一九話 崩壊する日常
(カチッカチッカチッ…)
暗闇の中
どこからか、時計の音が聞こえる
(カチッカチッカチッ…)
音がだんだんと大きくなっていき、耳にがんがんと響く
それと同時に、暗闇からぼんやりと光が漏れでる
(あ、あれは…)
まるで光に釣られる夜虫にように、そっと手を伸ばす
誰かが、いる
光は振り子のように左右にゆらゆらと揺れ、その光から一人の女の子が照らされる
小さい体躯に長い髪
僕が再会を心から祈っていた相手
手を彼女に近づけるが虹のように触れることは出来ない
いつも見る夢…そう思っていたのだけど
今日は違っていた
「久しぶり。大和」
暗闇を照らす時計を片手に、そっと僕に話しかけてくる
その姿はまるで、夜道を案内する吟遊詩人のようだ
「さ、里月?里月なの?」
「そう。私は里月。だけど、その姿は幻。決して、現実では無いわ」
「別に、嘘だろうが、本当だろうが、僕には関係ない。会えたことがとっても嬉しい」
「私も逢えて嬉しいわ…でも、こういう形では逢いたくはなかったけれどね」
「どういうこと…?」
「忠告をしにきたの」
「貴方は夢を見すぎている。つまらない幻想に心を奪われて、現実を蔑ろにしているの」
「里月…君が何を言ってるのかまるで分からないよ」
「大和。幼すぎるのはそれだけで罪なの」
里月が諭すように、僕に言ってくる
「現実を見なさい。大和。私は里月。でもこの声も、姿も、性格も、考え方も、それは大和が作り上げた幻想」
「貴方が夢から覚めなければ、それだけで傷つき、悲しむ人間がいる」
「そのことを自覚して、目を覚ましなさい」
光が段々と弱くなり、里月の姿もおぼつかなくなる
「里月…!里月…!待って!まだ、僕は君に伝えたいことがあるのに!」
「大丈夫。私は、いつもここにいるわ」
「ずっと…ずっと大和の側に…」
………
……
…
「里月!」
がばりと布団から飛び起きる
どくん…どくん…
胸に手を当てて改めて目を瞑る
…心臓が激しく動悸している
こんな夢は初めてだ…とても気分が悪い夢
カーテンから太陽の光が漏れ出ているが、それすらもなんだか気持ちが悪い光景に感じてしまう
「大和、どうしたの…?凄く顔色が悪そう」
「わ、若木!?」
全く意識をしていなかったが、視界の端に若木が佇んでいた
若木はとても困った表情…いや、苦虫を噛み潰した表情と言うのだろうか、なんとも言えない表情をしていた
「大和。若木じゃないよ。唯って言ってくれるって約束だったでしょ」
「あ、あぁ。そうだった…唯」
若木は少し口角を上げて、わずかに微笑んだ
「大和…今朝はどんな夢を見てたの?随分とうなされてたみたいだけど」
どんな夢…?
この夢はどんな夢と形容すればいいのだろうか
『里月が俺を諭す夢』そう答えればいいのか
だが夢の中の里月が何ついて諭していたのか、俺にも分からない
だから、俺にも分からない夢を唯に伝えることもまた不可能だ
「そうだな…懐かしい夢だ。逢いたいと願っていた人間が…夢に現れた」
「ただそれだけだ。別に珍しいともなんともない」
「そうだね…」
唯はなんだか思案顔でこちらを見据えてくる
「な、なんだ?」
「大和、寝言で何を言ってたか覚えてる?」
「まさか、覚えてないから寝言なんだ」
「そうだよね…私は確かに聞いたよ。『里月』…そう言ってた」
「昨日の飲みの時にも西川くんが言ってたよね。『しきりに大和が呟いていた言葉があった。確か…さつきと』…って」
「私、さつきって言葉にずっと引っかかりがあったの」
「大和、前にもこの言葉を使ってた。たしか…ワンピース姿の琳ちゃんに会った時」
「ねぇ、里月って大和にとってどんな存在なの?」
「あと、その子っていつも連絡を取ってる女の子とも関係があるの?」
「…」
急な質問攻めで閉口してしまう
なんと答えればいいのか
唯は不安がっている。だが、彼女を十分に安心させる文言は直ぐには組み立てられなかった
「と、というか。なんで、唯が部屋にいるんだ」
「…」
唯は冷めた目でこちらを見据えた
これは完全に逃げた。議論を放棄して強引な話題転換を図ろうとしている
その見え透いた意図は彼女にも安易に伝わるだろう
「…大和が集合時間になっても来ないからだよ」
「え?もうそんな時間なのか」
携帯で確認する
見ると集合時間を30分以上超過していた
通知には、唯からメッセージや着信履歴が残っている
「す、すまん…すっかり寝てた」
「せっかくの初デートだって言うのに、大和は遅刻するような男なんだねー」
「ちょっとがっかりしちゃった」
先程のやりとりと意趣返しのつもりだろうか
唯はいつもよりも2割増し…いや、5割増しで棘があった
「本当にすまない。すぐ着替えるから外で待っててくれるか?」
「分かったよ。すぐ着替えてね」
………
……
…
5分程度で着替えると、直ぐに商店街へと向かった
いつもの行き馴染みの場所だが、付き合って初めてのデートの場所には、相応しいと思う
変に背伸びをするよりも、そっちの方が俺達らしい
「…?なんだか最近商店街が忙しそうだね」
「唯もそう思うか?」
そんなことを考えつつ、歩いているとふと、唯がそんなことを呟く
確かに、昨日から感じていたことだが商店街の店員と思わしき者達が、忙しそうに移動している
いや…いつも商店街の人は忙しそうなのだが、最近はそれがとても顕著だ
「近いうちになんか商店街でイベントとかあるのかな」
「ほら、あれじゃないか?商店街祭」
「ああー!もうそんな時期なんだね」
商店街祭。毎年この時期になると行われるイベントで、商店街を結成した日を祝う日となっているらしい
ちょうど近くにあった掲示板を見る
開催日は…明日から一週間
テレビで有名なタレントの公演や、一部商品が安くなると言うことらしい
「なんだか、岡宮が喜びそうなイベントだな」
「分かる。琳ちゃん、こういうイベント事大好きだもんね」
「…それに、酒も安くなるらしい」
「ふふ…来週も宅飲みコースかな?」
「そういえば…商店街祭で思い出したんだが、毎年唯ってこの時期になると、忙しそうにしてるよな」
「ああ、それはね。私、毎年ここで短期バイトしてるの」
「そうなのか?」
「ほら、あそこに花屋があるでしょ?あそこの店って個人経営店なんだけど、商店街祭の時はいろいろ発注が忙しくなるからって理由で短期バイトを募集してるの」
唯はそう言って、商店街にある花屋を指差した
店内には中年ほどのオバちゃんが忙しそうに花の水やりをしている
「ねぇ、ちょっと挨拶しにいっていい?」
「ああ、構わないぞ」
移動の道中、ふとした疑問が浮かぶ
「よくそこの花屋で短期バイトがあるって知ってたな。誰かの紹介?」
「ううん。最初あそこの花屋はバイトなんか募集してなかったんだけどね」
「昔、私が商店街祭に行った時、たまたまここを通りかかったの」
「その時すごく忙しそうだったから、お手伝いを申し入れたんだよ」
「それで、最初は遠慮してたんだけど短期バイトって事で毎年お手伝いしてるんだ」
…なんとも唯らしい理由だった
唯は他人が見ても気にしないこと、遠目から眺めているだけのことに対しても怖気づかずに踏み出す能力がある
唯にとってそれは些細な事かもしれないが、俺にとって眩しすぎる
こんなにも純粋で、善意に溢れた人間は世間を見渡してもそうそう現れない
………
……
…
「こんにちはー」
唯が陽気に挨拶する
「あら、いらっしゃい」
花屋の店主は、唯の姿を見るや否なまさに花を咲かせたような笑顔で迎え入れる
「どうしたの?若?今年はお手伝い出来ないって聞いたのだけど」
わ、若?
唯は、この店主にそんな呼ばれ方をされているのか
若ってまるっきり男につける名前じゃないか
いやでも、若木はボーイッシュだから別に違和感はないか
しかし…
「はは」
「…大和、笑ったね」
唯の目がきらりと光る
「いやすまん…若木がまさかそんな呼ばれ方をされてるなんて思ってもみなかったもので」
「うぅ…恥ずかしい」
「あら?若、その男の子は?もしかして…アンタのイイヒト?」
そう言って、花屋の店主は小指を立てた
「ま、まあ…」
唯は恥ずかしそうに、俯いた
「アンタ、名前は?」
「名前…?小磯大和ですが…」
「大和…大和…あぁ、若がよく言ってた男の子!」
「や、やめてよ…オバちゃん…」
「この子ったらね。口を開けば大和、大和って嬉しそうに話すもんだから、一度会ってみたかったのよ」
ニコニコと俺の方を舐めるように眺める
「へぇ…唯は俺についてどんなことを言ってたんですか?」
「こ、こら…大和も悪ノリしないの!」
「そうねぇ…大和と今日どこそこへ行った、だとか。なにそれをした、だとか。本当に嬉しそうに」
「大和くん…と言ったかしら。こんなにいい娘は早々いないよ。大事にしてやんなさいな」
「俺もそう思います」
「…」
唯を見やると、最初はアワアワしていたくせに、今は顔を真っ赤にして肩をわなつかせている
「は、恥ずかしい…」
………
……
…
せっかくということで、店に入り花を眺めることにした
「~♪」
花を眺める唯は、なんだから楽しそうだ
「花、好きなのか?」
「うん、大好き。花は可愛いよ。ちゃんと気持ちを込めて育てれば、それに応えてくれる」
「…どこぞの誰かさんみたいに屈折してないからね」
「…誰だろうな、それは」
「そういえば、今年はここで仕事をしないって聞いたんだがなんでだ?」
「んー、しても良かったんだけどね。就活とかいろいろあるし今年は辞めておこうかなって」
「確かに…これから忙しくなるな」
「でも、一つ心配なことがあってね。今年はアルバイトが見つからないらしいの」
「だから、今年はとっても忙しそう。暇を見つけて、少しは手伝えればいいんだけど」
そう言って、一輪の花を手を取った
少し枯れかかっていた白い花
「この花は?」
「少し枯れているみたい。あんまり世話が行き届いてないのかな?」
「…」
唯のその花を見る表情にどきりとする
人にはなかなか見せないその表情は、いつもよりも大人びて見える
そんなことを思ったその刹那…
(ちりーん)
店外から、あの鈴の音が聞こえた
「っ!すまない!唯!」
「え、ちょっと!?大和?」
………
……
…
店から飛び出し、周囲を見渡す
その雑踏の中に確かに見えた
「里月!待て!里月!」
しかし、前と同じだ
雑踏の中で、小柄な向こうはあれよあれよと距離を離していく
「里月っ!里月ッ!」
自分が出せるであろう最大の声で、その背中に語りかける
届くことはないであろうに、手を伸ばし、祈った
(ちりーん)
その少女がこちらを振り返る
少し吊り上がった目に、少女とは思えないほどの大人びた表情
10年間忘れなかった顔が、そこにはあった
「……」
少女が、こちらに向かって何かを言っている
「わ…は、さ…じゃ、い…」
「な…に?」
少女がもう一度呟く
「私は、里月じゃない」
そう言い吐てると、くるりと振り返りどこかに走っていく
「はぁ…はぁ…」
もう俺には…あれを追いかける余裕なぞ残っていなかった
………
……
…
「大和…」
「唯か…」
後から唯が追ってくる
その手の中には、ぼろぼろになった一輪の白い花が握られていた
「唯…その花は…」
「さっき…大和を追いかける時に落として踏まれちゃったの」
「そうか…すまない」
「大和もどうしたの?そんな泣きそうな表情しちゃって。服もぼろぼろだし」
「…」
「こんなに動揺してる大和、初めて見た」
「さっき店から飛び出した時に、里月って呼んでたよね」
「私は大和が里月って子とどういう関係だったかは知らない。でも、これだけは分かるよ。大和にとってその子は大切な子…なんだよね」
「まあ生憎、向こうは気づかなかったらしいけど」
「…そうみたいだ」
「…ねぇ大和、里月って大和にとってどんな人なの?」
「そ、それは…」
「今朝も話を逸してたでしょ。だから教えて。お願い」
唯はこちらを見据えてくる
花を胸にぎゅっと握り、泣きそうな、確かめるような表情でこちらを見ている
俺と唯には確かに物理的な距離があった
だが、彼女には俺を逃さないほどの真剣さがあった
その表情に飲まれ、俺もまた唯から目をそらすことは出来なかった
「さつきは…俺にとって、里月は…」
目を瞑る
大人びた微笑みで、俺に話しかける彼女
いつも影のある表情で、穏やかにこちらを見つめる彼女
俺の手を引っ張り、いつも愉しい所に連れて行ってくれる彼女
目を瞑れば、里月との思い出が鮮明に蘇ってくる
そう…俺は…彼女のことを…
「好きなんだ…里月が…」
「そう」
唯は今にも泣きそうな表情でこちらを見つめてくる
「どうしてこうなっちゃうんだろう」
「せっかく、琳ちゃんと離して、大和と付き合えると思ってたのに…大和は違う女の子が好きだったんだ」
「違う…!聞いてくれ…!唯」
一歩、唯に近づく
「やめて、近づかないで」
一歩、唯は後ずさる
「今近づかれたら、本当にどうしたらいいのか分からなくなるから」
「…」
「大和、私達、一旦距離を取らない?付き合って数日でなんだって話だけど」
「考える時間が欲しいの」
唯はそう言うと、走ってどこかに駆けていく
「…ふざけろ、バカ」
自分のバカさ加減に呆れてくる
俺は空を仰いだ




