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23話 クロイツ領

 帝国東部にあるクロイツ領は、帝都から僅か一日で行けるほどの距離で、穀倉地帯の割合が多く、恵まれた土地だった。今の季節は青々とした麦畑が領内のいたるところで見られている。


 クロイツ家もヴェルス家と同じで古くからある家だったが、近年のクロイツ家では魔力の高い者が生まれにくくなっていた。


 セレスティナも魔力は高い方だが、ヴェルス家のアルウィンや彼の兄と比べると格段に低く、筆頭侯爵家でもあるクロイツ家は、魔力の高いヴェルス家の血を欲しがっていた。


 家柄や政治的な関係、それに歳回り。全てに於いてアルウィンとセレスティナは婚姻を結ぶ上でお互いに相応しい相手だった。


 実際に幼い頃のアルウィンとセレスティナは仲が良く、相性も良かったのだ。あの事件が起きて、ヒューゴに恋をしたセレスティナが変わってしまうまでは。


 誘拐事件の一報はクロイツ侯爵を通して、帝国の騎士団長を務めるヴェルス公爵の元へも早い段階で知らされていた。学院へ通っていたアルウィンは、自分がセレスティナのそばにいられなかった事を深く後悔した。


 数日後に彼女が無事に保護された報告を聞くまでのアルウィンは片翼を失ってしまったかのように、食事もろくに咽を通らず、眠る事もほとんど出来なかった。


 だから事件の後は彼女には無事に生きいてくれていればそれだけで充分だと思うようになってしまい、クロイツ侯爵夫妻は彼女を領地で囲うように守り、アルウィンもセレスティナを見守る側に回ってしまった。こうして何年もの間、アルウィンとセレスティナの関係は止まってしまっていた。


 ――ねえねえ、セレスティナ嬢。ご両親はキミの事をセレスと呼んでいるけれど、ボクだけはティナって呼んでもいいかな?


 ――うん、いいよ。そのかわり、アルウィンさまの事は『お兄さま』って呼んでもいい? セレスね、きょうだいがいないし、お母さまがセレスはずっとひとりっ子って言うの。だからお兄さまが欲しい。


 ――いいよ、でも大きくなってボクのお嫁さんになるまでにはアルって呼んでね。


 ――わかった。


 ――約束だよ。


 ――うん。


 仕事を休んでいて、大してやる事のなかったアルウィンは帝都に戻って早々に、帝都からも近いクロイツ領へ来ていた。


 クロイツ領の長閑な田園風景を馬上から眺めながら、アルウィンは幼い頃の自分とセレスティナとのやり取りを思い出していた。


 あれはセレスティナがヴェルス公爵家に遊びに来た時に、庭で遊びたいと言うセレスティナの手を引きながら歩いていた時の思い出だった。


 アルウィンは自分だけが呼ぶ名前があったらいいなあと単純に思い、小さなセレスティナにお願いをしてみたのだが、まさかこんなに長い間〝兄役〟をさせられるとは思わなかったし、あの時はアルウィンも幼かったので、深く考えずに兄と呼ばれる事を了承してしまった。


 兄と呼ばれる関係の通り、セレスティナにとってのアルウィンは物心がつく前から近くにいる〝家族〟のような存在に過ぎず、ヒューゴに対して見せる思慕や恋情といったものが自分に向けられた事はこれまで一度も無かった。それにセレスティナは時々ヒューゴを切なそうな表情で見ている時があるのだ。


 ゆっくり育むはずだった自分たちの関係は、セレスティナが誘拐という大きな事件に巻き込まれ、その先でヒューゴと出会ってしまった事で、アルウィンの存在はセレスティナの中で〝家族〟もしくは〝ただの幼馴染〟として固定されてしまっていた。


 さらに婚約者候補であるアルウィンは存在そのものがヒューゴとの仲を裂く相手でしかなく、セレスティナの気持ちを察したアルウィンも、自分から近づくようなことはしなかった。


 それでもセレスティナとの縁を完全に切りたくなかったアルウィンは、花や菓子といった細々としたものを時折セレスティナへ贈っていたが、関係改善につながる事はなかった。


 だからレーデン王国の学院へ留学生としてやってきたアルウィン・フォレットとしては徹底的に他人である事を通したし、セレスティナとヒューゴの仲が深まっている事を確認したのなら留学は早々に切り上げて、セレスティナへの想いを完全に断ち切るつもりでいた。


 しかしレーデン王国で見たセレスティナはいつもひとりきりだった。


 辺境に嫁いでもこんな状況が続くと分かっていて、彼女をクロイツから出したくないとアルウィンは思ってしまった。


 アルウィンがレーデンに来て出した結論は、セレスティナを諦めないという事だった。


 小さな時から彼女に望まれて〝兄〟という立場でいた。しかし、レーデンでのセレスティナを見た事がきっかけとなり、自分もセレスティナも変わらないといけないとアルウィンは考え始めていた。


 そしてこの数カ月、アルウィン・フォレットとセレス・ミュラーとして関係をやり直した事で、頑なに閉じられていた彼女の心が少しずつ開かれ始めている事にもアルウィンは気付いていた。




 ◆◆◆




 その日アルウィンは、馬で管財人の家に行き帳簿の中身を確認した後、クロイツ領の領主屋敷の近隣に点在する村や町をいくつも見回っていたので、屋敷へ戻ったのは夕刻になろうとしている時刻だった。


「お帰りなさい、お兄さま」


 クロイツ侯爵家の屋敷で出迎えてくれたのは、十日ほど前に王都で別れたばかりのセレスティナだった。珍しい事もあるのだと、アルウィンは不思議に思いながらセレスティナに声を掛けた。


「ただいまティナ、昨年の夏はここへ来なかったのに珍しいね」


 昨年の夏期休暇中はアルウィンがクロイツ領に滞在している間、セレスティナは帝都にいて一度もアルウィンの前に姿を見せなかった。


 なのでレーデンの学院でセレスティナと会った時は、顔を合わせたのも一年以上振りで、挨拶より長い会話をしたのは数年振りだった。演技なんてしなくても、自分たちはすっかり他人の関係にまでなっていた。


「本日は試験の報告に参りましたの。無事に淑女科の進級試験には通りましたわ。それにほとんど正解だったらしくて褒められましたの。勉強を見て下さったお兄さまのお陰です。ありがとうございます」


 そう言ってセレスティナは礼儀正しく頭を下げた。


「ティナだったら俺がいなくても試験には通っていたはずだよ。俺はあと数日こちらにいるつもりだけれど、明日は一緒に領地を見て回るかい? 今年も麦は順調に育っているよ」


 これまでのセレスティナはクロイツ領を訪れても、屋敷の中にずっといて領地を見て回るような事はしてこなかった。アルウィンの口ぶりからすると、彼はセレスティナとは違い、定期的にこの地へ来て領地を見て回っているのだろう。


「よろしいの? クロイツ領の事は今までずっと放っておいたのに」


「クロイツはキミの祖先が守ってきた領地なのだから、遠慮をすることはないよ。でも、その腕輪は外してもらわないといけないけど」


 セレスティナの左手首には今日もあの銀色の腕輪が光っていた。


 アルウィンは少年の頃に作った、自分の瞳とセレスティナの髪の色を持つ美しい魔道具を見る。


 セレスティナはアルウィンがくれた腕輪を外すと元の姿である銀髪と紫の瞳に戻ってしまう。顔立ちは変わらないが、色の効果というものは大きく、ありふれた茶色の髪と瞳の時は地味な容姿に見えていたのが、銀髪と紫の瞳になると印象がかなり変わるのだ。


「……」


 腕輪を着けてから数年経つが、これまでセレスティナはこの腕輪を外した事はなかった。元の自分がどんな姿だったのかも忘れそうになってしまうくらいセレスティナの中では今の姿が馴染んでいた。


 確かに明日アルウィンと行動を共にするのなら、自分が腕輪を外すか侍女の誰かに銀髪の鬘を被せて自分の代わりをしてもらわないと、領民たちにアルウィンがセレスティナではない女性と共にいると思われてしまう。


 セレスティナの顔は知らなくても、クロイツ侯爵令嬢が銀髪に紫の瞳の持ち主という話は領民にも知られているのだ。


「明日は護衛も付けるし、俺も帯剣していくよ。これでも一応騎士だから何かあったら全力で守る。今のところこの辺りで賊が出たという話は聞かないし、昼間の短い時間だけにするから、自分の目で領地を見て回るのは悪くないと思うんだ」


「……わかりました、腕輪は外します」


「それじゃあ、明日は馬ではなく馬車にしよう」

 そう言ってアルウィンはいつもの笑顔を見せる。


 その日の晩、アルウィンは夕食の時間になっても食堂には現れず、自室で食べると侍従に伝えたきり部屋の外へは出てこなかった。


 クロイツ家のひとり娘であるセレスティナに遠慮をしたのだろうが、セレスティナはその事を寂しく感じてしまい、自分がアルウィンと食事をしたかったのだという事に気付いたのだった。


 それに十日前の帝都では彼の事を冷たいと思ったが、こうして会ってみるとアルウィンはセレスティナの知っているアルウィンだった。


 レーデン王国で孤独を感じていた頃は、留学生として会ったアルウィンとの会話を楽しく感じていた。アルウィンは将来のクロイツ侯爵としてセレスティナの父親から学んでいた事もあり、クロイツ家と生家であるヴェルス家の両方で育てられてきた部分がある。


 なので、セレスティナとは育てられた環境が近い事と、小さな頃からお互いを知っているせいか、成長してから改めて話をすると、彼とは話が合うのだと感じてしまい、普通に話が出来るようになった今は、小さな頃のようにアルウィンと話をしたいと思ってしまった。


 セレスティナの方から彼の事を避けるようになったのに、彼はその事について一度も怒った事はない。いつか謝らないといけないと思っているが、つい彼の優しさに甘えてしまい、まだ謝れないでいる。


 都合が良すぎる事は充分に分かってはいるが、もしも彼が許してくれるのなら、以前のように仲の良い兄妹のような関係に戻りたいとセレスティナは思ってしまうのだった。

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