1話 留学生のお世話係
「――ではこれで授業を終わりにする。ああ、セレス・ミュラーは放課後に学院長室まで来るように」
授業の最後にひと事そう付け加えると、文学史の教師は教室からさっさと出て行く。教師が教室のドアを閉めると、教室の中で生まれたのは小さなざわめきだった。
名前を呼ばれたセレスは、学院へ通う二年生で、茶色の髪と瞳を持つ見た目通りの大人しい生徒なのだが、彼女は入学してからこれまで二度ほど学院長室へ呼ばれていた。
理由はどちらも同じで、セレスに留学生のお世話係を頼むものだった。そしてそれ以外でセレスが学院長室に呼ばれる事は無かったので、セレスが学院長室へ呼ばれる時は留学生がやって来る合図だと、クラスの誰もが知っているから教室中がざわめいたのだった。
セレスだけはひとり暗い顔のまま、小さなため息をもらす。
二年生になったというのに、セレスには友人と呼べる生徒がいなかった。というのも入学したばかりの頃、最初にお世話をした留学生がこの国の言葉を理解していなかったため、留学生のお世話係として、いつもセレスが彼女と行動を共にしていないといけなかったからだった。結局、仲良くなりかけていたクラスメイトとは交友を深められず、セレスは自分自身の友人を作る時間を持てなかったのだ。
セレスはこの国以外の三つの国で数年ずつ暮らした経験がある。そのため生徒の中では一番外国語に長けていると思われているらしく、こうして留学生のお世話係を頼まれてしまうのだ。
留学が出来るという事はそれなりに裕福な家の令嬢で、最初に来た留学生は自国での身分も高かったが、彼女は子爵家で世話になっているだけのセレスにも優しかった。しかし、当然ながら留学生は留学期間が終わると母国へ帰ってしまうので、どんなに仲良くなってもセレスはひとり残されてしまう。入学してすぐの頃に仲良くなりかけていたクラスメイトも、留学生がいなくなる頃にはもう素っ気なくなっていた。
留学生がいなくなった後のクラスでは、グループがしっかり出来上がっており、子爵家で世話になっているだけの、平民のセレスが入れそうなグループの女子生徒たちは、セレスを仲間に入れてくれそうな雰囲気はもうなくなっていた。そしてしばらくすると、二人目の留学生のお世話係を任されたのだった。
低位貴族や平民の女子生徒たちにとって、外国語を話せるセレスは、この国から出た事の無い自分たちとは少し違う存在だと、セレスは彼女たちからそう思われるようになっていた。
二年生に進級した事でクラス替えもあり、今年こそは新しく友人を作ろうと、このひと月は意気込んでいのだが、一年生の時に友人を作れなかった影響なのか、声を掛けてもセレスに対する反応は誰もいまひとつぱっとせず、入学したての頃よりもクラス内でグループが出来るのが早く、セレスのようにひとりきりの生徒はもういなかった。なので新学年となってひと月が過ぎても、セレスは相変わらずひとりきりだった。
それでもどうにか出来ないかと悩んではいたのだが、学院長室への呼び出しがあった事で今年もひとりぼっちが確定したような気分になってしまい、セレスは憂鬱な気持ちのまま学院長室の扉をノックするしかなかった。
「失礼します」
ドアの向こうから入室を許可する言葉が返ってきたので、セレスが静かにドアを開けて学院長室に入ると、白髪混じりの黒髪に偽善的な笑みを浮かべる学院長と、長身の男子生徒がひとりいた。留学生の姿を見たセレスは目を瞬かせた後に、微かに眉を顰めて陰りの表情を見せる。
これまで世話をしてきた留学生は二人共女子生徒だったが、まさか男子生徒も自分が世話をする事になるとは思わなかった。留学生と友人関係を築くという選択肢すらなくなってしまった事に、セレスは絶望的な気持ちを抱きながら学院長に頭を下げた。
「セレス、こちらはカルス帝国から来たアルウィン・フォレット伯爵令息だ。彼は我が国レーデン王国の言葉がある程度分かるそうだから、この後学院の中を案内して欲しいのと、彼が学院で困った事や何かあった時の相談役になって欲しい。彼はキミと同じ二年生でクラスも同じにしてある。留学期間は半年を予定しているそうだ。カルス帝国はキミの出身国でもあるから、話も合うと思うし仲良くして欲しい」
「アルウィン・フォレットです」
綺麗な姿勢で会釈をするアルウィンは、ダークブロンドの髪と緑色の瞳を持っていて、背も高く肩も広い。留学前に急いで作ったと思われる学院の制服が少しキツそうにも見えるが、そんな事を感じさせない高位貴族特有の少し冷たそうな微笑みを浮かべていた。
大人びた表情を浮かべている彼からは、どの留学生も初日に持っていた期待や不安といった感情は読み取れなかった。
貴族として完成された様子のアルウィンは、複雑な表情を浮かべるセレスの事は気にならないようで微笑みにも曇りがない。
「セレス・ミュラーです、半年間よろしくお願いいたします」
愛想笑いも捨て、何の表情も浮かべないまま、セレスは折り目正しくカーテシーをとった。
◆◆◆
「フォレット様、こちらが大講堂です。広いので複数のクラスが一緒に授業を受ける時や生徒会主催のパーティー等で使います。大講堂の隣が食堂となっていますので、昼食は教室か食堂でお召し上がり下さい。テイクアウト用のサンドイッチは、朝のうちに予約をしておいた方が確実に手に入れられます。……二年生の教室もご案内いたしましたし、校舎内の事で他に気になるところはございますか?」
セレスが使っているのはレーデン語で、帝国語を使わずに説明をしていたが、アルウィンはセレスの言葉を理解しているようで、相槌を打ちながらセレスの話を聞いていた。
「図書室の場所を教えていただけますか」
そちらの方が話しやすいのだろうか、彼が話す言葉はセレスにとっては懐かしい帝国語で、地方特有の訛りもなく、彼の帝国語は帝都の貴族が使う洗練された発音だった。学院長から言葉が分かると言われていたから、アルウィンに対してセレスはレーデン語で話していたが、同じ学院の生徒としてこの国に来たばかりの彼への態度が冷た過ぎたとセレスは内心で反省をした。
「……承知いたしました。今いるのは貴族科の校舎で、図書室は少し離れた北校舎の一階にありますので一度外へ出ますね」
レーデン語で話す事は止めて、今度はセレスも帝国語を使う。久し振りに使った帝国語は少しだけ東部寄りの発音となってしまった。僅かだが彼の表情が和らいだような気がした。
ここまでセレスはアルウィンの前を歩いて事務的に校舎の中を案内していたが、その間にアルウィンとは会話らしい会話をしていなかった。
セレスは一方的に校舎の中を案内するだけだったし、それに対してアルウィンも軽く相槌を打ちながらセレスの言葉を聞いているだけで、アルウィンの方から何かを訊ねるような事もなかった。今だって校舎内をある程度案内し終えたので、取って付けたように彼が他に気になっているところがないのかを聞いただけだった。
過去に世話をしていた女子の留学生には、彼女たちの様子を見ながら親切にきちんと対応をしてきたのに、彼とはあまり関わるつもりがないというセレスの思いは、分かりやすく態度にまで出てしまっていた。
アルウィンの世話役にセレスを選んだのは学院側で、彼のせいではないと分かってはいても、セレスにとって毎回留学生の世話役を押しつけられるのは正直なところ負担だった。それに留学生が男子生徒なのだから、世話役も男子生徒にお願いをして欲しかった。
「そういえば……」
セレスは様子を伺うためにちらりと斜め後方へ視線を送る。
体幹がしっかりしているらしいアルウィンの姿勢は正しく、彼はセレスではなく正面を見て歩いていた。彼にとっては自然なその歩き方は、普段から頭を下げられる事に慣れている側の姿勢だった。学院に入学した事で、高位貴族を前にすると廊下の端へ寄る事が習慣づけられてしまったセレスとは違う歩き方だった。セレスは気になっていた事を遠慮がちに帝国語でアルウィンに話し掛けてみた。
「あの……、レーデン王国へはどのような事を学びにいらっしゃったのでしょうか?」
正面を見ていたアルウィンの緑色の瞳が動き、その視線がセレスを捕える。
「気になりますか?」
自分から話したというのに、セレスはつい身構えてしまう。
「ええ、まあ……」
「何かを学びにというよりも、まとまった休暇を手に入れる事が出来たので、来てみただけなんですよ。別に誰かに頼まれたわけでもありませんし。まあ、強いて言うのなら留学中に自分の将来を見極める事ができればいいと思った程度です。……ふっ、そんなに俺が悪者にでも見えますか?」
アルウィンは小さく苦笑する。怖々と慎重な態度を取った事を彼に笑われたのだと気付いたセレスは、少しだけムッとしてそれが表情に出てしまったが、彼はそんなセレスを見て軽く微笑むのだった。
図書室を案内するために、アルウィンと一緒に貴族科の校舎から外へ出ると、セレスの茶色い瞳は自然と騎士科がある校舎の方へ向いてしまう。この時間、騎士科の生徒たちは放課後に自主的な鍛錬を行っていて、遠くから剣の稽古に励む生徒たちの声が聞こえてくるのだ。
セレスの視線を追ったアルウィンが口を開く。
「あちらの校舎には何があるのです?」
「あちらは騎士科の校舎になっています。ちょうど今は騎士科の生徒たちが自主鍛錬をしている時間なのです。見学もできますし、ご興味はありますか?」
「……あまり無いですね。図書室へはひとりで行けますから、もう案内をしてくださらなくても大丈夫ですよ。今日はお忙しいところをありがとうございました」
穏やかな笑みを見せてから、アルウィンはセレスの返事を聞く前に図書室がある北校舎の方へ向かって歩いて行く。背が高く足も長い彼は、先ほどセレスと一緒にいた時よりもずっと速い歩調で北校舎の方へ歩いていくので、立ち止まったままのセレスとの距離はあっという間に開いていく。
セレスはそんなアルウィンを強引に引き留めたり、追ったりするような事もせずに、騎士科の校舎がある方へ身体を向けると、鍛錬場へ向かって早足で歩き出すのだった。
セレスが騎士科の校舎がある方を気にするのも無理はなかった。鍛錬場で稽古に打ち込んでいる生徒の中には、セレスが婚約をする予定の彼がいるのだから。




