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君のいる未来のために  作者: 伝説のぴよ
第三章 代わりのないもの

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逃げてもいい約束

「ティアちゃん、我慢したらだめなのよ? 辛かったら、迷惑だなんて考えないで、何でも言わないとだめなのよ? 全部一人で背負い込んで、自分を追い込んだら、絶対だめなんだからね?」


 うぅ、と悔しげに呻きながら、クリスは私の頭をぎゅうぎゅうと抱きしめる。


「お、おはようございます、クリスさん。ど……どういう事ですか……?」


 翌朝、目が覚めて降りて来たらジョイとクリスがリビングにいて、突然クリスに抱きしめられた。

 ゆったりとした格好のジョイは私達の様子に小さく笑い、席を立ちキッチンに向かった。

 クリスは仕事に行く前なのか、紺色の上下のスーツを身につけている。

 私の頭にぐりぐりと寄せられる頬と白いブラウスがくすぐったい。


「心配したんだからね? ジョイから職場に連絡が入った時は、何が起きたのかと思った。家族が倒れたのか、ジョイ自身に何かあったのか、疑問に思いながら店からかけてきた電話に出たら、ティアちゃんがいなくなったって言うから……」


 少しだけ、語尾に湿った熱が帯びる。

 はっとして、頭の上にあるクリスの顔を見る。

 疲れの滲む少しだけ潤んだ目と、目が合った。


(────心配、してくれたんだ)


 勝手に顔が、ふにゃりと緩んだ。

 嬉しくて、口元が歪んでしまうのを我慢できない。

 目の奥も、釣られるように熱くなった。

 包むように、頭を撫でられる。


「──────無事で、よかった」


 ぎゅうっと、そこにある事を確かめるように抱きしめられる。

 クリスにくっつくように頭を寄せ、その気持ちに応えるように両手でクリスの腕に触れた。


「────ありがとうございます。クリスさん」


 きゅっと、少しだけ強まる抱擁。

 クリスのブロンドベージュの髪が、柔らかく私の肌を撫でる。

 少しだけ震えている息に、クリスの優しさが詰まっているような気がした。

 お互いを満たすようにくっつく。

 しばらくして、クリスが小さく息をついた。


「────ティアちゃんが見つかった後、また連絡をもらったんだけど……」


 名残惜しそうにクリスが離れる。

 私も寂しい。

 寂しいのが我慢できなくて、クリスの袖をちょっとだけ掴む。


 クリスが少しだけ驚いた顔をした後、ふっと柔らかく笑って手を繋いでくれた。

 さらに頬が緩む。

 受け入れてもらった気がして、すごく嬉しい。

 クリスが柔らかく目を細めて、私の頭を撫でる。


「…………ティアちゃん、博物館に行きたいんでしょう?」


 クリスに手を引かれるようにソファに並んで座る。


「……はい。行きたいです」


 繋いでいる手を、無意識にぎゅっと握ってしまう。

 その時ことりと、珈琲の入ったカップが私の前に置かれた。

 ミルクと砂糖も、そっとカップの横に添うように置かれる。

 今までずっと静かだったジョイは、珈琲を淹れてくれていたようだった。


「ありがとう」

「ん、パンも食べな」

「うん、ありがと」


 ジョイから茶色の紙袋を受け取ると、ふわりと、良い香りが広がった。

 バレないように、深く息を吸う。

 まだ腫れている心に、温かい優しさが入ってくるみたいだった。

 ジョイはくつろぐようにソファの端の席に座った。


「今ちょうどその件で、話してた。クリスもティアを心配してるし、その件も含めて近況報告はどうかと思ってる」


 クリスが頷く。


「そう。博物館に行く事を直接解決する事はできないけど、私、まわりの心配を取り除く事はできると思うの」

「えっ?」


 驚いてクリスを見る。

 自慢げにクリスは笑った。

 よしよし、とクリスに頭を撫でられる。


「私は、この街の保全課に配属されているの。保全課はこの街の施設や安全に関わる異変を拾って、調整する事を主な仕事にしてる」

「保全課……」


 ぽかん、とクリスを見る。

 なんとなく優しいクリスには似合わない気がしてしまう。

 うむ、とクリスは大仰に頷いた。


「だからそれを活用して、何かが起こる前に、いつ何が起こってもいいように、準備しておこうと思う。すでに独断だったけど、信用できる上司にだけは、ティアちゃんと出会った時に、少しだけ話してあるわ。ひと言言えば、多分すぐに話は通ると思う」

「すごい……」

「ありがとう。でもね、実際もう動かざるを得ない状況になってきてるのよね。ティアちゃんの話とは関係なく、もう動き出している所もある」


 クリスが焦りを吐き出すように息をつく。

 そしてトントン、と肘置きを指で叩いた。


「ティアちゃんには一度話した事があると思うけど、この街全体の事件発生件数が、ここ最近で爆発的に増えたの」

「え……」

「そうなのか?」


「ええ。北、西、東、南で分けて、北は急増、西は大幅に増えてる。東はやや増加、南も少しずつ増えてきてる。南部は大きな事件はまだないものの、小競り合い程度の問題がよく起こっているわ。ただ北部だけは、毎日のように何かしら事故や事件がすでに起き始めて、手が離せなくなってきてるの」

「もしかして、博物館が関係あるのか?」


 ジョイの質問に、クリスは残念そうに首を振った。


「それは、正直よくわからない。でも、起きてから対応してたら間に合わない。このままだとどんどん後手後手になるから、これから出勤してまた詰めるわ」


 クリスは一点を見つめて、自分の顎を指で叩く。

 クリスの知性が宿る紫の目がきゅっと、細まった。


「ありがとう……ございます……」


 語尾が震えた。

 こんなに簡単に、さらりと準備が組まれてしまうなんて。

 もちろん、今すぐどうにかなるわけじゃないとは思う。

 だけど、これだけ具体的に話が進んでいると、もう大丈夫という安心感が全く違った。


 隣で優雅に紅茶を飲んでいるクリスが、とても大きな存在に感じる。

 クリスは私を見て、柔らかく笑う。


「これだけでも、安心できたでしょう?」

「……はい、ありがとうございます」


 両手が、小さく震える。

 ジョイに一緒に考えてくれと言ったものの、怖くてしかたなかった。

 結局どうがんばっても、一人なのかもしれないって、怖かった。

 ぽん、と頭を撫でられる。


「これはね、みんなの問題。この街に住む、みんなの問題」


 静かに言葉を落とすクリスを見ると、少しだけ寂しそうに微笑んでいた。

 ゆっくりと諭されるように、頭を撫でられる。


「何もできない小さな子供は仕方ないけど、それでもこの街に住む全員が、がんばらないといけないもの。どんな人でも、どんな立場であろうとも、たとえ結果がついてこなくても……自分が立てる場所を守ろうとする意思くらいは、出さないといけないのよ」


 繋いでいる手に、頭を撫でていた手が添えられる。

 祈るように手を結ばれる。


「だから、一人で背負いすぎないで。がんばりすぎないで。みんなの問題も、全部自分のものにしないで。ティアちゃんはティアちゃんを、幸せにしないといけないんだから」


 そう言って、クリスは優しく笑った。

 心が、ぎゅっとした。

 目の前が滲んで、見えなくなる。


「…………はい」


 絞り出した返事は小さく、か細く震えた。

 クリスはまた頭を撫でてくれる。


「それに、これが私の仕事でもあるからね。できる事は限られているけど、それでもできる限り、考えられる限り準備して、備えておくから」


 クリスが私の顔を覗き込むように目を合わせる。


「だから、安心して?」


 ね? とクリスは笑った。


「────はい……ありがとう、ございます……!」


 ぽろぽろと勝手に零れる涙を両手で拭う。

 クリスはそれにまた小さく笑って、頭を撫でてくれた。


「あとね……ティアちゃんが大丈夫な範囲でいいんだけど、お願いがあるの」

「……なんですか? 私でできる事があるなら、なんでもします」

「うん、気持ちは嬉しいけど……そこまでがんばらなくていいの……」


 クリスは、言いづらそうに言葉を切った。

 視線を逸らして、言うかどうか迷っているようにも見える。


「……そんなに、難しい事なんですか?」


 こくり、とクリスは頷いた。


「……人によっては、その時の状態によっては、とても難しい」


 そう言って、クリスは悲しげに目を細める。

 諦めたように息をついて、クリスは私を見た。


「ティアちゃん……百年前の二人について、わかる事を……教えてもらえる?」


 びくりと、思わず体が強張った。

 奥の方からどくどくと、鼓動が暴れだす。

 落ち着かなくて、部屋のあちこちを見て、逃げ場を探してしまう。

 きゅ、っと優しく、クリスは手を握る。


「無理に思い出さなくていいの。本当に、ティアちゃんの心が話せる範囲でいいの。もうすでに無理なら、何も言わなくていい」

「…………いえ……」


 首を振る。

 明らかに震えている息を、意識して吸って吐く。

 もう一度。

 クリスの手を、握り返す。


「……百年前の元凶の二人は、男女の人形です。名前は女性の方がロナ。男性の方がレオ、です」


 語尾が明らかに震え出す。


 落ち着け。

 まだ、何も、起こっていない。


 ぎゅっと目に力を入れてクリスを見る。


「姿は変わっているかもしれないけど、二人とも黒髪です。特徴があるのは目で、ロナは赤く、レオは金色に光ります。あとは……っ」


 思い出して、手が痙攣する。

 押さえつけようとした私を、クリスがそっと止めた。


「うん、ありがとう。もう大丈夫」


 ぎゅっと、抱きしめられる。


「もう、大丈夫だからね」


 震える。

 目の前が滲んで、ぼろぼろと涙が零れる。

 喉が詰まって、嗚咽が漏れた。

 頭を優しく抱きしめられながら、背中を撫でられる。

 何度も、何度も、大丈夫だと伝えるように。


「……ティアちゃん、約束しよっか」


 約束?

 涙を零しながらクリスを見上げると、真剣な紫色の瞳と目が合った。


「何よりも、自分を大事にするって。もしもの時は、ちゃんと逃げるって。逃げてもいいって、自分と私に約束して」

「にげ、る……?」


 喉が熱くなる。

 ぽろりと、涙が零れた。


「そう。博物館に行くのもいい、元凶の二人を見つけるのもいいけど、無理だと思ったら逃げて。ティアちゃんが逃げても大丈夫なように、私も備える。ジョイだっている。後ろにはみんながいる」


 ジョイは何も言わなかった。

 だけど、小さく笑って、しっかりと頷いてくれた。


 喉の熱が、大きく震えた。

────それって。


「だから、無理だと思ったら逃げておいで。みんなで、何とかしよう」


 ね? と、クリスは言った。

 ぼろぼろと、涙がまた零れる。


────それって、私を、守ろうとしてくれてるよね?

 大事だと、思ってくれているよね?

 私をみんなと一緒に、並べてくれてるって事だよね?

 私の言ってる事を、信じてくれているって事だよね?


 喉の奥が熱い。

 嗚咽が、我慢できなかった。

 クリスに答えようと開いた唇も大きく震えて、言葉になんてできない。

 ぎゅっと目を閉じて、こくり、と頷いた。


「…………よし」


 クリスは嬉しそうに、笑った。


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