Ⅱ.まさかの来客①
昼過ぎから本格的に降りだした雨が、風の勢いを借りて激しく窓を叩いていた。
四の鐘が鳴り響く頃には雷の気配まで出始める。
ウリカたちは無事に帰れるだろうか――柄にもなくそんな心配をするウィリアムだったが、それは杞憂に終わった。
この日はベルツ家の馬車が迎えに来たからである。
なんでも姉弟そろって晩餐に招かれているそうだ。
幸いなことだと安堵して二人を見送ったウィリアムだったが、そこに誰が来ているのか知っていれば、顔をしかめていたかもしれない。
「今日はもうお一人、お客様がいらしております」
ベルツ邸でウリカとジークベルトを出迎えたハインリヒは、そう説明しながら食堂の扉を開けた。
中に入ると、部屋の一番奥にある上座の席に、少年がひとり座っていた。
長い銀色の髪に菫色の瞳。年頃はウリカより少し上に見える。
ウリカはきょとんと首を傾げるが、ジークベルトは驚きに目を瞠った。
「二人ともよく来てくれた。とりあえず座ってくれ」
銀髪の客人の隣に座っているユリウスが、そう二人を促した。
言われた通り席に着こうとしたウリカはしかし、ジークベルトに押しとどめられて眉根を寄せる。
無言で姉の行動を制した少年が、銀髪の客人に向けて頭を下げた。
「お初にお目にかかります皇子殿下」
弟の発言に、ウリカの呼吸が一瞬止まる。
皇子、というからには、ユリウスが仕える第一皇子アルフレートで間違いはないだろう。
しかし問題はそこではなく、何故そんな人物がこんな所にいるのかということである。
とはいえ、今はそんな疑問に気をとられている暇もなかった。
「シルヴァーベルヒ子爵家嫡男ジークベルト・フォン・シルヴァーベルヒと申します」
丁寧さを装ったジークベルトがゆっくりとした口調で挨拶する間に、ウリカは呼吸を整えた。こういうときは弟の優秀さが頼もしい。
つっとスカートの裾をつまみ上げて、ウリカも弟のあとに続いた。
「お初にお目にかかります。ウリカ・フォン・シルヴァーベルヒと申します」
優雅な所作で挨拶をするも、
(事前に教えてよ! ユリウスのバカ!)
その胸中では従兄を罵倒していた。
だってひやりとしたのだ。
皇族を前に礼もとらずにいては、不敬と責められても文句は言えない。
知らなかった、などという言い訳が通用しないのが貴族社会。なのにどうしてユリウスは何も言わずにいるのか……訝しく思って、ちらりと従兄へと視線を向ける。
ウリカから無言の文句を受けとったユリウスは、表情を変えないまま、すいっと視線を逸らした。
(おのれ、わざとか……どういうつもりよ?)
従兄の真意を測りかねて内心で歯噛みした時だった。
「私の顔を知っていたのか」
銀髪の少年――アルフレート皇子が、楽しげに目を細めて声をかけてきた。
「先日開催された闘技会を見に行ったおり、殿下のご尊顔を拝見いたしました」
ジークベルトが答える。
「そうか……その可能性を失念していたな。残念だ」
わずかばかりに落胆の色を湛えて皇子は笑う。
そういうことか――とウリカは納得した。
ユリウスどころかカタリーナやハインリヒまでが事前に皇子の来訪を教えてくれなかったのは、この皇子がそう望んだからだ。
何が目的かは知らないが、何も知らないウリカたちの反応を見るつもりだったのだろう。
皇子が仕掛けた性質の悪い悪戯に、ウリカの胸中で反抗心が膨れ上がった。
感情を伏せてちらりと皇子を盗み見ると、彼は意地の悪い笑みを浮かべたまま、子爵家の姉弟に座るよう勧めた。
ひとまず言いたいことを呑みこんで、ウリカはカタリーナ夫人の正面にある席に腰を下ろす。カタリーナ夫人の右隣にユリウスが座っており、ジークベルトはその対面の席に着いた。
ユリウスの左隣にある席でアルフレート皇子が改めて口を開く。
「今日は皇子としての立場ではなく、ユリウスの友人としてここにいる。二人とも楽にしてくれ」
友好的な態度でそう言われたものの、一国の皇子から「楽にしてくれ」と言われたところで、素直に「はいそうですか」ともいかない。
(自分の立場を理解していないのかしら)
迷惑な、と不敬なことを考えていると、目の前でカタリーナ夫人が「うふふ」と笑った。
「殿下は道理を重んじる方ですもの。ご自身の発言を軽んじるようなことは決してなさらないわ。安心なさい二人とも」
それは姪たちへのフォローというより、皇子に対する牽制のようにも聞こえる。
その発言を聞いたアルフレートは咎めるようなことはせず、むしろきらびやかな笑顔を貼りつけた。
「ユリウスの母君はご慧眼をお持ちだ。しかも気遣いが達者でおられる。その発言、褒め言葉としてありがたく受けとっておこう」
「あら、恐縮ですわ殿下」
(会話内容が寒いです、お二人とも……)
ちっとも楽になれる気がしなかった。
唖然とする姉弟の目の前で「ははは」「ほほほ」と笑いあう皇子と夫人に、見かねたユリウスが口を挟んだ。
「お戯れはほどほどに殿下。今日は息抜きに来られたはずでしょう」
「そうだな」と応えたアルフレートは、初めて毒のない笑顔を見せた。
「つい、いつもの悪い癖がでた。申し訳ない」
皇子が悪意のない口調で謝罪して、ようやっとウリカとジークベルトは少しだけ肩の力を抜くことができた。
「せっかくユリウスが用意してくれた晩餐だ。互いの立場は忘れて楽しもうではないか」
その言葉を合図に、卓に料理が並べられる。
通常こうした晩餐ではコース形式で料理が一品ずつ提供されることが多い。しかしこの日は大皿に盛られた料理が次々に卓上へと運ばれた。
「今日はアルフレート様の希望で、こういう形になった。遠慮せず好きな皿から料理をとってくれ」
ユリウスが説明する。
これは夜会で提供される立食形式に近い。
「実を言うと、ああした夜会でまともに食事をできた試しがなくてな」
冗談めかしてアルフレートが肩を竦める。
立場上、常に誰かしらの相手をしなければならない苦悩を吐きだすかのようだった。
だからだろう。ウリカはつい同情ぎみに応じてしまった。
「皇子殿下というお立場も大変なのですね」
そこに同情心が湧かないでもない。自分なら息が詰まって耐えられないだろうと思うからだ。
「では、今日くらいは存分にお楽しみください。私もお付き合い致します」
ウリカが半ば本心でそう応じると、皇子がふっと優しい笑みを浮かべた。
「ウリカ嬢は優しい人柄をお持ちのようだ」
半舜ウリカは戸惑った。
そのように持ち上げられる程のことを言ったつもりはない。些か過剰な評価ではないかと思い、ウリカは「いえ」と反論しようとした。
しかし皇子は「謙遜は無用だ」とその発言を遮った。
それだけではない。
そこから畳みかけるように、子爵令嬢をべた褒めし始めたのである。
「ウリカ嬢は美しく聡明で魅力的な女性だ。いま少し、それを自覚したほうが良い」
「は?」
突然のことに、ウリカはきょとんと目を瞬かせる。
隣ではジークベルトが軽くむせていた。
そんな少年少女の困惑を気にせず、アルフレートは微笑んだ。
「私の隣に立つ者には、そなたのような女性が相応しいと思っている」
食事の手を止めた皇子が、顎の前で手を組んでウリカを正視する。
「どうだ? 私の妃になる気はないか?」
アルフレートは実にさらりと、とんでもない爆弾発言を投下した。
シルヴァーベルヒ家の姉弟がそろって動きを停止させたのは、無理もないことであったろう。




