38話 やり直したい令息
「ねえティナ、俺はレーデンで学生時代のやり直しをしてみたいと思うんだ」
剣術大会の翌日、教室で一緒に昼食を食べながら、突然アルウィンがそう言い出したのだった。
「学生時代のやり直し……、次の定期テストで一位を目指す、といった事かしら?」
アルウィンの言葉が何を意図しているのかを理解できないセレスティナは、とりあえず思い浮かんだ事を口にしてみる。
「学年主席は経験した事があるからいいかな。俺がやり直したいのは学生生活の方で、せっかくティナと同じクラスにいるというのに、楽しい思い出をひとつも作らずに帝国へ帰るのは、惜しむべき事だと思うんだ」
真面目な顔でそう話すアルウィンに、セレスティナはつい笑いそうになってしまった。
帝国に戻ったら、アルウィンにはクロイツ家で領地経営に関係する仕事が待っているし、セレスティナは帝国の学院に通学する事になる。
夏期休暇前にアルウィンが勧めていたように、淑女科に通いながら領地経営科の授業をいくつか受けるつもりなので、お互いに忙しくなる事は目に見えていた。
つまり彼はレーデンにいる残された時間は、学院内でちらほら見掛ける仲の良い婚約者同士がしているような事をしたいと言っているのだ。
「だから今朝は迎えに来てくれて、今もこうして昼食を一緒にしているのね。こうして考えると、今の私たちはまるで婚約者同士みたいだわ」
クロイツ家へ帰る事と、アルウィンを選んだ事は昨日伝えたばかりで、セレスティナはこれから両親へ報告するつもりだった。
「せっかくティナと共に学んでいるのだから、同じ学院へ通う婚約者同士がするような事をしてみたいんだ」
セレスティナは以前母親が、アルウィンはこれまで学業と仕事しかしてこなかったと話していた事を思い出した。しかし、同時にアルウィンの言葉に引っかかるものを感じたので、その事を口にしてみる。
「でもアルウィンとはまだ婚約を結んではいないし、マドック様の婚約者候補を辞めるお願いをする手紙も書いていないわ。そうだわアルウィン、私の手紙をクロイツ家へ送って下さらないかしら? 今の私では直接手紙を送れないから、両親に手紙が届くまでに時間がかかってしまうの」
セレスティナの言葉にアルウィンの目が一瞬泳ぐような動きを見せる。
「ああ、その件なのだけれど、手紙は俺からも送るつもりだから、ティナの分も一緒に送るよ。……実はキミにまだ伝えていない事があるんだ」
「帝都で何かあったの?」
「うん、まあ、何かあったといえばあった」
言いにくそうにしているアルウィンの様子から、良くない話なのだろうかとセレスティナが思い始めた時に、アルウィンから衝撃の事実が告げられた。
「……実は、今の俺たちは婚約関係にあるんだ。クロイツ家からマドック家への断りの手紙も、既に送られていると思う」
「ええっ! 私、婚約のサインなんてしていないわ!」
セレスティナが大きな声を出したので、教室で昼食を食べているクラスメイトの何人かがこちらをチラリと見る。セレスティナは自分の口元に手を当てた。
アルウィンとは相変わらず帝国語で話をしているので、他の生徒たちに詳しい内容までは知られていないだろうが、ふたりがにこやかに昼食を一緒に摂っている姿は、仲の良い友人か、それ以上の関係に見えているだろう。
「どういう事なのか、説明して」
「……経緯を話すと、魔狼討伐で俺が怪我をしたところまで話が戻るんだ」
アルウィンの怪我といえば、帝都に戻ってから査問会議が開かれ、クロイツとヴェルス両家の当主同士が喧嘩をした結果、アルウィンが騎士団を辞める事になった話だが、この流れのどこに自分たちの婚約と繋っていくのかが分からなかった。
「遠征が終わって帝都に戻ってから、俺の進退を廻って父親同士が揉め始めたと話しただろう? あれって俺の父親からすると、小さな頃から俺をティナの婚約者候補として置き、侯爵閣下も俺を婿のように扱うのに、正式な婚約をまだしていないというところに端を発していたんだ」
ヴェルス公爵家側からすると尤もな意見だった。公爵は教育に厳しいところもあるが、顔立ちが夫人に似ているアルウィンを、小さな頃はかなり可愛がっていた。
「それで、まあ、父を宥めて納得させた上で、円満に騎士団を退団するには、ティナとの婚約という理由が必要で……。あ、そうだ、帝国の婚約に関係する申請書類って、俺も初めて見たのだけれど、当主同士のサインがあれば認められるんだよ」
アルウィンの言葉は、所々で歯切れが悪かった。知らないうちに自分が婚約をしていた事には驚いたが、帝国を出る時にはこうなると思っていたし、これが自然な流れだと納得しているので、以前のように拒絶する気持ちはもう起きなかった。
カフェでヒューゴと会ったあの時に、セレスティナの中でも気持ちの整理もついたのだ。だから、クロイツへ帰る事は次に書く手紙で伝えるつもりだった。しかしセレスティナの想像以上に周りの動きは早かった。
「もちろん、本人のサインを書く欄はあるけれど、あれって実は任意だったらしくて、ティナのサインがなくても婚約を結ぶ事は可能だったんだ。帝国って家によっては、小さな子ども同士を婚約させる場合もあるからだろうね。……俺が帝都に戻ってすぐの頃は、父がいい加減にティナとは破談にすると家では言っていたし、婚約を急がないと本当に破談になっていたかもしれなかったから、危ないところだったんだ」
アルウィンは気まずそうな表情を浮かべている。
「それで父親同士の間を丸く収めるために、俺たちの婚約が結ばれて、一年後に結婚する事までが両家の間で急遽決まったんだ。俺の母と侯爵夫人は、おそらく今頃は結婚式用のドレスや宝飾品といった、ティナに関係している準備に取り掛かっていると思う」
高位貴族同士の結婚の準備には、どんなに急いでも一年は必要になる。つまり両家はこの結婚を最短の日数で執り行うつもりなのだ。
セレスティナとアルウィンの婚約は長年言われてきた事だから、正式な婚約から結婚までの時間が短くても、世間的には急いだ印象を持たれないし、おかしな事ではない。しかし、まだ学生のセレスティナにとっての一年は早い。
「キミの気持ちを聞く前だったけれど、侯爵閣下は元々キミをクロイツに留めさせたかったから乗り気だったし、侯爵夫人もティナへは事後報告でも大丈夫だとおっしゃるから、あの場にいなかったティナ以外の全員が、俺とティナとの婚約に賛成だったんだ。それで、ティナに伝える事は俺に任せるから納得させてくるようにと侯爵夫妻から言われて送り出されたんだ。……婚約に関係する書類もすぐに受理をさせると侯爵閣下もおっしゃっていらしたから、俺が帝国からこちらへ向かっている間に、俺とティナの婚約は結ばれていたんだ」
セレスティナは驚いた表情を浮かべている。
「一年後って、私まだ学院生よ」
「俺を早く婿入りさせたい、ティナをクロイツ家に留めたいというところは、両家の親たちにとって共通の願いだったから、最短で結婚を執り行うと言って、四人でどんどん話を進めていく両親たちを、俺ひとりの力では止められなかったんだ。時期的な事は帝国に戻ってから、ティナと一緒に両家に掛け合えば学院卒業まで延ばす事は出来ると思うから、それは帝国に帰ってからになるかな。俺もまさかこうなるとは思わなくて、勝手に決めてしまった事をティナには申し訳なく思っているんだ」
申し訳ないと言いながらも、アルウィンはどこか嬉しそうだった。
貴族として生まれた以上、両親の決めた相手と結婚する事は当然の事だし、これまでセレスティナの意思を優先されていた事の方が破格の事だったのだ。もちろん相手がアルウィンである事に不満はない。
本来なら両親から話があってもいいはずなのに、それをしなかったのは、これまでのセレスティナの行動を考え、勝手に婚約をするのなら家を出るとでも言い出す可能性を恐れての事かもしれない。
そんな心配を両親にさせるほど、これまでのセレスティナは意地を張り過ぎていた。
「前にも話したけれど、俺はティナとの事は政略であっても、政略の相手だから仕方無く結婚したとは思われたくは無いんだ。だから結婚をするまでにティナが俺の事を好きになってくれるように頑張るよ」
真摯な表情でアルウィンに見つめられたセレスティナは、男性からそのようにされる事に慣れておらず、思わず顔を赤くしながら視線を逸らしてしまった。
これまで自分は追いかけるばかりだったから、想われるという事に慣れておらず、これには戸惑いしかなかった。




