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33話 消えてしまったもの

 ヒューゴとの約束の日、珍しい事に彼は時間ぴったりに、約束をしていたカフェにひとりで現れた。


 これまではヒューゴと落ち着いた会話の時間を持ちたいと思い、個室を予約していた。しかし早めに来ていた今日のセレスティナは、オープンスペースの席に座っていた。


「あら、ニーナ様は体調を崩されましたの?」


 今日は当たり前のように連れていたニーナがいない。その事を不思議に思いながらセレスティナは首を傾ける。


「ああ、あいつがいると煩いだろう。今日は置いてきたんだ」


 ヒューゴの言葉にセレスティナは瞳を見開く。


 あれだけ甘やかし続けたというのに、今日はそうしなかったらしい。しかし、この店はニーナも知っている。もしも強引に振り切ってここに来たのなら、途中から割り込んで来る可能性は充分にあった。


(その気になればニーナさんを追い払う事も出来たのね)


 やりたいのに出来ないのと、やれるのにしないというのは、どちらも行動を起こさないという点では同じではあっても意味がまるで違う。


 ヒューゴとの時間にニーナが割り込む事を、セレスティナが不快に感じていた事は、ヒューゴだって分かっていたはずだ。だからヒューゴはわざわざ貴族科の校舎に来てまで「ニーナの事を理解して優しくして欲しい」なんて言ってきたのだから。


 今回ヒューゴがニーナを連れて来なかったのは、彼が連れて来たくないと思ったからで、セレスティナの気持ちを思っての行動ではない。


 そこまで考えたら、セレスティナの中で僅かに残っていた彼への気持ちが、すぅっと消えてしまった。


(やっぱり私は想われていない……)


 悲しいという感情はもう生まれてこなかった。随分時間がかかってしまったが、ヒューゴとの事はこれでもう充分だとセレスティナの心はどこかで納得をしたのだった。


「新学期が始まってもなかなか戻ってこないから、どうしたのか心配してたんだ。あの留学生はもう帝国へ帰ったのか?」


 アルウィンの事を聞かれて、セレスティナの表情が僅かだが曇る。


「……ご心配には及びませんわ。それに留学はそろそろ終わりにするかもしれません」


 ひと呼吸おいてからセレスティナは笑みを浮かべた。この夏に帝国で鍛えた表情筋を使い、侯爵夫人である母から教えられた完璧な笑みだった。


 あまり考えないようにしていたが、本当は怪我をしたという手紙を受け取ってから、アルウィンの事がセレスティナはずっと心配でたまらなかった。


 アルウィンから届いた手紙に「待っていて欲しい」という一文がなかったら、今頃セレスティナは急いで帝都へ向かっていただろう。


 セレスティナは生まれて初めてアルウィンへ手紙を書き、彼を心配する気持ちを綴ったのだが、返事はまだ届いていない。


 手紙はレーデン国内宛てならば、届くまでにそれほど日数を必要とはしていないが、国外へ送る手紙は届くまでに時間がかかる。


 というのも、レーデン王国から帝国へ送られる手紙は、レーデン王国内で決められたいくつかの主要な街で順番に回収されてから国境を渡るので、その分遠回りになってしまい、日数がかかってしまうのだった。


 そしてこれはあくまで平民が手紙を送る場合であり、貴族は個人で直接手紙を送るので、十日もかからずに手紙を届ける事が出来た。


 しかし家の力を使えない今のセレスティナは、帝国にいる誰かと手紙のやり取りをする時は平民と同じ方法を使うので、セレスティナから手紙を送る場合は、帝都まで半月以上もかかってしまうのだった。


 アルウィンからの手紙は、彼自身の手によって書かれていたので、最悪の事態が起きてはいないと分かってはいても、怪我の状態といった詳しい事までは書かれていなかった。


 アルウィンからの返事が届かないのは、セレスティナが送った手紙がまだアルウィンの元へ届いていないからだと思うのだが、それでも心配だった。


 アルウィンの事を考えていたセレスティナは、無意識に下唇を噛んでいた。


「……セレス、何だか少し変わったな」


 ニーナに邪魔をされずにヒューゴとこうして向き合うのは実に数ヶ月振りだった。


 あの頃のように、必死になりながらヒューゴに恋していたセレスはもういない。この人のために全てを捨ててもいいとさえ思っていたのに、今はもう彼を大切だとは思えなかった。


「そうですわね、実はこれまでお話ししていませんでしたが、両親にはマドック様との事は反対されていましたの」


「えっ……?」


 気持ちが固まったセレスティナは、決別の意味を込めてヒューゴを家名で呼ぶ。


「マドック様は私が辺境に合わない、そう思われていましたわね? 近ごろは私も同じように考えていました」


 セレスティナは自分のペースでゆっくりとお茶を飲む。


 飲むのが遅いと思われても、もう構わなかった。慌ててお茶を飲むのは貴族としては品が悪いと帝国では思われる。余裕があるように見せる事が貴族としての矜持だと、セレスティナはそう教えられてきた。


「辺境は自然が豊かで暮らす人々の気質も大らで、帝都にないものばかりでした。私が育った場所は帝都ではなく田舎でしたの。辺境と似た所もあると思っていましたのよ。でも土地が似ていても人は違いますわ。帝国には私の帰りを待つ人がいますが、辺境には私を必要としてくれる人がいない事にようやく気付きました」


「キミは、……辺境へ行った事があるのか?」


「私は、これまであなたさえいてくれればそれでいいと思ってきました。でもあなたは私の隣にはいてくれなかった」


 セレスティナは過去の自分を思い返しながら、寂しそうな瞳でヒューゴを見つめる。かつては彼の優しさや愛情を求め、一緒になる未来を思い描いていたが、今のセレスティナはもう、ヒューゴには何も求めていなかった。


 セレスティナを見る彼の瞳からは、これまでに無かった何らかの感情が見え掛けていたが、別れを決めたセレスティナには、深く考える必要のない事だった。


 彼とは何もかも合わなかった。生まれも、育ちも、考えている事さえも。


 今のセレスティナがどんな風に見えているのかは分からないが、セレスティナがあまり喋らないせいか、ヒューゴは動揺した様子を見せ始めた。


「違う、そうじゃないんだ。聞いてくれセレス、俺は……」


「やだぁ、ヒューゴったら、私に隠れてセレスさんと会っているのなんてずるいわ!」


 背後から突然聞こえたニーナの甲高い声がヒューゴの言葉を遮る。ヒューゴはハッとした表情を浮かべてから、セレスティナの背後へ視線を向けた。


 きっと今、ヒューゴは彼にとって大切な事を言おうとしているのだろうが、その言葉はもう自分に必は要がないのだとセレスティナは判断した。


 対面に座っていたセレスティナは、ガタリと音を立てて立ち上がる。


 自分の場所だと言わんばかりに、ニーナはセレスティナの横を通ってヒューゴの隣の席に座る。


「私はもう帰ります、よろしければニーナ様はごゆっくりなさって」


「行かないでくれ、セレスっ。……俺、今度の剣術大会の時はキミのために頑張るからっ、見ていて欲しいんだ!」


 剣術大会、それは毎年秋が深まる頃に学院で開催されるもので、騎士科の生徒たちにちとっては、この大会のために毎日の鍛錬を頑張っているといってもいいものだった。


 いつもヒューゴの事を考えていたセレスティナは、ヒューゴがこの大会で優勝をするために毎日必死になって鍛錬をしていた事を知っている。


 剣術大会当日は、貴族科の生徒達も授業が無いので、ほとんどの生徒が、家族や友人を応援するために剣術大会を見に行く。お願いをされなくてもセレスティナも大会を見る事になるだろう。


「ヒューゴったらっ! 毎日応援してあげてる私のために頑張ってよね!」


 ニーナもヒューゴも店内中に響き渡るくらいに声が大きいので、三人はすっかり注目の的だった。ヒューゴとニーナの対面にいるセレスティナが浮気相手で、ヒューゴが浮気相手に追い縋っているように見えなくもない立ち位置だった。


「マドック様、ごきげんよう」


 早くこの輪の中から抜け出したかったセレスティナは、貴族的な笑みを浮かべながらヒューゴに別れを告げる。ちょうどヒューゴの隣に座ったニーナが、両手で彼の腕にしがみついているところだった。


 ニーナに捕まってしまったヒューゴは、セレスティナを追う事もできずに、空いている方の手を伸ばしながら、去って行く後ろ姿を見ている事しか出来なかった。今まで自分の腕にしがみつくニーナを注意しなかった事が、ヒューゴにとってここで仇となってしまった。


 逆にセレスティナの方は、今回ばかりはニーナの存在がありがたいと思うのだった。

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