28話 知らな過ぎた自分
「あなた、昨夜アルウィンと何かあったでしょう?」
夜会の翌日、クロイツ侯爵家のサロンでセレスティナは母のグローリアとのんびりお茶を飲んでいたはずだった。
しかし不意をつくようにグローリアがアルウィンの話題を出したので、お茶を飲もうとしていたセレスティナはあやうく吹きこぼしてしまいそうになった。
「お、お母さま、と、突然何をおっしゃいますの?」
「だって分かりやすいじゃない、行きは二人で一緒に馬車に乗ったのに、帰りはあなたを私たちに任せてアルウィンったらひとりで帰っていくなんて、ねえ?」
侍女は退室させたので、この場にはセレスティナとグローリアしかいない。
敢えてお茶に誘い、セレスティナが話しやすい状況を作ってくれたのだ。
昨晩、庭から会場に戻った時のアルウィンの様子はいつもと変わらなかったし、馬車の乗り合わせだけで何かがあったのだと察してしまうのなら、母親に隠しておくことは不可能だと悟り、セレスティナは理由を話す。
「……実は昨夜、お兄さまから私の事を女性として好きなのだと言われてしまいました」
カップをソーサの上に戻したセレスティナは、飲みかけのカップを見つめる。
ひと晩経ってからセレスティナは改めてアルウィンの事を思い返してみたのだが、客観的に見ても、アルウィンは非の打ち所がないくらいに完璧な相手だと思う。政略結婚をする上で、クロイツ家の婿としてはまったく申し分がない。
けれども恋愛の相手としてはどうなのかといえば、アルウィンは違うのだとセレスティナは思ってしまうのだった。
セレスティナにとってアルウィンは家族、もしくは友人として大切な存在なのだ。
昨晩までのセレスティナは、アルウィンも同じ考えを持っていて、自分は妹のように思われているのだと思っていた。
彼が政略だと言ってくれればセレスティナだって、家族として彼を愛して結婚をする事が出来たのに、彼はセレスティナに自分の想いを伝えてきた。
セレスティナにとって恋とは突然やってきて、嵐のように翻弄されて、自分の世界を塗り替えてしまうものだった。
アルウィンはセレスティナと初めて会った時の事を覚えているようだったが、物心がついていなかったセレスティナは違う。初めてアルウィンと会った時、自分がどんな気持ちを抱いたのかなんて覚えてはいない。
これまで強い感情を持てなかった相手に、恋心を抱けるとは思えなかった。
しかし、アルウィンは熱の籠った瞳で考えて欲しいと伝えてきた。
あんな瞳をしたアルウィンは知らない。追いつめられた動物のように、どこか危険な色を孕んでいたあの瞳は、セレスティナの中に鮮烈な印象を残していた。
それにセレスティナは騎士団でのアルウィンの所属を知らなかった。
学院を卒業して騎士をしていると、誰かが話していたのを聞いていただけだったので、ヴェルス家の人だから学院も騎士科を卒業したのだと思っていた。
騎士団での所属だって高位貴族の子息が多い、近衛騎士団か第一騎士団にいるものだとばかり思っていた。
セレスティナはアルウィンの事を知らな過ぎた。
彼が騎士科ではなく領地経営科を卒業していて、三年もスキップをしてしまうほど優秀な人である事も知らなかった。魔法を使える事や、魔道具を作れる事も知らなかったし、セレスティナのために夜会で家族以外とダンスをしていなかった事も知らなかった。
ここまで知らなかった事が多いと、幼馴染というよりも名前と顔を知っているだけの他人とそう変わらない。
セレスティナの知っているアルウィンは、時々クロイツ家にやってきて、父の書斎で領地の事やクロイツ家の事を学び、それが終わったら和やかな雰囲気で母とお茶をして、時々セレスティナに花や菓子をくれる、それしか知らなかった。
だから、アルウィンに「あなたには恋をしないと思う」とは簡単には言えなかった。
彼と同じ熱量を持てないと、答えは分かっている。
しかし、考えないといけない。それが彼の願いだから。
これまで彼と向き合ってこなかった分、セレスティナは与えられた時間の中でアルウィンの事を考えたいと思っていた。クロイツに残ると決めるのなら、彼と向き合わないといけない。
おそらくアルウィンも、セレスティナが彼の事を何も知らないと分かった上で、考えて欲しいと言ったのだと思う。何となくだがセレスティナはそんな気がしていた。
「……」
無言になってしまったセレスティナに、グローリアは分かりやすいくらいに大きくため息を漏らす。
「もう、あの子ったらやっと話したのね、奥手過ぎるのよ。セレスも気付いてあげられなかったの?」
グローリアにとっての〝あの子〟というのはもちろんアルウィンの事で、母は彼の想いをずっと知っていたような口ぶりだった。
「だって、私の事は妹のように思っていらっしゃると、小さな頃からずっと思っていましたのよ。だから家族として優しくして下さるのだと思っていましたわ」
ゆっくりとお茶を口に含みながら、グローリアはセレスティナの様子を見る。
令嬢同士のお茶会に参加をさせていれば、セレスティナももう少し察しが良くなっていたのだろうが、クロイツ領の屋敷の中で乳母や年嵩の侍女たちに囲まれていたセレスティナが、誰かと恋愛について話す機会はほぼ無かった。
同年代の令息と交流のあるアルウィンの方がまだマシなのだろうが、アルウィンは察しが良くても、相手がセレスティナだと腫れ物に触るような接し方しか出来ない。しかし、そのアルウィンが行動を起こしたというのは大きな進歩だった。
「アルウィンとあなたの関係が兄と妹になったのは、ヴェルス家に呼ばれた時にあなたが言い出した事だったのよ。あなたはアルウィンが兄になってくれたと、はしゃいでいたけれど、アルウィンは苦笑いをしていたもの。穏やかで優しい子だから無邪気に喜ぶあなたに駄目だと言えなかったのよ」
昨日のアルウィンに続いて母親からも同じ事を言われてしまい、セレスティナは自分が覚えていなかった事が事実であると認めるしかなかった。
昨晩アルウィンは兄である事をずっと降りたかったと話していた。小さかった頃の自分の我儘にずっと付き合わせてしまった事をセレスティナは申し訳なく思った。
同時に、彼から告白をされた事で、自分は〝兄〟という安心できる存在を失ってしまったのだと、寂しく感じた。
「せっかくあなたとアルウィンを題材にした恋物語の歌劇まで作らせたのに、自分の娘がここまで察しが悪い子だったとは思わなかったわ」
カップをソーサーへ戻したグローリアは小さくため息をつく。
普段は穏やかで落ち着いている彼にしては珍しく、レーデンであの歌劇を観た後のアルウィンは、かなり取り乱していた。
セレスティナはグローリア自身が「素敵な恋物語」と評している、妄想劇場を毎年上演させる事を知っていたので、あの歌劇は自分とアルウィンから着想を得て、独自の解釈で物語を作り上げたのだと思っていた。
すっかり茶色の髪に慣れていたセレスティナは、銀髪の役者を見ても自分とは重ならなかったので、他の観客と同じように物語として楽しんで観る事ができた。
しかしアルウィンの思いを知った後ならば、真面目な彼が複雑な思いであの歌劇を見ていた事も納得が出来る。
「あの歌劇を見た後は、その……、とても困っていらっしゃるようでしたわ」
「今のあなたを見ていればどうだったのかが分かるわ。あの歌劇を流行らせたのは、アルウィンをクロイツ家に入れやすくする為の目的もあったのだけれど、セレスにも気付いてもらいたかったのよ。あの歌劇に登場する騎士と同じように、アルウィンもあなたの事がずっと好きだったのだと」
歌劇に登場する騎士は銀髪の令嬢への愛を歌として語っていた。それこそ銀髪の彼女がいない場面でも、役者は溢れんばかりに愛の言葉を歌っていた。
あんな風に見目の良い男性に愛を告げられたら、物語の中での事だと分かっていても、自分が彼に言われたような気持ちになるだろうし、女性からの評判が良かったのも頷ける。
しかしモデルにされてしまった実際の彼は、まだ自分の思いをひと言も伝えられていなかった。
自分に似せた役者が、銀髪の令嬢へ愛の言葉を何度も歌い、自分の隣には想い人であるセレスティナがいたのだ。アルウィンがあの日、あそこまで取り乱していた理由がようやくセレスティナにも理解ができたのだった。
「でもお母様、さすがにあの歌劇はちょっと……」
「あなたたちには少し刺激が強過ぎたかしら? でもそれくらいでいいのよ。今の帝都では、あなたとアルウィンは相思相愛だと誰もが思っているから。親族で何人もいたのよ、いつまでも正式に婚約をしないのなら、自分の娘をアルウィンの妻にさせたいと言ってくる人たちが」
何人かの親族の顔が頭の中に浮かんでいるのか、グローリアはうんざりとした表情を浮かべる。
「アルウィンが次期当主と正式に決まる前に、あの歌劇を流行らせておいて良かったわ。後手に回っていたら、あちらも本気を出してきてありもしない噂を流されたかもしれないじゃない。それにあなたが社交をしてくれたお陰で、アルウィンがあなたに夢中なのも納得したはずだわ。美しいセレスには敵わないって思ったはずよ」
ここでもセレスティナの場所を守るために母が動いてくれていたのだ。
セレスティナはアルウィンとの婚約を拒否し続けていたというのに、戻れる場所が今ならまだここにあった。
「お母様は私とお兄さまの結婚を望まれていらっしゃるのですね」
グローリアはばさりと扇を開く。
「当たり前でしょう。かわいい娘のために最高の婿を用意したのよ。アルウィンは帝国一の婿よ。血筋も良く能力が高い上に、子どもの頃からセレスティナ一筋ですもの。貴族家の令息としては完璧だわ。表情を隠すのが成長と共にうまくなったけれど、セレスティナの事を話題に出すとすぐに崩れてしまうの。あれだけ良い子なら応援をしてあげたくなっちゃうでしょう?」
アルウィンがクロイツ家で当主教育を受けた後は、セレスティナの代わりにグローリアがアルウィンと毎回お茶をしてきたので、グローリアはアルウィンの事をセレスティナ以上によく知っていた。
「あなたにあの腕輪を渡した日ね、セレスは見ていなかったから気付いていなかったようだけど、外に出てあなたが笑顔を見せた時に、アルウィンったら緑色の瞳に涙を溜めて、泣きそうな顔をしたのよ。腕輪は家にあったものだと話していたから、ヴェルス夫人にお礼の手紙を送ったら、あれはアルウィンがセレスの事を思いながら作った魔道具だって返事がきたわ」
あの頃のセレスティナは自分の事ばかり考えていた。幼かった事も理由のひとつだが、酷い目に遭ってしまった自分の境遇を悲しみ、ヒューゴとの温かな時間を思い出して、何とか自分を支えていたのだ。しかし、それだけでは足りなかったから、視界の隅に写る人影も、夜の闇も怖かった。
「あの時から私はアルウィンの事を応援しているの。あなたを助けてくれたのは辺境伯令息だけれど、外に出れないほどに傷ついたあなたを救ってくれたのはアルウィンなのよ」
セレスティナはあの頃の事を思い返す。
恐怖した体験の影響というものはすぐにはやってこなかった。セレスティナの場合、クロイツ領に戻って数日後にそれは起こった。突然外へ出る事が怖くなってしまったのだ。
それからは誘拐された時の事が何度も思い返され、違う事を考えている時でも、身体が震えるようになってしまい、突然涙が出てしまうようになっていた。
母や乳母が視界から消えるだけでパニックを起こして泣き叫んでしまう事もあったので、周りには随分心配を掛けてしまった。
侍女たちが着ているお仕着せの色を変え、ベイル国で暮らしていた屋敷と似た家具やカーテンといった内装箇所を全て変えてみても、攫われた時の記憶と、また攫われてしまうかもしれないという恐怖はなくなってくれなかった。
あの腕輪をして、色が変わった自分の姿を見た瞬間に、セレスティナの心も変わった。希有な色からありふれた色へ、鏡に映る自分を見て、この姿なら大丈夫かもしれないとやっと思えたのだ。
グローリアも当時の事を思い出しているのか、ゆっくりと紅茶を口にする。
「アルウィンはね、学院では令息ばかりの領地経営科だったし、三年もスキップをしているから周りは年上ばかりで学生時代も浮いた噂話のひとつも聞かなかったの。勉強と仕事しかしてこなかったら押しが弱いのが欠点だけれど、あなたの相手としてはちょうど良いくらいだわ」
改めてグローリアはセレスを見つめる。セレスティナは無意識に姿勢を正していた。
「セレス、そろそろ初恋は捨てなさい。あなたが何も決めないままで、私たちがあなたの居場所を守る事には限界があるの。でもいくら私たちがアルウィンの事を応援していても、セレスがどうしてもアルウィンを受け入れられないのなら、アルウィンも分かってくれるし、私たちはもう何も言わないわ」
「お母様……」
「でもこれだけは分かって欲しいの。私も旦那様も本心ではあなたにはクロイツ家にいてもらいたいと思っているの」
それはグローリアの母親としての思いだった。クロイツ家に残り、アルウィンと結婚する事を両親は強く望んでいる。
誘拐事件があって以降、セレスティナは頑なにアルウィンを拒み、ヒューゴの事を思い続けてきた。
辺境でヒューゴと過ごした数日間は、あの誘拐事件に関わる記憶の中で唯一、優しくも美しい思い出だった。あの時のヒューゴとの思い出を数え切れないくらい思い返しながら過ごしてきた。何年も思い出だけを抱き続け、それはセレスティナの中でより美しい思い出へと変わっていった。
しかし、セレス・ミュラーとしてヒューゴに出会った一年と少しの間に、セレスティナの初恋は花を開く事もなく蕾のまま萎れていき、ニーナが現れたこの数カ月の間に、とうに季節が過ぎた花のように、ヒューゴを慕う気持ちも枯れかけて、思い出も色褪せたものとなっていた。
「……お母様、私はクロイツに残ってもよろしいのでしょうか?」
完全に振りきれていないセレスティナは、心の中に少しだけ迷いがあったので、声は小さかったが、母はその言葉を聞き逃さなかった。
「ええ、もちろんよ。どうしても政略結婚が嫌だと言うのなら、仕方がないけれどアルウィンの事は選ばなくてもいいのよ。でも国を変えてしまうと私たちではあなたを守る事が出来なくなってしまうの。親としてのエゴになってしまうけれど、せめてこの国にはいて欲しいの。あなたには結婚後にレーデンの辺境で暮らす話もしたけれど、本当は私と旦那さまが譲歩できるのはここまでなの」
セレスティナは母親の言葉に目を丸くする。
「辺境伯令息があなたを望み、帝国で暮らす事を決めてくれるのなら、クロイツの持っている従属爵位のひとつを譲ってもいいと思っているわ。令息には伝えていないけれど、マドック辺境伯様にはもう許可をいただいているの」
つまり、セレスティナがレーデン王国の辺境で暮らす事を両親は考えていなかった。セレスティナが辺境へ行くのではなく、最初からヒューゴを帝国へ迎える事を両親は考えていた。
こちらが権力を見せなくても、帝国の筆頭侯爵家からの縁談を小国の辺境伯家では断れない。
無理にヒューゴを帝国に連れてきたら、セレスティナはきっと一生彼から恨まれる。
どうするかの判断を彼に委ねたとして、辺境の地とセレス、ヒューゴがどちらを選ぶかなんて最初から決まっている。
「……ヒューゴ様は帝国では暮らせないと思います」
ヒューゴは辺境伯家の次男としてのびのびと育てられた。そんな彼が末席であっても礼法にうるさい帝国貴族としてやっていけるとは思えなかった。
それに彼は帝国語が分からないから、彼が帝国で暮らす事は現実的ではないし、何よりヒューゴは辺境という土地を愛している。おそらく同じなのだ、ヒューゴが学友にセレスティナが辺境に合わないと話していた事と。
「私は、……クロイツに戻る事を選ぶと思います。でも、もう少しだけ気持ちを整理する時間を下さい」
セレスティナの言葉に、グローリアは安心した表情を浮かべる。これまでセレスティナは頑なに自分の意見を通そうとしてきたが、この夏戻ってきたセレスティナは変わった。
アルウィンの話では、レーデンでのセレスティナはかなり寂しい思いをしていたらしい。親として何もしてあげられなかったのは苦しいところだが、それでセレスティナが帝国に戻りたいと考えを変えてくれるのならば、やむを得ない事でもあった。
母親としてはこのまま留学を取りやめにしたかった。気持ちの整理ならば、帝国ですればいいのだから。
しかし、「セレスティナの意思を第一に考えて欲しい、討伐から戻った後にはなるが、フォローは自分がするから」そうアルウィンが話していたので、侯爵夫妻はセレスティナの留学を継続させる事にしたのだった。




