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28話 失いかけているもの②

 夏期休暇で帝国へ帰り両親の顔を見たら、セレスの気持ちは元いた場所へ戻る方に固まっていくのだろう。何となくそんな気がしていた。


 すぐにヒューゴと婚約を結んでくれなかった事で、あの頃は両親に対してさえ反発心を持っていたが、学院を卒業するまではヒューゴと婚約を結ばず、考える時間を作ってくれた両親のやり方は正しかった。


 ヒューゴへの思いだけで突き進んでいた一年生の時は、ヒューゴに素っ気ない態度を取られても辺境での未来しか考えていなかった。ヒューゴと一緒にいられるのなら何もいらないと、あの頃は本気で思っていた。


 でもニーナに自分の場所を奪われ、何もしてくれないヒューゴに失望し、恋愛感情が冷めかけている今は、ヒューゴを思う時間より、帝国の事が懐かしくて帰りたいと思う時間が増えてしまった。


 特にアルウィンと話すようになってからは、彼と帝国語で話していると、両親や実家での事、それに小さかった時の事を思い出してしまうのだ。


 セレスにとってアルウィンは、帝国に置いてきた自分の場所を思い出させる人だった。


 両親の反対を押し切ってまでこの国に居続ける事は、自分を大切に育ててくれた両親を悲しませているのではないかと、今さらながら思い始めてしまった。


 セレスには兄妹はいないから、セレスを失う事は両親にとって血を分けた子どもがいなくなってしまう事だった。


 家と縁を切り、国を越えて辺境へ嫁げは、両親と会う事も叶わなくなるだろう。


 大切な両親と初恋のヒューゴ、これまではヒューゴへの想いに殉じたいほどに強い気持ちを持っていたが、今は両親を捨ててまでヒューゴを選ぶ強い気持ちをセレスの中で持てなくなっていた。


 この一年と少しでセレスは疲れ切ってしまい、ヒューゴだけを強く想い続ける事が難しくなっていたところで、ヒューゴの本心を知ってしまった。どんなに頑張っても彼は自分に恋をしてくれない。


 何年も自分の中で育ててきた、捨てきれずに大切にしてきた初恋が甘かったのは最初のうちだけだった。その後は会えない苦しみと、僅かな思い出にすがりながらヒューゴへの気持ちを何年も守ってきた。そして今は毒のようなこの想いが、セレスに痛みを与えていたのだ。


(こうなるのなら、もっと早いうちに諦めてしまえば良かった)


 ヒューゴへの想いを綺麗なうちに終わらせておけば、思い出はいつまでもセレスの心の中で美しく輝いていただろう。


 それを執念深く持ち続けていたために、セレスの初恋は歪んでいき、最初に抱いていた形にはもう戻せなくなっていた。


 目の前に座るヒューゴは相変わらずそわそわした様子だった。飲み物でもあれば少し違ったのだろうが、この場所を選んだのは彼だ。


「最近鍛錬をしていても張り合いがないんだ、ニーナはうるさいだけだし、他の連中からの評判も良くない。時々セレスが見に来てくれるほうが頑張れる事に気が付いたんだ」


 ヒューゴは素直に自分の思いを語る。もしかしたらここでまた彼を支える方へ気持ちを変えれば彼も以前とは違った態度でセレスと接してくれるのかもしれない。


 しかし、セレスはヒューゴが友人たちとしていた会話を聞いてしまった。


 ヒューゴの「セレスは辺境に合わない」という言葉によって、自分では駄目なのだと、あの時セレスは完全にヒューゴを諦めてしまった。その時以来、何となくヒューゴを避けたい気持ちになっていた。今日もセレスの気持ちは凪いでいる。ヒューゴを目の前にしても、嬉しさも焦りも悲しみも以前のように感じなくなってしまった。


 今だって、やっと彼が自分の事を少しは気に掛けてくれるようになったのだと、理解はしているのだが、感情が何も湧いてこない。今はただ、帝国での試験勉強に集中をさせてもらいたかった。


「ヒューゴ様でしたら私がいなくても大丈夫ですわ」


 セレスは当たり障りの無い言葉を選んで笑みを浮かべる。ここでこれまでの不満を爆発させるほどの気持ちはもう無かった。


「そんな事はない、生徒会主催のパーティーのエスコートだって今からニーナに断りを入れるよ。だからまた俺を応援して欲しいんだ」


「一度決めた約束をお断りになるなんてよして下さい。ニーナ様は侯爵家のご令嬢なのです。相手の家に泥を塗るわけにはいけませんわ。お二人で衣装を揃える準備までしておいて、ここで断ったら家同士の問題になりかねません。エスコートの約束をした事が間違いであるとおっしゃるのでしたら、それは約束をする前に気付くべき事です。私はひとりでも大丈夫です」


「……ごめん」

「……」


 謝罪を受け入れるつもりがセレスにはない。


 ヒューゴがニーナの甘えを受け入れる事でセレスの場所を奪ってしまったのだから。その結果セレスの気持ちがヒューゴから離れてしまうのは当然の結果だった。


 失いかけている事でヒューゴは、セレスがこれまで自分に向けてくれていた温かさや優しさといった気持ちに支えられていた事、そして彼女が自分の中で大切な存在であるという事にやっと気付き始めていたが、まだはっきりとは自覚はしていなかった。


 もしもこの日、ヒューゴがその事に気付けて行動を起こせていたのなら、違った未来があったかもしれないが、彼はまだ気付けていなかった。


「……」

「……」


 二人の間にある沈黙は重かった。今まではヒューゴが黙るとセレスの方から何か会話をしていた。しかし、今日のセレスはかつての彼のように、ヒューゴとの時間を早く終わらせたいと思っていた。


 ヒューゴは友人たちにセレスは堅苦しいところがあると言っていたが、きっとこういう家同士の事を話に出すようなところを言っていたのだろう、そう思いながらセレスは立ち上がる。


「あまり長くなると遅くなるので帰りますね。ヒューゴ様も鍛錬を頑張って下さい」


 軽く頭を下げてからセレスはヒューゴに背を向けて歩き出す。ヒューゴに対して心を閉ざし始めたセレスはもう、悲しいとも寂しいとも感じる事はなかった。


「セレスっ、少し先の話だけれど、秋にある剣術大会には応援にきてくれるよな? 絶対に見に来いよ!」


 ヒューゴの声は大きいので耳に入っていたが、セレスは振り返らなかった。セレスの中でヒューゴへの気持ちが完全になくなったわけではないし、辛かった頃の痛みだってまだ残っている。冷静になってきたというのに、今振り返ってしまうと元に戻ってしまうような気がしてセレスは振り向けなかった。


 数年前に見たヒューゴのあどけない笑顔を思い返しそうになるのを頭の中で打ち消しながら、セレスは校門に待たせてある馬車へ急いだ。


 セレスの気持ちはこれまで何年もレーデンの方へ傾いていたが、今は帝国の方へ大きく傾いていた。


 何年間も自分が抱いていた、この強い気持ちの手放し方がセレスにはまだ分からなかったし、ヒューゴに対しても情が全て無くなったというわけでもない。もう少し時間をかけて気持ちの整理をしたかった。

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