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27話 初めての夜会へ②

 皇族へのデビューの挨拶を済ませたセレスティナを連れて、アルウィンは夜の庭へ出る。出入口からほど近い場所にベンチを見つけたので、そこに彼女を座らせて自分も隣に座った。


 庭は静かだったが会場の灯りが届き、ワルツの演奏や会場にいる人々のざわめきも聞こえる場所だった。足元には一定の距離ごとにランプが置かれていて、夜の庭を少しだけ日常とは違う世界に見せていた。


「これから少し忙しくなるから、今のうちにティナと話をしておきたいと思って」


 夜会が始まってそれほど時間が経っていないせいか、周りにはまだ人の気配はなく、会場から聞こえる音楽や人のざわめきは少し遠い。まるでこの庭を夜会から切り離しているようだった。


 緊張から自分の呼吸が浅くなっている事に気付いたアルウィンは、一度瞳を閉じて大きく息を吸い、自分を落ち着かせようと努める。


「少し前に北部のマスカーニ山脈の麓で、魔狼の群れが現れたと報告があったんだ。それで急遽第三騎士団が討伐へ行く事になって、俺も行かないといけなくなったんだ」


「まあ、近衛や第一騎士団ではなく、第三騎士団に所属されていらしたの? お兄さまは魔力を持っているから、そうですわよね……。でもまだ休暇中ではなくて?」


 アルウィンは心の中でため息をつく。


 やはり彼女はアルウィンの仕事についてよく知らないようだった。ここまで関心を持たれていない事に内心で落ち込みつつも、自分を何とか奮い立たせるために、アルウィンは一度笑顔を浮かべてみたが、上手く笑えた気がしなかった。


「さすがに状況が状況だから一時的に休暇を返上する事になったんだ。俺は魔剣を扱えるから、魔剣持ちがひとりいるのといないのとでは戦力が違うんだよ。第三騎士団は魔力持ちが多いけれど、魔力の高さにはバラつきがあるから。どれくらいかかるのかは分からないけれど、レーデンの学院へは夏期休暇後すぐには行けないと思う。明日からは王宮の宿舎に泊まり込んで遠征のために準備をする事になっているから、今日くらいしか時間が取れなくて……」


 アルウィンは少し口ごもった。仕事の事だったら、頭の中にある情報を話すだけなのでいくらでも口が回る。しかし今夜はそういった話をしたかったわけではない。


「……私はあなたの事を本当に何も知らなかったのね」


 セレスティナは少しだけ気まずそうな様子を見せる。アルウィンの気持ちを知らないセレスティナは、こうして二人きりでいても普段とは変わらない。


 彼女は昔からアルウィンに対しては素直だった。喜びも怒りも全て隠す事なくぶつけてくる、残酷なくらいに。


「知らない事はこれから知っていけばいいよ。ティナは俺の事を兄のように思っているけれど、俺はキミを自分が結婚する人だとずっと思っていたよ。ティナから避けられるまでは。ティナにとって俺は辺境伯令息との仲を引き裂く存在だから、俺の事なんて興味がなかったよね」


 自嘲気味にそう言って、アルウィンはまた笑う。


 話せば話すほど彼女との溝の深さを感じるばかりだが、ここで落ち込んでいたら前へは進めない。目の前のセレスティナの顔に小さな頃の面影を探す。


 あの頃の彼女はひな鳥のように、自分の後をいつも付いて来てくれた。別れ際には帰らないでと、泣かれた時期だってあった。


 そんな時には、もう少し一緒にいるからと言って、夕食の時間まで一緒に過ごすのだが、それは一度や二度ではない。「もう少し遊ぼう」そう言うと彼女はすぐに笑顔を見せてくれた。そんな彼女をアルウィンは可愛らしいと思っていた。


(兄としてではあっても、昔は彼女から好かれていた。だから大丈夫。きっと大丈夫だ……)


 アルウィンにあるのは幼い頃の思い出くらいだけだった。そんなささやかな思い出にすがりたくなるほど、今の彼には自信がなかった。


「ごめんなさい、私は自分の事ばかりだったわ。あなたの事もクロイツのことも何も考えていなかった。その間に兄さまが私の代わりに当主教育を受けてくれて、クロイツ領や領民の事も考えてくれていたのに、私はずっと守られてばかりだった」


 また〝兄さま〟だ。彼女は安心できる存在として、自分の事をすぐに兄と呼ぶ。


「ティナは俺みたいな幼馴染が結婚相手だと嫌?」


 アルウィンは掌がじっとりと汗ばんでくることを感じながら、真顔でセレスティナを見る。胸の鼓動がどんどん強くなり、自分の中で緊張感が高まっていく。


「お兄さまこそ私の事を妹としか思っていないでしょう?」


 偽り無いその言葉は、十数年前の彼女の純粋な願いから始まり、セレスティナとアルウィンが婚約者として歩むはずだった時間を止めてしまった言葉だった。


 ああ、これこそが自分と彼女との間にある大きな誤解だったのだ。


 アルウィンは胸に痛みを感じて、僅かな間だけ瞳を閉じる。痛みを感じながらも胸の鼓動はさらに強く跳ねて早くなっていく。強い鼓動が自分の意思では抑えられなくなっていくのを感じていた。


 もう言わないといけない、彼女との関係を変えるために。


 時間を戻すことはできないけれど、未来は変える事ができるはずだから。


「訊ねているのは俺の方なのに、質問で返すのはずるいよティナ。俺はね、ティナの事を妹と思った事は一度もないよ。俺にとってのキミは昔も、……今だって結婚する相手だから」


「でも妹が欲しかったんじゃないの?」


 まだそんな事を言う愛しい彼女に、余裕のなさからくる苛立ちを感じながら、自分たちの関係には言葉が足りないのだと思い直し、アルウィンは努めて冷静に言葉を紡ぐ。


「俺が妹を欲しがったのではなく、ティナが俺に兄になって欲しいって自分で言ったのを覚えてない?」


「そうなの? だって私は小さな頃からずっと兄さまって呼んでいたから、そういうものかと思っていたわ」


 幼かった彼女は、あの時の会話を覚えていなかった。きょとんとしている彼女にはもっと時間が必要で、だから今日はもう終わりにしようとアルウィンは決める。


(やっぱり今日は……、止めよう)


 言わないと決めた途端、あんなにうるさかった胸の鼓動は少しずつ静かになっていく。


「あの時俺は言ったんだ。俺と結婚をする時までには兄ではなく名前で呼んで欲しいって、……そろそろ会場へ戻ろうか」


 いつもの笑顔を顔面に貼り付けて、アルウィンは立ち上がった。


 しかし、そこで何故なのかセレスティナは、会場へ戻ろうとしているアルウィンを制するように、自分からアルウィンの手を握ってきたのだった。一度は落ち着いたはずのアルウィンの胸がどきりと大きく脈打った。


「話って、この事だったの?」


 何となく気になった事を聞こうとしただけの、アルウィンの事を家族だと思っているからこその、無意識からの動きだと分かっていても、自分の手から伝わる彼女の熱はほんのりと温かく、その熱は彼の頬を熱くした。


 やはり、今ここで言うべきだと思い直したアルウィンは、再び速くなった自分の胸の鼓動を強く感じながら、一度セレスティナの手を離し、地面に片膝を突いて彼女との視線の高さを合わせる。


「他にもティナには伝えたかったことがあるんだ、ずっと昔から」


 思ったよりもお互いの顔が近くなった事で、顔の辺りにどんどん熱が籠っていく。今が夜で、ここが外でなければ、真っ赤にした自分の顔をセレスティナに見せていたかもしれない。


 アルウィンは、正面からセレスティナの瞳を見つめる。


 そして小さな頃から何度も繋いできた、その白い手に再び触れる。


「俺はこれまで兄である事を降りたかった。俺たちはもうそういう時期にきているんだ。このままキミが何も言わなければ、俺たちの両親は結婚話を進めるために動いていく。そうなる前に知っておいて欲しかったんだ……」


 セレスティナを見つめたままのアルウィンは、繋がれた手に少しだけ力を込める。


「俺が、ティナを女性として好きな事を」


 長い間言えなかったその言葉を、アルウィンはついに口にしてしまった。


 この場から逃げ出したくなる気持ちを強い意思で抑えながら、驚きで目を見開くセレスティナをじっと見つめ続ける。


 彼女の表情は固まってしまった。


 やはり彼女は自分の想いに気付いてはいなかった。


 後戻りはできないが、これで確実に自分たちの関係は変わる。


 積年の想いを伝えた事で、ずっと胸の奥で燻り続けてもやもやとしていたものが取り払われたアルウィンは、動揺した表情を浮かべるセレスティナとは違い、憂いもなくなり真っ直ぐにセレスティナを見つめる。


「え……、兄さまが私、を?」


 少し時間をあけて、セレスティナは信じられないといった風に呟く。


「俺はキミの兄じゃないよ」


「でも……、急だわ」


 セレスティナはアルウィンの強い視線から逃げるように下を向いてしまう。


 自分の胸の内を伝えた以上、中途半端に終わらせたくはなく、全てを伝えるまで彼女を逃すつもりがアルウィンにはなかった。


 ずっと抱えてきて、行き場の無かったこの気持ちを、彼女に知ってもらいたかった。


「お願いだから俺を見てよ、ティナ」


 セレスティナの反応を確かめるように、アルウィンはセレスティナが自分を見てくれるのを静かに待っていた。沈黙に負けたのか、やがて恐る恐るといった様子でゆっくりとセレスティナがアルウィンを見る。


 彼女の表情から感じられたのは戸惑いだった。どうしたらいいのか分からないといった風に彼女の瞳が揺れている。拒絶されていない事にホッとしたアルウィンは言葉を続けた。


「俺にとってはずっと伝えたかった事なんだ。初めて会った時は俺も幼かったからよく分かっていなかったけれど、何度も会っていくうちに周りの様子を見てこの子が自分の結婚相手になるんじゃないかと感じていたし、口約束だったけれど両家の両親が俺とティナとの婚約を決めた時から、俺の妻になる女性はキミだと思ってきたんだ」


 何とも思っていない相手から、好きだと言われる事ほど困る事はないだろう。


 困らせると分かっている。けれども、自分は伝えたかった。


「キミにとって俺は政略上の相手かもしれないけれど、初めて会った時からずっとかわいらしい女の子だと思ってきたよ。キミがどうしてもあの辺境伯令息の事を諦められないと言うのなら仕方がないけれど、俺という男の事も一度でいいから考えてくれないかな?」


「……」


 やはりセレスティナは何も言えない。彼女の頭の中は今、混乱しているのかもしれない。


 彼女にとって、アルウィンの想いがあまりにも突然過ぎるのは分かっている。これまで何年も待っていたのだから、ここで彼女に答えを急かすつもりはない。


「もしもキミが兄ではなく結婚相手として俺の事を考えてくれるのなら、俺の事はもう兄と呼ぶのは止めて名前で呼んで欲しいんだ」


 これが全てだった。彼女に伝えたかった事は。


 まだ胸の動悸はおかしなくらいに強かったが、自分の気持ちだけは落ち着いた。


 想いを全て伝えた以上、アルウィンはもう止まるつもりはなかった。彼女の様子を見ながらゆっくりでも確実に進めていく。


「私は……」


 セレスティナの言葉はそれ以上続かない。それは彼女がアルウィンの気持ちに対して何も考えてこなかったからだった。でも、これから考えてくれればいい。


「俺にとっては子どもの頃からの思いでも、ティナにとっては今知った事だと分かっているから、答えは急がなくていいんだ。しばらく顔を合わせる事もないから、その間に考えて欲しい」


 いつもとは違う瞳の色で見つめるアルウィンに、セレスティナは落ち着かなくなり、どうしたらいいのかがわからないといった表情を見せる。熱が籠った真剣な眼差しに応えられるだけの気持ちをセレスティナは持っていない。


「……そろそろ会場へ戻ろう。帰りは侯爵夫妻と一緒でいいよね」


 立ち上がっていたアルウィンが、繋いでいた手を引きながらセレスティナが立ち上がるのを手伝ってくれる。アルウィンの瞳からは先ほどの熱は消えて、いつもの彼に戻っていた。

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