31話 帝国の騎士③
室内鍛錬場は王宮内でも端の方に作られているので、建物の周りを誰かが通りかかる事が少なく、セレスティナはアルウィンと手を繋いだまま並んで歩いた。
「まさか来てくれるなんて思わなかったから驚いたよ」
「……私が来て迷惑ではなかった?」
「え? どうして? ティナが俺のために来てくれたのだから嬉しいよ」
アルウィンの言葉にセレスティナは安堵した。ヨハンは本人のやる気に繋がると話していたが、遠征直前だと分かっているのだから褒められる事ではないと思ってしまう。しかし、セレスティナはどうしてもアルウィンに直接あれを渡したかった。
「……今日はもっと気まずくなると思っていたの。だけど、そうならなくて良かった」
そう言ってセレスティナはアルウィンを見上げる。
夜会の時にアルウィンは自分の気持ちを伝えているのだ。返事は遠征が終わってからと言われていても、セレスティナとはあまり顔を会わせたくないだろうと思っていた。
ヒューゴだったらきっと嫌な顔をしただろうし、すぐに帰って欲しいとも言われていただろう。
「ああ、何年もずっと待っているからね。明後日には帝都を離れてしまうし、俺の気持ちよりも、ティナが顔を見せに来てくれた事の方がずっと嬉しかったから」
セレスティナはアルウィンと繋いでいた手を解き、彼よりも数歩先を歩いてから振り返った。
「あなたと一緒にいると、自分がすごく子どものように思えてしまうわ。いつの間にか私よりも先に大人になってしまったのね」
「本当は一緒に成長をしたかったのだけれどね、仕方無いよ」
出会った時は、覚えていないくらいに幼かったのに、セレスティナがクロイツ領に籠っている間に、アルウィンは少年から大人へと成長していた。置いていかれたという訳ではないし、全ての原因はセレスティナにあるのだが、彼と一緒に過ごすはずだった時間がぽっかり抜け落ちている事が、今は少しだけ悔しかった。
セレスティナが離れた歩数の分だけアルウィンも歩いて、セレスティナの隣に並ぶ。
「この間、キミに気持ちを伝えたのは、やり直したいと思ったからなんだ。例えばだけれど、少し想像して欲しいんだ」
「例えば……?」
何かに思いを馳せるようにアルウィンは空を見上げる。午後の早い時間なので太陽の位置は高く、雲ひとつない空はどこまでも青かった。
「うん、例えばだけれど、俺たちは小さな頃に出会った幼馴染み同士だ。何も考えずに一緒に遊んだ楽しかった幼い頃の思い出がお互いにある。事情があって離れていた期間が何年もあるけれど、キミが社交界デビューをする年に再会した。再会した事がきっかけになって、俺たちはお互いを知る事で惹かれ合い、俺から告白をして付き合い始める。どう? いい話だと思わないか?」
確認するようにアルウィンはセレスティナを見る。
セレスティナが迷う理由の中には、ヒューゴの事だけではなく、これまでのアルウィンに冷たくしていた事もあった。今さら彼のところに戻る事は、ひどく自分勝手のように思えてしまうのだ。
アルウィンが語る例えばの中には、ヒューゴもセレスティナが冷たくしていた事も無い世界での話だった。
アルウィンはこれまでセレスティナがしていた行動も無かった事にしてやり直そうと言ってくれていた。
「どうして?」
どうしてそんな事を? と言いたかったが、アルウィンはセレスティナの言いたかった事を理解してくれていた。
「うん、ティナとは家の事や両家の親の考えがあっての関係だけれど、政略にはしたくなかったんだ。できればお互いを想い合っての結婚という形が俺の憧れだったんだよね」
アルウィンはかつてそうだったという風に、過去の出来事のように自分が望んでいた事を口にする。
「けれど、ティナが俺に対して家族としての情しか持てなくて、クロイツやご両親を選ぶ事を理由に俺と結婚するという選択でもいいと今は思う。俺も頭を切り替えるよ」
セレスティナがクロイツに残る判断をしたとしても、それは両親やクロイツ領を選んだ結果であって自分は選ばれない、これまでずっと選ばれ続けなかった彼はそう考えていた。
セレスティナはアルウィンから受け取るばかりでまだ何も返せてはいない。彼にそういう発想をさせるのはセレスティナが原因だ。
アルウィンと政略結婚をしたとして、セレスティナの中にどれだけヒューゴへの気持ちが残るのかはわからない。いずれ穏やかに、若い頃の思い出としてセレスティナの中に残り続けてしまうかもしれない。
セレスティナにとってヒューゴは初恋で、かなりの強さで彼の事を想い続けてきた。彼に対しては色々な想いを抱き続けてきた。甘さも辛さも悲しさも、全てヒューゴへ向けられた気持ちだった。
確かにヒューゴに対して抱いていた愛情はかなり失った。しかし、完全には消えていない。
遠征前だから、アルウィンの望む言葉を口にした方がいいのではないかと思ったが、ここで気休めのような嘘を吐いても彼はきっと見抜いてしまうし、その事は彼を傷つけるだろう。
「もう少しだけ気持ちを整理する時間が欲しいの」
「ゆっくりとは言ってあげられないけれど、時間が許されるところまでは待つよ」
すぐそばの木の根元のそばで風に揺られる小さな花を見ながらアルウィンは微笑んだ。セレスティナはバッグの中から刺繍の入った白いハンカチを取り出すと、アルウィンに差し出す。
「良かったら、これを使って欲しいの」
「ああ、ありがとう。……えっ、これは?」
「私ね、刺繍はあまり得意ではないけれど、この柄は小さな頃から練習をしていたの。恥ずかしいからあまりじっくり見ないで。これからはもっと他の柄も刺せるように練習をするわ」
アルウィンは自分の手の平の上にあるハンカチの刺繍をまじまじと眺める。ハンカチにはクロイツ家の紋章が刺されてあり、セレスティナの瞳と同じ紫色の糸で『アルウィン・クロイツ』と文字が刺繍されてあった。
これはアルウィンがセレスティナの夫としてクロイツ家に入る事を意味する刺繍の柄と色だった。そして小さな頃から練習をしていたと話していただけあって、丁寧に刺された見事な刺繍だった。
「遠征の時のお守り代わりに持って行くよ、ありがとう!」
先ほどまでの沈み気味だったアルウィンの顔がどんどん明るいものへと変わっていく。
新学期が始まる頃にセレスティナはレーデンの学院へ行く。
しかし、それはもう戻るという意味ではなく、自分とヒューゴとの関係に決着をつけるために行くのだ。
セレスティナは長かった初恋に決着をつけてからアルウィンとは向き合いたい、そう考えていた。
ヒューゴへの気持ちに区切りがついたとしても、セレスティナがアルウィンに恋愛感情を抱けるのかはまだ分からない。
しかし、これからの事はアルウィンが遠征から戻ってから彼と一緒に考えればいい。アルウィンはいつも〝一緒〟という言葉を多くセレスティナに掛けてくれたのだから、きっと一緒に考えてくれる。
ハンカチを受け取った後のアルウィンは、馬車までセレスティナを送ってくれた。
そして馬車に乗る直前、アルウィンはセレスティナの頬にキスを落とした。小さな頃にも別れ際によくされていた事だったが、あの時のキスとはまるで違っていた。
鍛錬で汗をかいていたせいかアルウィン自身の匂いがふわりとしたのだ。はじめて知った匂いではあったが、嫌ではなかった。そしてその匂いを嗅いでしまった事で、胸がまた小さく早鐘を打ってしまうのだった。
頬を紅く染めるセレスティナにアルウィンは「俺も頑張るよ」と何を頑張るのか分からない謎の言葉と、少年のように屈託のない笑顔を見せながらセレスティナに手を振ってくれた。
セレスティナはこの人と人生を歩んでいきたい、そう思った。
恋に浮かされた感情ではなかったが、彼となら大丈夫だという信頼する気持ちがセレスティナの中にはあった。




