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35話 明日までは……

 剣術大会の前日、学院での授業を終えてミュラー家に戻ったセレスティナを出迎えてくれたのはアルウィンだった。


 昼過ぎにレーデン王国の王都へ到着したらしく、旅装姿のままアルウィンはミュラー子爵家でセレスティナの帰りを待っていてくれた。


「お帰り、ティナ」


 応接間で本を読みながらお茶を飲んでいたアルウィンは、セレスティナの姿を見ると立ち上がり、笑顔を浮かべる。


 怪我をしたと手紙に書いてあったから心配をしていたのだが、久し振りに見たアルウィンに怪我をしたような様子は見当たらなかった。


「お怪我は、大丈夫でしたの?」


 怪我を案じるセレスティナの声色に、アルウィンが左の前腕辺りを見る。


「手紙の返事を書けなくてごめんね。帝都を出る直前に届いたから、返事を書いて送るよりも、俺が急いだ方が早く着くと思ったんだ。今回の怪我は魔狼を討伐した時に、腕で自分の身体を庇って、噛みつかれて作った怪我なんだ。血もそれなりに流れたし、帝都に戻った時はかなり腫れていたのだけれど、今は服で隠せばわからないくらいには回復したよ。大変だったのは怪我というよりもね……」


 言葉に詰まったアルウィンは一度ため息を吐く。怪我以上に大変な何かがあったというのだろうか?


「何かありましたの?」


「怪我を負った時の状況が悪かったんだ。魔狼の数が多かったのと、広範囲に散らばっていたから、俺たちは少人数の班に分かれて討伐に当たっていたんだ。それで三年以上の経験を持つ魔剣持ちには、班長の役目を与えられたんだ。俺も該当するから班長の役をしていたのだけれど、班員は俺の他に四人いて、今年入ったばかりの騎士が三人と、昨年入った騎士がひとりだったんだ。騎士としての経験では俺の方が上なのだけれど、俺は学院では騎士科出身ではなかったし、今年入団した騎士たちとは同じ歳なのに、立場が俺の方が上というのが、同じ歳の騎士たちには良く思われていなかったんだ。班編成を決めた隊長は、新卒の三人には俺から刺激を受けて欲しかったらしいのだけれど、それがあいつらには逆効果だったんだ」


 何となく嫌な予感しかしない話の流れだった。


「魔狼を討伐している時に、俺が魔剣で大技を数回出して魔力が切れかけたところで、俺の班にいた三人いる新卒のうちの二人が……、俺を盾にして逃亡を図ったんだ。魔力切れを起こしている時は消耗もかなり激しいから、周りが後方へ庇うのが俺たちの中では常識だったのだけれど、まさか前方に押し出されるとは思わなかったよ」


 その時の事を思い出しているのか、アルウィンは渋い表情を浮かべている。


 同じ第三騎士団に所属する騎士同士で、仲間であるはずなのに、魔力切れを起こしたところで盾にするなんて、考えられないくらいに卑劣な行為だ。こうして無事だったから良かったが、最悪の場合は命を失っていたのかもしれない。


「その時に討伐していた魔狼は、残った二人と俺で何とか倒したのだけれど、盾にされた時に俺は左腕を噛まれてしまったし、残りの二人も魔狼の爪で怪我をしていたから、早く手当てをしないといけない状況だったんだ。運良く近くにヨハンの班がいたから、合流が出来て本隊に戻る事が出来たのだけれど、場合によってはもっと大事になっていた可能性が高い状況だったんだ」


 アルウィンはお茶をひと口飲む。


「帝都に戻った後は査問会議が開かれて、逃亡した二人と班編成をした隊長には処罰が下ったんだ。新卒の二人は除隊で、隊長は三ヶ月の減棒となってしまったよ。……その後がね、キミのお父上が俺の父親に俺の退団を願い出て、それを反対する俺の父親と揉め始めたんだ」


 外務副大臣と騎士団長の喧嘩……、自分の父親の事とはいえ耳の痛い話だった。


「侯爵閣下は元々俺の騎士団への入団に反対していたし、王宮勤めをするのなら文官がいいと勧めて下さったから、俺も文官試験を受けたのだけれど、その時も騎士団に入れたかった俺の父と揉めた過去があったんだ」


「まあ、そんな事が……」


「俺、怪我人なのにクロイツとヴェルスの家を何回も行き来して、何とか俺が騎士を辞めるという形で落ち着かせて、父親同士も仲直りさせたんだ。あの二人、学院生時代の同窓で友人同士のクセして、拗れると学院生時代の生徒会での事とか、古い話を持ち出すし、どちらも譲らないから、かなり大変だったよ。正直な事を話すと、怪我よりもこちらの方がキツかった」


 アルウィンがレーデンへ来れなかった理由が、まさかのお互いの父親が原因だとは思わなかったセレスティナは、ただ驚く事しか出来なかった。


「騎士団はもう辞めてしまいましたの?」

「ああ、帝都を出る前に辞表を出してから来たから、今の俺は留学生という肩書しかないよ」


 アルウィンが今は一番騎士として良い時期だと、鍛錬場でヨハンが話していた事をセレスティナは思い出していた。


「父が我儘を言ってしまい、申し訳ありません」


「元々俺がクロイツ姓を名乗る時には退団する予定だったから、時期が少し早まっただけだよ。ヴェルスの名でいるのなら騎士は続けるべきだけれど、クロイツの名を名乗るのなら必要のないことだから。第三騎士団にいたままだったら、次の遠征へも行っていただろうから、キミのお父上もその辺りを心配して動いてくれていたのだろう。父は今回の事で俺を近衛に異動させると言っていたけれど、近衛だと思い切り剣を振るう事が少ないし、実は俺も気が進まなかったんだ」


 つまりは落ち着くべきところに落ち着いた、という事だろうか?


「……」


 アルウィンからの話は終わってしまったので、次はティナの番だった。

 彼は遠征に行っている間に、自分の事を考えて欲しいと話していた。


 確かにティナの中でヒューゴを慕う気持ちは無くなってしまった。


 ヒューゴとカフェで会った時は冷たい態度を取ったが、昨年の剣術大会で優勝出来なかった時に彼が流した涙をティナは覚えている。


 明日開催される剣術大会のために、ヒューゴはこの一年必死になって鍛錬に励んできた。もうそばで応援はしないが、せめて見届けてあげたいという情はまだあった。


「あの夜会の時にした約束の事を覚えてる? ここに残るか、帝都へ帰るのかは決めた?」


 アルウィンは自分の事をどう思っているのかでなく、セレスティナがクロイツに残るかどうかと聞いてきた。クロイツに残るのなら、アルウィンとの結婚が待っているので結果は同じだが中身が違う。


 彼の気持ちに返事をするという事は、しなくてもいいのだろうか?


 それとも、ここで今のセレスティナの思いは聞かずに、更にもう少し待つという事なのだろうか?


 セレスティナはアルウィンに頭を下げる。


「お願い、もう一日だけ待って欲しいの」


「……明日は学院で剣術大会があるね」


 アルウィンは遠い目をする。騎士であることを辞めたばかりの彼の目に、これから騎士になろうとしている生徒たちはどう映るのだろうか。これで良かったと本人が言っていても、剣を握っていた時の彼は、見ている者を強く惹きつけるほど輝いていた。


 クロイツ家が彼を欲しがらなければ怪我が治り次第、アルウィンは騎士団への復帰ができただろう。セレスティナはアルウィンが実力のある騎士だった事は知っているが、アルウィン自身が騎士である事をどう思っていたのかまでは知らない。


 留学生として、レーデンの学院にいた時のアルウィンは、クロイツ家の領地経営に関係している本をよく読んでいた。


 しかし彼の手によって書かれた、魔道具のアイデアを書いた帳面には、剣に関係するものが多かった。


 彼の生家であるヴェルス公爵家のように、騎士団長の職にある公爵は領主としては対外的な仕事のみをこなし、夫人や家令が領地運営の実務を担うという形だって良かったはずだ。


 しかし、これまでセレスティナがアルウィンと向き合ってこなかったから、次期当主となる彼は、自分ひとりで領地運営をこなすつもりでいて、クロイツ領での仕事に専念をするために騎士団を辞めたのだ。


 セレスティナは、アルウィンひとりに次代のクロイツ領を背負わせていた。


 もしもここでセレスティナが、ヴェルス夫人のように領地運営の仕事をすると言えば、彼は騎士の仕事に戻りたいと思うのだろうか?


 これまでアルウィンから将来をどうしたいのかという話を聞いてこなかった。子どもの頃に聞いていたら、その時の夢を語ってくれたのだろうが、小さな頃のセレスティナは、いつも自分の事ばかり話していて、彼に聞かせてばかりだった。


「明日が終わったら、教えてほしいの」


 セレスティナはアルウィンをじっと見つめる。彼の翡翠のような緑色の瞳が微かに揺れる。


「……あなたの事を」


 アルウィンの瞳が細められ、彼は愛おしい者を見るように微笑む。


「いいよ。……俺のティナ」


 アルウィンに自分のものだと言われても、セレスティナは否定をしなかった。


 ヒューゴの事を考えるのは明日で終わりにしよう、セレスティナは心の中でそう思った。

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