月にほどける
ずっと、私がそう言ってもらいたかったのかもしれない。
ずっと誰かに、認めてもらいたかったのかもしれない。
どんなに馬鹿な事でも止められなかったから。
どんなに痛くて苦しくても、私は、それを選ぶ事しかできなかったから。
だから、そのままの私でいいよって、誰かに、受け入れてもらいたかったのかもしれない。
──────胸が、痛い。
そう思った時には、胸元の服を引きちぎるのではないかというくらい強く握りしめていた。
────苦しい。
はっ、と息を吐く。
いつのまにか息を止めていたみたいだった。
思い出したかのように、荒々しく体が空気を求め始める。
「ティア!?」
ジョイが私の様子に驚いて、慌ててこちらに近づいてくる。
そんなジョイが、ぐにゃりと歪んだ。
ひくっと、勝手に喉が嗚咽をあげる。
喉が苦しい。喉の奥が熱い。
そのさらに奥からどんどん溢れてくる熱で、胸が焼けるように痛かった。
────出てこないで。お願い。
誰にも見られたくない。
誰にも、知られたくない。
このまま私の中からも、消えて欲しいものなんだ。
焼けるように痛む胸が、絞り切られるように締め付けられる。
目が熱くて、溢れ出るものが止められない。
溢れるものを隠したくて、手のひらで掬って袖で拭うけど、それでもぼろぼろと、だらしなく零れてしまう。
「ティア……っ!? どうした……っ!?」
そう言ってのぞき込む、ジョイの透き通る青い目が心配そうに揺らいでる。
ジョイはどうしようもなく、優しい。
────ああ、いやだ。
私なんか、放っておいて。
ジョイはジョイの、時間を過ごして欲しい。
私は頭が悪いから、それを知られて、そんな奴嫌いだって、思われたくない。
今も私のために優しく揺れるこの目に、嫌われたくない。
ぶわりと、熱の塊が膨らんで私をいっぱいにした。
────だから、私なんて気にしないで欲しい。
私なんていないものとして、自由に過ごして欲しい。
ぎゅうっと、胸が締め付けられる。
そんなの嫌だって、心が叫ぶ。
でも、それでも。
私は────嫌われる方が、もっと嫌だ。
心から溢れるまま、ぼろぼろと熱を零れさせた。
止めようと思っても止められない。
今まで閉じ込めてた気持ちが、もう我慢できないとばかりに、次から次へと飛び出してくる。
そっと、涙を拭っていた手を取られた。
洪水のように飛び出す気持ちでいっぱいで、そんな事気にしてられなかった。
わかってると言うように、とん、とん、と手の甲に手のひらの温かさが微かに触れる。
ゆっくり、穏やかに、とん、とん、とそれは続く。
ひくりと、涙を我慢しようとしたら嗚咽が漏れた。
「────大丈夫」
そのままで、と小さく囁く声が聞こえた。
取られている手を優しく引かれて、工房の方に促される。
工房の奥まで行くと、ジョイは奥から椅子を引っ張って来て私を座らせた。
そして奥の棚から綺麗な布を取り出して、私のそばの棚にそっと置く。
そのまま普段使う事のないカーテンを静かに引くと、カーテン越しに隣り合わせで座った。
静かな空間でジョイが作業をしてる音が響く。
ぽろぽろと、止まらない熱が自分の手に零れて弾ける。
ここでは、好きなだけ泣いても、大丈夫。
好きなだけ醜く顔を歪めても、どんなに馬鹿な事をしても、大丈夫。
誰も、見てない。だから。
──────今は、どんな私でも、大丈夫。
ぐしゃりと、顔が歪んだ。
両手で顔を押さえつけて、声を殺して、心のままに心を爆発させる。
ぱらぱらぱらぱらと、紺色のスカートに手から溢れた涙が降りかかる。
────私は頭が悪い。
こうなる事はわかっていたのに、なのにこんなに傷ついて、しかも何度だって、きっと同じ事をする。
馬鹿なんだ。
乱れた息が、苦しい。
────でも。
隣に確かにある気配は、変わらない。
変わらず、作業をしている。
変に心配しすぎず、そっとしてくれる。
そのままで、ここに、いてくれている。
────どうして?
普通はめんどくさいって切ると思うんだ。
適当にわかったような事を言って、終わると思う。
差し障りなく流そうとすると思う。
それか怒って、放置するものだと思う。
でも、違う。違う気がする。
部品を触る音、工具を使う音、それが噛み合う音。
無機質であるはずの音なのに、耳に届く音は、ひどく優しい。
ぽろぽろと涙を零しながら、カーテン越しにある気配を、ぼんやりと眺める。
静かな空気だけど、どこか柔らかい。
私がどんなものだろうと、この空気は変わらないと言うように。
涙が自然と止まって、その余韻でぼんやりとしている間も、その気配はずっと変わらなかった。
そのまま意識を失ってしまったのか。
ゆっくりと棚に寄りかかっていた体を起こして、瞬きを繰り返す。
体がこわばって、首が少しだけ痛い。
見回すともうかなりの時間が経ったようで、ランプの明かりが温かく部屋を照らしてくれていた。
ジョイは今は席を外しているみたいだ。
ずっとしていた優しい音が聞こえなくて、少しだけ寂しい。
どれだけの時間、ジョイは作業を続けていたのだろうか。
(迷惑になってないならいいけど……)
ふ、と少しだけ重い息を吐き出す。
このままジョイを待ってもよかったけど、なんとなく息苦しくて、カーテンを開けて工房の外に出る。
ツンとした、少しだけ肌を刺すような夜の寒さが心地いい。
通りにある街頭から庭に間接的に光が届いて、自然な鮮やかさが宿る庭に闇が降りているのが強調されていた。
空を見上げると、半月より少し細い、削れていく途中の月がある。
満月とは違った静かな光が、心に沁みる。
(…………屋根に、登ってもいいかな?)
あの月を、もう少し近くで見たい。
家の近くにある木から、行けないだろうか。
木に登って、屋根に飛び移る。
そう思ってやってみたら、想像以上に簡単に登れた。
顔にかかる髪を指で横に流す。
屋根に立ったまま見る月は、まるで私を覗き込んでいるかのようだった。
月はただ、そこにあるだけ。
なのに、陽の光の下ではわからない街の裏側を浮き上がらせている。
星達も、そんな月に寄り従うように瞬きを繰り返していた。
あちこちに灯る街灯は、夜の海に反射する月の光のよう。
街の中心部方向、遠くに一つだけ灯台のように飛び抜けて高い建物が見える。
あれはなんなのだろうか。
目を凝らして確かめようとしていたら、風が吹き抜けた。
(────気持ちいい)
冷たい風が、剥き出しになってしまった傷をそっと優しく撫でてくれてるようだった。
「────ティア?」
工房の方からジョイの声が聞こえる。
ジョイは庭に出てきて、きょろきょろと辺りを見まわし、いなくなった私を探しているようだった。
「ジョイ、ここだよ」
そうジョイに声をかける。
ジョイは不審げに上を見て私と目が合うと、ぎょっと目を見開いた。
「ティア!? なんでそんなところに!?」
「勝手に屋根に登ってごめんなさい。ちょっとだけ、月が見たくて」
「いや、いいけど……いいのか? とりあえず怪我しなかった? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「それならよかった」
そう言ってジョイは家の入り口の方へ行き、梯子を持って戻ってきた。
梯子を私のいる屋根にかけて登ろうとしている。
「え!? ジョイ!? 暗いし危ないよ!?」
思わず身を乗り出してジョイを止める。
ジョイはじとりと私を見つめて言った。
「ティア、残念ながら、その言葉には説得力がない」
「うっ」
「ゆっくり行くから大丈夫。待ってて」
そう言って、ジョイは柔らかく笑う。
「あ……うん、気をつけてね」
ゆっくり登ってくるジョイをどきどきしながら見つめる。
だんだん赤い頭が大きくなって、最後の一段を登り終えた時、ほっと息をついた。
「よかったぁ」
「心配しすぎ」
そう言って、ジョイはふっと笑った。
二人で並んで屋根に座って月を眺める。
「月ってこんなに大きいんだな」
「庭から見るのと、全然違うよね」
「だな。全然知らなかった」
そう言ってジョイは、目を閉じてこの空気を味わうかのように深呼吸した。
そのまま肩の力を抜いて夜空を仰ぐ。
「夜のこの静かさも、冷たい風も気持ちいい」
「そうだね。心が洗われていく気がする」
「だなぁ。沁みる……」
ジョイは夜空を仰いだまま、月の光を嬉しそうに全身に浴びている。
そんなジョイに、頬が勝手に緩んでしまう。
ふとジョイが私をじっと見て、柔らかく微笑んだ。
そしてそのまま、また月を見上げる。
────よかったって、そう言われた気がした。
どこか嬉しそうなジョイに、きゅ、っと胸が優しく締め付けられる。
なぜかまた、目が熱くなってくる。
壊さないでいてくれる。
ジョイは私を私のままで、いさせてくれようとしてくれてる。
「…………ジョイ。昼間は、ごめんね」
「ん。謝る事、あった?」
ジョイが首を傾げながら私の方を見る。
私の顔を見て、小さく笑った。
「何もないよ」
そう言って、ぽんぽん、と頭を撫でた。
何もないとは言えなくて、俯いて返事に困ってしまう。
しばらくそうしていると、ゆっくりとひと撫でした後に頭から暖かさが消える。
「ティアは……俺がなんで謝ってこないのか、とか思ってる?」
「え?」
驚いて顔を上げると、ジョイはさっきまであった笑顔を消し、立てた左膝の上で頬杖をついて遠くを眺めていた。
「謝ってこないって……ジョイは私に何かしたの?」
そう言うと、ジョイは私を見て、ふわりととけるように笑った。
「ほら」
「え?」
「わからない? 俺だって、たくさんティアに情けないところ見せてる」
「でも……」
この前ジョイの隣で伝票整理をして、そばにいた事が頭をよぎる。
でも、あの時のジョイは泣いてなかった。
こんなに、感情を爆発させてなかった。
言葉が詰まってしまった私を見つめたまま、ジョイはゆっくりと首を振る。
「気持ちに何も違いはないよ。大きかろうが、小さかろうが。────人間だろうが、人形だろうが」
月の光がジョイにかかる。
夜空の中、青い光が艶やかに灯る。
「今、懸命に生きてる心に、何も違いはない」
口を開くけど、言葉が出ない。
ジョイの真剣な瞳に吸い込まれそうだった。
「ティアは受け入れてくれる。情けなくても、そのままでいいって。それって、本当に救われたって思うくらい、優しい事なんだ」
そう言ってジョイは、柔らかく目を細めた。
「ティアだって、そのままでいいんだよ」
喉の奥に、熱がひっかかった。
ひくりと、小さく揺れる。
目の奥が熱い。
でもぎゅっと目を閉じて、それが暴れないように静かにさせる。
吐き出す息が、わかりやすく大きく震える。
こちらを見つめているジョイが、ゆらりと歪んだ。
「……だれかに」
声が掠れた。
喉が熱で、焼けるようだった。
「ずっと、そう言ってもらいたかったんだと、思う……」
ひくりと、また喉が揺れる。
言うのか。それを。
話すのか。無様な姿を。
本当に、それでいいのか。
そう、誰かが私に問う。
「私は……自分を壊しながら、自分を傷つけながら……何も得られない道を、選んだ。側から見ると馬鹿なんだよね? 頭が悪いんだよね? もっと他に、良い方法があったかもしれないのに」
ぽろぽろと涙が溢れる。
ほら、今だって直接言葉にしてないのに、こうやって苦しくなってる。
自分で傷つくってわかって選んだのに、こうやってまた自分で自分を傷つけてしまう。
手の甲やスカートに、ぱらぱらと月に照らされた涙が降り注ぐ。
胸が締め付けられるのを誤魔化すように、手をぎゅっと握りしめた。
「でも私は……それでも、それしか選べなかった。私が、大事にしたかったから」
胸が締め付けられすぎて、鼓動が止まりそうだった。
呼吸は乱れて苦しくて、鼓動はふわりと霞む。
「博、物館に……」
「……博物館?」
ジョイがそっとそばに寄ってきて、背中をさする。
温かい手のひらの感触が、ここは現実だって教えてくれてるようだった。
震える喉をがんばって抑えて、答える。
「二人が、いるかもしれない……」
「……二人?」
こくり、と頷く。
──────怖い。
言葉にするのが。
言葉にしたら、それが、本当になってしまいそうで。
「博物館に、誰かがいる?」
こちらを見つめるジョイが揺れる。
嫌だ。言いたくない。
でも、伝えなければいけない。
喉が熱くて、焼けるようだった。
「…………百年前の元凶達が、いるかもしれない」
ぽろぽろと、涙が溢れる。
私はまた、全てを失うのかもしれない。
そう思ったら、奥から溢れる熱に飲み込まれて無くなってしまいそうだった。
息が苦しい。胸が苦しい。
私は何も、失いたくない。
「もしかして百年祭特別展示か? たしかに同じ人形なら、修繕されて展示されてるかもしれないな……」
ジョイは優しく背中を撫でてくれながら、左指を顎に添えて考えている。
「……行かないと、いけない」
ひくりと、喉が痛いと言った。
「何もないならいい…………でも、何かあったら」
そう言っていると、両手ががくがくと震え始めた。
はっ、と息が止まる。
ジョイが慌てて背中をさする。
そして空いている左手を私の震える両手にそっと添えた。
「────大丈夫」
小さな声すら私を壊してしまうと言うように、囁くようにジョイは言った。
「……怖いよな。怖くないわけがないよな。一人で抱えさせて、ごめん。気づかないで、ごめん」
ぽろりと、ジョイに応えるように涙が零れる。
「──────うん」
ちゃんと声が出たのかわからない。
ぼろぼろと、次から次へと涙が溢れる。
「行くなら、一緒に行こっか。ほっとくのは、ティアはできないだろ? だから、一緒に行こう」
「──────うん」
涙の重みで沈み込むように顔を伏せる。
背中の温もりが離れ、後頭部にそっと降りてきた。
大丈夫と言うように後頭部にある温もりは優しく撫でてくれる。
「……ティアが行けると思った時に、行こう?」
私の両手に添えてくれているジョイの手の甲に涙の雨が降る。
「すぐに行かなくても、この街のみんなは結構強いから大丈夫。だから、ちゃんとティアの心を整えよう」
ひくりと、喉が嗚咽を漏らす。
「──────いい、のかな……」
わかって放置するのは、きっと良くない。
早くわかった方が、間違いなくいいはずだ。
ジョイが私の頭を撫でながら、ふ、と笑った気配がした。
「いいに決まってるだろ? さっきも言ったけど、この街の人達は結構強い。それにこの辺はクリスが詳しいけど、ちゃんと百年前の事から学んで対策も組んでるんだぞ?」
「そう……なの?」
顔を上げると、ジョイが眉尻を下げながら笑っていた。
よしよしと、頭が撫でられる。
「当たり前だろ? この街は、みんなのものなんだから。それに何より……こんなふうに泣いてる子に無理強いする事を、誰も望まないよ」
ジョイは優しく笑っている。
けれどなぜか、まるでジョイが痛いと言っているようにも思えた。
「だから、むしろティアがどうしても行きたいのなら、自分を整えよう。敵が居た時にちゃんと立ち向かえるように、心を立て直そう。今のまま行っても、敵の思うつぼだよ?」
「──────うん」
ぽろぽろと零れる涙は変わらない。
それでも、芽生えた気持ちはさっきとは全く違ったものだった。
「一人じゃないから」
そう言うジョイに、小さく笑みを返す。
「…………うん、ありがとう」
「うん。こちらこそ、ありがとな」
ジョイは嬉しそうに笑った。
よかったと、また、そう聞こえたような気がした。
そんなジョイが歪む。
でも、今までと全く違う、私の中に溶け込むような優しい歪み方だった。




