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26話 初めての夜会へ①

「いいかい、ティナ。まずどんなに善良そうな相手に見えても、キミを会場の外へ連れ出そうとする令息には下心がある。だから会場の外へ出るのは駄目だ。人目のないところへ行ってはいけないよ。仮に彼らが体調の悪さを訴えてキミに助けを求めたとしても、自分でどうかしようとは思わずに、まず近くにいる給仕の者を呼ぶんだ。彼らの調子の悪さはそうすればすぐに直る。誰かから飲み物を渡されたとしても絶対に口にしてはいけない。俺やヴェルス家、クロイツ家の人以外から渡されるものには有害な何かがが入っていると思った方がいい。それと今日の夜会はパートナーである俺からは絶対に離れない事。どうしても離れてしまう事になったら、すぐにキミの両親を探すんだ」


 デビューの日を迎え、王宮で開かれる舞踏会でセレスティナをエスコートするためにクロイツ家にやってきたアルウィンが、挨拶の次に発した言葉がこれだった。


 今夜の夜会は、デビューを迎えた令嬢達のために開かれた夜会なので、この夜会で社交界デビューをする貴族令嬢は多かった。


 やっぱりこの人は心配性だと思ったセレスティナは、内心でため息を漏らす。


 確かに正式な夜会へは初めての参加だったが、セレスティナも一応貴族令嬢である。予備知識はあるのだから、ここまで神経質にならなくても良いのにと思ってしまう。


「お兄さまは心配し過ぎですわ」

「ティナ、それもダメだ」

「えっ?」


「俺はキミの兄ではないし、周りは婚約者同士だと思っている。自分を守るためにも隙を作ってはいけないよ。それに俺は仕事柄、夜会でのトラブルをいくつも耳にしている。まともな貴族ならキミに手を出そうとは思わないが、大きな夜会ではそうでない者も来ている」


「分かりましたわ……、アルウィン様」


 アルウィンの呼び名を言い直したセレスティナにアルウィンは頷き、言葉を続ける。


「それに今夜デビューする令嬢の中で、キミは一番注目されている」

「私が、ですか?」


「これまでクロイツ侯爵が領地で大切に育てたひとり娘。侯爵ご夫妻以外に、彼女に会う事が出来るのは婚約者であるヴェルス公爵令息だけ、という話は社交界で有名なんだよ。そのキミが夜会の前に、お茶会に顔を出し始めた事でかなり話題になっている。今夜は些細な言葉ひとつにも気を付けた方がいい」


「アルウィン、あなた今夜は随分と緊張をしているのね。まずは美しく着飾ったウチの娘を褒めて下さらない? パートナーとしての礼儀よ」


 そう言いながら話に入ってきたのはこれまで侯爵の隣で二人のやり取りを黙って見ていたセレスティナの母であるグローリアだった。指摘を受けた事でアルウィンがハッとした表情を浮かべる。


「ごめん、ティナ。キミがあまりにも綺麗だから、邪な事を考える者がいないか心配になってしまったんだ。今夜の夜会でデビューする令嬢は多いけれど、会場の中でキミは誰よりも一番綺麗だと思う。それにこれまでは俺がキミの色をいつも着ていたけれど、近頃はキミが俺の色を着てくれる事がすごく嬉しい」


 真顔でそう話すアルウィンに、セレスティナはどう返したらいいのかがわからなかった。当たり障りの無い褒め言葉は、彼の中にはいくつもあったはずだ。でも彼はその中にあったはずの言葉は使わずに、自分の言葉でセレスティナを褒めてくれた。


「……あ、ありがとうございます」


 そう答えてからセレスティナは下を向いてしまう。髪の色を変える前は侍女たちから綺麗だといつも言われていたが、ここ数年はめかし込んだ時に言われるくらいだったので、容姿を褒められる事が少なくなっていた。社交辞令として褒めてくれたのなら受け流す事もできたが、正面から言われてしまうと、言われた方が恥ずかしくなってしまう。


 セレスティナの様子を見てどう思ったのか、アルウィンが再び口を開く。


「……俺も令嬢をエスコートするのは初めてだから慣れていないんだ。だから言い直してもいい? 今夜は本当に綺麗だよ、ティナ」


 アルウィンは苦笑いを浮かべながら再びセレスティナを見つめる。


 おそらく先ほどの言葉がスマートではなかったと、彼自身が思ったのだろう。これが彼にとっての〝正解〟なのだろう。しかし、セレスティナは言い直す前の不器用そうに褒めてくれた彼の言葉の方が好きだと思った。


「ありがとうございます。でも私は言い直す前の方が好きですわ」


「え、ああ、……そうか、そうなんだ。……好き、なんだ」


 それだけ言うと、アルウィンは頬を染めながら下を向いてしまう。


 デビューをする自分よりもアルウィンの方が緊張をしているのではないかと思いながら、セレスティナは不思議そうにアルウィンを見る。


 セレスティナの後ろで父親である侯爵の小さなため息と、グローリアの忍び笑いが聞こえてきた。なぜ笑われているのかセレスティナには理解できなかったが、母には母で思うところがあるようだった。




 ◆◆◆




 夜会会場に入場する順番は低位貴族からで、高位貴族になるほど入場が後になる。


 筆頭侯爵家であるクロイツ家令嬢のセレスティナが入場した時は、ほとんどの貴族が入場を終えていた。


 セレスティナの髪には、社交界デビューをした令嬢の印として白い薔薇が差してある。セレスティナの銀色の髪を飾る白い薔薇は、柔らかい光を放っているようだった。


 入場した時にセレスティナが最初に感じたのは、会場にいる人々の視線だった。自分を見ている、そう分かるくらいに皆が、初めて夜会に姿を見せたセレスティナとクロイツ家の入場に注目をしていた。


 貴族たちの視線は決して好意的なものばかりではなかった。単純な好奇心から見ている者、帝国の社交界でセレスティナがどのような位置に立つのかを計算しようとしている者、セレスティナの身分や美しさへの嫉妬や羨望。


 ヴェルス家とクロイツ家ほどの名家が結びつけば、派閥内の事でも変わる事もある。小さな流れであっても、やがて大きな流れへと変わっていく可能性があるのなら、貴族としてその時流を見抜かないといけない。だから皆が注目するのだ。


 領地にずっと籠っていたセレスティナの世界は狭かったのだと、たくさんの貴族を目にしたセレスティナは初めて思った。両親もアルウィンも既にこの世界を知っていて、自分もついにこの世界へ足を踏み入れたのだと思うと、セレスティナは急に大きく広がった自分の世界に怖さを感じて、無意識にアルウィンと組んでいる腕に力を込めてしまった。


「どうしたの、ティナ?」


 セレスティナにしか聞こえないほどの小さな声でアルウィンから声を掛けられる。


「知らなかったの。世界は、……こんなに広かったのね」


「うん、確かに世界は広いけれど、俺の隣にいればキミはひとりではないよ」


 アルウィンはセレスティナの耳元へ顔を寄せてそう答えた。驚いたセレスティナがアルウィンを見ると、彼は社交用の微笑みを見せる。それは美しい恋人同士が秘密の会話をしているようにも見えるような親密な仕草だった。


 少しだけ頬を染めたセレスティナは、改めて背筋を伸ばす。レーデンでは平民として過ごしていたせいで、セレスティナは高位貴族らしい堂々とした姿勢を忘れかけていた。そのせいでこの数日の間は、グローリアから散々注意を受けていた事だった。


 この視線に臆してはいけない、そう心の中で言い聞かせながら正面を見るセレスティナは、一歩ずつゆくりと会場の奥へ足を踏み出していく。


 隣にいるアルウィンはしっかり腕を支えてくれているし、歩調もセレスティナに合わせてくれる。転ぶ事への不安は無かったが、このひりひりとした空気が社交界なのだと思うと、身体が震えてしまうくらいの緊張を、セレスティナは感じていた。


 高位貴族である故に、自分たちよりも高い爵位の者は少なく、注目はされても無闇に話し掛けられるような事はなかった。


 大広間に入ったセレスティナは、他の貴族たちと同様に皇族の入場を静かに待った。夜会が始まったらファーストダンスがあり、その後はデビューした令嬢たちが皇族へ挨拶をしなければいけない。皇族への挨拶は高位貴族からで、今夜デビューする中で一番爵位が高いのはセレスティナだったので、ダンスが終わったらすぐに挨拶へ行かないといけない。


 そういえば、生徒会主催のパーティーでアルウィンはダンスが不慣れだと言っていた。あの時は他人事のように思っていたから、失敗をしたら二人で一緒に恥をかこう、なんて呑気に笑っていたが、この雰囲気でここまで注目をされているのに失敗は許されない。


 一度でもアルウィンとダンスの練習をしておけば良かったのだが、セレスティナは茶会に忙しくそんな時間はなかった。


 セレスティナの身体がカタカタと小刻みに震えだす。表情は作れてもこれだけはどうしようも無かった。そしてそれは腕を組んでいるアルウィンにもすぐに伝わっていた。


「ティナ、大丈夫だよ。恥をかく時は俺も一緒だから」


 アルウィンは正面を見据えたままだったが、優しい声色でそっと呟いた。


 大丈夫だという声に励まされながらセレスティナは小さく頷く。


「キミが六歳の時に初めて俺と一緒にダンスの練習をしたのは覚えてる? あの時のキミはとてもダンスが上手かった。それに俺はキミになら足を踏まれても平気だし、キミが転びそうになっても支えるだけの力はある」


 アルウィンの小さな呟きはセレスティナの心を少しずつ落ち着かせてくれた。


「もしもあなたが転んだら?」


「俺は絶対に転ばないよ。……そうだな、今日の夜会が終わったらキミのお願いを何でもひとつだけ聞くよ。だからティナ、今は楽しい事を考えて」


 その言葉にセレスティナは、アルウィンにお願いをするとしたら何を願おうかと考え始めたら足の震えが止まった。こんな事でもないときっと叶えられないような願い、そう考えているうちにあるひとつの事が思い浮かんでしまった。


「……あの腕輪の製作過程を書いたメモが見たいわ」


 セレスティナの呟きに、アルウィの身体が少しだけ揺れる。


「あれは、ダメだ」

「どうして?」

「余計な事がたくさん書いてある」


 そうアルウィンが答えたところで、皇帝の話が始まってしまい、それ以上会話を続ける事が出来なくなってしまった。


 そして、皇帝による夜会開始の言葉が告げられるのと同時に音楽が流れ始める。一曲目は皇族だけが踊るので、セレスティナとアルウィンが躍るのは二曲目からだった。


 二曲目の開始と同時にアルウィンは堂々とした様子でステップを踏みながら会場の真ん中へとセレスティナを誘っていく。高位貴族である自分たちに会場の隅で踊るという選択はないという事なのだ。


 周りを見ると、セレスティナと同じ髪に白いバラの飾りを付けた令嬢たちがあちらこちらでパートナーと踊っている。


 ひと昔前までデビューする令嬢は白いドレスを着るという決まりが帝国にはあったが、それは過去の話で、今は髪に白いバラを差すだけでもいいようになったので、白いドレスを着ている令嬢もちらほらと見かける。


 ひと目でデビューしたばかりだと分かる彼女たちは、デビューをきっかけに結婚相手を探し始める婚約者のいない令嬢たちで、結婚相手を探していないセレスティナは、アルウィンの瞳と同じグリーンのドレスを着ている。


 微笑みを浮かべながら、ダンスのリードをしてくれるアルウィンからは緊張感なんて感じられなかったが、彼の瞳を見た時に、腕輪に嵌められた翡翠の色とアルウィンの瞳の色が同じである事に、セレスティナは初めて気が付いた。


 彼は自分の色をセレスティナに贈ったのだと、セレスティナはやっと気が付いたのだった。そして腕輪の素材に使っているシルバーは銀色で、それはセレスティナの髪の色だった。


 踊りながらセレスティナはアルウィンを見上げる。彼がよくセレスティナに贈ってくれた花は紫色が多かったが、花には必ず茎と葉があって、当然だがそれは緑色をしていた。セレスティナの色だからいつも紫色の花なのだと思っていたのだが、彼はどこまで考えてあの花々を選んでいたのだろうか。


「……あっ」


 考え事をしていたセレスティナは、ステップを間違えてバランスを崩しそうになってしまった。しかし、アルウィンがセレスティナの背をすぐに支えてくれたので、少し姿勢が崩れただけで持ち直す事ができた。


 セレスティナがミスをしても、そんな事はなかったかのようにアルウィンは相変わらずセレスティナに微笑みかけながら、流れるようにダンスを続けている。


 生徒会主催のパーティーでは緊張してダンスを失敗してしまうかもと話していたアルウィンだったが、体幹が鍛えられている彼の動きは滑らかで迷いがなく、セレスティナを優しくも安定したリードをしてくれる。


 子どもの頃に一緒にダンスの練習をしていた時は、セレスティナの方が上手かったはずなのに、いつの間に彼の方が上手くなっていた。帝国の学院を三年も早く卒業した上に、騎士をしている彼はセレスティナよりもずっと多くの困難を乗り越えてきたのだろう。


 セレスティナも令嬢としては波乱万丈な経験をしてきたつもりだったが、彼はセレスティナよりも先の方を歩いていた。


 そして二人で恥をかくこともなく、デビューダンスを無事に終える事ができた。この後は父達と合流して、皇族への挨拶が終わればセレスティナのやるべき事は終わる。


「挨拶が終わったら、少し外へ出ないか?」


 先ほどまで余裕の表情でダンスを踊っていたアルウィンだったのに、何故か少しばかり声を震えさせながら、緊張した様子でセレスティナを会場の外へ誘ってきた。


(外へは行ってはいけないのでは?)


 出掛ける前に、クロイツ邸であれほど強く会場から出るなと話していたのに、彼がどういう意図でそう言ったのかが分からなかったが、セレスティナはよく分からないまま頷くのだった。

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