20話 初夏の誘い①
生徒会主催のパーティーには毎年名前が付けられている。今年は「初夏の誘い」とパーティーの名前が付けられていた。セレスはひとりで会場でもある大講堂へ来ていた。もうすぐ開始時刻なので、既に会場入りしている着飾った生徒達が、それぞれに歓談をしている。
セレスは実家から持ってきた少ないドレスのうち、シンプルで上品に見えるシルバーの夜会用ドレスを選んで着ていた。余計な装飾のないドレスは、目立ちたくないセレスの希望にも合っている。
髪型は簡単に編み込んだハーフアップで、小さなアメジストのネックレスとイヤリングを着けていた。そしてセレスの左の手首には、継ぎ目が見えない細い銀の腕輪が光っていて、小さな翡翠がひとつだけ嵌めこまれている。腕輪は近くでよく見ると、細かい透かし彫りが施されているのが分かり、意匠の凝ったデザインに仕上がっていた。
(やっぱり人が、多いわ)
セレスは、腕輪にそっと触れる事で自分の気持ちを落ち着かせる。人混みが苦手なセレスにとって、この腕輪はセレスを変えてくれたお守りのようなもので、自分を飾る事が目的ではなく、セレスを守るために着けている腕輪だった。腕輪に触れると不安な気持ちが落ち着いていく。
学院は華美になり過ぎない事を条件に、アクセサリー類を着ける事が認められているので、セレスはいつも袖の下にこの腕輪を着けていた。
腕輪は細身なので、華美にはなっていないのだが、平民のセレスが持つには高価な品だと分かるものなので、あまり見られないようにしていたが、今日はパーティーなので隠さずに腕輪を見せている。
女生徒は皆ここぞとばかりに豪華に着飾っているので、セレスの細い腕輪くらいでは誰も目に留めないだろうし、昨年のパーティーでもセレスの腕輪を気に掛けた生徒はひとりもいなかった。
昨年の生徒会主催の夜会ではヒューゴが隣にいたせいか、あっという間に過ぎたという覚えしかない。
本格的な夜会ではないが、ヒューゴの隣に立っているというだけで、当時のセレスは幸せな気持ちになれたので緊張はしなかった。だから会場入りしてすぐにヒューゴが友人たちの元へ行ってしまっても、壁際から友人に囲まれているヒューゴを見ているだけでも満足だった。
今年はひとりなので、セレスはどう動こうと自由だった。しかしセレスには話が出来そうな友人がいなかったので、今年も壁の近くで立っているしかなかった。
会場の隅にいながら、楽しそうに歓談をしている生徒たちを眺めていると、彼らと自分との間には薄い膜のようなものが存在していて、自分とは別の世界で物語が進んでいるように思えてしまう。
誰もセレスに話し掛けようとはしないし、視線すら向けられない。セレスは自分が空気になってしまったような気持ちになる。そしてセレスは思ってしまうのだ。この国には、自分の場所なんて始めから無かったのではないかと。
一年以上もこの国にいたのに、生徒たちの意識の中にすらセレスの存在はいない。
セレスにとってヒューゴだけがこの国と自分を繋ぐ存在だった。そのヒューゴから離れてしまうと、突然自分が異質な存在のように思えてしまう。
セレスはこの学院に同性の友人がいない。レーデン王国にはセレスの生家と直接繋がりがある家もない。ミュラー家とは何人か人を挟んだ上で世話になっているだけなので、セレス自身にそこまで強い繋がりはない。ヒューゴは正式な婚約者ではない。マドック辺境伯家に繋がる家の令嬢から話し掛けられる事もない。
(私にはこの国と繋がっていると言えるものがない……)
この会場のどこかにいるヒューゴやニーナにはきっと友人や知り合いがいるのだろう。もしもこの会場から自分が消えてしまったとしても、きっと誰も気付かない。そう思い掛けていたところでセレスは斜め後ろの方から声を掛けられた。
「ここにいたんだ、ミュラー嬢」
振り向いた先にはアルウィンがいた。この会場の中にあって、セレスと繋がりのある数少ない人間のひとりだった。
今夜のアルウィンはシルバーのジュストコールを纏い、胸元にはラベンダー色のチーフを差している。
昔を懐かしむような思いでセレスは瞳を細めた。
振り返ったセレスの姿を見たアルウィンは、なぜか驚いた顔をしていたが、セレスにはどうして彼がそのような顔をしたのかが分からなかった。
何も言わずにアルウィンは自然な仕草でセレスの隣に立つ。会場に入って初めて話し掛けられた事で、考え事ばかりしていたセレスは想像の世界から現実へ引き戻された。
「騎士科も含めた全校生徒が揃うとさすがに人が多いね」
「帝国の学院はもっと生徒数が多いのでしょうね」
「ああ、あそこは人が多過ぎるから全校生徒どころか、同じ学年の生徒でさえ一度に揃うのは入学式と卒業式くらいだったよ。パーティーは学科主催でそれぞれあって、他学年の生徒とはそこで交流を持つんだ」
「フォレット様は女性からのお誘いも多そうですわね」
そう言ってセレスは微笑むが、アルウィンは僅かに首を傾げる。
「いや、俺はスキップをしていたから周りが歳上ばかりで、子どもの俺は相手になんかされなかったよ。俺を使って兄と繋がりを持ちたそうにしていた令嬢はいたけどね。卒業年度は下級生から多少声もかかったけれど、それでも俺よりも歳上だったし、淑女科の主催したパーティーなんて誘われても怖くて行けなかったよ」
言いながら笑うアルウィンの視界の中に、翡翠の嵌めこまれたセレスの腕輪が写る。アルウィンは緑色の瞳を細めて、少しだけ口の端を上げた。
「フォレット様、淑女科から領地経営科への転科は可能だと思いますか?」
それまでにこやかに話していたアルウィンが真顔になる。そして彼は腕を組んで右手の親指を顎の下に当てる。
「学年を変えずに転科をするには、一年生の時に取得した単位が必要になるから、領地経営科と重なる学科が少ない淑女科では同学年へのスライドは無理だ。領地経営科の学生として学びたいのなら一年生に編入し直して、在学中にスキップをして卒業年度を合わせるか、一年遅れのまま卒業をした方がいいと思う。夏期休暇直後なら、領地経営科でも試験を受けた上でなら一年生への編入は出来ると思う」
「私、これでも十一歳までは家庭教師を付けてもらって領地経営について学んでいましたのよ」
セレスが背の高いアルウィンを見上げると、アルウィンは少し悲しそうにセレスを見つめ返す。
「うん、でもそれは十一歳で学んだ事だろう? 学院の初等部に入る前準備のためにしていた勉強と、実際に入学してからでは学ぶ量がまるで違うし、高等部では学ぶ内容も高度になる。それに領地経営科に転科をしたいのなら、今のようにレーデンにいながらの単位取得は難しいと考えた方がいい。この学院の図書室にある資料だけではあそこの課題はこなせないよ。ミュラー嬢は領地経営がしたいの?」
「学び始めるのが遅いのは分かっています。私はただ家のためになる事を学びたいと思うのです」
困った風な表情を浮かべながら、アルウィンが小さくため息を漏らす。
「こんな事を話すとキミは嫌に思うかもしれないが、淑女科で家政について学び、学院生時代は令嬢同士の人脈を広げ、家のために貢献をするのが、帝国の貴族女性の生き方としては一般的だよ。でも転科の件は夏期休暇で帝国に戻った時に、今の気持ちも含めてご両親に相談をした方がいい。淑女科にいても領地経営科の授業を受ける事は可能だから、転科をしなくても、領地経営に関係する必要な授業を受けるだけでかなり違うと思う。抱えている問題はそれぞれの領地で皆違うから、全てを学ぶ必要はないと俺は思う」
「……わかりましたわ、ありがとうございます」
セレスがそう答えたところで、ちょうど曲が流れてダンスの時間になった。
昨年のヒューゴは、ダンスの時間にパートナーのいないクラスメイトたちと話し込んでいたので、結局セレスは誰ともダンスを踊れなかった。
セレスとアルウィンは、会場の中央でくるくると回るカップルたちを壁際に立ってただ眺めていた。
ダンスをしている生徒たちの輪の中に、自身の髪色に合わせた黒い上下のヒューゴとピンク色に黒色をアクセントにしたドレス姿のニーナが躍るのが見えた。ヒューゴの胸のポケットからは今日のパートナーであるニーナの瞳と同じ青色のチーフが見えていた。一瞬だけヒューゴと目が会ったような気がしたが、気のせいだとセレスは思う事にした。
「……実は俺、学生の頃も含めて正式な夜会の場では母としか踊った事がないんだ。たまに父の代理で母をエスコートさせられる時があるから」
ダンスを踊る生徒見ながらアルウィンがぽつりとそう言った。
「えっ、そうなのですか? どうして?」
思わずセレスがアルウィンの顔を見たら、彼は少しだけ照れくさそうな顔をしていた。
「練習だったけれど、人生で初めてダンスを踊った相手が、将来の婚約者と言われていた女の子だったから、彼女がデビューをするまで社交界では家族以外とは誰とも踊らないと決めているんだ」
「どうしてそこまで気を遣うのですか? そこまでする必要がありまして?」
「だってデビューしたばかりの彼女が緊張をしているのに、俺だけ社交界に慣れていたら可愛そうだと思って。夜会には何度も出てしまったけれど、ダンスは特別だから。彼女とは一緒に緊張して失敗も一緒にしたいんだ。令嬢とダンスなんてしたことがないから、彼女のデビューでは失敗するかもしれないなあ」
そう言ってアルウィンは苦笑いを浮かべる。
「それでは二人で一緒に恥をかいてしまいますわ、歳上なら余裕を持ってフォローもできるくらいでないと」
「ああでももう遅い、彼女のデビューは今年だから、俺がダンスで失敗をしたら一緒に恥をかいてもらわないと」
「まあ、ひどい話ですわ……ふふふ」
そう言ってセレスはアルウィンと顔を見合わせて二人で笑い合った。ダンスを踊らなくても今日は楽しく過ごせそうだと思った時、ニーナとのダンスを踊り終えたヒューゴが息を弾ませながらやって来たのだった。




