21話 初夏の誘い②
ニーナとのダンスを終えてすぐに来たのか、セレスとアルウィンの前に立つヒューゴは息を切らしていて、向こうの方からはヒューゴを追うように、ニーナがこちらへ向かって来るのがヒューゴの肩越しに目に入った。
「どうしてまたその留学生と一緒にいるんだよっ!」
ヒューゴは苛立った様子を隠す事もなく、セレスに厳しい視線を向ける。
アルウィンの眉が僅かに形を変えたが、すぐに元の形に戻る。
「お互いにパートナーがいないので、お喋りをしていただけですわ」
「話だったら令嬢同士ですればいいだろう? 俺に対する当てつけなのか?」
セレスには同性の友人はいない、それを知らないヒューゴの口ぶりにセレスは内心で驚いていた。
しかしよく考えてみたら、ヒューゴは婚約者候補としてセレスを紹介されただけなのだ。彼にとってセレスとの縁談は突然の事で、迷惑な話だったのかもしれない。だからセレスに関心を持てないのも、優しくしようとしないのも、仕方がない事なのかもしれない。
過去にヒューゴから優しくされた事のあるセレスにとって、ヒューゴから関心を持たれなかった事は大きな誤算だった。あの頃の甘くてくすぐったい思い出は、今のセレスにとっては過去の事になってしまった。
「フォレット様とはこうしてお話をさせていただいておりますが、私たちは適切な距離を取っています」
セレスとアルウィンの間には、ひとり分の距離があり、決して触れ合うような事はしてない。
言外に自分たちはヒューゴとニーナとは違うとセレスから言われているのだと気付いたヒューゴはグッと拳を握りしめる。
「やっと捕まえたんだからっ!」
そこでニーナが追いつき、ヒューゴの腕に自分の腕を絡ませるので、ヒューゴはセレスの言葉を否定できなくなってしまった。ニーナはパートナーなのだからこれくらいしても当然という顔をしている。
「もうっ、ヒューゴったら足が早過ぎなんだからっ。女の子を置いて行くなんてエスコート失格よ!」
少し前に放課後の食堂で話した時はニーナの事を迷惑そうにしていたのに、ヒューゴはニーナの腕を自分から解こうとはしない。
これがセレスを傷つけ、迷いを生み、初恋を色褪せたものに落とした原因だった。
ヒューゴの腕にしがみついているニーナは、セレスをジロジロと見た後に、瞳を大きく見開く。
「えっ! ちょっと、あなたたち二人って衣装を合わせてきたの!? やだっ、それって浮気じゃないっ!」
セレスとアルウィンを見ながら高い声を上げるニーナの言葉に、ふたりはお互いの格好を見比べる。
セレスは目立ちたくないと思っていたので、シルバーのドレスは落ち着いた光沢のある生地を使っていて、飾りも少なくデザインもシンプルだった。帝国で暮らしていた時に、セレスの母親が懇意にしているドレスメーカーで見立ててくれたものだった。
ネックレスやイヤリングといったアクセサリー類は、アメジストの小ぶりなもので、他は銀色の腕輪を着けているだけなので、全体的に控えめな装いとなっている。
アルウィンの方はシルバーのジュストコールに同色のパンツ姿で、ウエストコートは黒みの強い紫色、チーフにはラベンダー色を使っていたので、シルバーと紫色の組み合わせが、シルバーのドレスにアメジストのアクセサリーを着けているセレスと似た装いになっていた。
そしてよく見ると、二人の衣装はシルバーの生地が全く同じものだった。並んで立っていると、揃いで仕立てたと言われても否定できないほどデザインも似たところがあった。
アルウィンを見た時に懐かしい色を纏っているとは思ったが、セレス自身は目立たなければいいと適当に選んだドレスで、大した思い入れがなかったので、自分が着ているドレスの色の事はすっかり頭の中から消えていた。
今日のアルウィンがセレスの姿を見て驚いた顔をしていたのは、きっと彼はその事に気が付いたからだろう。
セレスはアルウィンがどのような夜会服を持っているのかなんて知らなかったので、衣装が重なってしまうとは思わなかった。
「フォレット様、そちらのお衣装はもしかしてマリー・ルトセンで作られたのでは?」
「頂いたものだから分からないが、多分そうだと思う。夜会に出席する事になるとは思わなかったから、国からは数着しか持ってこなかったんだ」
どうやら二人の衣装は同じドレスメーカーで作られたものらしかった。セレスの言葉にニーナが反応をする。
「マリー・ルトセンって帝都ですごく有名な仕立て屋じゃないっ、どうして平民のセレスがそんな店でドレスを作ってもらえるのよっ!」
ニーナの言葉にセレスではなくアルウィンが眉を顰める。
「衣装が似てしまったのは偶然だが、ミュラー嬢を貶めるのはやめてくれないか。マリー・ルトセンは客を選ぶ。その店で仕立てたドレスを彼女が着ている意味を考えて欲しい」
考える事、それはニーナにとってこの世で一番面倒で嫌いな事だった。
「でもっ、でもっ、セレスさんはいつも私に見せ付けるのよ。帝国語が話せる事も結婚相手がいる事も、それにドレスもっ! よく見たらその腕飾りもっ、繊細で素敵だわ!」
高い声を上げながらニーナは磨かれた翡翠と細かい透かし模様の入った銀色の腕輪を指でさす。この腕輪には継ぎ目がないので、無理やり取り上げようとしても簡単には外す事ができない仕掛けになっている。
「彼女は元々帝国の生まれなんだ。帝国語は話せて当たり前だし、むしろレーデン語を問題なく使える事を彼女の努力の結果だとは思わないのか? ご令嬢は人のものを欲しがる性格のようだが、持っている者がどうやって手に入れたかまでは考えようとはしないのか?」
「でもっ、私だってちゃんとやっているわっ! 顔は良くてもあなたって意地悪なのねっ!」
「ニーナをあまり責めないでやってくれないか」
疳癪を起し始めたニーナを庇うように、ヒューゴが言葉を挟む。突然話に入って来たヒューゴにアルウィンは緑色の瞳を大きく見開き、とても驚いた表情を浮かべる。
「……キミは、……どうして彼女を守ろうとは思わないのか?」
「えっ?」
「辺境伯令息、キミは騎士を目指しているようだが、何のために剣を学んでいる? いくら鍛錬を重ねてもその場にいなければ守る事はできない。それでも鍛錬を続けているのは守るべき時に守る事が出来るようになるためだからではないのか? 自分が守るべき場に居ながらそれをしないのは騎士として恥ずかしくないのか? それともキミが守りたいのは辺境だけで彼女は守るべき存在に入っていないとでも? 彼女に選ばれた幸運をキミは自分の足で踏みにじっている事にどうして気が付かない?」
責める口調のアルウィンはヒューゴを睨みつけるが、ヒューゴは彼の話す内容もだが、留学生でしかない彼がどうしてこんなに怒っているのかが分かっていないようだった。
「おい、何を言ってるんだ? それにあんたには関係のない話だろう?」
アルウィンはセレスを隠すように前へ出ると、改めてヒューゴを正面から見る。
「俺はキミを認めないし、こんな男にティナは渡せない。……帰ろう、ティナ。これ以上ここにはいたくない。クラスメイトごっこはもう終わりだ」
最後の方はセレスを見て早口の帝国語でそう言い、アルウィンはセレスの手を強く握って歩き出す。アルウィンに連れて行かれるようにセレスも大講堂を出る事になってしまった。普段見せる貴公子らしい彼はもうそこにはおらず、セレスを守ろうとしている彼がそこにいた。
「私は大丈夫だから落ち着いて……」
大講堂を出てすぐにセレスはそう何度も声を掛けるが、アルウィンの足はすぐには止まってくれなかった。
ヒューゴがニーナをかばうのはいつもの事だった。日常となってしまった風景なのに、アルウィンが突然怒りだした理由がヒューゴとニーナには理解が出来ず、ふたりは会場から出て行くアルウィンと彼に連れて行かれるセレスをただ見ていた。
夜会は生徒会の主催なので開始時間は早かったが、それでも外へ出たらもう夜になっていて、空には満月に近い月が掛かっていた。
北校舎の近くまで歩いたところで、セレスの手を握っていたアルウィンの力が少し緩み、足がやっと止まってくれた。
この場所は留学生としてのアルウィンと会った初日に別れた場所だった。あの時の彼はあっさりとセレスから離れて行ったが、今日はしっかりとセレスの手を握っている。
しんとしたその場所は、お互いの息使いが聞こえそうなほど静かだった。
心配そうな表情でアルウィンを見るセレスの髪色は、かつて月の光を集めたような輝きを持っていた。今はそうでなくても、目の前にいる彼女だって充分に美しいとアルウィンは思った。
改めて彼女を見た彼は、「ティナ」と彼だけが呼ぶ彼女の愛称を小さく口にしてから気まずそうな顔をする。
「……ごめん、邪魔をしたくはなかったからずっと他人のフリをしていたのに、今夜は我慢が出来なかった」
アルウィンはぽつりとそう言った。
「いいのよ。あれ以上続いていたら私の方が耐えられなかったわ。私の代わりに怒ってくれてありがとう。明日は成績発表があるのだけれど、このまま夏期休暇まで休む事にしようかしら。早めに帝国へ帰る準備を始められそうだわ」
そう言って笑うセレスの手を、アルウィンがきゅっとほんの少しだけ強めに握る。
「キミに日程を合わせるから、俺が帝都のクロイツ家まで送るよ。挨拶へ行かないといけないし、同じ時期に帰るのにティナをひとりで帰したらヴェルスの父に騎士道精神について説教をされるから」
アルウィンの言葉にセレスは実家の両親の姿を思い出していた。銀色の髪を持つ母と紫色の瞳を持つ父を。
「ありがとうございます、お兄さまのご厚意に甘えさせていただきますわ。それにしてもこのドレス、きっとお母さまの仕業ね」
「前に侯爵夫人から別の服を頂いた時にティナと揃いだとおっしゃっていたから、これもそうなのだと思う。まさか今夜のティナが揃いのドレスを着てくるとは思わなかった」
衣装が被ったのは偶然ではあったが、そもそも帝都で店を構える一流のドレスメーカーが、同時期に同じ布で別の顧客の服を仕立てるわけはないのだ。アルウィンとセレスの衣装は元々揃いでセレスの母であるクロイツ侯爵夫人が注文したものだった。
アルウィンはセレスの手を離すと、右手を高く掲げて空中に大きく魔法式を描く。二人の真上に浮かんだ魔法式は、図書室で見た時のように柔らかく輝くとすぐに弾けて数多の光となった。図書室の時とは違い、弾けた後の光は雪のようにふわふわと舞いながらゆっくりと地面へ落ちてから消えていった。
光の雪が降る中で、アルウィンはセレスの前で片膝をついて手を差し出す。
そしてセレスの本当の名前を口に出した。
「今夜はお送りするだけになってしまいましたが、エスコートをさせて下さい。セレスティナ・クロイツ嬢」
セレスティナはアルウィンの手を取る。アルウィンが作り出してくれた光があったので、僅かな間だが小さな頃から知っているお互いの顔をよく見る事ができた。
「ありがとうとうございます。アルウィン・ヴェルス様」
アルウィンの作り出した光はすべて消えてしまい、煌々とした月の明かりしかなかったが、それでもセレスティナは気にならなかった。
そして小さな頃に二人で何度もエスコートの練習をした時の事を思い出すのだった。あんなにたくさん色々なパターンを練習したのに、このようなエスコートの形は初めてだと思いながら、彼女は幼い頃から兄と呼んでいた彼のエスコートで、馬車停めがある方へ向かうのだった。




