38話 知らな過ぎた自分②
「お母様は私とお兄さまの結婚を望まれていらっしゃるのですね」
グローリアはばさりと扇を開く。
「当たり前でしょう。かわいい娘のために最高の婿を用意したのよ。アルウィンは帝国一の婿よ。血筋も良く能力が高い上に、子どもの頃からセレスティナ一筋ですもの。貴族家の令息としては完璧だわ。表情を隠すのが成長と共にうまくなったけれど、セレスティナの事を話題に出すとすぐに崩れてしまうの。あれだけ良い子なら応援をしてあげたくなっちゃうでしょう?」
アルウィンがクロイツ家で当主教育を受けた後は、セレスティナの代わりにグローリアがアルウィンと毎回お茶をしてきたので、グローリアはアルウィンの事をセレスティナ以上によく知っていた。
「あなたにあの腕輪を渡した日ね、セレスは見ていなかったから気付いていなかったようだけど、外に出てあなたが笑顔を見せた時に、アルウィンったら緑色の瞳に涙を溜めて、泣きそうな顔をしたのよ。腕輪は家にあったものだと話していたから、ヴェルス夫人にお礼の手紙を送ったら、あれはアルウィンがセレスの事を思いながら作った魔道具だって返事がきたわ」
あの頃のセレスティナは自分の事ばかり考えていた。幼かった事も理由のひとつだが、酷い目に遭ってしまった自分の境遇を悲しみ、ヒューゴとの温かな時間を思い出して、何とか自分を支えていたのだ。しかし、それだけでは足りなかったから、視界の隅に写る人影も、夜の闇も怖かった。
「あの時から私はアルウィンの事を応援しているの。あなたを助けてくれたのは辺境伯令息だけれど、外に出れないほどに傷ついたあなたを救ってくれたのはアルウィンなのよ」
セレスティナはあの頃の事を思い返す。
恐怖した体験の影響というものはすぐにはやってこなかった。セレスティナの場合、クロイツ領に戻って数日後にそれは起こった。突然外へ出る事が怖くなってしまったのだ。
それからは誘拐された時の事が何度も思い返され、違う事を考えている時でも、身体が震えるようになってしまい、突然涙が出てしまうようになっていた。
母や乳母が視界から消えるだけでパニックを起こして泣き叫んでしまう事もあったので、周りには随分心配を掛けてしまった。
侍女たちが着ているお仕着せの色を変え、ベイル国で暮らしていた屋敷と似た家具やカーテンといった内装箇所を全て変えてみても、攫われた時の記憶と、また攫われてしまうかもしれないという恐怖はなくなってくれなかった。
あの腕輪をして、色が変わった自分の姿を見た瞬間に、セレスティナの心も変わった。希有な色からありふれた色へ、鏡に映る自分を見て、この姿なら大丈夫かもしれないとやっと思えたのだ。
グローリアも当時の事を思い出しているのか、ゆっくりと紅茶を口にする。
「アルウィンはね、学院では令息ばかりの領地経営科だったし、三年もスキップをしているから周りは年上ばかりで学生時代も浮いた噂話のひとつも聞かなかったの。勉強と仕事しかしてこなかったら押しが弱いのが欠点だけれど、あなたの相手としてはちょうど良いくらいだわ」
改めてグローリアはセレスを見つめる。セレスティナは無意識に姿勢を正していた。
「セレス、そろそろ初恋は捨てなさい。あなたが何も決めないままで、私たちがあなたの居場所を守る事には限界があるの。でもいくら私たちがアルウィンの事を応援していても、セレスがどうしてもアルウィンを受け入れられないのなら、アルウィンも分かってくれるし、私たちはもう何も言わないわ」
「お母様……」
「でもこれだけは分かって欲しいの。私も旦那様も本心ではあなたにはクロイツ家にいてもらいたいと思っているの」
それはグローリアの母親としての思いだった。クロイツ家に残り、アルウィンと結婚する事を両親は強く望んでいる。
誘拐事件があって以降、セレスティナは頑なにアルウィンを拒み、ヒューゴの事を思い続けてきた。
辺境でヒューゴと過ごした数日間は、あの誘拐事件に関わる記憶の中で唯一、優しくも美しい思い出だった。あの時のヒューゴとの思い出を数え切れないくらい思い返しながら過ごしてきた。何年も思い出だけを抱き続け、それはセレスティナの中でより美しい思い出へと変わっていった。
しかし、セレス・ミュラーとしてヒューゴに出会った一年と少しの間に、セレスティナの初恋は花を開く事もなく蕾のまま萎れていき、ニーナが現れたこの数カ月の間に、とうに季節が過ぎた花のように、ヒューゴを慕う気持ちも枯れかけて、思い出も色褪せたものとなっていた。
「……お母様、私はクロイツに残ってもよろしいのでしょうか?」
完全に振りきれていないセレスティナは、心の中に少しだけ迷いがあったので、声は小さかったが、母はその言葉を聞き逃さなかった。
「ええ、もちろんよ。どうしても政略結婚が嫌だと言うのなら、仕方がないけれどアルウィンの事は選ばなくてもいいのよ。でも国を変えてしまうと私たちではあなたを守る事が出来なくなってしまうの。親としてのエゴになってしまうけれど、せめてこの国にはいて欲しいの。あなたには結婚後にレーデンの辺境で暮らす話もしたけれど、本当は私と旦那さまが譲歩できるのはここまでなの」
セレスティナは母親の言葉に目を丸くする。
「辺境伯令息があなたを望み、帝国で暮らす事を決めてくれるのなら、クロイツの持っている従属爵位のひとつを譲ってもいいと思っているわ。令息には伝えていないけれど、マドック辺境伯様にはもう許可をいただいているの」
つまり、セレスティナがレーデン王国の辺境で暮らす事を両親は考えていなかった。セレスティナが辺境へ行くのではなく、最初からヒューゴを帝国へ迎える事を両親は考えていた。
こちらが権力を見せなくても、帝国の筆頭侯爵家からの縁談を小国の辺境伯家では断れない。
無理にヒューゴを帝国に連れてきたら、セレスティナはきっと一生彼から恨まれる。
どうするかの判断を彼に委ねたとして、辺境の地とセレス、ヒューゴがどちらを選ぶかなんて最初から決まっている。
「……ヒューゴ様は帝国では暮らせないと思います」
ヒューゴは辺境伯家の次男としてのびのびと育てられた。そんな彼が末席であっても礼法にうるさい帝国貴族としてやっていけるとは思えなかった。
それに彼は帝国語が分からないから、彼が帝国で暮らす事は現実的ではないし、何よりヒューゴは辺境という土地を愛している。おそらく同じなのだ、ヒューゴが学友にセレスティナが辺境に合わないと話していた事と。
「私は、……クロイツに戻る事を選ぶと思います。でも、もう少しだけ気持ちを整理する時間を下さい」
セレスティナの言葉に、グローリアは安心した表情を浮かべる。これまでセレスティナは頑なに自分の意見を通そうとしてきたが、この夏戻ってきたセレスティナは変わった。
アルウィンの話では、レーデンでのセレスティナはかなり寂しい思いをしていたらしい。親として何もしてあげられなかったのは苦しいところだが、それでセレスティナが帝国に戻りたいと考えを変えてくれるのならば、やむを得ない事でもあった。
母親としてはこのまま留学を取りやめにしたかった。気持ちの整理ならば、帝国ですればいいのだから。
しかし、「セレスティナの意思を第一に考えて欲しい、討伐から戻った後にはなるが、フォローは自分がするから」そうアルウィンが話していたので、侯爵夫妻はセレスティナの留学を継続させる事にしたのだった。




