34話 わがままな苛立ち
最近のニーナには面白いと思える事がなかった。
(夏期休暇中のセレスは帝国にずっといるし、ヒューゴは鍛錬が忙しいとちっとも構ってくれないのよね。新学期になったらもっと面白くなると思ったのに、セレスは放課後の自主鍛錬を見に来なくなっちゃったし、私ったらやりすぎちゃったのかしら?)
ニーナはそんな事を考えながら、ひと口サイズのカップケーキを口の中へ放り込む。今は自分の部屋にひとりでいるので、ソファの背にだらしなく寄りかかっても誰にも文句は言われない。
飲んでいるカップをカチャリと音を立ててソーサーへ戻したところで、ノックの音と共にニーナの専属侍女が現れて、執務室へ来るようにとの父親からの伝言を告げられる。
(最近お父様も口うるさいのよね、爵位をお兄様に譲る話が出ているって使用人も話していたし、どうせ私の事も早く嫁に出したいと思っているのよ。お嫁に行ってあげるのはいいけれど、帝国貴族でないと絶対に嫌。嫁ぎ先を探すのは末っ子の私で最後なのだから、最後くらい良い縁談のひとつやふたつくらい見つけてきて欲しいわ)
ニーナは自分より二十三も歳上の兄の姿を思い浮かべる。
立場上は一応兄と呼んでいるが、ニーナの兄であるフィリップは、ニーナの母が後妻としてレゴリー家に嫁ぐ前には結婚をしており、彼の妻がレゴリー家の家政を仕切っていて、侯爵としての実務のほとんども兄が執り行っていると聞いていた。
兄家族はずっと領地で暮らしており、社交シーズンに王都へ戻ってくる。しかしその時は別邸で過ごしているので、ニーナがフィリップと会う事はあまりなかったのだが、夏期休暇前に行われたテストの結果をフィリップに知られてしまったせいで、この夏は出掛ける事を禁止されて、フィリップの娘と一緒に勉強ばかりやらされていたのだ。
フィリップの娘はニーナにとっては姪になるのだが、三歳しか歳が違わないので、姪と言うよりも従姉妹のような関係だった。
この姪は髪色こそニーナと同じだったが、顔にはそばかすがあり、瞳もニーナのように大きくはなかった。容姿はニーナにかなり劣るというのに、勉強だけは出来るので、家庭教師はいつも姪ばかり褒めていた。
新学期が始まり、やっと家庭教師も本邸へは来なくなったので、こうして部屋でくつろいでいたというのに、父親に呼び出されるなんてツイていないと思うしかなった。
気だるそうに立ち上がったニーナは、父親のいる執務室へ向かう。
「ニーナや、少し前に縁談を断られた、帝国の公爵家令息の事で聞きたい事があるのだが、あの後お前はアルウィン・ヴェルス公爵令息へ手紙を送るような事はしたか?」
珍しい事に、侯爵は厳しい視線をニーナへ送る。父親から聞かされた名前に聞き覚えが無かったニーナは正直にその事を話す。
「そんな事はしていませんわ。それに私、お父さまが釣書をお送りしたそのお方のお名前は知りませんでしたのよ」
「そうか、わしもそう思ったのだが、するとあの件は別の理由からという事か……」
ニーナの父親であるレゴリー侯爵は、厳しい表情のまま腕を組んで考える様子を見せる。
後妻であるニーナの母親は男爵家出身だった。家政はニーナの母親より先にレゴリー家へ嫁いでいた伯爵家出身である嫡男の妻がこれまでずっと仕切っている。
一応外では侯爵夫人として扱われているが、ニーナの母親はレゴリー家の中であまり力を持っていなかった。そしてニーナを可愛がるのは両親だけで、ニーナの母親より歳上の嫡男である兄や、嫁いだ姉たちとはあまり交流を持っていなかった。
「何かありましたの?」
「実は帝国の低位貴族のいくつかにお前の釣書を送っていたのだが、軒並み断られていのだ。一度良い返事をくれた家もあったのだが、それが突然断りの連絡をよこしてきたのだ」
一度良い返事をしておいて断るなんて感じが悪いとニーナは思った。
「……一度お受けしておいて、後から断るなんてひどいですわ」
ニーナの涙に父親は弱い、これでニーナの縁談を頑張ってまとめてくれる事を願いながら、ニーナは手で顔を覆い涙を流すフリをする。
「わしもそう思い、一度帝国へ人をやったのだ。それで知ったのだが、ヴェルス公爵夫人がお茶会の席で話をしていたそうなんだ。帝国語を話せないレーデン王国の貴族令嬢が、帝国の高位貴族家に釣書をいくつも送っていると。レーデンから帝国貴族へ釣書を送っていたのはウチだけだったから、数が多かった事でちょっとした噂になってしまったらしい。夫人がお前の事をどこで知ったのかはわからないが、公爵夫人が一度でもそのような話をされたのだから、帝国でのお前の縁談は低位貴族が相手でも絶望的となってしまった」
「私は何もしていませんのにひどいっ! お父様がヴェルス家へ出したお手紙が良くなかったのではないのですか!?」
「アルウィン卿が既にクロイツ家への婿入りが決まっているのは、帝国貴族の間では有名らしいから、そのような相手に釣書を送ってしまったのが間違いだったのか……。国も違うし、そのような間違いは瑣末な事に過ぎないと思っていたのだが……」
「何とかしてください! お父様っ!」
「そんな事を言われてもな……。ニーナや、わしもそろそろ六十だ。嫡男のフィリップに家督を譲れと五年も言われ続けている。お前のためにとこうして頑張ってきたが、来年には隠居する事が決まった。わしが隠居した後にフィリップがお前の望む縁談を世話してくれるとは思えない。だから今のうちにせめてこの国の貴族と婚約を結んで欲しいんだ」
「いやですわっ! だって、だって帝国で暮らす事は私の小さい頃からの夢でしたのよ! お父様はこの国の侯爵なのに、どうして帝国貴族との繋がりを持っていませんのっ?」
ニーナは瞳に本物の涙を溜めながら、必死な様子で父親に訴えるのだが、父親の方はすでにニーナと帝国貴族との縁談に限界を感じていた。
この家の嫡男であるフィリップは四十近くになっても爵位を譲ってもらえない理由がニーナの縁談が決まらない事であるのを分かっている。
夏期休暇前のテストの結果が散々だったので、政略の駒としても使えない事も分かってしまった。侯爵が爵位を譲る前に何とかしてニーナの縁談を決めておかないと、このままではニーナは母親と同じようにどこかの貴族への後妻か、名ばかりの妻を必要としている、問題を抱えた貴族へ嫁ぐ事になってしまう。それさえも上手くいかない時は、貴族の妻を欲しがるだけの平民へ嫁ぐ事になるだろう。
しかし肝心のニーナが現実を見ようとはしない。前妻との子どもたちは誰も問題を起こしていないというのに、どうして一番可愛がったニーナだけがこんな娘に育ってしまったのか。侯爵は大きくため息をつくしかなった。
「お父様までひどいっ!」
それだけ言うと、ニーナは退室の許可をもらう前に執務室から出て行く。
部屋に戻ったニーナは苛立ちながら侍女にお茶を淹れ直すように命じると、どすんと音をさせながらソファへ座り、テーブルに置かれたままにしていた菓子をふたたびつまみ始めた。
学院では婚約者を探している令嬢もいるが、あれは低位貴族の令嬢がする事で、ニーナの縁談を考えるのは父親である侯爵がやるべき事だ。だからニーナは自分が楽しいと思える事をしれいればいいとニーナは思っていた。
「なんで私ばっかりこういう目にあうのよぉ」
不満そうにぼそりと呟きながら、ケーキやクッキーといった焼き菓子を、次々に口の中へ入れる。窓際に置かれたロールトップのライティングデスクの上には、帝国語の読み書きについて書かれた本が綺麗な状態のまま、うっすらと埃をかぶっている。
ニーナだって帝国で生まれていたら、あんな本なんて読まなくても帝国語が話せたのだ。それがレーデン王国に生まれてしまったために、勉強をしないと帝国語が話せない。
以前セレスと一緒にいた留学生から、考える事はしないのかと言われたが、ニーナはやりたくない事は無理をしなくてもいいと育てられてきた。考える事は苦手だし好きではない。
このムシャクシャした気持ちは、これまでならセレスに意地悪をする事で憂さ晴らしをしてきたが、最近のヒューゴはセレスと上手くいっていない様子だった。
上手くいっている二人の間に入るのが面白かったのに、二人の仲が冷え過ぎてしまうと、ちょっとした意地悪も出来ない。
「そういえばヒューゴったら、セレスのために剣術大会で優勝するって言ってたわね。平民の女に縋っちゃって馬鹿みたい」
剣術大会がきっかけで二人の仲が戻るのもいい。そうすればセレスからヒューゴを取り上げる楽しみがまた出来る。
今度はセレスの前でヒューゴに抱きついてみよう。そうなったらセレスがどんな顔を見せてくれるのか、想像するだけでも楽しかった。
どうせあの二人はいずれ結婚をするのだから、恋のライバルがいた方が盛り上がるだろう。自分は二人のためにやってあげているのだと思いながら、さっきまで泣いていたニーナはほくそ笑む。
甘いお菓子を口へ入れながら、早く剣術大会の日にならないかとニーナは思うのだった。




