54話 大きな誤解
「彼女に用があるのなら、話はこちらで聞く」
「あんたには関係のない話だから、引っ込んでいてくれ」
「彼女に関しての事なら、俺も無関係ではない」
無関係ではないという言葉をどう解釈をしたのか、ヒューゴが明らかに嫌な顔をする。
「大丈夫よアル。私が話すわ。……マドック様、本日はどのようなご用向きですの?」
ヒューゴはちらりとアルウィンを見る。きっとアルウィンにはこの場から離れて欲しいのだろうが、ヒューゴの後ろには、目を輝かせながら口元を歪ませているニーナがいるのでお互いさまだし、ニーナがいなくてもアルウィンはきっとセレスティナのそばから動かないだろう。
「お前と留学生との事が噂になっている。噂は本当なのだな」
生徒会主催の夜会で会った時よりも、セレスティナとアルウィンの距離は近い。夏から秋にかけて、自分たちの関係が大きく変わった事を、ヒューゴは知らないようだった。
「だから言ったでしょうヒューゴ、セレスさんは平民だから私たちとは考えが違うのよ。ねえセレスさん、知ってる? あなたのような人の事を社交界ではアバズレって呼んでいるのよ、ふふふ」
嘲笑するニーナにアルウィンが動き掛けたが、セレスティナは手で制した。
「ご用はそれだけですか? 私たちは急いでいますの、失礼致します」
二人の相手をするつもりのないセレスティナが、一歩踏み出そうとしたところで、ヒューゴがポケットから何かを取り出してセレスティナの前に差し出した。
「約束、だったろう? お前がそういう女でも約束だからやるよ」
ヒューゴが手にしていたのは、剣術大会で優勝した時に彼が授与されたメダルだった。
今となってはもう、セレスティナの中では意味を持たないものだった。
剣術大会があった日、このメダルがニーナの首に掛けられていた。セレスティナに渡すつもりだったのなら、どうしてニーナが先に首に掛ける事を許したのだろう。
あの日渡されても受け取るつもりはなかったし、今は何とも思わないが、ヒューゴの考えている事が理解できなかった。
「いただく理由がございませんわ。どうぞお持ち帰りいただくかニーナ様に差し上げて下さい」
「ニーナとの事はそういうのじゃないって言っただろう? その留学生と一緒にいるのも俺への当てつけなのか? そうやってすぐに嫉妬ばかりしていると辺境では暮らしていけないぞ」
やはり彼はまだ知らないのだろう。セレスティナがヒューゴと共に歩く道はもう存在しない。
「ご実家からお手紙は届いていませんの?」
「えっ? ……そういえば少し前に届いていたが、剣術大会前だったからまだ見ていない」
「そうですか、でしたら中身を確認される事をお勧めいたしますわ」
「なんかぁ、今日のセレスさんって貴族令嬢みたいな話し方をするのねぇ。もしかして貴族になりたいなんて思っているのかしら? そういえばヒューゴって、辺境伯家が持っている男爵位をもらえるかもしれないの。それを知っていたからその言葉遣いにしてるの? でもねぇ、浮気癖のある方が奥様だなんてヒューゴもかわいそうだわぁ」
セレスティナはニーナから馬鹿にされる事に慣れているのだが、耐性の無いアルウィンはセレスティナに制止されたから黙っているが、拳を強く握りしめていた。
「落ちついて、アルウィン」
「ティナ、俺は自分がどう言われても気にしないが、目の前でキミの名誉が汚され、侮辱される事は我慢が出来ない」
アルウィンの名前を耳にした途端、ニーナが反応をした。学年が違うニーナはアルウィンの名前をこの場で初めて知ったのだった。
「アルウィン? アルウィンってもしかしてアルウィン・ヴェルス?」
レーデンではフォレット姓を名乗っているので、アルウィンの本当の名前を知っているのは生徒の中ではセレスティナだけのはずだった。
「敬称を使う事すら知らない令嬢に、それを答える必要が俺にあると?」
ニーナを視界に入れるアルウィンの瞳はどこまでも冷たく、感情の籠っていない口調だった。
使用人の失敗にも大らかに対応するアルウィンが、はっきりと誰かを嫌う姿をセレスティナは初めて見た。
帝国との国力差を差し引いたとしても、ニーナはただの令嬢で、アルウィンは伯爵位を持っている。失礼なニーナの態度は、彼女が知らないから許容しているだけなのだ。
ここで身分を明らかにした方がすっきりするだろうが、彼らにそれを説明して理解させる事は時間がかかりそうだった。
「やっぱりそうなのね! セレスさん、この方は帝国の公爵令息なのよ、知っていて?」
自分の事ばかり考え、周りを見ないニーナは、氷のように冷たいアルウィンの視線にも気付いていない。
セレスティナは静かにニーナを見る。彼女の話に乗るつもりはなかった。
「その顔は知っているって顔だわ! あなたってつくづく最低ね、婚約者のいる相手に手を出すなんて!」
獲物を見つけた猫のようにニーナは生き生きとした表情を浮かべる。そこにはセレスティナを貶めたいという感情がありありと見えた。
「……ああ、そういえば思い出したよ。少し前にレーデンの貴族家から一方的に釣書が送られてきたと聞いた。随分と非常識な家だと思っていたが、令嬢の家だったのか」
聞いた事もないアルウィンの低い声色にセレスは息を呑む。そしてニーナがアルウィンの名前を知っていた理由にも合点がいったのだった。
「こ、婚約者? 婚約者がいるのにセレスを弄んだのかっ!?」
驚いた声を上げたヒューゴが、非難する瞳でアルウィンを睨む。
どうしてヒューゴがアルウィンに怒りの感情を向けるのかがセレスティナには分からなかった。
教えたくはなかったが、そろそろ自分の本当の名前を出さないと収まりがつかなくなりそうな様子だった。
「そうよヒューゴ! この方は帝国の侯爵令嬢であるクロイツ令嬢と婚約しているの! セレス、自分でも分かっているのでしょうけど、あなたはこの方に遊ばれているのよ! ふふっ、ははは!」
「何っ! クロイツ令嬢だって!? 貴様っ!」
声を上げてアルウィンを睨むヒューゴの反応は、先ほどアルウィンを責めた声よりも大きかった。
(ヒューゴ様は、辺境で会った私の名前を知っていたのね)
もしもセレス・ミュラーとセレスティナ・クロイツが別の人物だとしたら、彼はきっとセレスティナの方を優先させるのだろうと容易に想像がつく反応だった。
アルウィンの手がセレスティナの左手首にそっと触れようとする。彼もセレスティナと同じ事を考えているようだった。




