15話 お互いの隣にいるのは
「まあ! セレスさんったら男性とデートをしてるの? 大人しそうな顔をしていて大胆な人なのねえ。私たちはね、さっきまで一緒にお買い物をしていたの。ほら、生徒会主催のパーティーに一緒に行くから衣装を合わせようかと思って、ふふふ」
ニーナは笑いながらヒューゴの腕に身を寄せる。ヒューゴの手にはいくつもの紙袋があって、ニーナの話が本当なのだと分かった。
昨年のパーティーの時にはセレスもヒューゴのエスコートを受けたが、その時は衣装を合わせようなんて話はなかったし、そもそもセレスはヒューゴと買い物に出掛けた事がなかった。
あの日ヒューゴと一緒に観ようとしていた歌劇は、ヒューゴとカフェ以外の場所に初めて出掛けた思い出になるはずだった。
ヒューゴと月に一度の交流をする日はカフェでお茶をする事もあるが、毎回カフェで待ち合わせをしてカフェで別れていた。一度セレスが買い物に誘った時だって、そういうのは好きじゃないと言って断ってきたのに、彼の持つ紙袋を見る限り彼らが出掛けた店は一軒だけではなさそうだ。
「どういう事なのか説明しろよ、お前は俺の婚約者候補なのにどうして別の男と一緒にいるんだよ?」
責める口調のヒューゴに、セレスはどう答えようか考えていた。ヒューゴとは違ってアルウィンなら上手く話を合わせてくれそうだから心配はしていないが、嘘が多いと綻びが生まれてしまう。
その時アルウィンが顔を上げた。彼の顔色は良くないままだったが、いつの間に取り出していたのか、口元にはセレスが刺繍をしたハンカチを当てている。吐き気でもあるのかと心配になったが、アルウィンの瞳は落ち着いていた。そして先ほどまで情けない声を上げていたのが信じられないくらいに、厳しい視線をヒューゴとニーナに投げかけていた。
アルウィンは口元からハンカチを外し、ポケットに仕舞ってから立ち上がる。彼の方がヒューゴよりも背が高い。
「やだっ、この人かっこいい」
アルウィンの顔を見たニーナが上ずった声を上げる。
「……すぐそこの通りで気分が悪くなっていたところを、彼女が介抱してここまで連れて来てくれていたのです。ここでしばらく休んだから大分調子が戻りましたが、人助けをした彼女を責めないでくれますか。このような事にいちいち目くじらを立てていては小さな男だと思われますよ」
全てを話してはいないが、レーデン語で話すアルウィンの言葉に嘘はない。
「これは俺とセレスの問題だ、留学生のあんたには関係ないだろう」
「いいえ、ここでこうしている以上は俺も関わってしまいました。親切にしてくれた女性が婚約者から責められるのを黙って見ている訳にはいきませんから。ああ、まだ婚約者ではありませんでしたね。だから彼女ではない女性を連れていらっしゃるのか」
棘のある言葉にヒューゴの表情が変わる。明らかに気分を悪くしたのが分かった。嫡男でなくても彼は辺境伯家の令息なのだ。貴族同士の軽い嫌味くらいは聞き流せるくらいでないといけない。
「俺を馬鹿にしているのか?」
「そうではありません。あなたも女性をお連れしているのに、こちらばかりが責められるのはおかしいと言っているのです。どうして一緒にいるのかは置いておいても、この状況はお互い様でしょう?」
「俺たちは幼馴染だから、やましい関係ではない」
「幼馴染……、ですか。こちらもただのクラスメイトなので、ミュラー嬢の方にも非はありませんね」
アルウィンは微笑みを浮かべながらヒューゴを正面から見る、同じ微笑みでもセレスに向けられるものとは違い、目は笑っておらず冷ややかだった。それがこの場の空気を緊張したものにしている。
「ねえヒューゴ、この人、あの歌劇に出てきた役者にすごく似てるわっ!」
周りの状況を考えないニーナは、自分の頭の中で閃いた事を突然口に出す。
アルウィンの緑色の瞳がスッと細くなる。ニーナの指摘に気分を悪くしたのか、それとも歌劇のチケットを持っていたはずのセレスが観劇出来なかった理由に気が付いてしまったのか。
ヒューゴはしばらくアルウィンを睨みつけていたが、全く動じないアルウィンに小さく舌打ちをした。
「……帰るぞ、ニーナ」
ヒューゴは背を向けると出口の方へ行ってしまい、ニーナも後を追う。
「えっ、あの人を紹介してよっ!」
二人が店内から出て行くのを見届けてから緊張を解いたアルウィンは再び椅子に座り、すっかり冷めてしまったお茶を口に含む。今のやりとりがきっかけになったのか、髪は乱れたままだったが、アルウィン自身は落ち着きを取り戻していた。
「彼を怒らせてしまいましたね」
「ええ、でもいいのです。ああいう人ですから。でもあそこまで機嫌が悪くなるなんて思いませんでした。普段はもっと冷静な人なんですけれど」
二人に対して諦めの域に達していたセレスは小さくため息を漏らす。普段はセレスに関心を持たないのに、どうしてこの場でヒューゴが独占欲を見せたのかセレスには分からなかった。
「俺には分かりますよ、何となくですが」
「えっ……?」
セレスは疑問の声を上げたが、アルウィンは再びカップを口にする。それ以上の事を教えてくれそうにはなかった。
少しの間、会話もなく時間だけが流れていった。
アルウィンはヒューゴとは違って気負う相手ではないので、セレスは窓から見える景色を見ていた。本日は歌劇の最終日ではあるが、最終公演ではないので次の回を観るために続々と人々が通りの向こう側にある劇場の中へ吸い込まれるように消えていく。
先に口を開いたのはアルウィンの方だった。
「……そういえば先ほど生徒会主催のパーティーとお連れの令嬢が話していましたが、そのような催しがあるのですか?」
セレスはアルウィンに生徒会が主催する夜会の事を伝えていなかった。クラスの誰とも交流を持っていないので、アルウィンは学院の事をあまり知らないからセレスが気付いて話すべきだった。
「すみません、お世話係なのにお伝えしていなくて。定期テストが終わってすぐに生徒会が主催する学生だけの夜会があるのです。デビュタントを直前に控えている令嬢もいますし、婚約者のエスコートに慣れていない令息もいますので、社交に慣れていない学生のために生徒会が毎年夜会を企画しているのです。実際の夜会とは違いルールに煩くないので、気軽に参加が出来て学生にも人気です」
「先ほどの令嬢は辺境伯令息と一緒に参加をすると話していましたが、ミュラー嬢のエスコートは誰が?」
「彼女は一年生なのですが、入学したお祝いに彼からのエスコートが欲しいと言って彼がエスコートをする事になりました。学院行事のひとつで正式な夜会ではありませんし、エスコートがなくても参加はできます。今年の夏は私も帝都で社交デビューする事になりましたから、今回はひとりで参加をする事になりましたが、少しでも夜会の空気に慣れてこようと思っていますわ」
そう言ってセレスは笑った。
「俺でよろしかったらエスコートをしましょうか? 夜会の空気に慣れるのならエスコートはあった方がいい」
「まあ、ありがとうございます。親切なお兄さまにお願いしたいところですが、デビューのエスコートは父がしてくれますから練習がなくても大丈夫ですわ。ドレスは母が決めると手紙に書いてありましたし、家を上げてデビューをする事になりそうです」
そう話しながらセレスは微笑む。
「何度も言いますが、俺はあなたの〝お兄さま〟ではありませんよ」
「分かっていますわ、フォレット様ですものね」
「ええそうです、ミュラー嬢。お互いに線引きは大切ですから」
すっかりお茶は冷めてしまったが、アルウィンは優雅な仕草でカップを口にして、笑みを深めた。
先ほどヒューゴとニーナが現れた時は剣呑な空気になりかけたが、それ以外の時間はアルウィンとお茶を飲みながらの会話は楽しかった。
そう感じた一番の理由は、母国語である帝国語をずっと使っていた事もあるが、彼に対してセレスが変に気負ったり、緊張をしていないというところだった。
普段は余裕がありそうに見えていた彼が落ち込んだり、今日のように態度を崩す姿を見せた事を意外に思いながらも微笑ましく感じていたし、ヒューゴに責められた時は彼が前に出てセレスを庇ってくれた。
ヒューゴたちが去った後は普段の彼に戻って社交界での貴族がよくするような微笑みを浮かべているが、それでもいつもとは違う彼の一面を見た後だったので、以前のように冷たそうだとか澄ましているとは感じなかった。
この一年、実家から離れているセレスは友人を作れなかったので、レーデンにいる間はヒューゴ以外の相手とお茶をしていなかった。
最初の頃は目の前にヒューゴがいるだけで、胸の高鳴りが抑えられず、同じテーブルに座ってお茶を飲んでいるだけでも嬉しさの余り胸がいっぱいになっていた。
しかし、アルウィンとのお喋りを楽しく感じてしまった事で、セレスは気付いてしまったのだ。
セレスはヒューゴと対面でお茶を飲む事に嬉しさを感じてはいたが、ヒューゴと過ごす時間を楽しいと感じた事は一度もなかった。
けれど、一緒にいてセレスが胸の高鳴りを感じる事ができたのはヒューゴだけだった。
だからセレスは苦しいのだ。ヒューゴがセレスに対して素っ気ない事に。
ヒューゴを目の前にしたお茶会でのセレスはいつも必死だった。彼の事を少しでも知りたい、彼に自分を気に入ってもらいたい。彼に自分を見てもらいたい。できれば彼の優しさを感じたい。
緊張と不安の中にいたセレスは、いつも肩肘を張っていたので余裕なんてなく、微笑みを浮かべても本心からの笑顔ではなかった。
そしてそんなセレスを武骨で不器用なヒューゴが気に掛けるような事はなかったし、もちろん彼の方からセレスを安心させてくれたり、楽しませてくれるような事は無い一年と数ヶ月だった。
そしてヒューゴの方がセレスをどう思っているのか、その事をセレスは翌日に知る事になるのだった。




