってしまったのだ。ニーナが自分に纏わりつかなければ、セレスティナとはこれまで通り一緒にいられた。しかし悪いのはニーナだけではなく、自分も愚かな事をしたと今は思う。
そもそもマドック家へ勝手にやってくるニーナを止めようとしなかったのはレゴリー家の人間たちだし、セレスティナには話していなかったが、父親を通してレゴリー家へは二度ほど抗議の手紙も送っていたのだ。
もちろんヒューゴからニーナへ家に来てなんて言葉は一度も言った事は無い。それを分かっているからニーナの兄も婚約の事を強くは言えないのだろうが、こちらでニーナを引き取るなんて無理な話だった。
「キミの家には従属爵位もあるし、幼馴染のヒューゴ君が引き取ってくれるのだったら、父も文句は言わなかったのだろうけどね。まあいいや、ニーナの結婚は父が隠居した後に後妻の方向で探してみるよ。ニーナの頭の出来では当主夫人なんて出来ないから、若い貴族は望めないが、自分の父親より年下だったらいいだろう。ニーナの母親も後妻として我が家に嫁いだからね。後妻で少しくらい歳上でも文句はないだろう」
そう言いながらニーナの兄はお茶をひと口飲む。
「キミに愚痴を話しても仕方がないのだが、父がなかなか爵位を譲ってくれなかったから、ウチの子どもたちには良い縁談がこなくてねえ。一番上の娘なんてニーナの三歳下なのに、私がまだ侯爵位を継いでいなからと、縁談を断られてばかりだったんだ。ニーナにはそれなりの家から縁談話がきているのに、それを嫌だと言うのだから馬鹿な子だよね。ニーナが断った令息たちの中には、まだ婚約者のいない令息もいるから、代替わりをした後に声を掛けてみようと思っているよ。ウチの娘はニーナとは違って真面目で勤勉な子だから、貴族家の夫人としては問題がないのに、馬鹿な妹が良縁を断る横で、ウチの娘は縁談話を断られていたから、ずっと不憫に思っていたんだよ」
そう言い残してニーナの兄は帰って行った。帝国貴族への嫁入りの夢も叶わず、レーデンで後妻として嫁ぐ事をニーナは全力で嫌がるだろう。しかし、どこかで覚悟を決めないと、断る度に条件の悪い相手ばかりになっていく事に、彼女が気付くかどうかはわからなかった。
幼馴染として忠告をしてあげたかったが、ニーナがヒューゴの話を聞くとは思えなく、徒労になる事は明らかだし、あのキンキン声を聞かされるのだと思うと気が進まなかった。
自分もだが、結局ニーナも良縁を良縁と気付けずに、自分から幸せを遠ざけている。
失った時に気付いても、それはもう自分のものではなくなっている
セレスティナの事でまだ立ち直れないヒューゴは、もう手の届かない相手であっても、セレスティナ以外の女性の事を考えたくはなかった。




