24話 外した腕輪(訂正有り)
6/5一部内容の訂正をしました
アルウィンは翌日の朝食の席にも姿を見せなかったので、その日初めてセレスティナがアルウィンと顔を合わせたのは、出掛ける直前の玄関ホールだった。
セレスティナは薄紫色のワンピース姿で、レーデンで歌劇を観に行く時に着ていた、花柄で幼いデザインのものとは違い、無地ではあったが裾には銀糸で刺繍が施された、シンプルで大人びたデザインのワンピースを着てみたのだが、アルウィンの表情は芳しくなかった。
「おはようございます、お兄さま」
「おはようティナ、その髪のままだと悪いが連れて行けない」
アルウィンの表情に陰りが見えたのは、セレスティナが昨日と同じ茶色の髪と瞳のままだったからだった。
セレスティナはアルウィンの前に腕輪をしている左腕をスッと差し出す。
「これまで一度も外した事が無かったから、これを着けて下さったお兄さまに外して欲しいと思って……」
この腕輪は魔道具なので、セレスティナの中に流れる魔力を使って髪と瞳の色を変えている。腕輪に継ぎ目はなく、セレスティナかアルウィンの魔力を流さないと着け外しが出来ない魔法式が組み込まれていた。
「わかった」
そう言うとアルウィンは、セレスティナの前で片膝をつき、壊れ物を扱うような慎重な手つきでセレスティナの手首に触れる。着けている時は意識をしなくても腕輪が自動的に魔力を吸い取っていくのだが、着け外しをする時は意図的に魔力を流さないといけない。
アルウィンはセレスティに触れていない方の手で腕輪に触れる。指先から僅かに魔力を流すと、カチリと小さな音を立てて腕輪が外れるのと同時に、茶色かったセレスティナの髪と瞳の色が元の銀色の髪と紫色の瞳へと戻っていった。
周りにいた使用人たちの息を呑む気配を感じながら、アルウィンはセレスティナの変化を一番近くでじっと見つめていた。
「腕輪を外したよ。もう元の姿に戻っている」
セレスティナはハーフアップにしていた長い髪をひと房取り、銀色に変化した自分の髪色を見て、確かに元の姿に戻っただのだと理解した。
「私、おかしな姿になっていなくて?」
「いや、とても綺麗だよ。色が同じだと顔立ちも侯爵夫人に似ているのがよく分かるね。部屋に戻って今の姿を見てくるかい?」
「いいわ、鏡を見てしまうと外へ出れなくなってしまうかもしれないから。……兄さまは元の私の姿を見ても驚かないのね」
周りにいる使用人たちの様子から、セレスティナは自分の変化が周りに驚きを与えている事に気付いたが、目の前にいるアルウィンだけはいつもと変わらない表情でセレスティナを見ていた。
「うん、想像していた通りだったから。俺にとってティナはティナだよ」
そう言ってアルウィンは瞳を細める。彼の緑色の瞳はどこか優しそうな光を放っていた。
やはりアルウィンの中の自分は妹のような存在だと再認識をしながら、セレスティナはエスコートをするアルウィンを見上げる。
「出掛ける前に、一度庭へ出てみたいの」
「……わかった、庭へ出てみよう」
アルウィンの表情は硬かったが、セレスティナをエスコートしたまま、玄関に背を向けて庭へ直接出る事が出来るドアへ向かってくれた。
ドアに辿り着く直前に、執事がドアを開けると、見慣れた緑豊かなクロイツ家の庭が現れる。
アルウィンは一度自分が先に外へ出ると、外からセレスティナに向かって手を差し出してくれた。こういう時は必ず微笑むはずの彼の顔に笑顔はなく、真剣な眼差しをセレスティナに向けている。
「そんなに心配しないで、お兄さま」
苦笑しながらセレスティナはアルウィンの手を取るが、それでもなかなか最初の一歩が踏み出せなかった。
これまでセレスティナは腕輪を外した事がなかった。姿を変えていた時のセレスティナは、セレスティナ・クロイツとしては生きていなかった。
何者でもなかったセレスは、セレスティナ・クロイツとしての、世界を知らずに生きてきた。
ここで一歩を踏み出さないと、本来の姿ではもう外へ出られなくなる。
セレスティナは一度瞳を閉じる。すると、触れていただけのアルウィンの手が、そっとセレスティナの手を包み込んだ。
(……温かい)
その手は、もうこれ以上無理はするなと言っているのか、大丈夫だから頑張れと言っているのか、どちらなのかは分からなかったが、セレスティナの心を安心させてくれる温かさがあった。
瞳を開けて、アメジストに似た瞳を見せたセレスティナは、覚悟を決めて外へ出る一歩を踏み出した。しかし、建物との段差があるのを忘れてしまい、外に出ようとした途端、前のめりに躓いてしまった。
「……あっ」
「危ないっ!」
まずい、と思った時には、庭に張り出した石段に向けて自分の身体がバランスを崩して大きく傾いていたのだが、セレスティナの手を包んでいたアルウィンの手に力が加わり、彼の方へ身体を引き寄せられたのだった。
気が付いた時には、アルウィンに抱き留められるようにして、セレスティナは彼の胸に自分の顔を押し付けていた。アルウィンとは小さな頃から手はよく繋いでいたが、アクシデントとはいえ、こんなにお互いの身体が密着した事は初めてだった。
頬から伝わるアルウィンの鼓動の速さに気付いて、我に返ったセレスティナは、パッとアルウィンから離れる。セレスティナ自身の鼓動も同じくらい速かったが、異性であるアルウィンに抱きしめられたからなのか、本来の姿で外に出た事による緊張からくるものなのか、もうわからなくなっていた。
ふと顔を上げると、外の日差しがいつもより眩しく感じられた。セレスティナの紫色の瞳は、数年振りに青い空を映していた。
(……私、この姿で外に出ている)
あれだけ不安だったのに、元の姿に戻って外へ出ても、セレスティナはもう恐怖を感じなかった。
「お兄さまっ、外へ出れましたわ!」
「あ、ああ。……外へ出れたね」
セレスティナの言葉を繰り返すアルウィンは、顔を真っ赤にしながら自分の手を口元に当てている。
セレスティナは石段を降りると自ら庭へ降り立って、くるくると回り始めた。
目の前ではしゃぐ彼女に、小さな頃の彼女の姿が重なったアルウィンは、眩しいものを見るように緑色の瞳を細める。
腕輪をして初めて外に出た時も、この場所でアルウィンが手を引いてくれた。あの腕輪がなかったら、きっと今もセレスティナは屋敷の中に引き籠っていただろう。
「今までこの腕輪をずっと着けていたお陰だわ。ありがとう、お兄さま」
今は自分の手の中にある腕輪の翡翠を見た後に、アルウィンの緑色の瞳を見る。
「でもあまり奥へは行かない方がいい。少しずつ慣らしていこう」
腕輪をした事で外へ出る事が出来るようになったセレスティナではあったが、死角の多い庭の奥へ行く事はなくなっていた。
大丈夫だと思っていても、見えない古傷がどこで再び痛みを持ってしまうかわからない。
セレスティナ自身はもう外へ出る事に対して恐怖を感じていないのに、彼の方が辛そうな表情を浮かべていた。
「お兄さまったら過保護ね」
アルウィンを安心させたくて微笑んでみたら、アルウィンからは控えめな笑顔が返ってきた。その笑顔には不安の色が混じっている。
彼を心配させている事にセレスティナは申し訳ない気持ちになったが、自分が誰かに心配をされたり、気に掛けてもらっていると感じるのは久し振りの事だった。
レーデン王国にいた時、セレスティナは身分もなくなり平民として生きるのだから、誰かに助けてもらうのはいけないと、自分に言い聞かせてきた。だから無意識に身構えたり、緊張をしていたので、いつも張り詰めた気持ちでいた。そして実際に誰もセレスティナを守ってはくれなかった。
それが原因なのか、ヒューゴからはセレスティナのいないところで「堅苦しいところがあって疲れる時がある」と言われてしまった。
堅苦しいと言われてしまった事もショックだったが、自分といるのは疲れるとヒューゴが思っていた事実が辛かった。いつも彼の事を考えてきたつもりだったが、そんなにもヒューゴに負担を掛けてしまったのだろうか?
馬車に乗ったセレスティナは、外の景色を眺めながらレーデンでの事を考えていた。
これまでのセレスティナは馬車での移動の時は、外から中の様子を見られないように必ずカーテンは閉めるようにしていて、外の景色を見たい時は少しだけ開けた隙間から見ていた。
しかし今日は隣に座るアルウィンの側だけカーテンを開けているので、セレスティナはそちらから外の景色を眺めていた。彼が話してくれていた通り、青々とした麦の絨毯が広がっていて、今年も領地は安泰だと教えてくれている。
「何を考えているの、ティナ?」
アルウィンから問い掛けられたセレスティナはハッとした。ヒューゴとの関係を改めて考えていたのだが、この場で彼の名前を出す事にはさすがにためらう気持ちがあった。
「どうして私が考え事をしていると?」
「何か考え事をしている時、キミはいつも下唇を強く噛む癖があるから。小さな頃から変わらないね」
「兄さまは私の事を、堅苦しいつまらない女だと思いますか?」
「俺はティナ事を堅苦しいともつまらないとも思った事はないなあ。つまらないと言うのなら、俺も同僚たちから陰口を言われる時は、父親のコネで入団したつまらないヤツだと言われているよ。俺は年下のくせに身分だけは高くて、悪ノリにも加わらないつまらないヤツだからと」
「まあひどい……。ところで、悪ノリって何ですの?」
「男所帯特有のものっていうのかな、令嬢は知る必要のない事だよ。俺のいる隊は兄の隊とは違って、身分も様々で若い騎士が多いから、他と比べると風紀も自由でみんな好きにやっているんだ。……レーデンの学院で例えると、騎士科の生徒は制服を着崩している生徒が多いだろう? 少し違うけれどそんな感じかな」
「なるほど……」
セレスティナはアルウィンがどの隊に所属しているのかを知らないが、そういうものなのかとひとりで納得してから、レーデンで騎士科の鍛錬を見学していた時の事を思い出す。
レーデン王国の騎士科に高位貴族の嫡男は少ない。嫡男は貴族科に通っている事が多いからだ。
アルウィンも次男だが、もしも彼らの中にアルウィンがいたらきっと浮いていただろう。彼は令嬢には人気がありそうだが、騎士科の生徒たちとは言葉遣いも少し違うし、騎士科の空気が合っているとは思えなかった。
(ああ、私も同じだったわ)
それはセレスティナも同じなのだ。腕輪をしていれば髪と瞳の色は彼らの中に混ざって目立たないが、クロイツ家で幼い頃から身に着けた所作や言葉遣いは変えていない。
友人がいないので、レーデンの学院に通う女生徒や辺境の女性たちの口調や仕草を知らないから、変えようがなかったというのが実際のところだったが、きっとヒューゴにとって自分は違和感を覚える存在なのだ。
(ヒューゴ様にとっての私は異質な者で、だから私といると疲れるという事なのかしら?)
セレスティナの恋は身分違いのものだった。辺境伯家で過ごした短い間にヒューゴと作った思い出は、セレスティナにとって優しくて甘いものだった。
毎日セレスティナに花をくれたヒューゴ、セレスティナを連れて辺境伯家の庭を案内してくれたヒューゴ。
緊張しながらも二人でお茶を飲んだ時はお互いに何を話したらいいのかが分からなくて、不器用ながらも「れ、令嬢とお茶を飲むのは、は、初めてなんだ」と顔を真っ赤にしながら話すヒューゴの姿にセレスティナは恋に落ちてしまった。
不器用で優しい彼とだったら身分の事なんて考えずに辺境で一緒に暮らしていけると思っていた。
しかし再会した彼は一度も花を贈ってくれた事はないし、一緒にお茶をしてもセレスティナとの時間を早く終わらせたかった彼は、自分から積極的に話をしようとはしてくれなかった。
そして鍛錬に時間を使いたい彼がセレスに笑い掛けるような事は少なく、セレスティナと過ごしても楽しそうには見えなかった。無口で不器用そうなところは相変わらずではあったが、あの頃みたいにセレスティナを前にして頬を染めたり、緊張するような事はもうなくなっていた。
しかしニーナに対してのヒューゴは違った。ニーナがそばにいるとペースを乱されるらしく文句も言うが、気さくな感じに笑いもする。そして結局のところ彼女の望み通りにしてしまう。
それにヒューゴにとってニーナは守る対象でもセレスティナは違う。彼がセレスティナに強くなって欲しいと思うのはつまり、自分の事は自分自身で守れという意味なのだ。だからヒューゴは、セレスティナに何かがあっても、おそらく守ってはくれない。
辺境で生きていくには強さが必要だという道理は分かる。セレスは強くないから辺境に合わないという事も。
もしも彼に嫁いで辺境へ行った後に、勝手も分からず味方もいない場所で、自分の事は自分で守らないといけないとヒューゴから突き放されてしまったら、帰る場所を失ったセレスにはもう行く場所はなくなってしまう。
恋する気持ちが冷めかけて、現実に戻り具体的な未来を考え始めたセレスティナは、これまでの自分の考えが幼かったのだと感じていた。




