37話 手に入れたものと、失ったもの
セレスティナを見つめているヒューゴが言葉を発しようとした瞬間、セレスティナの横を駆けながら通り過ぎた人物がいた。
「優勝おめでとう! ヒューゴっ!」
それはニーナだった。
勢いよくヒューゴの元へ駆けつけたニーナは、そのままヒューゴに抱きつき、試合で疲れていたヒューゴは、バランスを崩して転びそうになる。
そこでセレスティナは我に返った。
突然抱きつかれたヒューゴは、どうしていいのか分からないようで、戸惑った表情を浮かべる。
そうしている間に、ニーナの後に続けとばかりに、彼の優勝を祝福するために騎士科の仲間たちがあっという間にヒューゴを囲み、二重三重とヒューゴは人の壁に囲まれていく。そして、セレスティナの視界からほとんど見えなくなってしまった。
ヒューゴとセレスティナが見つめ合っていたのは、言葉も交わせないほどの一瞬の間であったが、セレスティナにはもっと長い時間のように思えていた。
ここにはセレスティナの居場所はないのだと、まるでそう告げられているかのように、ヒューゴを取り囲む彼らは、誰もセレスティナの存在を気に掛けていなかった。
セレスティナは、ヒューゴの優勝を喜び合っている騎士科の生徒たちの一団に背を向けると、歩き出すのだった。
◆◆◆
遠くに聞こえる歓声を聞きながら、自分ひとりしかいない図書室でアルウィンは本を眺めていた。
貴族科の生徒に授業は無いので、観戦をしないのなら帰っても良かったのだが、アルウィンはここでセレスティナを待ちたかった。
このままセレスティナが現れない時は、きっと彼女は彼の側にいる事を選んだのだろう。あれだけ何年も想っていたのだから、苦しい未来が待っていると分かっていても、彼を選ぶ可能性は充分にあった。
何より初恋というものが厄介なものである事は、彼自身が一番よく知っていた。
今日は珍しく何の本を読んでも頭に入ってこない。文字を見ても頭が拒絶をして、意味が理解できない。こんな事は初めてだった。仕方無くアルウィンは本に書かれている文字をただ眺めていた。
自分でもあの歓声の中で、何が起きているのかが気になっているのだと分かるのだが、行こうという気持ちにはなれなかった。
セレスティナは今日も、切なそうな表情で辺境伯令息を見ているのだろうか。
机の上に開いていた本から、窓の方へ視線を移したアルウィンは、空を覆う厚い雲を見てもうすぐ雨が降りそうだと思った。
昨日のセレスティナは一日待って欲しいと言っていた。ヒューゴを応援するためだと分かっていたが、駄目だとは言えなかった。
この十数年、ずっと待ってばかりだった。やっと彼女に自分の気持ちを言えるようになったのに、それでもあの辺境伯令息には勝てない。
こんなに苦しいのなら、幼かったあの時に自分は兄にはなれないと、彼女に言うべきだったと何度も後悔した。しかし何度考えても、自分はきっと幼い彼女の望みを叶えるために、やっぱり兄になってしまうのだろうと思い直して、いつもそこで思考が止まってしまう。
アルウィンが今日何度目かになるため息を吐いた時、ガチャリと音がするとドアが開き、不安そうな表情を浮かべるセレスティナが現れたのだった。
「よかった、……ここにいてくれて」
何かがあったのか、セレスティナは顔色も悪く、縋るような瞳でアルウィンを見つめる。
「図書室にいるって言っただろう。俺はずっとここにいたよ」
先ほどまで抱えていた憂鬱な気持ちは、胸の中へきれいに仕舞い込み、不安定な彼女を安心させるために、アルウィンは余裕のあるフリをしながら微笑みを浮かべる。
「……終わったの?」
一番気になっていた事を恐る恐る口にすると、セレスティナは小さく頷いた。
「あそこには私の場所はなかった。……クロイツに帰ろう、アルウィン」
周りに人のいない私的な場で、セレスティナから名前を呼ばれたのは、兄と呼ばれ始めてから初めてだった。ずっと聞きたかったその言葉は違和感の無い響きで、耳に心地よかった。
アルウィンは立ち上がると、セレスティナの近くへ行き、そっと彼女を抱き締めた。
「よく頑張ったね」
そう声を掛けた途端、セレスティナが嗚咽を漏らしながら泣き始めたので、アルウィンはセレスティナの背中を大切なものを扱うように優しくさすっていた。
◆◆◆
セレスティナの涙が落ち着くのを待ってから、アルウィンと二人で校舎の外へ出ると、ちょうど剣術大会が終了したところらしく、生徒達が各自の教室へ荷物を取りに戻ろうとしていたところだった。
ばらばらと歩く生徒達の中に、ひときわ目立つ集団がいたので、つい視線をそちらへやってしまった事を、セレスティナは後悔してしまった。
それはニーナを含むヒューゴ達の一団で、優勝の興奮がまだ冷めきれない様子の彼らの表情はとても明るく、ニーナはヒューゴの腕にべったりとくっついていて、彼女の首にはヒューゴが手に入れた優勝メダルが掛けられていた。
「荷物はいいから、今日はもう帰ろうか」
「ええ、そうね。……雨が降って来たわ。急ぎましょうアル」
そう言われてアルウィンが空を見たら、ポツリポツリと空から雨が降り始めていたので、アルウィンは自分の上着を脱いで、それをセレスティナの頭にそっと被せた。
「ありがとう」
セレスティナは、はにかんだ表情を浮かべながら頬を紅く染める。脱いだばかりの上着はまだ温かく、彼の温度を感じた事に照れてしまったのだ。
アルウィンはセレスティナの手を握ると、少し早足に歩き始める。
「風邪をひいてしまうといけないから、強く降りだす前に急ごう」
「ええ」
セレスティナはアルウィンの手をぎゅっと強く握り、先ほど見てしまった光景を頭の中から消し去ろうとした。
一度見てしまった光景を忘れるのは難しいが、隣にいるアルウィンの存在を意識する事で、その時に感じた辛い気持ちを忘れようとしたのだ。
そして並んで帰る二人の後ろ姿は、たまたまヒューゴの視界の中に写っていたのだった。
雨足は少しずつ強くなり、その日のうちに止む気配はなかった。




